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終幕 19

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右で良かったと、この状況で思う自分は、きっと混乱しているのだと思う。
 ウォルテールを押しやり、その手首が飛んで、身体を支える手段は無かった。
 そのまま傾ぐけれど、地に落ちる前に伸びた手が、俺を支える。

「レイシール様‼︎」

 自分の守りを捨てたハイン……。
 いけない。崩れてしまった、状況が。

「良いから……自分の身を守れ」

 なんとかそう言い、左手で地を押して、身を起こすけれど、ハインは俺を離さない。
 迫っていた刃から俺を庇って背を斬られた。それでも離さない。

 咆哮が上がった。
 ウォルテールではない。シザーが吠え、ハインを斬った兇手の胴を薙ぎ払う。二つに分かれた身体が地に落ちる前に、腕に小刀を突き立てたまま、更に振りかぶって振り払う。

 ボトボトと、失くなった手首から血が落ちる。
 右で良かった……こっちは元からちょっと不自由だったから。もし左を失っていたら、俺は甚だしい役立たずになってしまった。
 だから、右で良かった。右手ひとつで済んで。だけどこのままじゃ、全部失う……。

「レイシール‼︎」
「主⁉︎」

 オブシズとアイルの声。こっちも血みどろに汚れていた。それでも兇手を振り払い、傷を受けながらも近付いてきて、俺の前に立つ。

「なんっ、だ、これ……」

 到着してしまった一団が、唖然と殺戮の繰り広げられた場を見て止まった……。
 ごちゃ混ぜの一団だった……都の中の混乱を物語っているような。
 ジークとトゥーレが、瞳を見開いてこちらを見ていた。
 ルカは唖然と口を開き、クレフィリアとヘイスベルトが蒼白になって悲鳴を飲み込んだ。
 そこら中に散らばった死体……神殿騎士団の装いを纏った屍たちに、ホライエン騎士がよろめき一歩引いた。

 あぁ……そうか。
 彼らからしたら、ここで死んでいるのは神殿騎士団。兇手じゃないんだ……。
 この殺戮の場は、悪魔の使徒と、神殿との戦いに見えるんだろう……。
 彼らの目に映る俺たちは、大災厄の悪魔の一団さながらの姿なのかな……。
 そうか。この罠を仕掛けてきた人物は、きっとこれをも、狙っていたんだ…………。

 一歩を踏み出したジークに、オブシズが剣を構える。
 全身を血で汚し、刃こぼれと脂でどろどろになった、家紋入りの小剣。
 拠点村を興した時から共に過ごした相手なのに、この間まで笑い合っていたはずなのに、切先は微塵も揺るがず急所を向く。

「近づくな」

 寄らば斬る。
 幾多もの戦いを潜り抜け生きてきた傭兵の気迫に、ジークは足を止めた。
 そして警戒の色を瞳に浮かべ、身を乗り出したトゥーレに手を伸ばし、庇う。

 そうか……もうここは、俺たちの居場所じゃなくなったんだな…………。

「な……なんで、なんでこんなことに……。
 レイシール様っ、まずは、傷の手当てを……と、とにかく落ち着いて。まずは手当てをして、それから話を……」

 蒼白な顔でうわ言のようにそう言ったヘイスベルトが踏み出すと、オブシズの剣先がヘイスベルトに向いた。
 ひっ⁉︎ と、息を呑み後退るヘイスベルト。体力的にも傷の具合としても、ギリギリの状況にある俺たちは、少しの隙だって作れない。
 刹那でも気を緩めたら、兇手らは必ずその隙をついてくる……。
 泣きそうな顔で口元を歪めたヘイスベルトは、瞳に俺への不信と、労りと、信頼と、恐怖を、ごちゃ混ぜにしたような、なんともいえない色を見せていた……。

「近付いてはなりませんっ! 近づけば、貴方たちもただでは済まないわ!
 さぁ神の僕たちよ、速くしなければ、被害が広がります!」

 また聖職者の仮面を被り直したらしい侍祭殿が、そんな風にこの場を演出する。
 失笑してしまいそうな変貌ぶりだけど……今、ここには有効だろう。

 俺たちが余計なことを言う前に、神殿側は俺たちを始末する……。
 まぁ、その余計なことを今、口にしたとしても……信じてもらうことはできないだろう。それは、皆の表情を見ていれば嫌でも分かった。
 皆を死なせたくない。そのためには、逃げるしかない……。その時間を稼ぐためには、兇手らを殺すしかない……。だけどその光景を、皆に見せてしまえば、俺たちは更に敵を増やすことになるだろう……。
 かつての仲間に、悪魔だと、刃を向けられることに…………。

