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最後の秋 3

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 獣人は、災厄の象徴だ。人ではなく、獣だとされている。

 二千年前の大災厄。
 大地が割れ、海が荒れ、月も太陽も空から去ってしまうような大きな災い。
 終焉の宴とも呼ばれるその大災厄で、獣人は悪魔に加担した。
 人を八つ裂きにし、血に酔って歓喜の咆哮をあげ、残虐のかぎりを尽くしたのだと、教典にも記されている。
 その結果、人は滅びかけ、文明もほぼ白紙に戻された。
 それだけの犠牲を払い、人はなんとか悪魔を退け、獣人らを滅ぼすことに、一度は成功したのだ……。

「…………難しいな……」
「は?」

 帰りの馬車でついつぶやいてしまった声を、ハインが即座に拾う。
 けれど、獣人である彼に、この話はしたくなかった……。

「いや、マルと連絡を取る手段がないものかと……。
 長すぎるだろ……もう四ヶ月……音沙汰無い」

 マルがアヴァロンを去って四ヶ月……。吠狼の大半を連れて行き、ここまで時間がかかるだなんて……考えていなかった。
 手段はあると言っていたけれど……マルの言葉だからと信用したけれど……果たして良かったのかと、今更後悔しているのも事実だ。
 マルを疑っているわけじゃない。
 そうじゃなく、彼はできると言ったけれど……本当ならばこれは、そう簡単に断言できることじゃなかったはずなのだ。

 吠狼は獣人を多く有する集団で、彼らは情報収集にかけては他の追随を許さぬほどに優れていると、俺は評価しているのだけど……。
 彼らが唯一苦手とし、恐れているのが神殿だ……。なのに、そこを調べるだなんて任務を、与えて良かったのかと……そういう後悔……。

 だけど、彼らにしか任せられないことなのも事実……。
 他の手段が無い以上……仕方がなかったのだけど……。

 彼らが神殿を恐れている理由は、彼らが教義により、貶められた存在であるからに他ならない……。

 人の不幸や不運は、神の与えたもうた試練だと言われている。
 前世で善行を積んだ者は良き来世を約束されるのだと、神殿は説いているのだ。
 フェルドナレンはアミを信仰しており、アミは形のないものを定める神。人の運命などもそれにあたる。
 俺たちがどのように生き、死んだかをアミは見ており、その行いから来世を選び与えるのだと。

 そんな教えの中にあって、虐げられるべき定めにあるとされているのが、流民や孤児らだ。
 前世での悪しき行いを悔い改めるために、苦難多き生を、彼らは与えられた。
 その人生を受け入れ、前世の行いを悔い改めれば、来世はまた良き人生を得られるのだと教えられる。

 けれど…………。

 覚えてもいない前世の罪を、どう償えば良い?
 身に覚えもないことを責められ、何を思えば良いのだろう?
 普通に生きていくことすら難しい中で、どうやって今世を正しく生きろと?
 たった今を刻み続けることすら困難であるのに、他を構っている余裕が、一体どこにあるというのか……。

 そうやって苦悩して彼らは、また堕ちていくのだ……。
 そして諦める。今世をよりよく生きる手段など、結局無いのだと。
 前世もきっと、同じだった。そして来世も同じだろうと……。もうここに踏み込んだ以上、堕ちるところまで堕ちるしかないのだと……。

 堕ちて、最後まで堕ちた先で、穢れきった魂は、獣になるのだと言われる。
 そうなったらもう、人に戻る道など無いのだと、教典にはそう、記してある……。

 教典には、獣が救われる道が、記されていない。
 彼らは悪魔の使徒であるから、救うべき無垢なる魂ではないとされる。
 己の運命を甘んじて受け入れろと、それしか記されていない。
 だから彼らは神殿を恐れる。信仰を持たず、無神の民であることを選ぶ。
 慈悲を与えてくれない神が怖く、近寄り難いと感じられてしまうのだろう……。

 そうしてそれと同時に、己を恥じるのだ……。
 理由も分からず獣人として生まれた今世を嘆く。前の自分の人生は、さぞ穢れたものだったのだろうと、知る由もないのに……。
 そうして、もう獣になどなりたくないと……輪廻から外れてしまいたい。悪魔の使徒なんて嫌だからせめて、野の草木になりたいと……願う。

