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後日談
恋 4
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翌朝、帰還するロレン様を見送ることとなりました。
「……あの、お世話になりました」
「なんの。またお越しいただけると嬉しい。な、サヤ」
「はい。是非また。
今度はゆっくり遊びに来てください」
馬格、白の馬を引いたロレン様は、とても凛々しく精悍でした。
この時期になれば、もう狼でなくとも大丈夫だろうとのことで、馬での帰還となります。そのついでにと、セイバーン領主より王都へのお使いを仰せつかったロレン様。
「これが陛下への密書。それから献上品の、セイバーン産牝馬、馬格、白。確かに託した」
「承りました。必ず無事お届けします」
勿論、このお使いは建前です。
王都に寄らなければならないなら、故郷への帰還は当然遅れますからね。彼女を有利にするため、少しでも時間を稼ぐ策のひとつなのでしょう。
きっとレイシール様は密書の中にも、何か手を打っていると思います。
この件をあんな風に軽く扱ってらっしゃる様子だったのは、絶対の自信がある策を有していらっしゃるゆえだと確信を持っておりました。ですが……。
それをお伝えいただけないのは……私が従者を辞すつもりであるからでしょうか……。
そう考えると、胸が痛む心地でした。
この方との間に、確実に距離が開いてきているのだと……お姿を目にすることすら叶わぬ日々が近づいているのだと、どうしてもそう考えてしまいます。
私が内心でそんな不安と闘っている間にも、ロレン様の旅支度は整ってまいりました。使用人が馬の背に荷を括り付けていきます。
その隣で、私の贈った小剣を腰に携えておられますロレン様はというと、どこか微妙なお顔でレイシール様と話し込んでおられました。それというのも……。
「陛下への献上品なのに……本当にボクが乗って行っても良いんですか?」
「馬を運ぶのに、馬に乗らないのは馬鹿らしいじゃないか」
「……まぁ、そうです……かぁ?」
「そうだよ」
あっけらかんと肯定するレイシール様に、首を捻っておられます。
普通に考えれば確かにおかしな話ですからね。
けれど王都に着き、陛下に密書をお渡しいただけましたら、この献上品が陛下を介し、ロレン様へと贈られたものだと分かるでしょう。せいぜい泡を食ってほしいものです。
……そうして少しでも、私を思い出してくだされば良いのですがね……。
準備は進み、 鞍嚢に昼食用の弁当などもしまい込まれました。
旅立ちの時。
アヴァロンの入り口となります桟橋まで、ロレン様を見送る一同がぞろぞろと足を進める中、歩みの遅い私は、ブンカケンの門前まで。
進む皆の背を見送っていたのですが……先頭を進んでいたロレン様が足を止め、馬の手綱をサヤ様に預け、何故か小走りで引き返して参りました。
振り返る皆の視線を背に、私の前までやって来たロレン様は……。
「……捨て台詞でも忘れておられましたか」
と、挑発した私の襟をぐいと引っ張り……。
「あぁ、忘れ物だ。あんたに返す」
何を返されたのか分かりませんでしたが……。
「ボクはこの剣を貰ったから……これからあんたを思い出す時は、剣を手に取る……」
思いがけない言葉に、つい声を失ってしまった隙に、ロレン様は更に言葉を続けました。
「ボクを女扱いしたのは、生涯できっと、貴方だけだよ……」
とっさに身を乗り出そうとした私の胸をトンと押して、ロレン様は距離を取りました。
もう一度触れたい。そう思った私を彼女は拒み、そのまま踵を返し、あとはもう振り返りません。
サヤ様のもとまで戻って、手綱を受け取り、何も無かったかのように足を進め、離れていく……。
突き放すのに、その台詞は卑怯でしょう……。
そう思いました。
けれど、どこかで救われてもいたのです。
自らの在り方を否定するに等しい行為を、私に許してくださったのはやはり……多少なりとも想いがあったからだと。
気持ちが全く無いならば、彼の方は私に身を委ねてはくださらなかっただろうと、そう思えましたから。
皆の姿が見えなくなり、時が刻まれ、またひとり人数を減らして戻ってまいりました。
門前に微動だにせずとどまっていた私に、皆様は少々怪訝なお顔をされましたが、歩み寄るレイシール様に気付き、納得し、興味を失ったよう。
「無事旅立ったよ」
そう報告してくださったレイシール様に「左様ですか」と返事を返しますと、そのまま足を進めてきた我が主は何故か、私に手を伸ばし……。
「襟、崩れてる」
……引っ張られましたからね……。
微妙な嫌がらせを受けた心地です。
けれどそこで、我が主はふっと表情を緩めて「あぁ、戻ったんだね」と、言葉が続き……?
