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後日談

獣の鎖 10

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「鎖……って、何?」

 ロレン様の疑問の声で、現実に引き戻されました。
 息を一つ吐いて、私はまだ、命ひとつ分の働きもできていないのだと、実感致しておりましたのに……。

 あれから更に私は、彼の方にまた、命をひとつ救われております。
 私を獣人だと知っても、あの二人はそれまでの態度を覆さなかった……。それどころか、私が何者であるかを知ろうとし、私の尊厳すらも守ろうとしてくださった。

 もう、命三つどころではない……。今レイシール様は、獣人全ての魂までもを背負い、救おうとなさっていた……。
 なのに…………っ。

「本能的な縛りのようなものです。
 個人差はありますが……獣人というのは、もともと群れで生活していて、その群れの頂点に従う習性が強く残っているのです。
 狩猟民であった彼らには、血を残し、種を後世へと繋げていくために独自の基準があり、それが習性として身に染み付いているのですよ。
 その基準において、主は絶対的存在です。
 主に死ねと命じられれば死ななければなりません」
「なっ……っ⁉︎」

 私の言葉に、憤慨をあらわにするロレン様。それを私は鼻で笑いました。
 何もおかしなことではないです。

「貴女がただって同じでしょうに。貴女とて、王命とあらば命を賭けるのでしょう?
 それに、獣人は狩猟民。私のような身体になった者は、狩りで役に立ちません。
 働けないというのに、食わせるだけの手間は掛かりますし、守るためにも人手を割き、結果死人や怪我人を増やすことになる……。
 ですから、撒き餌にするなり、打ち捨てるなり、効果的且つ邪魔にならないように……処理をするのは当然かと」

 私のその言葉に、ロレン様は言葉を飲み込み、瞳を見開きました。何か言い返そうとしたのか、口元が戦慄き、そして瞳が強く、私を睨みます。
 処理……と言う言葉が納得いかない顔ですね。ただめいに従い死ぬということが、どうにも受け入れ難いよう。
 我々にだって意思はあります。避けられるならば避けたい。でもこれは……気持ちで分かっていても、逆らえないものなのです。

 だからウォルテールは、過ちを犯すしかなかった。
 血が濃い分、本能的な欲求も強かったはずです。

 そして……本来ならばこのような身になってしまった私も、もう役になど立ちはしない……処理すべき存在。

「鎖……と、表現したのは、その、主従意識のことですね。
 命を救っていただいた私は、それを命をかけてお返ししなければならないと、本能的に縛られた。
 けれど彼の方は……しなくて良いと……自由にして良いと、私に命じました。
 あの時私は、彼の方の鎖から一度は解放されているのです……。
 私の古巣は、私を縛り、手放さないまま捨てたというのに、彼の方は……私を縛れたにも関わらず、自由をくださった」

 私を獣人だと知った時、彼の方は、私を縛り直しました。
 傍を離れてはならない。自ら勝手に死んではならないと。
 でもそれは、私のための鎖。自ら持ち、望むことを禁じられていたあの方が、私のために繋いでくださった鎖なのです。

 獣人の私を、人として扱い、人にするために、人生すら賭けてくださる方なのです。

「ですから私は、私の意思で彼の方を主としています。
 誰に何を言われようと、私の主は彼の方で、私の魂も、あの方に捧げるのです。
 こんな身になってしまいましたが……それでも私には、彼の方が唯一。私の全ては、彼の方に捧げたい……」

 彼の方のためだけに生きているのです。
 例え首のみになったとしても、彼の方の役に立ちたい。
 だから私は、なんとしても、我が主の元に戻らなければ…………。

「…………それならさ……貴方はまず、何よりもその身体の傷を癒すべきだろ。
 慣らすとかそんなのは、きちんと傷が癒えてから考えることで、無理をして急ぐことじゃない」

 ふいにそう言ったロレン様が、私の膝の上にある盆を取り上げてしまいました。

「なっ……っ⁉︎」
「まず! その身体を、今の最大限、最高の状態まで、治さなきゃだろ。
 無理をして、足の骨が歪んだまま繋がったり、寿命を縮めたりしたんじゃ、今以上に役になんて立てなくなる……。
 足手まといになりたくないなら当然の我慢だと、ボクは思うけど」

