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終幕の足音 2

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 西北西の、ジェンティローニとの国境沿いにあるホライエン家だった。
 スヴェトランとは繋がっていないのだけど、立地としては然程遠くない。感覚的には、シエルストレームスと接したヴァイデンフェラーと近いだろう。

「火急の要件……内容は?」
「陛下にしかお告げできぬ事だとおっしゃいまして……その上でかなりご立腹の様子で……」

 現在騎士長ジークが対応しているが、埒が開かない状況だという。
 うーん……男爵家如きが陛下への謁見を阻むとは不敬も甚だしい! といった所だろうか……。

「その上でその……レイシール様ではなく、陛下に判断を仰ぎたいので、直接お伺いさせてもらうか、もしくは近衛の長を呼べとのことなのです……」

 俺の立場を完全に無視したいらしい。
 けれど、伯爵家から立てられた使者ということではなく、伯爵様ご本人がお越しという部分が、些か引っ掛かった。
 領地を空けてまで駆けつけていらっしゃる……それは確かに、火急の要件である可能性が高いかもしれない。
 何より現在スヴェトランの情報収集を進めている最中だ。その関係とも考えられる。

「……分かった。ディート殿へ繋ぐ」

 きっと領地の位置環境的にもディート殿の判断を仰ぐのが良いだろう。
 というわけで、状況をお伝えした。ディート殿は快く引き受けてくださり、自ら外門へと足を運んでくださったのだけど……。
 なんともいえない渋面で戻ってきた。

「陛下にお伺いを立ててくる」

 迎えた俺にそれだけ言い、そのまま三階へと足を進めたディート殿。こちらへの説明が何も無かったため、余程重要な案件なのかなと考えていた。
 そして、もう暫くした後……ディート殿はまたもや外門へと向かい、伯爵様とその従者、武官と共に、もう二人の人物を伴ってきた……。

「……大司教様?」

 数年ぶりにお顔を合わせたけれど、見間違いようがない……。
 一瞬戸惑ったが、即座に敬意を払うため、頭を下げた。

「お久しぶりでございます」
「おぉ……レイシール殿とは貴殿のことでありましたか」

 あちらも俺の顔だけは覚えていたよう。そしてちらりと垣間見せたのは、やはりあの視線……。
 ゾクリと背筋が泡立ったけれど、敢えて無視した。
 それよりも、その大司教様に従った女性……侍祭が、アレクセイ殿の伴って来られたあの侍祭殿だったことが気になっていた。
 敢えて俺から視線を逸らし、まるで面識がないみたいな素振りをしたことも。
 神殿との関わりを極力作りたくないこの時期に、接点を持つことを、陛下が選んだことも……。

 なんだろう……。アレクも来ているのか?

 なんとか聞き出せないかな……。
 そう思ったものの、不機嫌そうな声が差し込まれ、俺たちの会話はそこで阻まれた。

「大司教様」
「おぉ、すみません。では失礼……」
「は。お引き止めして申し訳ございませんでした」

 ホライエン伯爵様に促され、大司教殿は俺に断りの文句を述べるにとどめ、先に足を向ける。
 探れないか……と、残念に思ったものの、次の瞬間それどころではなくなった。
 ホライエン伯爵様が俺をギラリとした瞳で睨め付けてきた、その視線の激しさゆえに。

 久しぶりの……と、表現して良いものか……。
 かつては日常ごとだった視線だ。
 蔑みと嫌悪。そして苛立ちと怒り……。異母様や兄上に虐げられていた頃、当時の使用人らはよく、こんな視線で俺を見ていた……。
 笑顔の仮面の下に、いつもあったもの。俺を毎日、いついかなる時も縫いとめてきた、呪いの糸……。
 俺はそれを、身動きが取れないほどに、纏わり付かせて生活していた。
 一挙手一投足を見られ、ほんの小さな失敗すらあげつらわれて、その報告が異母様へ渡った。そして次に来るのは躾の時間……。
 望んではいけないことを、また教え込まれる時間が来る。

 その時の糸を、首に絡められたような気がした。

 面識は無いはずだ……。会合等で顔を合わせるくらいは、あったかもしれないが……。

 そう考えつつも、かつての記憶が呼び起こされ、条件反射で身を竦めてしまったのだけど……。

「ホライエン伯爵様。我が主が何か?」

 クロードが即座に俺の前へと身を滑り込ませた。
 俺に対する侮辱と取り、牽制に入ってくれたのだ。
 敵意を隠しもしないその視線を身体で阻んでくれたおかげで、引き摺り出されていた過去の恐怖をギリギリで抑え込むことができ、醜態は晒さずに済んだものの、今度はホライエン伯爵様とクロードが睨み合う事態となる。
 とはいえ、公爵二家の血を引くクロードだ。本来ならば、敵など無いに等しい。と、いうのに……。

