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後日談

新たな事業 1

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 諸々の手配と処理を終えて戻ったのは半月後。
 そしてまた忙しく冬を過ごし、春を迎える頃合いとなりました。

「では行ってくるから、サヤは無理をしないようにな」
「かんにん、ほんまは一緒に行くはずやったのに……」

 陛下らご一家が王都へと旅立つと同時に、サヤ様は床に襖されました。
 この越冬中はと引き締めていた気持ちが、責任を果たし緩んだのでしょう。ナジェスタ女師の診断により、妊娠中ということもございますから、社交界を含む春の長旅は控えることとなり、本日はその社交界への出発予定日。

「忙しなるこんな時に……」
「サヤ様。それはレイシール様の自業自得ですから、貴女が自らをお責めになる必要はございません」

 ザクリと釘を刺すと、レイシール様は「いやその通りだけどさ……」と、苦笑。
 足の傷はとっくに癒え、また身体に一つ傷痕を増やしましたが、元気なものです。
 そしてその怪我の原因であった、オースト流民らの今後に手を打つため、アギーの社交界は前哨戦となる予定でした。

「サヤが留守番なのは寂しいけどね……、でも身体のことを思えばホッとしていたりもするんだ。
 初めての出産になるのだし、長旅はやっぱり心配だ。
 春の終わりまでには帰る。その間、セイバーンと腹の子を頼むな」
「はい……」

 そう言ったレイシール様は、うわ掛けの上からサヤ様の腹を愛おしそうに撫でてから、サヤ様に口づけを。
 離れがたく思っているのでしょうが、そろそろお時間ですと私が告げると、渋々立ち上がり。

「ではハイン……」
「サヤ様はお守り致しますから早く出発してください」
「もうちょっとくらい……」
「駄目です」

 まったく、諦めが悪いですね。

 ブーブー文句を言う主を馬車に押し込み、出発する一団を見送ってから、今一度サヤ様の寝室に戻りますと、我が妻と女近衛の一同が旅装で訪れておりました。
 本日は彼女らも、王都へと帰還するため旅立ちます。数日遅れての出発ですが、馬車行列の陛下らより、馬を走らせる彼女たちの方が早く王都に辿り着くことでしょう。

「サヤはとにかく、身体を慈しんで」
「領主様がお帰りになる頃には、きっとお腹もしっかり大きくなってる」
「大変世話になった。次は元気なお子を見せてもらえるのを、楽しみにしておく」

 明るい面々の言葉に、微笑んでこくりと頷くサヤ様。

「それじゃ、出産の知らせ待ってる」
「その時は祝いの品を贈るでござる!」
「あ、ロレンはちゃんと旦那さんとお別れしてから来てよ。馬の準備して外門で待ってるからね!」

 職務中に私情は持ち込まないと、あれほど申しておりますのに……。

 私の言い分など完全に無視した皆様と、気遣いの人であるサヤ様に、応接室を勧められてしまいまして断るに断れず……。
 結局私は妻と職務中に、最後の別れを惜しむこととなってしまいました。

「朝、家で別れは済ませたというのに……」

 そう言い表情を歪める私に、妻は申し訳なさそうな、なんとも言えぬ面持ち……。
 一冬共に過ごしましたから、その表情がどういったものかはもうしっかりと理解いたしました。
 ですから引き締められた唇を解くために、妻の頬に左手を添えて「違いますよ」と、言葉にします。

「少しでも、貴女との時間を得られたことは、ちゃんと嬉しいです。
 しかし別れの後にまた別れをするなど、胸が痛むではありませんか……」

 そう告げますと、一瞬だけホッとした表情になった妻は、くすぐったそうに笑い。

「ボクは、ほんの少しでも別れが遠退いたと考える」

 真逆の捉え方だなと言った妻を、腕に抱き寄せました。

「……すまない。また長く離れる」
「構いません。職務ですから当然と理解しております」
「…………あまり得意じゃないけど、もっと手紙を書く……」
「そういった無理はしなくて結構です。
 そのかわり……また冬を勝ち取ってください」