 言い返せませんでした。
 さして腕力の戻っていない左手からも匙を奪われ、結局口の前に差し出されてしまい、それを前に固まった私にーー。

「なんだよ。言った意味分からない?」
「……わ、分かります……が…………」

 こんな拷問、私には耐えられそうもないのです……。
 そう零すと、イラッとロレン様の眉が、吊り上がりました。

「あぁどうせ拷問だろうよ⁉︎ ボクなんかにこんなことされるんだもんなっ!
 どうせならサヤさんとか、リヴィ様とか……ボクみたいなガサツで男みたいな奴じゃなく、可愛くて綺麗な人が良かったろうよ!
 けどお前怖いって女中が逃げちゃうんだから、しょうがないって理解しろよな!」

 成る程。
 それは思い至りませんでしたね……。
 ロレン様がわざわざここに残り私の世話をしているのは、私が脱走するからだけではなく、獣人であるという秘密を守るためだけでもなく、女中が私の世話を蔑ろにすることを懸念していたからですか。

「拾ったのボクなんだから、仕方ないだろ……。全部オゼロに押し付けるのも筋違いだし……こんな傷じゃ動かせないし……。
 それに、ボクが帰ってたら、貴方だって困ってたんだ。万が一オゼロが陛下のお心に叛いたら……」

 私が、庇護下を離され、秘密裏に害される懸念を、牽制するためでもあったのですね……。

「だからこれくらいのこと我慢しろ!」

 ぐいと唇に押し付けられた、山盛りの匙。
 誤解です……と、言うために口を開くと、それを中に突っ込まれました。
 むせて咳をし、腹の傷に響いて蹲った私に慌て、ロレン様が私の背中をさすってくださいました。

「わ、悪い! 変なところに入った⁉︎」
「ちが……っ、ゴフッ、ゲフゲフ」
「一旦吐いていい! ほらっ、ここで良いから……悪かった、無理に突っ込んで!」

 ここに吐けと両手を差し出してきたことに唖然としましたね。
 いや、そうじゃなくっ……。
 私が拷問というのは、この、状況のことで……。

「……ひ、人に看病されること自体が、レイシール様以来あれいらい、なのです……。
 まして、女性の世話になるなど……」

 ずっとレイシール様しか念頭に無かった私に、正しい女性の扱い方など、判るわけがないではないですか!
 けれどそう言った私にロレン様ときたら。

「男みたいなもんだろ」
「どう言おうが貴方は女性です!」

 見た目とかの話じゃなく!

 そう言い返しましたら、ロレン様がまた、赤く染まりました。
 …………成る程。
 こちらも理解できて参りました。この方も、女性扱いされることに、慣れてらっしゃらない……。

 そう認識すると、妙に心が乱されました。
 何と言えば良いのでしょう……もっと揺さぶりたいような……狩猟本能のような何か、です。
 耳や首筋まで赤いのは、私の言葉一つが、ここまで彼女を動揺させているということで、その影響力に変な愉悦を覚えました。
 そして自身を男のようなものだと言った言葉に、無性に反発したくなったのです。

 この方は分かってらっしゃらない……。
 死ぬはずであったろう私を、生かした意味が……。

「ここまで説明したのに……貴女はまだ……理解、していないのですか?」

 口からそんな言葉が滑り落ち、目の前に差し出されていた両手のうち、右の手を掴んでいました。
 それを布団に押し付けるように固定して、その手を軸に身を乗り出しーー。

「貴女も、私を支配できるのですが」

 今考えても、どうしてそんなことを言ってしまったのか……理解に苦しみます。

「貴女も私の命をひとつ、掬いあげた。
 それを、利用しないのですか?」

 眼前に身を乗り出し、鼻が触れそうなほどの距離で、そう……。

「っ…………待て!」

 号令のような待て。に、つい身を固めたのですが、すると逆の手が私の肩に伸び、私を寝台に押し付けました。
 傷に響き、うっ、と、唸ると、手はあっさりと引っ込められ、空中であわあわと彷徨い、次に拳となって、私の顔の横に、ゴスリと振り下ろされて、寝台が軋みました。

「馬鹿にするのも大概にしろよ……怪我人に、そんなこと、するわけないだろうがっ!」

 そんなこととは……。

 少し考え、支配できるとか、利用しないのかとか、聞いたことに対しての返答かと納得。

「治せ! まず傷が塞がるまでちゃんと寝てろ! その他もろもろは全部その後だ、分かったな⁉︎」
「……貴女がそう言うなら」
「まだそれやんのか⁉︎ 次は顔、殴るからな!」

 真っ赤なままで、すごまれましても……。

 結局食事も途中で投げ出し、ロレン様は外に逃げ出してしまいました。
 気配と匂いが遠ざかってから、私も左手で、自分の顔面を鷲掴みしましたよね。

「…………お前は、何を、やってやがる…………」

 自分で自分が分からないなど、初めての経験でした。
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