「クロード殿か……なんともおいたわしいこと」

 ホライエン伯爵殿は、退かなかった。

 ピクリと反応したクロードの肩。その背中をぼんやり眺めながら、無意識に言葉の意味を考えていた。
 お労しい……何に対しての言葉だ?
 男爵家領主に、公爵家の方が仕えているということを揶揄しているのか?
 クロードが俺に仕えることとなった理由を、殆どの人は知らない。
 王位継承の絡むあの顛末は無かったことになっているから、王宮勤めを辞してまでクロードが俺の元に来た意味は、ヴァーリン公爵様とそのご兄弟くらいしか知らないことだ。
 だから、お労しいという言葉は適切に選ばれている……はずだ。
 それがクロードの意思であったと知らないなら、そう思うのは当然のことだろう……。

「如何様に思っていただいても結構ですが、レイシール様に仕えることを願い、求めたのは私自身ですよ。
 血の地位が正当に扱われないことを嘆いていらっしゃるならば、レイシール様ではなく、私に苦言を呈するべきですね」

 男爵家に公爵家の者が仕えるなんて状況は、その血の地位ゆえに、当人か家の長が望まなければ起こり得ないのだけど……。クロードは、ホライエン伯爵様の言葉を、俺を非難しての言葉だと受け取ったよう。

「私が望み、ヴァーリン公爵家の長が了承したのです。レイシール様は私の決意を受け取ってくださったにすぎません。
 この意味をホライエン伯爵様には、ご理解頂けていないのでしょうか?」

 クロードにしては珍しく攻撃的な返答。それにまた驚いてしまった。
 己の血の地位を理解しているクロードは、ただ自分が立っているだけで、周りにそれなりの影響を与えてしまうことを、理解している。
 だからセイバーンにいる間、俺の前でこんな風に言葉までを利用し、あからさまに血の地位を持ち出すことなどしなかった……。

「ご納得いただけないならば、我が兄ヴァーリン公爵に掛け合っていただいても構いませんが?」

 なのに、ヴァーリンの名を出してまでホライエン伯爵様を牽制する。
 ヴァーリンを敵に回すんだなと、釘を刺す。そこまでしたのにホライエン伯爵様は……。

「そうさせていただこう」

 引かなかった……⁉︎

 クロードの肩がまた、ひくりと動いた。
 血の地位を利用してまで相手が引き下がらないなんてこと、彼も想定していなかったのだろう。
 言葉が途切れた隙をついてホライエン伯爵様は一礼し、大司教様共々上階へ足を向けた。
 一方的に話を打ち切り立ち去る後ろ姿が見えなくなるまで待ってから、やっとクロードも警戒を解き、俺へと向き直る。

「出過ぎた真似を致しましたのに、あまりお役には立てなかったようです。
 ……申し訳ございません」

 何を言うんだ⁉︎

「そんなわけないだろう! 有り難かったよ……。
 それより、あれくらいのことに動揺してしまって申し訳ない……。
 ホライエン伯爵様、足止めされたことをお怒りだったのだろうか……? 後で今一度、謝罪した方が良いかな」

 正直それ以外、あの方があそこまでお怒りだった理由が思いつかない……。

 それとも、ヴァーリンと何か因縁でもあったのか……。

 ホライエン伯爵家って、どこの派閥だったかな? と、頭を悩ませていたのだが。
 一瞬キョトンとしたクロードは、フッと表情を緩めた。

「お忘れですか? 先程のホライエン伯爵様は、いつぞや手押し式汲み上げ機をたかりにきた者のお身内です」

 汲み上げ機をたかり…………あぁ、いたなそんなのが!

 クロードが配下になった初日のゴタゴタだ。
 それでクロードは、頭っから飛ばし気味だったんだな!
 俺もマルに確認したのに、すっかり忘れ去っていた。

「おおかた、あちらの家では貴方のことが好き勝手に言われているのでしょう……。
 あの男の要求してきたことを、ホライエン伯爵様はご存知ない場合もございますし……一度確認を入れた方が良さそうです」
「いやいや、そこまでしなくていいよ! もう、数年も前のことなんだし……」
「ですがホライエン伯爵様のあの態度は……」
「良いんだよ。あれくらいのこと……。今回はちょっと意表をつかれて動揺してしまっただけだから」

 面識ないと思ってた相手に、急にあんな風に蔑まれたから驚いてしまったのだ。
 次はもっと心を強く持つ。それで対処できること……。

「だから、気にしなくて良い」
「…………左様でございますか」
「うん。でもありがとう……気に掛けてくれて」

 そう言うと、クロードは相好を崩したものの、瞳には少し複雑な感情を見せた。

 俺が取り乱しかけたこと、気付いているんだろう。だからこそ割って入ってくれたのだろうけれど……その理由までは知らないだろうから、気にしてるんだな。

 俺の過去……知っている人間は、もう限られる。
 特に、幼かった頃のことを知る人はほぼ居ない……。オブシズも実際には関わっていないし、ギルやハインだって、学舎に入ってからの俺しか知らない。
 父上ももう……来世へと旅立たれた……。

 そうか……あれを知っているのはもう……俺と異母様くらいのものなのだな。

「とりあえず書類仕事に戻るか。陛下の方は時間を有するだろうし」

 気分の良い話じゃないし、もう過去のことだ。
 蒸し返すこともないだろうと、この話を切り上げた。
 それがどのような結果を招くかをこの時の俺は、知る由もなかったのだ……。
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