「あれのことなど気にするだけ無駄です。
 吠狼が共にいるなら、野垂れ死ぬこともないでしょうし……棄ておけば良いのです」

 と、素っ気ないハインの返答。

「それはそうだけど……それだけ大変なことなら、一度戻って体制を立て直しても良いと思うんだよ……」
「戻らないなら戻らないだけの理由があるのでしょう。気を揉むだけ無駄ですから、放っておけば良いです」

 あの野郎の奇行になど付き合ってられるかといった表情で、そう言い放つハインに、隣のオブシズも苦笑。
 丁度、獣人について思考していた時だったから、ハインのその態度に苦笑すると共に、ホッとしていた……。

 だって俺は、知っている。
 そうは言いつつ……ハインがマルの部屋を、こまめに確認していることを……。
 血も涙もないと言われる獣人の一人である彼が、実は誰よりも愛情深く、責任感が強く、誠実なのだということを。

 九歳の時にハインを拾ってから、ずっと共に生きてきた。ずっと見てきた。もう、自らの一部だと思えるほどに、時を共に過ごした。

 ハインは……確かに激昂しやすい気質をしている。けれど、それだけだ。
 主と認めた俺に傾倒し過ぎており、自分のことを投げ打ってまで俺を優先する問題児だけど、それだけだ。
 俺のためなら泥を被ることだって厭わない。俺の幸せが全ての基準で、そのためなら俺本人すら好き勝手にしようとするけれど……。
 それもこれも全部、俺のためにとすることで、それはたかだか、俺の右手薬指一本の償いから始まっている……。
 そうやって過ごした十二年、彼はずっと、人と変わらなかった……。獣人と知らずに九年過ごしたけれど、気付かぬほどに、普通だった。
 残虐の限りを尽くして血に酔い咆哮をあげるなんてしないし、悪魔になんて傅いていない。寧ろ自分が獣人であることを恐れ、死のうとまでするくらいに……獣人である己を嫌っている……。
 俺の手の償いのためだけに、生きているのだと言った。
 俺に魂を捧げ、生殺与奪の権利すら委ねている。
 そんな風に身を投げ打つまでして俺を守ろうとする彼がいなければ、俺はきっともう……今世を生きていなかった……。
 そんなハインを掬い上げたくて俺は……獣人を人だと認めさせる戦いを、始めたのだ……。

 彼らは人だ。
 だって、たった指一本で、己の人生を投げ打つほどに後悔する者が、人を傷つけ喜ぶ存在であるはずがない。
 悪魔の使徒になんてなりたくないと来世を望まず、自然に還りたいと泣く者が、殺戮を楽しめるはずがない。
 同じように食べ、成長し、葛藤して生きてきた。これが人じゃないなら、何が人だと言えるのか。

 そんな彼らを、教典は受け入れない。認めない。
 だから彼らも、神を信じることができない。縋り難いと感じてしまう。
 流民らだってそうだ……。
 彼らが獣人と関わるのは、来世の自分の姿かもしれないから。
 そうして自分がもう、今世では救われないことを……この先も神には救ってもらえないのだということを、理解しているから……。

 彼らを無神の民にしているのは悪魔ではなく、神殿。そして俺たち人の所業なのだ……。

 ……それが分かっているのに、まだ何も、してやれない……。

 ただ好いた相手と共にあることすら、許してやれない……。
 領民だと言いながら、幸せになってほしいと言いながら、その方法をいまだに俺は、用意できないでいる……。
 それが歯痒くて苦しい……。焦ったって仕方がないことだと分かっているけれど、マレクの人生で、今は、今しか無い。最愛の人を得られる瞬間は、今この時しか、無いかもしれないのに……。

 俺は知っているのに。
 彼ら獣人が獣なんかじゃなく、人と異なる種のひとつでしかないってことを……。

 獣人は獣だと言われているけれど、彼らは人だ。
 俺の血の中にも、きっと獣人の血は含まれている。
 大災厄で滅びかけたのは人も獣人も同じで、悪魔なんていやしなかった。
 ただ共に生き残ろうとした結果、今の形になったのだと、その可能性を見つけ、そう思ってきた。

 今更それを覆すかもしれない可能性が出てくるなんて考えてなかった……。そしてマルはそれを、調べに行ったのだ……。

「……それでも心配なんだよ……。なんとか、連絡を取れないものかな…………」

 ……不安でたまらなくなるんだ……。
 俺たちがやろうと思っていたこと、人生を賭けて成すべきと考え、行ってきたこと。そこにもしかしたら、異界の民が絡んでいるかもしれないだなんて……。

 神の教えを今の形にしたのは誰なのか。それを考えると、たまらなくなるんだ……。
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