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最後の逢瀬 3

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「世界はこの形でできてるんだよ!」

 ウォルテールは、そう言った。
 どこか必死なその表情は、俺を気遣っているもので……自分たちの保身のためというよりは、俺のためを思って口にしてくれている言葉だと感じた。

「世界は、これで均衡が取れてるんだよ……。
 そりゃ、色々不便も不満もあるけど……だからって、あんたがそれを、背負い込む必要無いだろう?
 今、俺たちにはロジェ村がある……。あそこで充分だよ」

 納得してくれ、受け入れてくれと、そう思ってる……。
 あの楽園を失いたくない、壊したくないのだと。

「あんなのだって、本当はあるはずなかったんだよ……。
 これは充分な奇跡だ。あの村は獣人の楽園だよ……。あんたはもう、それを与えてくれた。今なら、これからだって、ずっとあそこはあのままであれるんだ。
 だったらそれで、満足しよう……もう、これ以上は駄目だ。これ以上は、危険だ。
 あんたが危険だ。世間はそんな簡単には覆らない……。そんな、一個人でどうこうできることじゃないんだよ」

 拳を握って、言いたくない言葉を必死で吐き出しているその姿。
 それでも俺を傷つけまいと思っているのか、つっかえながらも言葉を選ぶ。考えてくれているのが分かる。
 どう言えば理解してもらえる? どう言えば傷付けなくて済むのかと、彼の頭は必死で働いていた。
 必死だったから……。
 返す言葉が、出てこなかった。

「な? もう充分だって。そう思ってくれよ……。これで、納得してくれ。
 今の形なら、このまま保てる……世界を壊さなくて良い。見えないままであれば、無いものとして扱える……。
 あんたは充分なことをやってくれたよ。俺たちを……こんな風に、人みたいに扱ってくれた。それでほんと、充分だから……」

 この時……ウォルテールは苦しそうに目元を歪めた。拳にぎゅっと、力が篭った。
 人みたいに扱ってくれた……その言葉が、彼の気持ちを乱したのだと分かる。
 そしてそれは、俺にとって最も聞き捨てならない言葉で、彼に言わせたくない言葉だった。

「人みたいって……なんだよ」

 なんでお前は、自分を獣だって決めつけるんだ……。

「俺はまだ何も、してない。できてないじゃないか……。
 結局何ひとつ……。お前たちの気持ちひとつ、救えてない。
 お前が自分を獣扱いするうちは、俺は何もやってないも同じだ!」

 俺は知ってる。自分の身体で理解したのだ。
 本当の解放は、心にある。己を縛る鎖は、自らの心から生えているんだ。

 俺は……求めてはいけない。望んではいけないのだと言われて生きてきた。
 貴族となってから、学舎に入るまでの三年間、そう躾けられた。
 悪魔の子だと言われた。生まれたきたことが罪だと責められた。
 父上に会う度、兄上の拳が振るわれ、何かを得ようとする度、異母様にそれを取り上げられた。命ですらだ!
 そうやって身に刷り込まれた、刻み込まれてきたのだ。
 何故それがいけないことなのか分からないまま、償うことだけを与えられた。それを受け入れてきた。
 それしかやりようがなかったというのもあるけれど、あの時の俺に、思考する力なんて無かったんだ……。

 獣人らがもう良いと言うのも、きっとそれだ……。
 生まれて今まで刻み付けられてきたのだ。
 だから、簡単に振り払えないのは分かる。分かるけど、だからこそ周りが踏ん張らなきゃ……支えてやらなきゃならないのだと、今まさに、強く実感した。
 たった三年のことを俺は、十年以上引きずって、今ようやっと分かる……あれが、心を縛っていたことが。それにどれだけ雁字搦めにされていたかが。
 セイバーンを離れてすら縛られて、それをずっと引き摺って生きてきた。
 そんな俺を皆が必死に支えてくれた、手放さずにいてくれたんだ。
 だから同じことを、俺も返したい。

