上 下
1,031 / 1,121

開戦 1

しおりを挟む
 そこからは一分一秒も惜しむ話し合いの時間。

「まずはなんとか削りたいんだがな……。隊列を組み直される前に叩くべきだ」
「丁度長く伸びた隊列ですもんね。後方からなら、少しずつ切り離すことは可能かと」
「獣人を含む部隊だからな。風下確保が必須か……攻めにくいな。極力悟られずにいきたいが……」
「そうは言ってられないでしょうね……とりあえず、あちらの現在の目標は拠点確保で確実でしょうから、後方からの切り崩しでは隊列を止められません。
 行軍を止めることを考えませんと」
「止める……か」

 ユストが戻り、即席で作られた平箱の中に砂が入れられた。マルが左奥の砂を外側に押しやり、浅い窪みを作り、そこからせっせと砂を押しやっていく。
 頭の中の図書館にある周辺地図を、砂の上に写し取る作業は思いのほか簡単だった。更にその箱庭の中に、貨幣を並べる。

 銀貨が百、銅貨が五十、半銅貨が二十五、四半銅貨が五を表し、隊列の伸びを図にしていく。

 そこから、話はどうやって進軍を止めるかに移った。

「然程深くなくて良い。ここやここならどうだ」
「それならここですかね。あ、確認したいことがあるので今一度鍛冶場に使いを頼みます。
 今ある武器、今日中に製造できる数、一日で作れる量を正確に申告してください」
「あと獣化できる者は何名だ? 騎狼部隊を作りたい」

 シザーやユスト、吠狼らにも走ってもらい、得られる情報は全て拾った。
 そしてこれならばという方策を片っ端から吟味する。
 学舎で繰り返し行った軍事演習。あれも貴重な経験だったのだと、今更有難さを痛感した。
 指揮も取り、一兵卒としても動いた。あれはこういった時のための実技だったのだな。

「彼らが拠点確保より優先するようなものがあるとすれば、俺だろう……。
 知りすぎてる俺を生かしておくと、色々ややこしいだろうから」
「それ以外にしたいんですよ。
 分かってます? 貴方が死ねば、こっちは先の交渉役を失うんですよ?」
「その前に現状を打破できなければ意味が無いだろ。
 万が一があった時はグラヴィスハイド様を頼ってくれ。それ以外はお前が頑張るしかないかな」
「嫌ですよ! あの方が僕を信頼するはずないでしょ!」

 マルは強く反対した。けれど……。

「守る」

 と、シザーが声を発した。

「今度は俺の番。俺がレイ様の盾」

 命に代えても、必ず守る……と。

 ……ハインがその役を担った時、きっとシザーは歯痒い思いを抱いていたのだと思う。
 本来なら、武官である彼が残り、壁になるべきだったのにと……。
 けれど、あの役は、ハインでなければ成り立たなかったろうし、異国人風の様相をしている彼では、捨て駒として捉えられられた可能性が高い。
 あの場で囮役となったのがシザーであったとしたら、半数以上を釣り上げるなどできなかったろう。

 だが今度の戦場ならば、彼の存在は活きる。浅黒い肌も、雪の中ならきっととても目立つ。
 俺を必死に、命懸けで守ろうとすることが、俺の価値を高めてくれる……。

「マル……これで行こう」

 結局、他に良い獲物を見つけることができず、俺の案を採用するしかないという結論に至った。

「絶対嫌だったのに……」
「匂いでバレるって言ったのはお前だろ。もう諦めろ。
 で、どうだ……いけそうか」
「残念ながらね……。準備が必要なので時間は掛かりますが……でもそれよりも問題は、貴方が片手で騎狼できるかどうかです」
「最悪身体を縄で括り付けてでも乗れれば良いんだ」

 そう言うと、見目が悪いのでやめてください……と、マル。軽口を叩く余裕が出てきたようで何よりだ。

 そんなやりとりをしている途中で呼び出しが掛かった。
 空き地に皆が集まったという。すっかり失念していたが、だいぶん時間が過ぎていたらしい。

 席を立つと、駆け寄ってきたユストが、籠手を着けますかと俺に問うた。
 まだ必要ないかなと考えたけれど……見た目も大切かなと思い直し、着けてもらうことに。
 シザーが丁寧に俺の腕へと革を巻き、籠手を装着してくれた。

 そうして毛皮の外套を纏い、エリクスの家を出て、空き地に向かう。

 強く降りしきっていた雪は、折り合い良く控え目になっていた。
 そうして足を進めた先には、紺色の装束に上から毛皮の外套を纏った吠狼らと、幾人かの職人。頭蓋の仮面を頭上に押し上げた長ら。狼に変じた獣人たち。その後方には更に、狩猟民の出で立ちをした者たちがひしめいていた。どうやら現場を離れられない者以外、皆で来てしまったようだ。
 長だけと言ったのだけどな……。でもまぁ、良いか。二百人程なら全員収まるのだし。

