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最後の逢瀬 1

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 翌日。
 馬でセイバーン村までやって来て、馬を預けて虫除け香を借り受けるまでは、例年通り。
 朝早いにもかかわらず、俺たちの顔を見ただけで、厩番の奥方は、虫除け香を出すよう息子に指示を出した。

「今あの子ったら、お手伝いしたい病なんですよ」

 小さいながらもお手伝いに奮闘する息子を見つめて、奥方が笑う。
 サヤがこの世界へやって来た当時、生まれて間もなかった厩番の息子は、そろそろ四つを迎えようかという頃。
 そうか……もうそんなになるのか。ロゼと出会ったばかりの頃もこんな感じだったな……と、何やら感慨深い。

 本日ばかりは見える護衛はいない。
 吠狼の面々は気付かれない程度に離れてついて来ているだろうけれど、とりあえずは二人きりだ。
 ぶんぶん大きく振られる小さな手に、こちらも手を振りかえしてから、虫除け香を腰帯にぶら下げ、荷物だけを持って、二人で裏山へ向かった。

 サヤは動きやすいよう、女近衛の制服にもある、太腿が広い細袴。
 色が深く、汚れの目立ちにくい配色で纏められており、意匠も簡素だ。
 見える装飾品は両耳にある環だけだけど、服の下には首飾りがあると知っていた。
 髪は下ろしたままになっているけれど、左側の髪だけ耳に引っ掛けられていて、今度横髪を留められる髪飾を贈ろうと心に誓う。

 ヘイスベルトたちには一日休みを貰ったのだけど、皆に悪いから極力、早く帰ろうと、サヤと話した。
 彼女もそれは当然と同意してくれ、今日は早起きして、朝食も食べずに出てきたから、まずは腹ごしらえだ。

「とりあえず泉まで行こうか」

 慣れた獣道を歩いて分け入ると、暫くしてお馴染みの泉に到着。
 そこで、小型版の簡易かまどを取り出し、お茶を沸かし、朝食準備となった。

「おおーっ!」
「……って言うほどの変化は無い思うけど……」

 麺麭の代わりにホットケーキを使った朝食。卵と塩漬け肉と菜物を挟んで折り曲げてある。それが四つ。
 サヤはだいぶん早起きして、準備してくれたようだ。
 油紙で巻いて持って来たので、汚れ物も出ない。包み紙も小さく畳んで持って帰れば嵩張らないし、良いなこれ。

 ほんのり甘みのある生地と塩味の具材が意外に合う。ふたつをぺろりとたいらげてしまった俺に、サヤは自分の食べかけていたふたつ目から、半分を分けてくれた。
 サヤが足りなくなるのでは? と、思ったのだけど、朝はそんなに食べなくて良いとのこと。

「馬で走るし、お腹が空くかもしれへん思うてたけど……全然やった」

 というわけで、有難く頂いた。
 荷物の中にはまだ油紙の包みがあったけれど……これは後のお楽しみだそう。

「さて。それじゃ行こう」

 必要無い手荷物は泉に置いていく。木陰に纏めておいてから、俺たちはもう覚えた道筋に足を向けた。

「簡易かまどと炭団は便利だな。後の片付けが格段に楽だ」
「せやね。炭団も大きさを色々調整したの、正解やった思う。
 長時間必要無い時は小さいのが便利。今回みたいな」
「火力も落ちちゃうのがちょっと難点かな……」
「でも、火力欲しい時は複数使えばようない?」
「そうなると費用が……」

 逢瀬の最中の会話じゃないなと気付くまでに、半時間ほど掛かった……。
 二人で誤魔化し笑いして、それじゃ逢瀬らしいってどんなだろうなって、話題を右往左往しているうちに、目的地には来てしまったし……種拾いだ。
 土に落ちたものや、木に実ったままのものを積み取り集める。基本的には落ちたのを拾うけどね。実ったままのはまだ若い可能性があるから。
 黙々と種拾いをしながら、ここが一色に染められた、銀世界の中であった時を思い出し……。

