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少し前の話 17

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「うんねぇ。若旦那っぽいもんねぇ」

 そんな風に言いつつ寄ってきた女性ら。
 暗がりの向こう側ではあまり見えていなかったのだが、この寒さだというのに薄着で、上に毛皮の外套を纏ってはいても、寒そうだ。
 見せつけるように開いていた胸元につい視線が動きそうになり、急いで顔の向きを変えた。そこにくすくすと笑う声。

 これはやばい……色々がやばい。

「早く、天幕に戻って……俺も帰るので」
「えぇ、なんで?」
「寒そうだから!」
「大丈夫。結構まだ暑いよ。ほら、さっきまでずっと運動してたしぃ」

 そう言われて、想像しないでいられる男がいるだろうか。
 ついあらぬ妄想が脳裏をよぎり、ぎくりと身体が強張った。

「わぁ、面白いくらい赤くなるね若旦那。つがいいるのに初心な反応~」

 その隙に一人に回り込まれ、行く手を阻まれてしまい、戸惑っているうちに、もう一人が俺の左腕に、自らの腕を絡めてきた。

「えっ、ちょ……っ⁉︎」

 ぐんにゃりとした感触が、着膨れしていても、肘に当たっているのが分かる……。
 引き抜こうにも、両腕で抱え込まれた腕は動かない。

「ちょっと寄ってきなよぉ」
「いや、もう帰るので!」
「ついでに遊んできなよぉ」
「間に合ってます!」
「まったまたぁ。全然間に合ってないくせにぃ」

 ぐにぐにと押し付けられる感触がキツい……。
 頭が沸騰しそう。身体も……。
 それが分かっているのか、女性らも全く俺の拒絶を、拒絶と受け取っていないよう。
 それどころか顔を寄せてきて、耳に甘い囁き声。

「若旦那ぁ……帰ってもあれじゃん?」
「あれとは⁉︎」
「番とはヤれないんじゃん?」

 っ、やれ……っ⁉︎
 あけすけに言われたことに、更に顔が熱くなった。
 その俺の反応に、女性らはまたくすくすと笑う。

「だってここに来て結構経つのにさぁ」
「ねぇ。まだ一回もだよ?」
「もう一人の方はあれなのに」
「それじゃ色々大変でしょぉ?」

 前にいた女性が、首に腕を絡めてくる……。
 下がろうにも、腕を絡めた女性がそれを許してくれない。
 焦って腕を引いたけれど、当然力で敵うわけもなく……っ。

「大丈夫。番から盗りゃしないって。遊んでくれるだけで良いから」
「色黒のお兄さんも遊んでくれたよぉ?」

 首元にしなだれかかってきた女性から、汗ではない……何か別の香りがして、頭を殴られたように気持ちが揺さぶられた。

「たまには出しとかないと身体に悪いし」
「くふふ、そうそう。発散しないと!」
「こうなっちゃったら、我慢無理でしょ?」
「ねぇ」

 グラグラと煮え滾る情欲に、暑くもないのに汗が滲んでくる。
 女性の柔らかそうな肌に、右手を埋めるのを想像し、呼吸が乱れた。
 だけどこれは、違う。
 俺の欲しいものじゃない。
 欲求があるのは確かだけれど、吐き出したいのは確かだけれど、それは、こういうことじゃなく…………っ。

「あらぁ? お迎え来ちゃった」

 けれど、腕に纏わりついていた女性がそう言い、首に絡みついていた女性に塞がれていた視線が開けるとそこに、手に持つ松明の灯に照らされて立つ、強張った表情のサヤがいた。


 ◆


「残念。また今度かぁ」

 腕の女性がそう言って溜息を吐いたけれど……。

「でもこのまま帰すのもあれだよ? 生殺しじゃん?」
「あ、そっか。じゃあやっぱりヤってく?」

 そう言った二人にサヤは、傷付いたみたいに眉を下げた。
 じり……と、足が後方に下がる……。

「ほらっ、行こう?」
「どっちが良い? どっちともでも良いけどっ!」
「うんっ良いよ!」

 弾んだ女性の声に、後ろを向きかけていたサヤが拳を握る。
 やばい。違うんだと、言わなければ。これは別に、俺の意思ではなく……っ。

「もしかしなくても初めてだよねぇ? 何から試したい? なんでも教えたげ……」
「ひ、必要無いです!」

 半ば叫ぶようなサヤの声がし、右腕を掴まれた。
 いつの間にかすぐ近くに来ていたサヤに。
 そのまま強引に引かれると、あっけないほど簡単にするりと外れた女性らの腕。

「必要、無いです……っ!」

 もう一度そう言ったサヤは、そのまま俺の腕を掴んでズンズンと、皆の集まる大天幕ではなく……別の方向に向かい、歩き出した。
 引っ張られるがまま、俺もそれに続くしかない。振り返って後方を見ると、ヒラヒラと笑顔で手を振る女性二人…………。

「サヤ⁉︎」

 呼び掛けたけれど、ギチリとより強い力で腕を掴まれただけ。
 サヤは振り返らず、言葉も発さず、ただ足を進めた。

「サヤっ、いや、な、なんにも別に、してない……だ、大丈夫だから……」
「…………」
「ごめんっ。不快にしたと思う。もっとハッキリ、拒絶すればよかったのに俺……」
「………………」

 サヤは、耳が良い……。
 どこからを聞いていた?