 更に町民らが強張った表情で、獣人らを囲むように集まっている。
 斧や棒を握りしめた民らは、警戒を露わに獣人らを見つめていた。
 それに対し獣人らは平坦な表情。特に威嚇したりもせず、整然と並んでいる。
 彼らにとって、町人らの反応は当然予想していたものであるのだろう。

「あの町人らの避難は?」

 俺の後を追ってきていたエリクスに問うと。

「引っ込んでられなかったんですよ……晴れてないのに、武装した狩猟民かれらがこの町に踏み込んできてるんです」

 しかも、素顔を晒して……な。
 成る程。獣人らを警戒したがゆえに、空き地を取り囲んでいるのか。

 ならば、彼らには状況を正しく理解してもらおう。
 そう思い、「道を開けよ!」と、俺は声を張り上げた。

 町人らが声に飛び上がり、人垣が割れた。その中心を真っ直ぐ歩き、獣人らの前に進み出る。
 あれは誰だ……ほら、聞いたろう、例の男爵様だ。何故他領の男爵様が、狩猟民らをここに引き入れたんだ? などという、サワサワと雪に溶けるような囁き声が広がった。
 白い布を集めるよう言われたどこかの家の娘が、敷布の束を抱きしめ、耳や鼻を赤く染めて白い息を吐きながら、こちらを見ている。
 恐怖に瞳を染めたご婦人が、唇を戦慄かせて獣人らを悪しく罵る声がした。強い警戒を抱いた猟師らしき男性が、手斧を握りしめて尾のある者らを睨み据えている姿も……。
 そんな視線の中にもやはり、誰かを探すように彷徨う視線も見受けられた。もしくはただ一人を、じっと見つめる瞳も……。

 いつか狼に捧げたはずの命が、目の前にあるのだものな……。
 あの時の子の色を、表情を、特徴を、忘れられる親などいやしないだろう……。
 忘れられるわけがない……。

 集まった人々を見渡して……俺は用意されていた空箱の上に上がった。舞台代わりになるよう、マルが用意させたのだ。
 俺の横手後方に、サヤ。シザーとマルも付き従う。
 この町の名士扱いであるというマルの登場に、町人らは口々、現状の説明を求めたが。

「男爵様の御前です。許し無く口を開く行為は不敬にあたります。控えなさい」

 と、言われ、口を閉ざした。
 慌ててエリクスが謝罪の言葉を述べ出すが、それを良い。と、手で制す。
 当然、村の者らは貴族慣れしていないわけだ。
 ならば……例え他領の血であっても、貴族出身者であるということが、絶大な威力を発揮するだろう……。
 そう思ったから、敢えて慇懃に。周りのざわめきには視線も移さず、眼前の戦士らのみに告げる。

「先程、スヴェトランより山脈を越えて進軍する部隊を発見した」

 ザワリ……と、町人らが揺れた。並んだ皆はすでに了解済みという無反応。

「かねてよりスヴェトランの動向は警戒していたが、山脈越えは想定外。しかも越冬の最中だ。あちらもそれだけ本気なのだろう。
 敵兵は約千。この里を占拠し、侵略の足掛かりとする目的での進軍とみているが、その場合……ここの者らに求められるのは、死か、里の放棄だ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

はっきり言ってカケラも興味はございません

みおな
恋愛
 私の婚約者様は、王女殿下の騎士をしている。  病弱でお美しい王女殿下に常に付き従い、婚約者としての交流も、マトモにしたことがない。  まぁ、好きになさればよろしいわ。 私には関係ないことですから。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

公爵閣下、私があなたと愛を育むつもりだと思っているのでしたらとんだ勘違いですよ~息子を愛していますので、あなたからの愛は必要ありません~

ぽんた
恋愛
アン・ロックフェラー公爵令嬢は、諦め人生を送っている。王子との運命の婚約に結婚。そして、離縁。将軍であるクレイグ・マッキントッシュ公爵に下賜された再婚。しかし、彼女は息子を得た。最愛の息子レナード(レン)を。国境警備で不在のクレイグに代わり、マッキントッシュ公爵領でレンとすごす日々。この束の間のしあわせは、クレイグが国境警備から帰ってきたことによって打ち砕かれることに。アンは、ふたたび諦めることを決意するのだった。その方がラクだからと。しかし、最愛の息子のため最善を尽くしたいという気持ちと葛藤する。 ※ハッピーエンド確約。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...