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少し前の話 22

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 魂を刻まれるような苦痛を伴う作業だった。
 俺の知るアレクだけでは情報が足りない。彼を形作るために、今まで目を逸らしてきたものを沢山掻き集めなければならなかった。
 彼が計画に練り込んでいるであろう、人の負の感情の動き。これも計算に入れなければ。
 だから、記憶や自分の中にある、人の汚い部分。醜い感情。卑しい行為を延々と、引っ張り出す。
 沢山観察してきた。散々見てきたけれど、考えない、触れない、視線を合わさないようにして、ただ現象として捉えてきた。
 理解してしまったら、そちらに引き摺り込まれる……絶対に惹かれてしまう……俺も同じものになってしまう。そんな恐怖から見ないようにしてきた。
 それは、俺の中に同じものがあると、認めたくなかったからだ……。
 それを、ひとつひとつ口に含み、ゆっくり咀嚼して、身に馴染ませていく……。

 あぁ……。ただこれだけを見続け、考え続けていたならば、人は壊れてしまうんだろうな……と、思う。
 絶望するしかない。何かを大切だとは思えなくなるのだろう……。
 兄上は、そうなってしまった。自分すらも壊すほどに失ってしまった。
 アレクも、そうなってしまったんだろう……。だけど自分を壊して終わるよりも、世界を巻き添えにしてしまうことを選んだんだ……。

 今、彼の手にあるものは何だろう。
 貴族への人脈。神殿の地位。そして、裏の神殿の地位。兇手。獣人の主……。獣人…………。
 それらを使って、何ができる。
 どうすれば、最も効率良く、多くを壊し、潰し、汚すことができる…………。

 どれくらいの時間を、人格の模写に費やしたか分からなかった。
 頭が腐ってしまいそうな、何とも気持ち悪い思考を飲み込んでなぞらえば、人道など、利用する道具でしかないのだと分かるようになる……。

「……国内の混乱が一手目。
 忠臣だと思っていた者の裏切りと、悪魔。獣人の獣化で演出は充分……。貴族内の高位人物を利用して反感を煽り、王政の再編成を訴え混乱を招く。これにより内政整備に手間を取られ外敵への対処は遅れるだろう。
 二手目がその外敵、スヴェトランと、ジェスル。
 侵略と見せかけ、初めは応戦する素振りを見せて裏切る方が良いかな……それとも、はじめから寝返り、招き入れる姿を見せる方が効果的かな……どちらにも動けるようにしているだろうけど。
 三手目が国境を迂回して伸びる手。
 隣国同士が手を組み攻撃に出てきたと演出できるし、例え二国が否定しようと、疑いの全ては捨てられない。
 戦力を三方に割くしかない……。便乗して二国が動き出さないとも限らないから」

 だけどここまでは全部布石だ。
 本命は……。

「四手目。

 きっとこれだ。サヤを悪魔だと演出したのも、俺がスヴェトランと通じていると演出したのも、それを印象付けるための布石。

「このために、獣人を作ってきた……。縛り上げて握ってきた……。獣人部隊を作りスヴェトランに扮した者らに率いさせる。
 悪魔が現れたと神殿が告げ、獣人が暴れ出せば、人はそれを大災厄の再来だと勝手に思い込む。
 それにより、国内の獣人がそれに呼応して動き出すだろう。今までの怨みをぶつけ始める。
 そうしなければ明日は我が身。隣人に狩られる運命が待っているのだから、死にたくなければ殺される前に殺すしかない……。
 一人、二人で良い。そう動けば、もうそれしか人は見なくなる……。獣人の全てが再び人類の敵として認識される」

 人は考えを放棄する。疑惑は全て狩り尽くせと躍起になる。
 一度滅びかけているのだ、それを夢物語だと笑い飛ばすことはできない。獣人の存在すら視界から退けてきた貴族の恐慌は、想像を絶するものになるだろう。

「混乱し、本来の何がどうだったかなんて関係なくなる……。人だって、獣人の疑いを持たれるだけで殺され、お互いを疑って殺し合うようになる。
 結局人か獣かも関係なくなる……。
 一通りが済めば……頃合いを見て表の神殿が粛清を開始。圧倒的な正しさを示す。人の縋ることのできる唯一の光に……。
 縛ってある獣には死ねと命じれば良い。神の奇跡の前に、悪魔が屈する様を演出し、人心を掌握する一手にする。
 国内で暴れる野良の獣は、どうせそのうち駆逐される。
 そうやって綺麗なまま……表の神殿は残し、裏の神殿はまた潜り、人の世を再構築する土台を完成させる……。
 …………神殿の目的は、きっとそれだ」

