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蜜月 3
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聞き覚えのある声だった。
まぁ、現状……女性の声でここまでトゲのある音を発する人物の心当たりは、ひとつしかない。
「サヤさんの旦那様ではございませんか。新妻を放ってどこに行かれるのでしょう?」
喧嘩腰の声にホッとする。
「いや……放っているわけじゃないよ。
ちょっとした息抜きだ」
「おやまぁ……この三日は片時も離れず共にいるものなのだと思っておりました。
それにしても、共の者もなしに一人で徘徊だなんて……尊い方のすることではございませんよね?」
慇懃無礼な言葉には、俺への嫌味がこれでもかと詰め込まれている。
そのおかげで、昂っていた気持ちは凪いで奥へと押し込まれ、平常心を取り戻すことができた。
アミに感謝しなければ。この邂逅は本当に恵みです。
俺の暴走を救ってくれた相手なので、無下にもできないし、彼女の言っていることは至極もっとも。
だから俺は、心穏やかに返事を返す。
「それは貴女の言う通りだな。
だけど……ここは私の館だし、私はこういった気質なんだ。
皆はそれを理解してくれているから、何ら問題は無い。ロレン殿も、気にしないでもらって結構だよ」
表情も作り終え、振り返ると……女近衛の稽古着を纏ったロレン殿が中庭の脇に立っていた。
サヤと同い年である彼女は、サヤと同様、来年の春から女近衛に正式採用の予定と聞いている。それまでの短い間、このアヴァロンで研修官となるわけだけど……。
橙色の髪から覗く青い瞳には、むっつりと滲む怒りの色が見て取れ、俺がサヤの夫になったことへの不満を、あからさまに零し、隠そうとも思っていないよう。
ここまですっぱり晒されていると、怒りよりも爽快感を覚えてしまうな。
「だけど……忠告は感謝する。
サヤの夫として恥ずかしくない男でなければとも思うから……これからは善処しよう」
そう言うと、何か気に障ってしまったのか、更に表情が険しくなった。
「そうですね……。帯剣もせずうろつき回るなど、貴族男性にはあるまじきことですから」
すっかり慣れきって忘れがちなことを指摘された。
良く見てるなぁ……。
「あー……でもそれは、これからもしないなぁ……」
「なっ……⁉︎」
「陛下から聞いていないかな? 私は剣が握れないんだよ。
小剣でも重くてね……。だから、正式な場に出る時以外は、短剣しか帯びないと決めている。
そちらの方がまだ扱えるんだ」
ピクリと、こめかみを振るわせるロレン殿。
引き攣った口元は、笑みの形をしていたけれど、それはワナワナと震えていた。
「貴方は、まがりなりにも貴族……でしょう?」
恥ずかしくないのですかと、言外に聞かれ……苦笑。
貴族としての矜持なんてものに拘りがあったなら、俺はこんな風にはなっていない……。
俺は体面なんかより、皆の足を引っ張ることの方がよっぽど怖かった。俺の罰に、皆を巻き込むことの方が……。
「そうだね。だけどこればっかりはどうしようもなくて。
不快に感じたなら謝罪する。だが……まだこの方が皆の手を煩わせないんだ。許してもらいたい」
俺の言葉を、軟弱者の言い訳と捉えたのだろう。
ロレン殿の怒りは更に高まってしまった。うーん……いや、多分……何を言っても怒らせていたろうな……。
披露宴の席でサヤをじっと見つめていた彼女の瞳には、憧れ以上のものがあった……。
きっとサヤを掻っ攫われたって気分なのだろう……。
俺もサヤを同じように見ていたからこそ、その瞳の熱は痛いほど理解できた。
人の妻となる人を見てる色じゃなかった……。
今だって、あんなに強く美しい人が、こんな頼りない軟弱者を夫にするしかないなんて……と、そんな風に考えているのが、見てとれる。
軟弱者なのは確かだけども……。俺には俺の事情があったし、その時に考えつく最善を選んできたつもりでいる。
だけどロレン殿は、俺の事情など、元より念頭に無い様子で…………。
うーん……このままってわけには、いかない……だろうなぁ。きっと放置しておけば、余計な摩擦を生んでしまう……。
「私と手合わせするかい?」
そう言うと、唐突すぎたようだ。は? と、聞き返された。
「私みたいな軟弱者を守って、サヤが代わりに傷付くなんて承知できない……って顔だから。
私も、サヤに負担を強いるようなことは望まない。だから、彼女の手を煩わせないよう、鍛錬はしてきているつもりだよ。
だけど、口で何を言っても、信用なんてできないだろう?
