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後日談

右腕 1

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 この時が来るのは分かっていたことです。
 私が望んで、そうなるべく動いてきた。
 けれど、やはり……。
 それは恐ろしいほどの喪失感を伴いました。

「……長らく、お世話になりました。
 このような身ですから、自らこの飾りを外すことも叶いません。
 なので……」
「あぁ。……サヤ、ハインの襟飾を外してもらえるか」

 レイシール様の言葉で、いつの間にやら後方に控えていたサヤ様が、私に歩み寄ってまいります。
 サヤ様の表情は、凪いで静かなものでした。この方もこの時が来ることを覚悟していらっしゃったのでしょう。
 両手を伸ばし、襟飾を外してくださる間を私は、歯を食いしばって耐えておりました。
 さほど待たず、襟飾が外されたよう。
 襟を貫いていた針に被せを戻し、襟飾をレイシール様へと差し出したサヤ様。それを確認したレイシール様は鷹揚に頷き、視線で何かの指示を。
 サヤ様は一礼してさがり、襟飾を持ったままその足を街の方へと向け、控えていたメイフェイアが付き従います。

 当たり前にあった日常が、今日この時からもう、私のものではないのか……。

 そのことを呆然と噛み締めていたのですが。

「……さてハイン。ロレンを守るための算段を進めようか」

 そう話を振られて、目を瞬きました。
 今の一連の流れでどうしてその話が戻ってくるのでしょう……?
 従者でなくなった私にとって、レイシール様は雲上の人となりました。こうして直接言葉を交わすこともできない間柄となったはず。
 なのにこの方は、まるで当然のように私に話しかけ、それどころか考えもしなかったことを口にするのです。
 何よりそのための一手を、貴方はもう、仕込んでくださったのでしょうに……?

「私にできることが、まだ何かあるのですか?」
「言ったろう。ロレンを守る役目は、お前が担うべきたって。
 俺では力不足だし、俺には担えない役なんだ」

 そう言ってからレイシール様は、私をブンカケンの中へと促しました。
 極力秘しておきたいことのようで、応接室のひとつへと誘われ、座るように指示。
 戸惑いつつも席についた私にレイシール様は。

「さっきも言った通り……ロレンはお前を守りたいと思ったから、お前を切り捨てることを選んだ。
 でもその選択が間違っていることは、俺が身をもって知ってるからね……。
 十六歳のあの時……お前が、全部切り捨ててきた俺の、初めて切り捨てられないものになってくれたから、今の俺はあるんだよ」

 そのように言われて、今の状況が確かに……あの時をなぞらえているように感じました。
 セイバーンに呼び戻された時、この方は私を捨てようとした。だから命懸けで食らい付いたのです。
 命くらい賭けなければいけなかった。それくらいの覚悟を、此の方もされていた……。

「今回もね……相応の覚悟が必要だよ……」

 そう呟いてレイシール様は、居住まいを正しました。

「お前も知っている通り、現状の女近衛は人員不足。ロレンひとりだって失うのは大きな痛手だし、未来への損失なんだよ。
 それは上位貴族間においても周知されていることだ。
 だから例の伯爵家はきっと、ロレンに緘口令を敷き、自ら職を辞すよう求めてきているのだろう。
 リカルド様やハロルド様に相談できなかった様子なのも、多分ね……そちらはもう封じられていたからだ」

 おおかた、ロレンの父親はその伯爵家に仕える身で、その伯爵家はヴァーリン傘下でも有力な血なのだろうとレイシール様。
 おふたりにことが知られれば、父親や家族がどういった扱いを受けるか分からなかったり、もしくは他に大きな弱みがあるのかもしれないと。
 相手をぼかしてそうおっしゃいましたが、レイシール様には、その相手に目処が立っているのかもしれません……。
 この方の交友関係は実に広く育ち、吠狼の耳や、マルの膨大な知識もございます。
 この方はもう、孤独なはみ出し者ではない。

 そして貴族社会は常に、血でもって強固にされてきたという、今までの経緯がございます。
 それゆえに捨てられない柵というのは、まだ多く蔓延っているでしょう。
 その中でロレン様が、この地のレイシール様を頼った理由は……。

「俺はヴァーリン傘下ではないけれど、ヴァーリンとの柵は比較的強固だ。
 だから地位の低い男爵家でも、俺の元にいれば、お前は守られる……。ロレンはそう考えたんだろう」

 それに俺には、クロードがいるしね。と、レイシール様はおっしゃいました。
 男爵家で、上位の公爵家、しかも二家の血を引くクロード様を従えている稀有な存在は、異国を含めて探したところで、きっとこの方しかいません。

「それに……どうせお前、職を辞す話はロレンにしていなかったんだろう?」
「……言う必要がございましたか?」
「いや……多分言ってたら、女近衛を辞めなきゃいけないなんて弱音は吐いてくれなかったろうしな……。
 襟飾を返したのも、お前を守るため……お前が俺のものだって示すために、必要だと考えたからだろう。
 だからお前があれを返すと分かってたら、あの飾りは帰らなかったさ」

 彼の方ロレンがそこまで考えていたでしょうか……。
 そう思いましたが、レイシール様はたまによく分からないほどの精度で先読みをなさいますからね。
 そんな風に読める何かを察知していたのやもしれません。

「まぁでも良かったよ。
 これが返ったおかげで、体裁が整う。お前の襟飾はそのままウォルテールに引き継がせて、お前には別の職務を担ってもらいたい」
「…………意味が、理解できかねるのですが……」

 私はもう役に立たない。それが分かったから、襟飾を返して良いとおっしゃったのでしょうに。

「私に盾は担えないと……この体で職務にあたることは困難であると、もうお分かりになったのでしょう?」

 その私の言葉にレイシール様は、苦い笑みを浮かべました。

「うん……それは認める。
 お前が従者という役割に誇りを持ち、今日まで仕えてくれたことを、俺はちゃんと考えてやれてなかった……。
 お前は正しく俺の盾となってくれていた……。それがもう難しくなったから職を辞すと言った。
 それは、頭では分かっていたんだ……だけど正直……俺も、認めたくなかったんだよ……。
 お前を失うことなんて、考えられなかった。当然ずっと傍にいてくれるものと思っていたんだ」

 それは私にとって望外のお言葉でした。
 役に立たなくなった私でも、この方は必要なものであると考えてくださった。それを言葉にしてくださったのです。
 今までの勤めに対する情けではなく、私を必要としてくださっていたと。

「だから、盾役はお前の推薦通り、ウォルテールに担ってもらおうと思う。
 お前が今日まで支えてきてくれたことを俺は、本当に嬉しく、有難く思っているよ。
 そしてこれからもそうであって欲しいんだ。
 居なくなってもらっては困るんだよ」
「……おっしゃっている意味が分かりかねます」

 それは、針の筵に座り続けていろということでしょうか?
 こんな身体の私にどんな役割が担えるというのでしょう……。

「勿論、そうじゃないさ」

 レイシール様は、力強くそうおっしゃいました。

「お前はちゃんと、このセイバーンに必要な存在なんだと証明する。役立たずなんかじゃないって。
 俺がどうしたいか、何を考えるか、それが正しい判断か、間違っているか……。
 それを冷静に見極めてくれるのはいつだってお前だ。だからお前には、俺の『懐刀』となってほしい」

 …………は?

「ハイン、お前を執事長に任じたい。
 セイバーンの運営を担ってくれる者は多くなったけれど、内を支えてくれる存在はまだまだ少ない。
 実際、女中頭と兵士長はいるけれど、執事長が数年いないままだしね」
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