「これ、やっぱりロレンが持っていたのか……」
レイシール様の左手が私の首を撫で、ひんやりとした金属を感じ、襟元を歪められた理由をようやっと理解しました。
あの戦いで失ったと思っていた、私の襟飾……。
ではあの言葉は……。
私に何も残してはくださらなかったあの方は、何も無かったと思っていたこの一年も、飾りを縁として、私を思い描いてくださっていた……?
自然と、視線が足元に落ちました。
強情を張らずにいれば良かったのかもしれません。
もう少し寛容になれていたら、彼女はもっと、違う未来を選んでくれたのでしょうか?
そんな後悔が、表情に滲んでしまったのでしょう。レイシール様は困ったやつだというように苦笑しました。
そうして、言うべきか迷うように視線を逸らし、少し考えてから……。
「……ハイン、お前は獣人だから、ロレンはきっと、心配だったんだと思うよ」
それは、獣人と番うことへの恐怖でしょうか。
こんな状況下でなければ、あの方は私に身を許してはくださらなかったのでしょうし……。
けれど私がそれを言葉にする前に、私の考えを察したレイシール様は……。
「そうじゃない」
それまでの和やかな雰囲気はなんだったのかと思うような、真剣な表情となっておりました。
このお顔は……勝負に出る時のお顔です。何かを掴むために、一手を打つ時の。
「ついこの間まで獣人は、獣として扱われ、不意に切り捨てられても文句すら言えない存在だったんだ。
そのお前が、伯爵家の妻へと望まれた者を奪ったことになる。
女性というだけで、彼女をずっと虐げてきた相手だもの。お前にだって容赦しない……そう考えたんだと思うよ」
そこには考えが及んでおりませんでした。
私は彼女が貴族の妻とならずに済むこと。それにしか思考が向いていなかったのです。
ならばあの方のあの態度は、全て私を庇うためのものだったと……⁉︎
合点がいきました。そして後悔しました。彼の方を独りで故郷に向かわせたことに。
けれど、こんな身の私は、彼女の足手纏いにしかならないでしょう。
職も辞し、ただの獣人でしかなくなる私は、五体すら不十分で、自らこの地を離れることすらできない。
なにより、私の主はレイシール様。これだけは、従者を辞したとしても譲れない。私が今世に在る意味。
でもだから、ロレン様は私を突き放した……。
私に、私の大切なものを捨てさせないために、そうしたのです。
なんて浅はかだったのでしょう。どうして私は、その考えに思い至らなかったのか……!
