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終幕の足音 9

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「俺さ……ロゼが耐火煉瓦や、畑の美味しい匂いを教えてくれた時、思ったんだ。
 あぁ、この世界はこの形でできてるんだなって……。
 獣人だってこの世界の仕組みに組み込まれてる……彼らが居てこそ成り立つ世界なんだって。
 だから……俺たちがこれから先を見つけていくためにも、獣人を排除していては駄目なんだ。
 違うから、互いに補い合っていける。人ってそういうものだろう?」

 そう言うと、握る手に、また少し力が篭った。

「……安心した」
「え? 俺が諦めるかもって心配してたの?」

 それは心外だ。
 俺、そんな薄情な人間だと思われてるのだろうかと少し情けない気持ちになったのだけど、サヤは「ううん、そうやのうて」と、言葉を繋げた。
 そしてもそもそと動く気配。
 こちらに向き直ったのか、声が少し近くなる。

「急に準備始めたうえに説明が無いから……また何かを、内緒でやろうとしてるんかもって方、ちょっと心配した……」

 う…………。

「さっき譲らへんかったんはな、私が寝た後にこっそり準備するつもりかもしれへん思うたん。
 ウォルテールさんの話も、言うてくれるの待ってたのに……」

 うう……。

「私ももう、我慢がきかんかった」

 ごめんなさい……。
 言葉を失った俺の耳に、サヤの呆れた溜息が届く。

「ホライエン様の訴えてきはった情報流出の件、まだ前のセイバーン領主様が不正してたかどうかは、分からへんのやろ?」
「……うん」
「それは、あの領主印の件があるから、そう思うてるんやろ?」
「う、うん……」
「もうっ! そういうのんもちゃんと言うてくれな、私がおる意味なくない⁉︎」

 そう……だな。サヤは俺の妻になってしまったから、もう、セイバーン一族として数えられてしまう。
 ならもう、知らないでいることが、彼女を守る盾にはならないのだ……。
 いかんな、まだ慣れてない。俺はもうサヤを娶ったのだから、彼女を無関係にはできないのだと、ちゃんと理解しないと……。

「…………あれを用意しようと思ったのは……万が一、俺が投獄されるようなことになった場合も、陛下が絶対に目を通すと思ったからだよ……。
 事実だろうが、誤解だろうが……何某かの理由で語れない立場になってしまう場合があるのだなって……。
 陛下はああいう性格の人だから、調査も人任せで終わらせない。俺が隠していた書類となれば、絶対に自ら確認しようとするだろうって。
 だから……どんな状況になっても、陛下の耳に繋がるものを残そうと思って……」

 極力穏便に言葉を選んだのだけど……。

「……レイも、ホライエン伯爵様の嘆願は、誰かの策かもしれへんって、思うてるんやね」

 ズバリと言われて言葉を失った。
 ……あぁもう、認めるしかないよな……。

「ん……」

 サヤも……考えてたのか……。

 もそもそとまた動く気配があって、握っていた手が引っ込んだ。
 そして、帷を押し上げたサヤが頭を突っ込んできてギョッとしたのだけど、間近に来た彼女の真剣な表情で、余計なことを考えている場合ではないのだと理解した。

 ……表情が分かる程度に闇にも目が慣れてきてしまったな……。

 もう夜更かし確定だなこれは。
 暗がりのままで話すのもなぁと、灯を付けようか悩んだけれど、見えてしまうと余計な刺激が加わりそうで躊躇う。だってここは寝台の上で、お互い夜着で……。
 だけどサヤはそんなことになど頓着せず、さっさと話を進めてしまった。

「……時期が、読まれ過ぎていると思わへん?」

 余計なことを考えていたから、サヤの言葉に一瞬反応が遅れた。

「……時期?」
「前、孤児院を襲われた時も、マルさんが巣篭もりして、吠狼が出払っている隙をつかれた。
 今回もそう……マルさんがいいひんし、吠狼の守りが手薄……」

 サヤの指摘は、俺も感じていることだった……。
 時を選ばれている気がする。
 前の時もそう考え、埋伏の虫を疑った……。拠点村の中を秘密裏に調査することまでしたのだけど、潜んだ虫は出てこなかった……。
 だから、運悪く、偶然の一致で時期が重なっただけだろうと、あの時はそう結論を出したのだ……。
 一度目は偶然と考えることもできたけれど、二度目……またもやマルの不在と、吠狼が出払っているこの状況。