 武器を構え直した兇手らに、悪鬼の形相となった血みどろのシザーが大剣を担ぐ。動かなくなった片腕をだらりと下げたアイルが、無事な手に短剣を握り込み、俺を支えたままのハインも、ギラギラと怒りに燃える瞳を、かつての仲間に向ける……。
 この状況では、なにを言ったとこでせんなきことだよな……。

「う、嘘ですよね……何か、事情があるんでしょう⁉︎
 だって貴方が……レイシール様がそんな……どうし……て、え……」

 それでもまだ諦めがつかないのか、必死で俺に話しかけようとしたヘイスベルトの言葉が、だんだんと小さくなっていった。
 視線が、俺の手元を見ており、手首から先がひとつ失われていることに、ようやっと気付いたよう。

「……う……ぁ………………レイシール様……」

 慄き震える声。足を止めた一団の後ろから、また人の近付いてくる音がする。

「怪我人は⁉︎ とりあえず切り傷程度なら後回し。まずは傷が大きく血が止まらない人を集めて!
 一般の人はとにかく避難って……言ってるのになんでいる⁉︎ 駄目だよここにいちゃ、って、クレフィリア様まで⁉︎」
「ヘイスベルト、状況は! ……ヘイスベルト⁉︎」

 駆けつけてきたのは、ユストとセイバーン騎士たちを率いたアーシュだった。
 アヴァロンの中は落ち着いてきたのかもしれない。ならサヤは、ちゃんと逃げられた?
 人垣を押し退けて前に身を捩じ込ませてきたユストとアーシュも、仮置き場の惨状に動きを止める。
 死体や人体の部位が散らばる状況に、言葉を失って固まった。

 その中で、いち早く立ち直ったのはアーシュ。

「一般人は立ち入るな! 衛兵、ご婦人と作業員を警護し連れ帰れ。
 セイバーン騎士は生存者の確認と異端者の捕縛!」
「っ⁉︎ アーシュ、待ってください、異端者って⁉︎」
「この状況では、そうと判断するしかないだろう!」
「待ってください、その前に手当てを……レイシール様がっ!」

 混乱した状況。
 その中で固まったユストは俺の手首を見ていた。
 視線が彷徨い、状況を見て、落ちた手首を探す。けれどもうそれは……踏まれ、骨を砕き、酷い状態だ。

 まずいな……。

 下手を打てば、ここの皆を巻き込むことになる。
 俺たちがセイバーンの者たちに悪魔の使徒だと認識され、恐れられるならば手出しはされないだろうが、下手にこちらに同情したり、庇おうとする者が出た場合、一緒に粛清となりかねない。
 神殿側は俺を生かしておく気は無い。
 悪魔側であるという印象をここの皆に植え付けられたなら、もう目的は達成している。後は俺たちの口をさっさと封じてしまうべきなのだ。このはかりごとは、多分それで成就するのだから。

 どうする……どうやってここを、切り抜ければ良い?
 どこか朦朧としだした頭で策を練ろうとしたけれど、血と共に思考力が失われていくのが分かる……。
 手首から流れ落ちていく血……。このままじゃ失血死だろうなと、それは分かるのだけど……じゃあどうすれば良いのだっけと、その先が考えられない。

 だけどとにかく、争わせてはいけない……。
 これ以上、血を……傷つく友を見たくない……。

「ヘイスベルト……」

 名を呼ぶと、裏返った声ではいっ⁉︎ という返事。
 まさか呼ばれるとは思っていなかったのだろう。

「ここを頼む……クロードにも、申し訳ないと伝えて」

 余計なことを言うべきじゃない。
 標的が、俺たちだけじゃなく、ヘイスベルトやアヴァロンに向くなんて、あってはならない。

「見ての通りだ。だけどこれ以上、ここを戦場にはすまい……。
 黙って、俺たちを行かせてくれるならば、ここはもう、穢さないよ……」

 働かない頭で、神殿側を探りながら口にした言葉。
 だけどなんとか許される範囲であったようだ。侍祭殿は、黙ったまま俺を見ている。

「行くって……何処へですか⁉︎ そんな状態では……し、死ぬ気ですか⁉︎」
「それは神が決めてくれるだろう……」

 俺の言葉を、侍祭殿は神殿が……と、捉えたよう。表情には出さず、にまりと笑ったのが、瞳の動きで分かった。
 貴方たちじゃないさ……俺の言う神は、アミ神……形の定まらないものを定める神だよ。運命の歯車を回す神だ。
 俺は生きる。そのために足掻く。それだけだ。

「皆がいてくれるから……安心して離れられる…………」

 俺がいなくても、ここは残る……きっと残してくれる……。

「死なないよ。俺の生涯は、俺が自由にして良いものじゃない。これはサヤのものだ……」

 サヤのために、少しでも長く生きるのだ。だから、死なないために、死なせないために、ここを離れなければ……。
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