 吐きそうだった。
 口にする言葉は選んでいたが、本当はもっと汚く、悍ましいことを色々考えていた。
 だけど彼にとってそれは当たり前のことなのだと思う。人とはそういうものだ。むしろ、汚くあってほしい。穢れていてほしい。自分ばかりが汚泥を舐めさせられるなんて不公平だから……。
 逃げられない苦痛を、皆に味わわせたい。苦しんで苦しんで苦しんで死んでほしい……。

「……巫山戯てるのか?
 大災厄の再来ってそれ、マジで言って……? 頭がイカれてるの間違いだろ?」

 リアルガーが口元に手を当て、深く眉間に皺を寄せて呟き、俺を疑惑の目で見た……。
 まぁ、人の思考を辿るだなんて、妄言のようなものだ。
 信じられないし、信じたくない……そう考えているのも分かる……。
 人は、見たいものしか見ない。だからそれを利用してやる。掬い上げ、叩き落としてやるんだ……。
 そうやってその時が来た時に、心に従ったが故の絶望を、思う存分に味わって後悔すれば良ぃ…………違う、これは俺の思考じゃない。
 そしてそんな風に懐疑的な瞳を俺に向けるリアルガーの横で、ジェイドはふん。と、鼻で笑った。

「敵さンはえげつねぇこと考えやがンな」

 当然のように受け止めるジェイドに、リアルガーは慌てた様子。

「信じるのか⁉︎ 根拠も何もあったもんじゃない、妄想も甚だしいぞ⁉︎」
「裏が取れる手段があるなら調べるけどよ、無理だろ。人の内面なンて探りようがねぇもン……」

 そう言われて言葉を失うリアルガー。
 それを見て、ジェイドは、更に口角を持ち上げた。

「けど俺は……この夢見がちな馬鹿野郎の馬鹿野郎ぶりは信頼してンだよ……」

 信頼……?
 なんだ、その変な信頼は……。

「こいつは保身のために獣人一人だって切れなかった甘ちゃンだぜ? こんな大虐殺を起こすような策謀、普通には考えられねぇっつか……考え付かねぇ」

 甘ちゃん……と言う言葉をジェイドは何故か、噛み締めるみたいに言った。
 そうして俺を見た。見て、瞳に強い光を宿す。やらせねぇよ……と、強い意志を覗かせて……。

「なら辿ったンだろ。それで良いンじゃねぇ?
 だいたい……どうだったって、あンま関係ねぇよ。どンな時だって、一番に切り捨てられンのは最底辺からって相場は決まってら。
 そンでその最底辺の俺らは……嫌なら足掻くだけ。どうせ他に選択肢なんかねぇンだからよ」

 男らしくキッパリと割り切ったらしいジェイドは「攻めて来るならどこからだ?」と、俺に聞いた。
 獣人を使うにしても、何かしら演出が絡むならば、場所の特定ができるのではないか。
 その問いに、俺はもう一度、思考に潜り込む。
 一番有効に、効果的に、獣人を使うに適した場所…………。

荒野ここだな……。
 ジェスル、隣国二国、そこに人手を割いているうちに、この荒野から潜入し、襲う。
 狼ならば、山脈越えもできなくはない。それに、山脈という難所さえ越えてしまえば、あとはこの地から奪って補える……」

 俺の言葉にリアルガーは、口を開いたまま固まった。

「………………マジかよ?」

 なんとか絞り出したその一言が限界。

 春の到来が遅れる山間。しかも山脈を越えて攻めてくるだなんて、普通は誰も考えない。
 そのうえここは、元から獣人が集められていた場所だ。荒野の狩猟民らが寝返り、手引きしたとも、スヴェトランと同盟を結び反乱したとも見せかけられるし、疑惑を招いてより情報を混乱させる意味でも効果的だろう。
 荒野の人々が、獣人を生贄に生かされているということを、役職を持っている上位の人々や、一部の知りすぎてしまった住人は知っている。
 だから、当然その可能性を考え、疑う……。
 そして元から捨て置いた場所だ。守りにくく、痛手にもならないから、やはりフェルドナレンは荒野を放置し、近くの有効な街や都から防衛線を敷くだろう。

