上 下
1,055 / 1,121

失った地 6

しおりを挟む
 実際のところがどうだったかなんて、俺には分からなかった。
 けれどアレクがエルピディオ様を恨み、神殿を恨み、世を恨んでいることは理解している。
 だから俺は、アレクの苦悩しつつも足掻き、生きて来た時間を、全否定することから始めた。

「神殿からはどう聞いていたんだ?
 オゼロに殺されたお前に息があったから、隠して守ってきたのだとでも、言われたのか?
 それとも神殿の息がかかっていた父親が、お前を必死で守り、逃したとか? まぁ、都合良いように言われていたろうね。
 そもそも意識の無かったうえ、世事にも疎かった子供のお前には、それを確かめる術など無かったのだもの」

 追い詰められ、自暴自棄になっていたところを俺につけ込まれたアレクの心は、無防備だった。
 エルピディオ様から聞き出した当時のことと、アレクの反応から、少しずつ心を削ぎ、抉り、深くに潜り込んでいくことを意識する。

「お前の出世が早かったのも、その白色と、高貴な身体を売り込んだからだけじゃないよ。
 お前に流れる血の価値と、お前のためにと続けられたオゼロからの莫大な寄進。それがお前の背を支えていたからだ。
 ずっと一人で足掻いて来た。食らい付いて来たと思っていたのか?
 神殿社会が地位に縛られた社会だということ、知っていたろう?
 けれど、幼くて世間知らずな上位貴族のおぼっちゃまだったアレクには、そんなことを理解しろなんて、酷な話だったよな」

 呆然と聞いていたアレクは、そこでハッと我に返った。
 黙れと鋭く言葉を吐くが、足で踏みつけられて抵抗を封じられたその姿に、そんな抑止力などあろうはずがない。

「白くなってしまったその髪も、神殿にとっては好都合だったろう。
 公爵家の血を引くお前は、王家の血も引いている……その上で後天的にとはいえ、白髪を得た。
 だから機が巡ってくれば、お前自身がそれを言い出さなくとも、神殿は祭り上げるつもりでいたろうな。
 だけどお前はまんまと策にはまって、オゼロを憎んだ」

 ある日急に祖父に斬られ、両親どころか己の存在すら失くした。意識が戻ってみれば知らない場所で痛みに耐える日々。名前も地位も、それまでの色すら失くなって。
 そんな状況で、まともな判断などできるはずがないではないか。
 苦しかったろう。優しかった祖父を知るだけに、そうされた理由すら分からず、憎むことも恨むこともはじめは、難しかった。
 どこに心を置けば良いか、分からなかった。当然だ。

「分かるよ。そうでもしなきゃ、壊してしまいそうだったのだって。
 心も身体も、他人に好き勝手にされるのだもの。普通では耐えられないさ」

 傷が癒たら今度は、その幼い身体を弄ばれる日々が待っていた。
 信仰とは名ばかりの、性欲のはけ口にされる日常だ。
 公爵家の血を、組み敷きねじ伏せる。貴族社会で地位を巡る争いに負けた者らの巣窟である神殿社会は、その鬱憤の吐口を、お前にも当然のように求めた。
 更に白い髪が、神に近い身体だと、信仰を深めるためだと、言い訳する理由すら与えた。
 けれど、力で捩じ伏せられ、嬲りものにされていることに変わりはない。
 それはお前自身が、一番よく分かっていた。

 生き残ったことを後悔したろう。だけど死ねない。もう一度あの痛みを、苦しみを、越えなければならない。嫌だ、怖い、死にたくなどない!
 だから必死で、考え方を改めた。都合が良いのだと、そうすり替えるしかなかった。

 この色が使えるなら、利用しよう。
 上に這い上がるために、何だって使おう。
 そして最上段に上り詰めたら、そこから世の中を蹴り倒し、踏み躙ってやろう。
 されたことをそのまま全部、何倍にもして、返してやる。