ロレン殿は近日中に、うちの派遣官となる手続きを行うことになっている。
立場的に、私の部下となってもらうわけだけど……今のままじゃ、きっとそれも、納得できないだろうから」
俺を守らなければならない立場を、彼女が受け入れられる気がしない。
そしてそういった軋轢は、他にも大きく影響するだろう。
だからせめて、輪を乱さない程度に……俺が主人に相応しい人物かどうか、サヤの夫として許せる男かどうかを、見極めてもらうべきかと思った。
だけど俺のその言葉は、またロレン殿を逆撫でしてしまったよう。
「……手合わせして、ボクが納得できるとお考えで?」
「少なくとも、ある程度は」
「これでもボク、女近衛の一員なのですが?」
「貴殿の腕を甘く見ているわけではない。ただ……、いや。やらないならば、それはそれで構わないから」
「っ、やりますとも!」
喧嘩を売られたと解釈したようだ。
そんなつもりは無かったんだけど……まぁ、仕方がない。
それじゃ、後日日程調整をと口にしようとしたら、ロレン殿はくるりと背を向けた。
「では、そちらの開けた場所で」
「え。今?」
振り返って、ギッ! と、すごい眼力で睨まれた……。
サヤを待たせてるんだけど……これは、引き下がりそうにない……よなぁ……。
ロレン殿も、稽古着でここに居たってことは、鍛錬を抜けてきていると思うのだけど……そこは良いのか?
周りを見回してみたけれど、あいにく女中や使用人の姿は無く、伝言を頼むことも難しそうだ。
「……分かった」
最短の道が、付き合うことみたいだな……。誰か来たら、その時に伝言を頼むか……。
溜息と共に承知して、腰の後ろに手を回した。
今日もちゃんと帯びている、近年のお気に入りである、愛用の短剣……。
「相手しよう」
片刃の、背の部分がギザギザと波打った独特の意匠。サヤの国で、ソードブレイカーと呼ばれているものだ。
頼むぞ、我が相棒。
そろそろ小剣を相手にできるかどうか……丁度良い練習ができる。
まぁ、現状……女性の声でここまでトゲのある音を発する人物の心当たりは、ひとつしかない。
「サヤさんの旦那様ではございませんか。新妻を放ってどこに行かれるのでしょう?」
喧嘩腰の声にホッとする。
「いや……放っているわけじゃないよ。
ちょっとした息抜きだ」
「おやまぁ……この三日は片時も離れず共にいるものなのだと思っておりました。
それにしても、共の者もなしに一人で徘徊だなんて……尊い方のすることではございませんよね?」
慇懃無礼な言葉には、俺への嫌味がこれでもかと詰め込まれている。
そのおかげで、昂っていた気持ちは凪いで奥へと押し込まれ、平常心を取り戻すことができた。
アミに感謝しなければ。この邂逅は本当に恵みです。
俺の暴走を救ってくれた相手なので、無下にもできないし、彼女の言っていることは至極もっとも。
だから俺は、心穏やかに返事を返す。
「それは貴女の言う通りだな。
だけど……ここは私の館だし、私はこういった気質なんだ。
皆はそれを理解してくれているから、何ら問題は無い。ロレン殿も、気にしないでもらって結構だよ」
表情も作り終え、振り返ると……女近衛の稽古着を纏ったロレン殿が中庭の脇に立っていた。
サヤと同い年である彼女は、サヤと同様、来年の春から女近衛に正式採用の予定と聞いている。それまでの短い間、このアヴァロンで研修官となるわけだけど……。
橙色の髪から覗く青い瞳には、むっつりと滲む怒りの色が見て取れ、俺がサヤの夫になったことへの不満を、あからさまに零し、隠そうとも思っていないよう。
ここまですっぱり晒されていると、怒りよりも爽快感を覚えてしまうな。
「だけど……忠告は感謝する。
サヤの夫として恥ずかしくない男でなければとも思うから……これからは善処しよう」
そう言うと、何か気に障ってしまったのか、更に表情が険しくなった。
「そうですね……。帯剣もせずうろつき回るなど、貴族男性にはあるまじきことですから」
すっかり慣れきって忘れがちなことを指摘された。
良く見てるなぁ……。
「あー……でもそれは、これからもしないなぁ……」
「なっ……⁉︎」
「陛下から聞いていないかな? 私は剣が握れないんだよ。