 それが分からず、気持ちが焦る。そしてそれ以上に、目の前のサヤに対するいかがわしい感情が抑えられない自分に焦る。
 焚き付けられた淫情は治まるどころか、寧ろ煽られていた。

 あの衣服の下に何が隠されているか、俺は知ってる……。

 細い腰、豊かな乳房、しなやかな曲線を描く風雅な肢体……。
 それを知っているだけに、余計……っ。

「もう、あんな……ごめん、悪かったから……!」

 こっちを見てくれ。

「サヤ……」

 食らいつかせてくれ。

 いや、そうじゃなく、今は、サヤを傷付けたことを謝罪しないと!

 そう思っているのに、目は目の前のサヤを透かし見するみたいに、想像を暴走させている。
 そのままあてがわれている天幕まで引っ張ってこられ、サヤはずっと左手に握っていた松明を、雪の中にボトリと落とした。
 ジュッという音がして、炎が小さくなって……消え切る前に、天幕の中に引き込まれる。
 中は闇だった。
 温かいのは、先程まで囲炉裏に火が入れられ、温められていたからだろう。
 もしかしたら俺の帰りを、今か今かと待っていたのかもしれない。

 パッと腕が離された。
 暗がりの中で、衣擦れの音。
 灯を付けようとしているのか、おぼろな人影が囲炉裏の前にしゃがみ込む。

「サヤ」

 やはり無言。
 急ぎ一歩を踏み出したけれど、何かを踏んでしまったぐにゃりとした感触に、慌てて足を引っ込めた。

 な、なんだ?

 松明で光に慣らされてしまった視界は、全く闇を見透かせない。
 でもそれはサヤも同じだろうに、彼女は蹲り、まだ何か…………?

 スッと、気配が目前に現れて、慌てた。
 腕を掴まれて、引かれる。
 まだ靴も脱いでいない。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 けれど待ってもらえなかった。そのまま引っ張られて、奥へ無理やり足を進める。
 あ。さっき踏んだのは、サヤの履いてた靴? と、気付くが、だからなんだって話で……。
 結局天幕の奥側。毛皮を何重にも重ねた寝床の手前で止まった。
 やっと手を離してくれたから、慌てて鹿皮の靴を脱ぎにかかる。けれど上手くいかず……あ、手袋してたら無理だと気付き、口で噛んで左手を手袋から引っこ抜いた。
 焦ってることを自覚して余計に焦る……っ。

「ま、待って。今靴を脱ぐから……っていうか、ほんと悪かった。あの、でもほんとに、何もしてないんだ。
 彼女らも多分、遊び半分で揶揄ってただけで……別に本気とかじゃなく……」

 片手では脱ぎにくい靴をなんとか脱ぎ、放り捨てた。

「あの……サヤ?」

 いつまで待っても、何も、言ってくれない。

 激オコ?

 って……誰が言ってたんだっけ。
 サヤの所で、本気でヤバいくらいに怒ってる時に言うとか……今はもう別の言葉になったとか……そんなことを……。
 いやいや、今それどうだって良い。とにかく、謝らないと。なんにしても怒ってないはずがないんだから。そう、とにかく謝罪!

「あ、あの……灯り付けよう? こう暗いと…………あ、あの…………」

 見えない焦りで、手を前に立つ、影に伸ばした。
 やっとうっすら、輪郭が見えるような、見えないような……。
 頬であろう場所に右手を伸ばして、やっぱり手が無かったことに遅れて気付き、引っ込める前に腕の被せをすぽりと外され。

 そのまま顔の横に気配。

「さ……」

 かなり強引に、唇が塞がれた。
 首に腕が絡められ、身体が押し付けられ……。

 今、それ駄目だ…………っ、て……⁉︎

 ただでさえ煽られているのに口づけこれをしてしまったら、歯止めが……。
 絡み付く舌の動きが、理性を削り取っていく。
 サヤの身体をもぎ離そうと左腕を腰に伸ばすと、弾力のある、肉の感触が直に手に触れた。

 …………え⁉︎

 自分の手に触れているものの意味が…………?
 訳も分からず、自然と動かした左手がそのまま滑り、上へ……。そこにやはり、素肌のような感触の弾力があって、更に混乱した。
 バサリと肩から落ちる、重い外套。肩が軽くなり、更に両肩に手の感触。
 上着が肩からずらされて、手先の無い右腕から、ずるりと袖が落ちた。

 必要無いって、さっき…………。

 女性らに言い放ったサヤの言葉の意味を、今更考える。
 あの言葉は、まさか、こういう?

 唇が離れた。
 熱い吐息が喉元に掛かり、サヤの手が、短衣の釦に伸びたのを感じる。

「レイの、妻は、私!」

 半分泣いているような、潤んだ声。

 違う。別に俺は、サヤ以外を妻にしたいだなんて風には…………。

 それを言葉にすべきだと思うのに、唇はサヤの唇を追っていた。
 探し当てたそこに食らいつく。
 仰反るように上向いたサヤの腰を、手先の無い右腕で支えた。
 胸元に滑り込んだサヤの手が、俺の上半身から最後の衣服を剥ぐ。

 二人して膝をつき、そのまま寝床にサヤの身体を押し付けた。
 唇が離れ、もどかしく腕に纏わりついていた袖を振り捨てながら、鎖骨あたりに食らいつくと、上擦った声と、理性が振り切れる感覚。

 そしてあとはもう、無我夢中で…………。
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