 心を寄せて、気持ちを引き込み、己に刻んだ。
 実際体験してないことだから、本当の意味では分かってやれない。
 だけど、たった一人で抱えることからだけは、救ってやれる。
 お前の全部を俺は知っているのだと、そう思い込め。
 隠せないのだと、隠さなくて良いのだと、理解しろ。

「運が巡ってきたと……そう思ったよな。サヤのことを知った時は。
 千載一遇の好機! アミは運命の歯車を廻してくれたと、歓喜したろう?
 この素晴らしい叡智を手に入れたい。そう思った。
 裏の神殿の汚泥に深く身を浸していたお前は、もう神殿の本当の顔も、知っていた。
 そこで俺のことも知った。なんだか似たような奴がいるとでも、思ったか?
 だけど知れば知るほど腹が立った。
 自分と違い、こいつはどこまで恵まれ、甘やかされていることか。
 だがどうでも良い。利用する駒の生い立ちに、拘る必要は無い。そう思った。
 だのに侮っていた俺に、最も見せたくなかったものを見られてしまった。
 必死で受け入れ、足掻いて生きて来た方法を、頭ごなしに否定されてしまったのだものな」

 何も知らないくせに、汚いものから身を引くように、そんなことはするな。と、言いやがった。

「だから俺から奪ってやろうと思ったのか?
 地位も、生活も、右手も、友も、愛する人も。命も……。
 だけど残念だったね。せっかく追い詰めたと思っても、幾度となく逃げられてしまった。
 苛ついたろう。サヤのことがどうでも良くなるくらい、俺が憎くなったのだものな。
 だから、ウォルテールを使って、足がつく危険を冒してまで、俺を狩ろうとした。
 ついでに、俺に獣人らが寄せる信頼も、踏み躙ろうとしたろう?
 なのに絆が切れなかった。それどころか、己の駒ウォルテールまで奪われてしまった」

 憤怒に歪んだ表情を見下ろし、踏みつけた腕に、体重を掛ける。
 柔らかい雪にずぶりと腕が沈む。それでも更に、踵を押し込む。
 骨を踏み砕くほどに。
 痛みで歪んだ顔を、じっくりと見下ろして、涙は心の奥に仕舞い込んだ。

「なぁアレク、お前の人生は、全部人に弄ばれて終わるな」

 痛みより、怒りが上回る。
 ぐっと腕に力が篭るけれど、足は緩めなかった。

「祖父にも、神殿にも、何一つ思い知らせてやれず、お前は蜥蜴の尻尾みたいに切り捨てられて終わる。
 まぁお前がして来たことが、お前に返るだけ。
 お前が言う通り、当然の権利が振るわれたに過ぎない。
 だけどお前自身は、その当然の権利すら振るえず、終わる……なんて理不尽だろう。なんとも情けない、人には許されて、お前には許されない権利があるなんて!」

 ぶるぶると震える腕。砕けそうなほどに食いしばり、噛み千切られた唇。

「無駄に足掻いただけの人生だ」

 腰を折って、その顔を上から覗き込んだ。腕に更に、体重を掛ける。
 俺の言葉に心を抉られ、深い傷に杭を撃ち込まれ、更なる絶望に縫い留められて。

「悔しい?」

 口角を引き上げて、目尻を下げて、全身全霊の笑顔を振り絞る。

「ならばひとつ、俺と取引してみるかい?」

 膝を折り曲げしゃがみ込んで、顔を近づけて、腕にぐっと、体重を乗せた。

「お前を、俺が、神殿の頂点に据えてあげよう。
 お前にその無駄な三十数年を味わわせた神殿を、踏み躙る機会を与えてあげる」

 他人に使われ、弄ばれるだけだったお前の人生を、更に俺が使って、踏み躙ってやろう。

「どうする? このままお前が、何も成さず、得られず、無駄でしかないその人生を終えたって、どうでも良いけどね。
 ここでお前を殺さずとも、お前は神殿に責任を押し付けられて、切り捨てられて終わる。
 ほんの数ヶ月から数年、更に汚くもがいて、結局何もできず、終わる」