「この季節に来ると花は無いから、あの幻想的な光景がたまに、懐かしくなるんだよな……」

 そう呟くと、同意の声が返る。

「あれはほんま綺麗やったもん。……レイも血まみれやったんがあかんかったけど」

 それはほら、不可抗力じゃん……。
 あの時の怪我は、額横に小さく傷が残っている。髪で隠れてしまうから気にならないけど。

「あと寒いのもね。雪まみれで濡れて凍えそうだった」
「ほんまそれ」

 くすくすと笑うサヤが可愛いけれど、結局逢瀬らしい会話にはならない……。もう逢瀬らしさは諦めよう……。

 今年も豊作。種は沢山見つけることができた。
 そうやって座り込んで種を拾っている間に浮かんだのは……。

「こんなに沢山種があるのに……なんで新しい芽が出ないんだろう……」

 ついそう疑問を呟いたのだけど、その答えはサヤがくれた。

「動物がよう食べてしまうん。鳥や栗鼠みたいな小動物や、猪とか、狸なんかもやね」

 成る程。冬に残っていた種が少なかったのはそういうことか。
 確かに、栗鼠や鼠は越冬用に種を溜め込むと聞くし、冬になっても実りが残るこの場は、動物にとっても希少だろう。
 椿の種は渋くて凄い味がするそうだが、動物は選り好みしないだろうし。

 一時間ほど掛けて、しっかり種を拾った。
 今年もたっぷりと実ったようで、袋はパンパンに。ちょっと拾いすぎじゃないかと思ったのだけど……。
 サヤは予備の袋まで出して、もう少しと欲張っている。
 そんなに沢山を絞るのは大変じゃないか? と、そう言ったら。

「絞るんやあらへんの。苗を育てられへんかなって思うて……」
「株を増やすの?」
「うん。育つまで十年掛かるし、早めに沢山、育てておきたいなって。
 ある程度大きくなったら、移植に挑戦したい思うてな」

 移植?
 どこにだろうと、その疑問を口にする前に、サヤは言葉を続けた。

「思うたんやけど……椿だったら、北の厳しい気候でも、実るんやないかなって……。
 日本でも、雪深い場所でだって椿は咲いてた。樹木やから、根も深く地中に潜るやろ? 
 これを組み合わせたら、北の地の産業にできるんとちゃうやろかって……」

 想像もしていなかったサヤの言葉。
 唐突すぎて、つい動きを固めた俺に気付かないようで、サヤは凛々しい表情のまま、言葉を続けていく。

「椿油を、荒野の獣人さんたちの収入源にできひんかなって思うたん。
 マルさんの地元の狩猟民さんらは、獣人さんたちやって、言うてたやろ……。
 今、一番苦しい生活を強いられてるんは、彼らやないかって思う。
 荒野の中で木を育てるんは大変かもしれへんけど、ある程度育ててから移植するなら、上手くいくかもしれへん。
 場所や寒さによって全然あかん可能性もあるけど……試してみるなら、早い方がええ。
 まぁ、花が咲くだけで十年からかかるから、気の長い話になる……けど、一度実りだせば、こっちのもんや思うし、初めさえ乗り切れば……。
 あっ、日本にもあるんやで? 椿を沢山植えて、椿油を特産品にしてる島。
 南の方の島やし、同じようにはいかんかもしれへんけど……。
 こっちの世界は、髪質悪い人が多いやろ?
 お風呂の文化も広まってないし……。湯屋を広めていくんやったら、この椿油も一緒に、提案してみるんもええかなって。貴族の方々も私の髪に興み……っ⁉︎」

 横手から急に抱きしめられて言葉を詰まらせたサヤ。
 手に持っていた種をまたばら撒いてしまい、抗議の視線をこちらに向けたけれど、その顎を捉えて唇を塞いだ。
 んンっと、くぐもった声。
 温かい舌を絡めながら、更に腰を抱き寄せて、愛撫を続けていくうちに、サヤの腕から力が抜けていく。
 持っていた袋を取り落としたサヤは、それでもなんとか拳を作り、俺の胸元を力なく叩いた。
 僅かな抵抗……。だけど、蕩けた表情と溢れる吐息は熱く、俺を拒んではいない。
 腰を捕らえたのとは逆の手を、後頭部から髪の中に差し込んで撫でると、くすぐったいのか、塞がれた口の中で甘い悲鳴……。

