上 下
1,045 / 1,121

食うか食われるか 3

しおりを挟む
 また、雪が降り始めたのだと思っていた。
 パラパラと落ちてくる細かい粒。けれどそれに、大きな塊が混じるようになり、慌てて上空を見上げた執事長らが見ただろうものに、俺は笑みを浮かべた。
 やっとだ。やっとこの時が来た。シザーたちを失ってまでここに辿り着いた意味が、ようやっと実りを結んだ。
 前列は、クロスボウを構えた者たち。後列に、槍。更には、木々の上にひょいひょいと攀じ登る姿。崖上にこれでもかと、逃げ場など作ってやるものかとばかりに、鋭い先端を谷底に向けた者たちが、白い布を投げ捨て、立ち上がる。
 今か今かと、待っていたのだ、歯を食いしばって耐えていた。仲間の死を、ここに導くための犠牲を。

「だから言ったろう? 俺が、ただ逃げ惑っていたと、本気で思っているのかと。
 良かったよ。気付かないでいてくれて。人数差の有利を、疑わないでいてくれて。
 ここならば、後ろを塞いでしまえば、お前たちの逃げ場は無い」

 そう言うと、後方で何か叫ぶ声と、音。

「塞がれたようだな。土嚢は便利だ……素晴らしい発明品だよ、本当に」

 橇に積めるだけの土嚢を積み、崖から落とすよう指示していた。急な傾斜を滑り落ちた幾数もの橇は、土嚢を撒き散らし、橇同士ぶつかり、逃げ道を塞いだことだろう。
 徒歩なら越えられるかもしれないが、多少は逃しても構わない。目撃者は残しておく方が良いだろうからと、そう指示していた。
 後方を振り返り、唖然としていた執事長。
 状況を理解し、拳を握り……怒りに染まった表情をこちらに向けた。

「貴様……心中覚悟だとでも? どこまで気色悪い忠義心をしてるんです」

 肩をすくめてみせる。

「その気色悪い忠義心を育てる教育をしておいてよく言うよ。
 兄上も、俺も……そう育てられていたんだろう? お前たちの駒となるように。ジェスルなんてとっくの昔にそうなっている。
 だから、俺も命を賭けなければいけないと思った。そうしなければ、お前たちを欺き釣り上げることはできないだろうと。
 もっとも……お前たちの価値観は、俺とは相容れない。
 俺は、命が惜しい。本当は、誰一人として失いたくなんてなかったのに……」

 駒になんて、したくなかった。死なせるような手段なんて、取りたくなかった……。
 だけど、少しでも犠牲を減らすために、涙を飲んで、来世に旅立ってもらうしかなかった。
 悔しい。苦しい……。こんな風にするしかなかったなんて。俺にもっと力があれば、頭脳があれば、もっと違う、別の道があったかもしれない。

「少しでも動けば、そいつから矢の的になってもらう。それをふまえてもう少しだけ話そうか……。
 お前たち神殿は、今までずっと、渡人を得てきたんだな……。
 五百年ほど前のサトル氏が、最もお前たちに貢献した渡人であったろうけれど、それ以外にも、沢山いた……」

 先程の言葉にそう結論を出すと、執事長はチッと、舌打ち。
 その内心を読み、より一層の疑惑が膨らんだ。それだけの人数を得て、どうしてそれが世間に知られていないのか。

「お前たちは、彼らをどうしてきたんだ。……いや、言わなくても良いよ。だいたいは読めるから」

 表情で……とは、教えてやらない。俺に水を向けられたことで、思考がそこに誘導されているのだけど、それも自覚していないだろう。
 じっと見据えると、口角を引き攣らせる執事長。うん、まさかと思うだろう?

「昔からずっと、これが得意だったんだ。
 お前たちが望む表情、行動を取った方が、結果的に被害が一番少なくなると分かってからは、特にね、磨いてきたよ」

 それでも蝕まれた……。あまりそれをしていると、どんどん気持ちまで引き摺られてしまう……。被害を最小限にしているつもりでも、本当にそうなっているか分からなくなってくるんだ。そもそも俺がいなければ良いんじゃないか。その方が、きっと誰にも迷惑を掛けないのにと……。
 だから、お前たちが望んでいた通り、俺は本当に、弱くてどうしようもない人間に育ったよ。今だってそうだ。別に何ひとつ、強くなんかなれてない。
 それでも……守りたい人たちがいるから、なんとか立っている。そこが唯一、お前たちの望む形でなかっただけだ。

「……だいたい読めた。お前たちにとって渡人は、獣人らと同じものでしかなかったんだな……。
 この世界の理を知らない彼らを、都合良く利用し、使ってきた。囲い込み、飼い慣らして、知識を搾り取ってきた。
 渡人の逸話や、前時代の文献を抹消し、上塗りすることで、特別な知識を独占しようとしてきた。
 狙っていたはずのサヤを、悪魔の使徒として狩ることにしたのも……神殿以外の場所に利益をもたらす渡人は必要無いから。
 そうか……今まで悪魔の使徒だとして殺されてきた者らは、お前たちの不利益になった者たちなんだな。その中に渡人も、含まれていたんだ……」

 お前はことのほか、深い部分に関わっていたんだな。幼く、事情を知らない頃には分からなかったことが、今はとてもよく理解できる。
 俺が本当に読むのだと理解した執事長は、剣を持たない左手で、顔を覆った。指の間から、恐ろしいものを見る目が俺を見ている……。