 そんなのは嫌だと、そう思っているのは、その瞳で分かっている。
 苦しくてもしがみついてきた生だ。もう一度、食らいつけ。足掻け。俺を踏み躙りに帰ってこい。

「俺如きに、そんな権限は無いと?
 いいや、あるんだよ。俺は、その方法を持っている。
 欲しいか? 今のお前の地位なら振るえる、とっておきの武器なんだ。
 信じられない? お前を組み敷いて肉欲を満たし、笑って説法を説いてきた奴らを、思う存分にいたぶれることくらいは、保証できるけどね」

 司教まで上り詰めてしまったお前は、あの大司教で行き止まりだろう?
 それを踏みつけて、更に上に行けるよと、俺は彼の耳に、言葉の毒を、注ぎ込む。

「俺に返事は必要ない。帰って、言われた通りを実行してみれば良い。
 そうすれば、王家から返事が返る」

 その時が、お前が神殿の頂点に脚をかける時だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界に引っ越しする予定じゃなかったのに

ブラックベリィ
恋愛
主人公は、高校二年生の女の子 名前は、吉原舞花 よしはら まい 母親の再婚の為に、引っ越しすることになったコトから始まる物語り。

義娘が転生型ヒロインのようですが、立派な淑女に育ててみせます!~鍵を握るのが私の恋愛って本当ですか!?~

咲宮
恋愛
 没落貴族のクロエ・オルコットは、馬車の事故で両親を失ったルルメリアを義娘として引き取ることに。しかし、ルルメリアが突然「あたしひろいんなの‼」と言い出した。  ぎゃくはーれむだの、男をはべらせるだの、とんでもない言葉を並べるルルメリアに頭を抱えるクロエ。このままではまずいと思ったクロエは、ルルメリアを「立派な淑女」にすべく奔走し始める。  育児に励むクロエだが、ある日馬車の前に飛び込もうとした男性を助ける。実はその相手は若き伯爵のようで――?  これは若くして母となったクロエが、義娘と恋愛に翻弄されながらも奮闘する物語。 ※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載しております。 ※毎日更新を予定しております。

「自重知らずの異世界転生者-膨大な魔力を引っさげて異世界デビューしたら、規格外過ぎて自重を求められています-」

mitsuzoエンターテインメンツ
ファンタジー
 ネットでみつけた『異世界に行ったかもしれないスレ』に書いてあった『異世界に転生する方法』をやってみたら本当に異世界に転生された。  チート能力で豊富な魔力を持っていた俺だったが、目立つのが嫌だったので周囲となんら変わらないよう生活していたが「目立ち過ぎだ!」とか「加減という言葉の意味をもっと勉強して!」と周囲からはなぜか自重を求められた。  なんだよ? それじゃあまるで、俺が自重をどっかに捨ててきたみたいじゃないか!  こうして俺の理不尽で前途多難?な異世界生活が始まりました。  ※注:すべてわかった上で自重してません。

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

【完結】愛する人にはいつだって捨てられる運命だから

SKYTRICK
BL
凶悪自由人豪商攻め×苦労人猫化貧乏受け ※一言でも感想嬉しいです! 孤児のミカはヒルトマン男爵家のローレンツ子息に拾われ彼の使用人として十年を過ごしていた。ローレンツの愛を受け止め、秘密の恋人関係を結んだミカだが、十八歳の誕生日に彼に告げられる。 ——「ルイーザと腹の子をお前は殺そうとしたのか?」 ローレンツの新しい恋人であるルイーザは妊娠していた上に、彼女を毒殺しようとした罪まで着せられてしまうミカ。愛した男に裏切られ、屋敷からも追い出されてしまうミカだが、行く当てはない。 ただの人間ではなく、弱ったら黒猫に変化する体質のミカは雪の吹き荒れる冬を駆けていく。狩猟区に迷い込んだ黒猫のミカに、突然矢が放たれる。 ——あぁ、ここで死ぬんだ……。 ——『黒猫、死ぬのか?』 安堵にも似た諦念に包まれながら意識を失いかけるミカを抱いたのは、凶悪と名高い豪商のライハルトだった。 ☆3/10J庭で同人誌にしました。通販しています。

もしかしてこの世界美醜逆転?………はっ、勝った!妹よ、そのブサメン第2王子は喜んで差し上げますわ!