 そう言いますと、妻が驚いたように瞳を丸くするものですから、少し居心地悪くなってしまいました。
 ええ、私らしくないことを言っているのは承知しておりますとも。
 しかしそれはそうでしょう……冬の間中、貴女の存在が身近にあり、手を伸ばせば温もりがあるのを当然としてしまったのですから、身体も頭もそれを日常と覚えてしまったのです。

 ルオード様のお話では、王子らの獣人理解を深めるため、越冬は毎年アヴァロンで過ごすとされる心算であるよう。
 それならば、この地に家庭を持ち、獣人の夫を持つ身は有利にも働くことでしょう。
 どうかそれを大いに利用していただきたい。

「越冬の全てに同行してほしいと思っていますよ。できることなら。
 職務だというのに、そんなことを考えてしまうくらいには、私は貴女に固執しているのだと、伝えておきます」

 言わなければ曲解しますからね、貴女は。
 そして、慣れない言葉に戸惑い顔を赤らめる貴女を見るのが、私は楽しい。貴女の中の私の大きさが見えることが、こんなにも心躍ることだとは。

「貴女をまたロアと呼びたい。
 ですから次の冬を、心待ちにしておきます」

 そう言うと、妻はやはりくすぐったそうに、困ったように、けれど嬉しそうに……こくりと頷きました。


 ◆


 さて。
 レイシール様が戻られる春の終わりまでに、我々もしなければならないことが沢山あります。
 まずはアヴァロンに住まう石工や大工、土建組合員の代表を呼び集めました。さながら土嚢壁を作った時の様相ですね。
 このアヴァロンでの土建組合長はルカです。
 貴族に対する礼儀というものをどうにも覚えない彼は、数年前よりこのアヴァロンでの長となりました。ここなら彼も長生きできるでしょうし、これからはこのアヴァロンがセイバーンの中心地となるからです。
 石工の代表はシェルト。
 大工の代表は比較的若い職人、ルアン。彼は元々、遍歴の職人でございました。
 仕事上での付き合いが長い彼らですから、呼び出されたということの意味は理解しているよう。

「んで、今度は何おっ始めようってんだ?」

 ルカの発言を否定できないのが甚だ遺憾です。
 その言葉に、書類束を脇に寄せたマルが、上の一枚を手に取りました。
 マルもこちらのことを調整するため、このアヴァロンに残っておりました。なにせ、彼の頭脳が必要であろう大掛かりな事案なのです。
 そのマルが、とてもニコニコとご機嫌なのは、色々な計算をやり尽くした達成感から。この変人は、あらゆる数字を掛け合わせるのが楽しくて仕方がないのです。
 そして彼の頭脳は、レイシール様の奇案を可能と判断致しました。

「まあまずはこれを見てください」

 持っていた一枚の紙を、ひらひらと弄んでから、座る三人の前に差し出します。

 そこには一つの絵が描かれておりました。
 サヤ様が、越冬の最中に描いてくださった予想図……。
 とはいえ見ただけでは墨で描かれた風景画でしかございません。真っ直ぐ流れる川に、船が行き違うその光景はまだ、この世界に存在しないものです。
 その絵が誰の絵かは、三人も理解しておりますから、しげしげと眺めてから……。

「やっぱサヤ坊絵がうめぇな……」

 ルカの頭をシェルトが叩きました。
 男爵夫人を坊呼ばわりするのはいい加減やめろ。という意味でしょう。
 その様子をニコニコと眺めていたマルでしたが、皆の視線がもう一度自分に集まるのを待ってから……。

「その風景画をこの世に再現するために、レイ様はアギーの社交界へと旅立たれました。
 そしてそのまま王都に赴き、春の会合に国の新たな新事業として提案する予定です。
 主要な交易路はもう整ってきましたし、次がそろそろ必要ですからね」

 莫大な資金が動いていた事業は、来年辺りで終了となる予定でございました。
 そのため、国の主導する新たな公共事業を提案する……と、いうのが、レイシール様の考えられた、新たな一手。

「次は、川を掘ります」

 さも当然と吐かれた言葉に返ったのは、三つ重なった「はぁ⁉︎」という音でした。
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