 日々に追われて、俺は今のことしか考えていなかったのに……。
 サヤは、もっと広く、沢山のことを考えていたのだなと……。アギーの流民らのことを考えたように、北の地の獣人らまで救えないか、考えていてくれていたのかと……。
 そう思ったらもう、たまらなかったのだ。
 愛おしくて、温かい気持ちが胸の中だけに留めておけなかった。衝動で動くのは良くないって、思うけど……こんなところを見せられたら、それも致し方ないことだ。

 口づけするとサヤは、蕩けてしまったような恍惚とした表情を見せる。
 昔みたいにされるがままではなく、自らも舌を絡めにくるから、嫌じゃないのだって、もう知っている……。
 髪の中の手を少しずらして首を撫でると、また上ずった声。
 これ以上は危険と思ったのか、そこでなんとか身をくねらせて抵抗したサヤは、その場に座り込んでしまった。
 紅潮させた頬と、少々乱れた呼吸……。唾液で濡れた唇を戦慄かせて、まず口にしたのは「もうっ!」という、いつもの抗議の声。

「なんのスイッチが入ったん⁉︎」
「ごめん……スイッチって何?」
「もおおぉぉ! 不意打ちあかんって、前から言うてるのにっ。そら逢瀬中やけどっ、急はびっくりする!」
「サヤ、嫌そうじゃなかったよ?」

 そう言うと、言葉を詰まらせてしまったサヤは、何か言おうと口を開き……言葉を探しあぐねているうちに、またどんどん顔を染めていった。

「い……嫌やないけど……びっくりはするの!」

 そうしてやっと絞り出したのがそんな言葉。

「真面目な話しとったのになんで急にでぃ……、く、口づけになるん⁉︎」
「サヤがつい、愛おしくなって……」
「っ、なんでついそんなことになるんっ⁉︎」
「いや、だいたいいつも愛おしいし可愛いんだけどね。たまに我慢の限界地点を超えるくらいの愛おしさをもよおすことがあって」
「も、もうええ……それなんなん……なんで急に誉め殺しに入るん……」

 それまで以上に慌てふためき恥じらいだすサヤがこれまた可愛くて魅入っていたら、顔を覆って見んといて! と、更に抗議の声。

「見たい」
「嫌っ! 酷い顔になっとるん、分かってるもんっ」
「何も酷くない。可愛い」

 真っ赤になって瞳を潤ませている表情は、なんともたまらないものがある。
 外れて落ちてきている左前の髪を、指で掬って耳に引っ掛けてやると、それにすら震えて、んっと、声を押し殺す。
 そんな様子を可愛くないなんて、思うはずがないじゃないか。

 サヤがここを……この世界を愛してくれているんだって分かって、嬉しくならないわけがない。
 無理矢理、唐突に訪れてしまった異界なのに、元の世界を失って、ここにいるしかない彼女なのに……その小さな身体で、精一杯世界を包んでくれているのだって、そう思ったから……。

 分かってるんだ。
 そんなに簡単にどうこうできる問題じゃないだろうって。
 北の地を実際に目にして見なければ、きっと何も分からない。
 それでも。
 サヤはどこでも、誰にでも優しくあろうとするのだろう。力になろうとするのだろう。
 思う通りにいかなくても、とてつもない困難の道行であっても、諦めずに足掻くだろう。新たな何かを探そうとするのだろう。
 その様子が目に浮かぶのだ。
 そんな愛しく可愛い人を、抱きしめないでいられるはずがない……。

「サヤ……もう一回ギュってしたい」

 今度はそうお願いした。
 そうしたら、恥ずかしそうに視線を逸らしたまま、ちょっとだけ俺に身を寄せる……。
 自分からギュッとすることは憚られて、俺にそうしても良いよと、促す仕草を見せる……。そんなところがまた可愛い。
 その体を引き寄せて、腕の中に収めた。

「俺の妻は何をしてても可愛いよ」
「言葉攻めはあかんっ」

 褒めてるのに怒られた……。

「そうやってすぐ照れる奥ゆかしいところも可愛い」
「あかんって言った」
「上目遣いたまらない……。正直可愛いが増してばかりでどうしよう」
「あかんって言うてるのに……っ」
「サヤが俺のこの気持ちを理解してくれるまでやめられないな。可愛くないなんて誤解されたくない」

 とりあえず誉め殺しで押し切って色々を有耶無耶にした。
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