 そうやって人の感情を揺さぶり突き落とす戦法を、アレクはきっと好んで選ぶ……。

 なにより、荒野に隣接する村は寒村ばかりで守りも手薄。
 戦力の消耗は最小限に抑え、殺戮を演出するにはうってつけだ。

 それを聞いたジェイドは獰猛な笑みを浮かべ……。

「けっ。好きに遊ばせてやるもンかよ。
 じゃあとりあえず索敵からか……。でも山脈越えを演出っつっても、範囲が広すぎてこれじゃ探りようがねぇな……。
 まぁとりあえず端からしらみ潰しか……」
「……山脈沿いに集落があるような場所を、先ずは狙うはずです」

 それまで頭の図書館に入り浸っていた様子のマルが口を開いた。

「冬の山脈越えなんて、いくら狼でも自殺行為ですし、天候にもよるでしょうが、良くて半数、最悪全部隊が遭難・凍死しかねない。
 だから、極力損害を減らすためと、時期が来るまで潜伏しておくため、山脈沿いの集落をまずは襲うと思います」

 スヴェトランとフェルドナレンの国境でもある山脈は、フェルドナレン北部に長く身を横たえている。
 年中雪で閉ざされているこの山脈を、敢えて冬に越えるのは、確かに正直正気の沙汰ではない。
 だがやはりマルも、俺の読みを受け入れることを選んだ。

「……こちら側の情報は神殿から渡っているでしょうし、幾つかは根城にするため、確実に落とす必要があるでしょうから。
 時間も人でも限られるのに、しらみ潰しなんてしてられませんから、僕が、可能性の高い村を割り出します」
「よし、じゃあ俺は先に武具確保だな」

 アヴァロン使えねぇ以上、他で調達かよ……と、呟いて、ジェイドはさっさと天幕を出て行った。
 翻ったとばりの向こうが暗い……。あれ、俺……朝食食べて、掃除して……その後少しだけ散歩して、ここに来た……よな?

 まだ引っ張られている意識では、どうにも普段の考え方が思い出せない。ボーッとそんなことを思考していたら、そっと肩に触れられた。
 申し訳なさげに……そして俺を心配する視線のマル……。

「長考、お疲れ様でした……。でももう……今日は休んでください。
 貴方は必要無いと言いましたけど、僕らとしては、本当はもう少し……ゆっくり休んでほしいんです。できるなら……」

 そう言い、眉を下げる。それができる状況じゃないことも、分かっているから。
 マルのその労りに、少し気持ちが浮き上がる。
 この毒沼のような思考から、抜け出したい……もう、これは苦しい……。

「やすむ……?」
「サヤくんが、待ってますよ」

 そう言われて視線を巡らせると、先程閉じたばかりの帳が押し上げられ、サヤが立っていた……。
 何か悲しそうな……苦しそうな表情で、そのまま俺の元に来て、キュッと頭を抱き寄せらせられ。

「お疲れ様……」

 その柔らかく、温かい、言葉と身体……。
 昨夜の幸福と愛しさを思い出し、自然と手が動き、サヤの腰を抱き寄せた。
 そうだな……。俺はこれを守らなければいけない。あんな地獄は、見せたくない。引き起こしてはならない……。

「サヤ…………俺が握れる、武器が欲しい……」

 短剣では身を守ることしかできない。だけどもう、それでは駄目だ。守るのじゃなく、戦うための手段が欲しい。
 この左腕一本で君を守らなければならないのに、今から鍛え直し、新たな手段を得るには時間が足りない……。

 何か手は無いだろうかと、縋るような心地で口にした言葉。
 するとサヤは、うん……と、首元に唇を寄せ。

「任せて」

 そう言って、俺を抱く腕に、力を込めた。

「せやけど……行く時は一緒。置いていくんやったら、教えへん……」

 そう前置きし、俺の右手にそっと触れる。

「この右手に握れる剣……用意せなね……」

 手の無くなってしまった、この右に…………?

 それならば、有難い。
 剣は学舎で十年修練を積んだ。
 投擲の修練でだって、短剣の修練でだって、ずっと相手の動きを観察してきた。考え続けてきた。

 俺の人生で、一番長く、鍛えた武だ。
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