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終幕 1

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 ぎゅっと強く掴まれた腕。
 その痛みがなければ、俺はあまりに想定外の報告に「そんなはずはない!」と、叫んでいたと思う。

 クロードは厳しい表情だった。
 吠狼が狼を使うことを知っている彼は、もしかしたら俺の指示では……? と、そう考えているのかもしれない……。
 背中を嫌な汗が伝っていくような不快感……。

 俺が口を開く前に、更に強く腕を握られ、痛みで呻いた。すると気が付いたらしいサヤが、慌てて手を離す。
 やり場に困ったように、少しだけ彷徨わせた両手は、そのまま胸の前で握り締められ、不安に染まった瞳が俺を見た。
 いつも大人びていて、凛々しいサヤが……混乱し、泣きそうに表情を歪めている……。

 ……俺が慌てたら駄目だろ。

 彼女を不安にさせてはいけない。俺は領主で、皆は指示を待っている。

「被害……まず怪我人は」

 どんな事態で、なにがあったのだろうと、人命が一番優先。
 気を引き締めてそう聞くと、クロードは即座に返事を返してくれた。

「は。幸いにも怪我人は出ておりません。しかし、積荷の一部を破損、強奪されたと報告が入っております。
 それと、獣人はそのまま逃げ去ったそうで、その捜索と討伐に、騎士の派遣要請が入りました」

「討伐⁉︎」

 狩ることを前提とした言葉に、サヤが悲鳴に近い声を上げる。
 殺すと宣言しているようなものだものな……。だけど、獣として扱われる彼らが、人を害した時の扱いは、これが普通だ……。

 怪我人はいないというのに騎士を派遣してまで討伐というのは……荷がホライエン伯爵家のものであったからか。もしくは余程重要なものを奪われたか……。

「場所。そして襲撃者の規模を報告せよ。
 現在アヴァロンには陛下がご滞在だ。ここの守りを薄くするわけにはいかない。
 騎士の派遣が必要かどうかは、その内容による」

 そう言うと、こくりと頷いたクロードが、報告を書き留めたであろう紙を取り出し目を落とした。

「場所はメバック北の林沿い。確認された獣は一頭のみ。白銀の体毛の、大狼であったとのこと」

 メバックの北林沿い、白銀の体毛と聞き既視感を覚えた……。
 そこは、奇しくも俺たちが狼の襲撃を受けた場所と同じ……あの時の狼はまだ幼く、それでも人を敷き伏せてしまえる体躯だった……。

「野生の狼ではないのか?」
「衣服を身に付けていたということですので……。そして成人男性よりも更に巨大であったと」

 吠狼の狼にも中衣を身に付けさせている……。
 だから、ただ衣服という報告だけでは、判断ができない。
 もどかしさを覚えると共に、メバックの北の林という言葉が、否が応でも過去の記憶を刺激した。

 まるで……。
 いちいちが、ウォルテールに襲い掛かられた時みたいだ。場所も、狼の色も……。

 あれから三年経ち、当時十三と幼かったウォルテールも十六になった。今はがっしりと筋肉が付いて、俺と変わらぬほどの背丈に育っている。
 彼の狼としての姿は更に大きく、かなりの巨体だ。
 場所と色からつい連想してしまったが、まさかな……そんなはずはないと、思い直す。
 彼はもう、暴走なんてしない……。まして……ホライエンを襲撃する理由が無いではないか。

 無い……はずだ。

「……ジークをここへ」

 そう指示してから俺も、犬笛を吹いた。

 やって来たジークとアイルは、無言で俺の説明を聞いていた……。
 きっと先に話を耳に入れているのだろう。驚くこともなく、ただ静かに……。

 騎士らは去年の越冬中、狼らと共に村の警護を担った。吠狼の使う狼が、大柄であることも、中衣を身に付けていることも知っている……。
 だからアイルは、凍りついたような表情で無言を通していた……。
 この事件が自分たちにとってどういったものであるか、獣人である彼には、痛いほど分かっている……。

 アイルも……ウォルテールを疑っているのだな……。

 彼は立場上、そうせざるを得ないだろう。
 仲間を擁護したい、守りたいと思っていても、それができる状況じゃない。
 少なくともかつて、同じことが同じ場所で起こっている。それをしでかしたことのあるウォルテールだから、似た事例が出れば当然、彼に疑惑の目が向いてしまう……。
 昔の過ちをまた掘り返され、疑われることは彼にとって大きな屈辱と後悔、そして苦痛を伴うだろう。