 俺の手に手札が無い状況が、漏れているのではないか……。

 でもそうなると……。
 誰かがここの状況を、漏らしているということになるのだ……。

「……吠狼の本当の形を知っている人間は、限られてる……」
「うん。でも、吠狼の本当の形それを知ってる人やて、私も思う……」

 でなければ説明がつかない。
 人の目に映らない彼らの存在を、嗅ぎ分けられている理由が分からないのだ。

 吠狼のこと、そしてサヤのことを伝えている一人一人の顔が脳裏を掠めた。
 三年以上、共にいる。ずっと過ごしてきた、支えてくれた仲間だ。
 そんなこと、あるはずない……っ。

「せやけど、起こってる……。
 後もうひとつ。あの時も、二重、三重にことが重ねられてた……。表の事情に振り回されているうちに、夜襲を畳み掛けられたやろ。
 それでどうにもな……今回も、これで終わりとは思えへんの……」

 背中に嫌な汗が伝う……。
 彼女の指摘は尤もで、引いたホライエン伯爵様が、あれで納得してくださったとは到底思えなかった。
 今回のこれは……策を巡らせている相手が、伯爵家にも発言力がある家の者である……ということだ。
 敢えてホライエン伯爵家を選んだというなら、あの家と俺との因縁も知っている?
 大司教様を動かしたことも。あの侍祭殿……二人が連れ立ってきたことも、引っかかる……。
 大司教様は伯爵家の出身なのだろうか? その上で伯爵様を動かすなんて……それ以上の地位の人だってこと?
 でもそうなると公爵家くらいしか……だけど陛下の離宮建設、公爵家は満場一致で受け入れてたよな。

 公爵家の方々が、今更俺たちに否やを突きつけてくる理由が無い。
 ならば俺の配下の誰か? でも貴族関係者には、獣人のことはまだ伝えていない……。そもそもそういった不満があったなら、日々共に過ごしていて気付けないなんて、あるだろうか?

「そもそも、相手の目的はなんやろ……」

 そう指摘され、戸惑った。

「目的は……サヤを狙っているのだろう?
 神殿は、異界の民を得ようとしているのかもしれないって……」
「そうやろか……。あの時も、私のことはついでみたいな口ぶりやった……未通でなくても構わない……そう言ったもん……。
 命があれば問題無い……そんな口ぶりやった……それが、私を目的にする人の言葉やろか……」

 サヤが、俺に身を擦り寄せてきたのは、恐怖が呼び起こされたからだ。
 あの、陵辱されかけた記憶は、さほど遠い過去ではない……。サヤにとってあれが、どれほど恐ろしいことだったか……っ。
 腕を回し、サヤを抱きしめた。
 もう絶対、あんな目には合わせない……。

「あの時は……レイモンドの目的に、私の確保をすり込ませたみたいな雰囲気やった……」

 レイモンドを利用して、密かにジェスルが手を伸ばしたのだと、俺も考えていた。

「埋伏の虫が同じなら、同じ人物の手出しである可能性は高い……。
 そもそも虫が何匹も仕込まれているだなんて風には、思えない。そこまでの隙を、俺たちは作っていないと思う」
「うん……。でも、私が異界の民やって知ってる可能性が高いんは、ジェスルと神殿……」
「ジェスルが神殿と関わっている可能性は前から高いって考えてたし、マルも断言してたよ」
「なら大司教様が、前回のあの事件の黒幕?」
「……」

 それはどうなんだろう……。
 あんな風に平然とした顔で、敵地に赴くだろうか? しかも、共は侍祭の女性ただ一人という状態で……。
 俺の顔は覚えていたようだったけれど、俺がどこの誰かは認識していなかった様子だった。
 そもそもサヤを探す素振りも見せなかったし……。あの時だって俺はサヤを背に庇っていたし、サヤの顔はほとんど見ていないだろうし、覚えていないはずだ。

 だいたい、ジェスルと繋がっているなら、異界の民であるサヤの特徴は、当然知っているだろうに……。
 珍しい黒髪……。その報告をジェスルがしていないとは思えなかった。

 セイバーンの血に、アミの加護があらんことを……。

 あの祈りの意味も分からない……。

 マルに戻れと言ってしまったのは、決断が早過ぎただろうか……。
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