「お前が自分を責めるのも違うよ。
ロレンは多分、ここに来た当初からそのつもりでいたろう。
お前を頼ってきたけれど、お前を巻き込むつもりははじめからなかったんだよ。
だから、伯爵家にも想い人がいることは告げていないだろうし、操を捧げた相手の名を出す気もないだろう。
お前をここから連れ出す気も無かった。
お前が俺に魂を捧げていることも、その決意も、全部知っていたからね」
そこまで語りレイシール様は。
「ハイン、お前に従者を辞すことを許す」
今まで、ずっと跳ね除けられていたことを、何故かこの時、認めてくださいました……。
「その襟飾を返してくれて良い。お前はもう、俺の盾にはなれない……。
俺の盾はこれから、ウォルテールが担ってくれる。お前がそのように、彼を育ててくれたから」
私の役目。
それがこの瞬間に、全て、失われました。
「……あの、お世話になりました」
「なんの。またお越しいただけると嬉しい。な、サヤ」
「はい。是非また。
今度はゆっくり遊びに来てください」
馬格、白の馬を引いたロレン様は、とても凛々しく精悍でした。
この時期になれば、もう狼でなくとも大丈夫だろうとのことで、馬での帰還となります。そのついでにと、セイバーン領主より王都へのお使いを仰せつかったロレン様。
「これが陛下への密書。それから献上品の、セイバーン産牝馬、馬格、白。確かに託した」
「承りました。必ず無事お届けします」
勿論、このお使いは建前です。
王都に寄らなければならないなら、故郷への帰還は当然遅れますからね。彼女を有利にするため、少しでも時間を稼ぐ策のひとつなのでしょう。
きっとレイシール様は密書の中にも、何か手を打っていると思います。
この件をあんな風に軽く扱ってらっしゃる様子だったのは、絶対の自信がある策を有していらっしゃるゆえだと確信を持っておりました。ですが……。
それをお伝えいただけないのは……私が従者を辞すつもりであるからでしょうか……。
そう考えると、胸が痛む心地でした。
この方との間に、確実に距離が開いてきているのだと……お姿を目にすることすら叶わぬ日々が近づいているのだと、どうしてもそう考えてしまいます。
私が内心でそんな不安と闘っている間にも、ロレン様の旅支度は整ってまいりました。使用人が馬の背に荷を括り付けていきます。
その隣で、私の贈った小剣を腰に携えておられますロレン様はというと、どこか微妙なお顔でレイシール様と話し込んでおられました。それというのも……。
「陛下への献上品なのに……本当にボクが乗って行っても良いんですか?」
「馬を運ぶのに、馬に乗らないのは馬鹿らしいじゃないか」
「……まぁ、そうです……かぁ?」
「そうだよ」
あっけらかんと肯定するレイシール様に、首を捻っておられます。
普通に考えれば確かにおかしな話ですからね。
けれど王都に着き、陛下に密書をお渡しいただけましたら、この献上品が陛下を介し、ロレン様へと贈られたものだと分かるでしょう。せいぜい泡を食ってほしいものです。
……そうして少しでも、私を思い出してくだされば良いのですがね……。
準備は進み、 鞍嚢に昼食用の弁当などもしまい込まれました。
旅立ちの時。
アヴァロンの入り口となります桟橋まで、ロレン様を見送る一同がぞろぞろと足を進める中、歩みの遅い私は、ブンカケンの門前まで。
進む皆の背を見送っていたのですが……先頭を進んでいたロレン様が足を止め、馬の手綱をサヤ様に預け、何故か小走りで引き返して参りました。
振り返る皆の視線を背に、私の前までやって来たロレン様は……。
「……捨て台詞でも忘れておられましたか」
と、挑発した私の襟をぐいと引っ張り……。
「あぁ、忘れ物だ。あんたに返す」
何を返されたのか分かりませんでしたが……。
「ボクはこの剣を貰ったから……これからあんたを思い出す時は、剣を手に取る……」
思いがけない言葉に、つい声を失ってしまった隙に、ロレン様は更に言葉を続けました。
「ボクを女扱いしたのは、生涯できっと、貴方だけだよ……」
とっさに身を乗り出そうとした私の胸をトンと押して、ロレン様は距離を取りました。
もう一度触れたい。そう思った私を彼女は拒み、そのまま踵を返し、あとはもう振り返りません。
サヤ様のもとまで戻って、手綱を受け取り、何も無かったかのように足を進め、離れていく……。
突き放すのに、その台詞は卑怯でしょう……。
そう思いました。
けれど、どこかで救われてもいたのです。
自らの在り方を否定するに等しい行為を、私に許してくださったのはやはり……多少なりとも想いがあったからだと。
気持ちが全く無いならば、彼の方は私に身を委ねてはくださらなかっただろうと、そう思えましたから。
皆の姿が見えなくなり、時が刻まれ、またひとり人数を減らして戻ってまいりました。
門前に微動だにせずとどまっていた私に、皆様は少々怪訝なお顔をされましたが、歩み寄るレイシール様に気付き、納得し、興味を失ったよう。
「無事旅立ったよ」
そう報告してくださったレイシール様に「左様ですか」と返事を返しますと、そのまま足を進めてきた我が主は何故か、私に手を伸ばし……。
「襟、崩れてる」
……引っ張られましたからね……。
微妙な嫌がらせを受けた心地です。
けれどそこで、我が主はふっと表情を緩めて「あぁ、戻ったんだね」と、言葉が続き……?