結ノ葉
ファンタジー
目が冷めたらめ~っちゃくちゃ美少女!って言うわけではないけど色々ケアしまくってそこそこの美少女になった昨日と同じ顔の私が!(それどころか若返ってる分ほっぺ何て、ぷにっぷにだよぷにっぷに…)  でもちょっと小さい?ってことは…私の唯一自慢のわがままぼでぃーがない! 何てこと‼まぁ…成長を願いましょう…きっときっと大丈夫よ………… ……で何コレ……もしや転生?よっしゃこれテンプレで何回も見た、人生勝ち組!って思ってたら…何で周りの人たち布被ってんの!?宗教?宗教なの?え…親もお兄ちゃまも?この家で布被ってないのが私と妹だけ? え?イケメンは?新聞見ても外に出てもブサメンばっか……イヤ無理無理無理外出たく無い… え?何で俺イケメンだろみたいな顔して外歩いてんの?絶対にケア何もしてない…まじで無理清潔感皆無じゃん…清潔感…com…back… ってん?あれは………うちのバカ(妹)と第2王子? 無理…清潔感皆無×清潔感皆無…うぇ…せめて布してよ、布! って、こっち来ないでよ!マジで来ないで!恥ずかしいとかじゃないから!やだ!匂い移るじゃない! イヤー!!!!!助けてお兄ー様!

【R18・完結】おっとり側女と堅物騎士の後宮性活

野地マルテ
恋愛
皇帝の側女、ジネットは現在二十八歳。二十四歳で側女となった彼女は一度も皇帝の渡りがないまま、後宮解体の日を迎え、外に出ることになった。 この四年間、ジネットをずっと支え続けたのは護衛兼従者の騎士、フィンセントだ。皇帝は、女に性的に攻められないと興奮しないという性癖者だった。主君の性癖を知っていたフィンセントは、いつか訪れるかもしれない渡りに備え、女主人であるジネットに男の悦ばせ方を叩きこんだのだった。結局、一度も皇帝はジネットの元に来なかったものの、彼女はフィンセントに感謝の念を抱いていた。 ほんのり鬼畜な堅物騎士フィンセントと、おっとりお姉さん系側女によるどすけべラブストーリーです。 ◆R18回には※がありますが、設定の都合上、ほぼ全話性描写を含みます。 ◆ヒロインがヒーローを性的に攻めるシーンが多々あります。手や口、胸を使った行為あり。リバあります。

婚約も結婚も計画的に。

cyaru
恋愛
長年の婚約者だったルカシュとの関係が学園に入学してからおかしくなった。 忙しい、時間がないと学園に入って5年間はゆっくりと時間を取ることも出来なくなっていた。 原因はスピカという一人の女学生。 少し早めに貰った誕生日のプレゼントの髪留めのお礼を言おうと思ったのだが…。 「あ、もういい。無理だわ」 ベルルカ伯爵家のエステル17歳は空から落ちてきた鳩の糞に気持ちが切り替わった。 ついでに運命も切り替わった‥‥はずなのだが…。 ルカシュは婚約破棄になると知るや「アレは言葉のあやだ」「心を入れ替える」「愛しているのはエステルだけだ」と言い出し、「会ってくれるまで通い続ける」と屋敷にやって来る。 「こんなに足繁く来られるのにこの5年はなんだったの?!」エステルはルカシュの行動に更にキレる。 もうルカシュには気持ちもなく、どちらかと居言えば気持ち悪いとすら思うようになったエステルは父親に新しい婚約者を選んでくれと急かすがなかなか話が進まない。 そんな中「うちの息子、どうでしょう?」と声がかかった。 ルカシュと早く離れたいエステルはその話に飛びついた。 しかし…学園を退学してまで婚約した男性は隣国でも問題視されている自己肯定感が地を這う引き籠り侯爵子息だった。 ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★8月22日投稿開始、完結は8月25日です。初日2話、2日目以降2時間おき公開(10:10~) ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

処理中です...