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後日談

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 駆けつけたナジェスタ女師の診察では、サヤ様の子宮口はまだ二センチとのことだったのですが……。

「でも実はこれ、もう数日前からなの。
 子宮口の開き始めって、進み具合がかなり人それぞれで、数日から数週間ってひともいれば、一瞬で進む人もいるから、ハインさんが違和感を感じてるなら集中的に見たほうが良いと思う」

 初産でございますし、サヤ様は妊娠しずらい体質だとナジェスタ女師にも伝えておりましたから、念には念を入れてそのような処置となりました。
 まさか種が違うと言うわけにはまいりませんし、そのような言い方しかできなかったわけですが……。

 結論から申しますと、私の感じた違和感は近からずとも遠からずという結果でした。
 その日の夕刻から、明らかな陣痛が始まったのです。

 サヤ様の陣痛の合間に、ナジェスタ女師に呼ばれた私とレイシール様は、サヤ様には聞かせにくい話があると言われて、ブンカケンの応接室へと移動したのですが……。

「……サヤさんって、もしかしたら人の血が濃いのかも」

 不意打ちされたそんな言葉に、私とレイシール様はつい過剰に反応してしまいました。
 我々の表情に、ナジェスタ女師は慌てて手を振り、他意はないよ⁉︎ と、弁明。

「あ、ほら。わたしたちの一門って古い医術を代々伝えてきてるじゃん?
 獣人って、肉体的にも頑強だし出産に強いというか、案外楽に子を産むんだけどね、人はその辺、結構大変だったみたいな記述があるんだよね」

 我々が獣人と人の混血種であることが公になってから、彼女らの一門でも一部の者にしか伝えられていなかった情報も開示されました。
 これは禁として封印されていた真実。ユストには当時、まだ知らされていなかったとのこと。
 彼ら医師の知識が狙われ抹消されてきた理由は、ここにあったのです。

「人体の構造的に大きな差はないように思うけど、もしかしたらって話。
 もしそうだったら、難産になるかも……。場合によっては数日陣痛に苦しんだり、体力が続かなくて亡くなる場合もあるらしい……」

 硬い表情でそう言われ、レイシール様の表情も強張りました。

「まだ分かんないよ⁉︎ あくまで例えばの話、全然、まったく関係ない場合もあるよ⁉︎
 ただなんとなく、なんとな~く、勘というか、違和感というか……お産の進み具合が遅いなーって思うだけでね?」

 必死でそう説明するナジェスタ女師の様子からして、ユストにサヤ様が異界の民であることを、聞いたわけではなさそうです……。

「ほらっ、サヤさん身籠りにくい血筋って話してたのも、人の血が濃い血筋だからかなーって。
 あっ、でもねっ、急に子宮口が開き出す場合もあるから、ほんと、ちょっと頭の端に入れておいてほしいなってだけだからっ」

 しかし、そんなあやふやな話を我々にいちいち話すのは、それを言わなければならない理由があるということ。
 そして我々の反応に、それを言い辛くなっているのは明白でした。
 彼女は、サヤ様が獣人の血を一滴も持たぬ身であることは、知らない……。しかし我々は……。

「……それを頭の端に入れておくべき理由をさっさと話してください」

 固まってしまったレイシール様の代わりにそう口にしますと、ナジェスタ医師は困ったように視線を泳がせました。
 そうして上目遣いにちらりとレイシール様を見て……。

「…………万が一の、場合……どちらを生かすかを、選択しなきゃいけない……かも…………」

 …………っ。

「ホントまだ分かんないよ⁉︎ でも、この速度で出産が続く場合、陣痛で何日も苦しむようなことも想定できる。
 彼女は体力もしっかりあるし、まだ若いし、大丈夫だとは思うけど……子宮口が開き切る前に体力が尽きたり、万が一、開ききった時、産む力が残ってなかったりした場合は…………っ⁉︎ いやっ、ほんと万が一ってことで、今はまだ全然、そんな兆候も何もないからね⁉︎ ホントだよ⁉︎」

 余計なことを言いすぎたと思ったのでしょう。慌てて話を打ち切ったナジェスタ女師。
 しかし我々は、サヤ様が純粋な人であるということを、知ってしまっているのです。
 ナジェスタ女師にとっては可能性の話でも、我々にとってそれは、決定事項。