「これ、やっぱりロレンが持っていたのか……」
レイシール様の左手が私の首を撫で、ひんやりとした金属を感じ、襟元を歪められた理由をようやっと理解しました。
あの戦いで失ったと思っていた、私の襟飾……。
ではあの言葉は……。
私に何も残してはくださらなかったあの方は、何も無かったと思っていたこの一年も、飾りを縁として、私を思い描いてくださっていた……?
自然と、視線が足元に落ちました。
強情を張らずにいれば良かったのかもしれません。
もう少し寛容になれていたら、彼女はもっと、違う未来を選んでくれたのでしょうか?
そんな後悔が、表情に滲んでしまったのでしょう。レイシール様は困ったやつだというように苦笑しました。
そうして、言うべきか迷うように視線を逸らし、少し考えてから……。
「……ハイン、お前は獣人だから、ロレンはきっと、心配だったんだと思うよ」
それは、獣人と番うことへの恐怖でしょうか。
こんな状況下でなければ、あの方は私に身を許してはくださらなかったのでしょうし……。
けれど私がそれを言葉にする前に、私の考えを察したレイシール様は……。
「そうじゃない」
それまでの和やかな雰囲気はなんだったのかと思うような、真剣な表情となっておりました。
このお顔は……勝負に出る時のお顔です。何かを掴むために、一手を打つ時の。
「ついこの間まで獣人は、獣として扱われ、不意に切り捨てられても文句すら言えない存在だったんだ。
そのお前が、伯爵家の妻へと望まれた者を奪ったことになる。
女性というだけで、彼女をずっと虐げてきた相手だもの。お前にだって容赦しない……そう考えたんだと思うよ」
そこには考えが及んでおりませんでした。
私は彼女が貴族の妻とならずに済むこと。それにしか思考が向いていなかったのです。
ならばあの方のあの態度は、全て私を庇うためのものだったと……⁉︎
合点がいきました。そして後悔しました。彼の方を独りで故郷に向かわせたことに。
けれど、こんな身の私は、彼女の足手纏いにしかならないでしょう。
職も辞し、ただの獣人でしかなくなる私は、五体すら不十分で、自らこの地を離れることすらできない。
なにより、私の主はレイシール様。これだけは、従者を辞したとしても譲れない。私が今世に在る意味。
でもだから、ロレン様は私を突き放した……。
私に、私の大切なものを捨てさせないために、そうしたのです。
なんて浅はかだったのでしょう。どうして私は、その考えに思い至らなかったのか……!
「お前が自分を責めるのも違うよ。
ロレンは多分、ここに来た当初からそのつもりでいたろう。
お前を頼ってきたけれど、お前を巻き込むつもりははじめからなかったんだよ。
だから、伯爵家にも想い人がいることは告げていないだろうし、操を捧げた相手の名を出す気もないだろう。
お前をここから連れ出す気も無かった。
お前が俺に魂を捧げていることも、その決意も、全部知っていたからね」
そこまで語りレイシール様は。
「ハイン、お前に従者を辞すことを許す」
今まで、ずっと跳ね除けられていたことを、何故かこの時、認めてくださいました……。
「その襟飾を返してくれて良い。お前はもう、俺の盾にはなれない……。
俺の盾はこれから、ウォルテールが担ってくれる。お前がそのように、彼を育ててくれたから」
私の役目。
それがこの瞬間に、全て、失われました。
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