「だけど……サヤを深く知ったからこそ言えることだけどね……」

 その素晴らしい知識以上に、彼らこそを、見れば良かったのに。
 彼女と接してきたからこそ、そう思う。そうすれば、お前たちの欲していたものは、もっと簡単に手に入った。

「お前たちが渡人から得てきたと思っているものは……残念ながら、意味のあるものではないよ。
 飼っているつもりでいた渡人たちは、何ひとつ、お前たちの好きになど、させていなかった……」

 色々な知識が中途半端に与えられ、消えていっていたのはきっとそのせいだ。
 この世界を歪めるような知識を、渡人らは渡してこなかった。渡したくても渡せなかったのかもしれないけれど、全ての人が、そうではなかったろう。
 敢えて、渡してこなかったんだ……。彼らは聡かった。その判断ができる知識を、当然持ち合わせていた。だから飼われているうちに、お前たちに与えてはいけないのだと、理解していったんだ。
 彼らはきっと、皆が戦っていた。自分の境遇の中で、精一杯足掻いたんだろう。だから未だに、神殿は得ていない。
 お前たちはそれを続ける限り、何も得られず、失っていくんだ。

「助け合いながら生き、知識を請うたならば、彼らは快く教えてくれたろうに。
 たったそれだけのことなのに、お前たちはなんでそれを、しなかった」

 人が武器を帯びずに生きられる。軍隊すら人殺し以外の技術を洗練させる。そんな国の平和な思考を当然としてきた民だ。
 溢れるほどの知識を、まるで水を浴びるように得てきた民だ。
 彼らは請えば、きっと教えてくれた。親身になって、与えてくれたろう。
 己の知識にだってまだまだ先がある。万能の宝ではないのだと知っていた彼らは、知識を育てるために必要なものも分かっていた。だからきっと、出し惜しみなんてしなかった。
 騙し、囲い込み、利用して、飼い殺すようなまねさえ、しなければ。

「根本をお前たちは、間違っている」

 生き残る術を探し、必死で頭を引っ掻き回していたろう執事長だったけれど、そこで不意に、だらりと両手を下ろした。

「……ふっ、ははははは……」

 混乱し、恐怖しつつも動けば蜂の巣になる。そう思い動けないでいる兵らが、動かないでくれという必死の視線を執事長に向けるが、彼はそれを無視して言葉を続けることを選んだ。

「その渡人を守るために、己は死を選ぶか。
 良いさ……なら道連れに、共に来世へ向かってやろう!」

 右腕の剣が、俺を指す。降り注ぐ矢に貫かれようと、必ずお前だけは道連れだと。
 絶対にお前だけは、仕留めてやる。
 爛々と輝いていたその瞳が、驚愕に見開かれたのはその時だ。

「残念。これもさっき言ったけれどね……。
 俺は、命が惜しいたちなんだよ。愛する妻にも、ちゃんと戻ると約束してるから」

 俺が背にしていた壁を突き抜け、腕が伸びていた。その腕が、俺の首に回され、ガシリと左腕を掴む。
 足元をするりとすり抜けたウォルテールが、背後の絶壁に突進した。けれど、彼はなんの苦もなく、壁の中に身を滑り込ませる。

「来世に旅立つのは、お前たちだけだ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

距離を置きましょう? やったー喜んで! 物理的にですけど、良いですよね?

hazuki.mikado
恋愛
婚約者が私と距離を置きたいらしい。 待ってましたッ! 喜んで! なんなら物理的な距離でも良いですよ? 乗り気じゃない婚約をヒロインに押し付けて逃げる気満々の公爵令嬢は悪役令嬢でしかも転生者。  あれ? どうしてこうなった?  頑張って断罪劇から逃げたつもりだったけど、先に待ち構えていた隣りの家のお兄さんにあっさり捕まってでろでろに溺愛されちゃう中身アラサー女子のお話し。 ××× 取扱説明事項〜▲▲▲ 作者は誤字脱字変換ミスと投稿ミスを繰り返すという老眼鏡とハズキルーペが手放せない(老)人です(~ ̄³ ̄)~マジでミスをやらかしますが生暖かく見守って頂けると有り難いです(_ _)お気に入り登録や感想、動く栞、以前は無かった♡機能。そして有り難いことに動画の視聴。ついでに誤字脱字報告という皆様の愛(老人介護)がモチベアップの燃料です(人*´∀`)。*゜+ 皆様の愛を真摯に受け止めております(_ _)←多分。 9/18 HOT女性1位獲得シマシタ。応援ありがとうございますッヽ⁠(⁠*゚⁠ー゚⁠*⁠)⁠ノ

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

【完】前世で種を疑われて処刑されたので、今世では全力で回避します。

112
恋愛
エリザベスは皇太子殿下の子を身籠った。産まれてくる我が子を待ち望んだ。だがある時、殿下に他の男と密通したと疑われ、弁解も虚しく即日処刑された。二十歳の春の事だった。 目覚めると、時を遡っていた。時を遡った以上、自分はやり直しの機会を与えられたのだと思った。皇太子殿下の妃に選ばれ、結ばれ、子を宿したのが運の尽きだった。  死にたくない。あんな最期になりたくない。  そんな未来に決してならないように、生きようと心に決めた。

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

処理中です...