小剣でも重くてね……。だから、正式な場に出る時以外は、短剣しか帯びないと決めている。
そちらの方がまだ扱えるんだ」
ピクリと、こめかみを振るわせるロレン殿。
引き攣った口元は、笑みの形をしていたけれど、それはワナワナと震えていた。
「貴方は、まがりなりにも貴族……でしょう?」
恥ずかしくないのですかと、言外に聞かれ……苦笑。
貴族としての矜持なんてものに拘りがあったなら、俺はこんな風にはなっていない……。
俺は体面なんかより、皆の足を引っ張ることの方がよっぽど怖かった。俺の罰に、皆を巻き込むことの方が……。
「そうだね。だけどこればっかりはどうしようもなくて。
不快に感じたなら謝罪する。だが……まだこの方が皆の手を煩わせないんだ。許してもらいたい」
俺の言葉を、軟弱者の言い訳と捉えたのだろう。
ロレン殿の怒りは更に高まってしまった。うーん……いや、多分……何を言っても怒らせていたろうな……。
披露宴の席でサヤをじっと見つめていた彼女の瞳には、憧れ以上のものがあった……。
きっとサヤを掻っ攫われたって気分なのだろう……。
俺もサヤを同じように見ていたからこそ、その瞳の熱は痛いほど理解できた。
人の妻となる人を見てる色じゃなかった……。
今だって、あんなに強く美しい人が、こんな頼りない軟弱者を夫にするしかないなんて……と、そんな風に考えているのが、見てとれる。
軟弱者なのは確かだけども……。俺には俺の事情があったし、その時に考えつく最善を選んできたつもりでいる。
だけどロレン殿は、俺の事情など、元より念頭に無い様子で…………。
うーん……このままってわけには、いかない……だろうなぁ。きっと放置しておけば、余計な摩擦を生んでしまう……。
「私と手合わせするかい?」
そう言うと、唐突すぎたようだ。は? と、聞き返された。
「私みたいな軟弱者を守って、サヤが代わりに傷付くなんて承知できない……って顔だから。
私も、サヤに負担を強いるようなことは望まない。だから、彼女の手を煩わせないよう、鍛錬はしてきているつもりだよ。
だけど、口で何を言っても、信用なんてできないだろう?
ロレン殿は近日中に、うちの派遣官となる手続きを行うことになっている。
立場的に、私の部下となってもらうわけだけど……今のままじゃ、きっとそれも、納得できないだろうから」
俺を守らなければならない立場を、彼女が受け入れられる気がしない。
そしてそういった軋轢は、他にも大きく影響するだろう。
だからせめて、輪を乱さない程度に……俺が主人に相応しい人物かどうか、サヤの夫として許せる男かどうかを、見極めてもらうべきかと思った。
だけど俺のその言葉は、またロレン殿を逆撫でしてしまったよう。
「……手合わせして、ボクが納得できるとお考えで?」
「少なくとも、ある程度は」
「これでもボク、女近衛の一員なのですが?」
「貴殿の腕を甘く見ているわけではない。ただ……、いや。やらないならば、それはそれで構わないから」
「っ、やりますとも!」
喧嘩を売られたと解釈したようだ。
そんなつもりは無かったんだけど……まぁ、仕方がない。
それじゃ、後日日程調整をと口にしようとしたら、ロレン殿はくるりと背を向けた。
「では、そちらの開けた場所で」
「え。今?」
振り返って、ギッ! と、すごい眼力で睨まれた……。
サヤを待たせてるんだけど……これは、引き下がりそうにない……よなぁ……。
ロレン殿も、稽古着でここに居たってことは、鍛錬を抜けてきていると思うのだけど……そこは良いのか?
周りを見回してみたけれど、あいにく女中や使用人の姿は無く、伝言を頼むことも難しそうだ。
「……分かった」
最短の道が、付き合うことみたいだな……。誰か来たら、その時に伝言を頼むか……。
溜息と共に承知して、腰の後ろに手を回した。
今日もちゃんと帯びている、近年のお気に入りである、愛用の短剣……。
「相手しよう」
片刃の、背の部分がギザギザと波打った独特の意匠。サヤの国で、ソードブレイカーと呼ばれているものだ。
頼むぞ、我が相棒。
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