 分かっていたけれど、辛いな……。ウォルテールは、ちゃんと自分を律し切れるだろうか……。

 だけど、疑いを晴らすためには、これに耐え切るしかない。

「レイシール様」

 そんな風に考えていた俺に、まず言葉を発したのはジークだった。

「色合いがウォルテールと同じ……そう考えてらっしゃいますか?」
「…………」

 ジークは、三年前のあの時も、警護の中にいたのだ。
 ウォルテールがジェイドにのしかかり、腕に食らい付いていた姿も、鮮明に覚えているだろう……。
 ぐっと、拳を握って言葉を待った。

「あいつが人を襲うわけありませんよ」

 だけどジークからの言葉は、思ってもみなかったもので……。

「あれはとても思慮深い瞳をしていました。こっちの言葉が分かるのかって思えてしまうくらいに、とても賢かった。
 あの狼たちがどれだけ吠狼に愛され、厳しく育てられてきたかなんて、あれを見れば一目瞭然でしょう。あの狼らは、人を襲うなんてしません……。
 アヴァロンの住人らだって、きっと同じように言いますし、あいつらを恐れたりなんてしないですよ。
 それにあいつらは……中衣を着てても狼です。獣人とは違う」

 その言葉は。
 俺には、なんの慰めにもならなかった…………。
 狼の姿しか知らないジークは……彼をただの狼だと思っている…………。

 世の中の獣人の認識はそんなものだ……。彼らの中には獣化できる者がいるのだと、皆知らないから……。
 あれこそが本来の獣人だったと、知らないから……。

「それにしても、人生の中で獣人を見るなんて、もう無いと思っていたんですが……」
「え……っ」

 ジークの言葉に、つい俯けていた視線を跳ね上げた。
 すると「衛兵してた頃に、仕事柄。犯罪者に関わる以上、他よりもその可能性は上がりますから、どうしても」と、慌てて付け足す。

「本当……あれは、狼とは違います……。明らかに違う。
 とはいえ、見たことのない者が、身の危険を感じる状況で、正しい判断などできなくて当然……高貴な方々ならば、尚のこと接点は無いでしょうし、狼と獣人の判別がつかなかったのでしょうね。
 なので、検分には私が赴く方が良いかと思われます。直に話を聞けば、状況判断もしやすいので……。
 部下を四人ほど連れて赴きますが、騎士の派遣等は、その調査結果を得てからの判断と致しましょう」
「俺も行く」

 そこですかさずアイルが言葉を挟んだ。

「俺のみだ。狼や他の者は連れて行かない……余計な疑惑を招きたくはないからな。
 野外であれば、俺は有用だと思う。足跡や爪痕、痕跡は探せる……」

 スンと鼻を鳴らしたのは、匂いを確認してくるという意思表示。
 彼も獣人だから、人よりは鼻が効く。

「確かに。現場が野外だと俺たちだけでは分が悪いものな……」
「任せてくれ」
「あぁ、頼む」

 気さくに言葉を交わす二人は、決して相容れない者同士であるようには見えない……。
 見えないのに……どうしてこんなに、遠く感じるのだろう?

 許可を出し、踵を返した二人を、つい呼び止めた。
 ……いや、縋ったのかもしれない……気心知れた風に言葉を交わす、その姿に……。

「……ジーク、お前が見た獣人というのは……」

 との問いかけに、あぁ……と、ジークは言葉を濁し、困ったように口籠った。
 けれど、俺は知っておく方が良いと思ったのだろう……。

「聞いて、あまり気持ちの良いものじゃないんですが……。
 俺が見たのは、人の形が、獣寄りに歪んだ悍ましい姿ですよ……。
 尾と耳が獣で、唇から乱杭歯が突き出した、世にも恐ろしい姿でした……。
 黄昏時に、眼をギラギラと滾らせ、頭蓋の中で何かが燃えているみたいに光っていて……殺した相手の血に汚れていたこともあって、まさしく終焉の獣さながらでした」

 顔を顰めてそう言ったジークに……返す言葉が無い……。

「そう、か……。二人とも、気を付けて……」

 なんとかそう、返したけれど……。
 今までの何よりも……その言葉と表情は堪えた…………。
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