 この時私が感じた恐怖を、きっとレイシール様は何十倍も感じていたことでしょう。
 サヤ様は、孤独なのだということ。それの本当の意味。本当の現実を、突きつけられて。

 我々男は忘れがちですが、子を孕むということは、命を賭けるということです。
 異物同士を掛け合わせ、腹の中で捏ねて、一つの命を創り上げる。そのような奇跡を起こすのですから。

 何年も、サヤ様は子を身籠らぬことを気にされておいででした。
 口にはせずとも、申し訳なく感じていたであろうことを、私は存じ上げております。
 そしてレイシール様も、サヤ様が身籠ることを願ってこられました。
 ただ後継としての子が欲しいという話ではなく、サヤ様を孤独にしない方法として、子を望まれてきたのです。
 例え夫婦となっても、結局は他人。サヤ様の孤独を本当の意味では癒せません。
 しかし子を授かることができれば、サヤ様は確実にこの世界の一部。この世界に繋がった存在なのだと、そう言える……。

「…………分かった」

 そう言ったレイシール様の表情は、見事に抜け落ちておられました。
 この顔を、私は知っています。
 失う時の顔。大切に握っていたものが、その手からこぼれ落ちてしまう時の顔です。

 あぁ。また来たんだなと、その表情は語っていました。
 何度も何度も抗ってきた、今までも苦しみ抜いてきたこの方の謂れのない罰が、また腕を伸ばしてきたのだと。

 このようなこと、サヤ様に言えるわけがございませんでした。
 ただでさえ初産。現状でも既に大きな不安を抱えているに違いないあの方に、これ以上の重荷を背負わせたくはございません。

「レイシール様……」

 しかし、サヤ様を取るか、お子を取るかという選択は、この方には酷すぎる。
 神というものは、どこまでこの方を追い詰めれば気が済むのでしょう。
 いつもいつも、何故こうも、この方を標的にするのでしょう。

「……サヤには言うな。絶対に」
「………………畏まりました」

 指示はそれだけでした。
 そしてレイシール様は両手で顔を覆い、暫く俯いておられましたが……。

「戻る。俺たちがあまり離れると、サヤを不安にさせてしまう」

 そう言い顔を上げたレイシール様は、完璧な表情を作り上げておられました。
 きっと他の者には分からないでしょう。いつも通りのレイシール様にしか見えません。
 ですが私には分かりました。
 この方が仮面を被り切ることを選んだことが。
 サヤ様を不安にさせず、いざと言う時は、その責任を全て己で担う気でいるということが。
 どちらを選ぶか。
 その選択を、サヤ様には与えないつもりなのでしょう。
 彼の方に、命を選ばせるなど絶対にさせないと、暗い瞳が語っています。

 離れに戻り、寝台に横たわるサヤ様に歩み寄ったレイシール様は、愛おしげにサヤ様の頬を撫で、額に口づけを落としました。
 どうやら陣痛の合間である様子。サヤ様の表情は和やかなものでした。

「すまない。ナジェスタに今後の想定を聞いてきた。
 カーリンの時は、本当に早かったんだな」
「そやで。それにまだ陣痛も弱いと思う。
 お母さんは、お父さんに当たり散らすくらい痛かったって言うてはった。
 私のはまだ腹痛がある程度や」
「そうなの? でも痛いのは痛いんだよな……?」

 ごく当たり前のように言葉を交わすレイシール様が痛々しく、しかしこの方の決意を踏み躙るわけにはまいりません。

「何か欲しいものはある?」
「んー……鞠が欲しい」
「……鞠? あっ、ぐりぐりするやつか」

 俺の手じゃもうできないもんなぁ……と、がっくり頭を垂れるレイシール様に、くすくすと笑うサヤ様。

 私は神を信じません。貴方には何ひとつ与えられたとは思っていない。
 しかし、もしレイシール様を本当の意味で幸せにしてくださるなら、信じます。
 一生、感謝を捧げて生きます。

 吠狼の全てが、貴方を崇め奉ると誓います。
 ですからどうか。
 どうか……。
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