「お前が自分を獣じゃないと思えるまで、俺は何もしていないのと同じだ!
 お前たちが、当たり前に望める……得ようと思えるようにならなきゃ駄目なんだよ。
 そのための武器を、戦い方を探して今日まで来た。ここまで来て、もう少し……あと少しなんだ。
 だからもうちょっとだけ、耐えてくれないか……諦めないでくれ、望んでくれよ。お前たちは獣じゃないんだって、俺は知ってる。それを誰もが知る世界にしたいんだ。
 だってな……今、お前がここに一人でいることが、正しいはずない……姉と一緒に暮らせない、家族といられないことが、充分なことであるはずないだろう⁉︎」

 ウォルテールは、俺の言葉に瞳を見開いた。
 家族のことを思い描いたのか……視線が俺ではない、もっと遠くを見た。
 そうして何か、混乱したような、途方に暮れたような……よく分からない表情を一瞬だけチラつかせたかに見えた。
 次の瞬間に顔を伏せ、表情を隠してしまったから、それは見えなくなったけれど……。

「…………でっ、あんたが…………」

 聞き取れない、くぐもった言葉が、食いしばった歯の間から溢れ……。
 潤んだ瞳で顔を跳ね上げたウォルテールは、そのまま踵を返した。

「ウォルテール!」

 呼びかけは無視され、木立の間に姿を消してしまった彼を…………俺は、追わなかった……。

「…………充分……か……」

 充分……なんて、言わせているうちは、駄目なんだ……。
 俺もそう言って、サヤを怒らせた。自ら求めなければ、一生何も得られないのだって、そう言われたんだ……。
 だから、今度は俺が……。
 俺が与えてもらったものを、お前たちにも、得て欲しいんだ…………。


 ◆


 種拾いから更に日数が過ぎ……。
 十一の月に入った。
 畑の調整が終わり、種蒔きが始まり、村の方はまた一段と忙しくなった。
 他の地方の麦は、粒を適当に投げて撒くのだが、今回より畝を作ってそこに植える。極力種の発芽を促すためと、養分を均等に行き渡らせるため、そして、後の麦踏みの手間を減らすための工程だ。
 本来は俺も畑に出て、作業工程を確認しておきたかったのだけど…………。

「父上っ……父上!」

 呼びかけても、反応は返らない……。

 セイバーン男爵家の血筋に連なる者は、俺しか残っていないから、妻であるサヤだけを伴い、昏睡状態となった父上の枕元で、ただ必死に声を掛けていた。
 部屋の中にはナジェスタとユスト。助手の少女二人と、ガイウス親子。そしてハインと、クロード……。

 早朝、ハインに叩き起こされて、父上が危篤状態に入ったと聞かされて、飛び起きた。
 それから半日ほど経っているのだが、依然として父上の意識は戻らず、この状況を脱することのできないまま、ただただ、喪失の恐怖と戦っている……。
 ここにいたって何もできないのだから、本来なら少しでも、仕事に時間を割くべきだと思うのに……。

「そんなわけあらへんやろ。
 お父様のこと優先して当然や。誰もがそう思うてる」

 うまく働いてくれない頭で、自分が今何をどうしているのかもよく分からない……。
 ぶつぶつと言葉を漏らしていたのか、俺の頬をぺちりと音がするほど強めに包んだサヤが、そう言ってから手を握り締めてくれた。

「お父様を、一人きりにしたらあかん……」

 そう……そうだな。来世への旅立ちを、一人きりにしてはいけない。
 そんな寂しいのは、今日まで苦労を重ねた父上に相応しくない。
 あぁ、だけど……どうかまだ、待ってほしい……。まだたったの三回、冬を越えただけだ。バタバタ忙しくて、ゆっくりと話をする時間すら取れていない。
 本当はもっと、親子で過ごす時間を、父上との時間を、まだ……まだ全然、重ねられていないのに……っ!
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