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夜会 2-4

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 ヴァイデンフェラー殿が指差していたのは、俺のいた方向。
 聞き覚えはありすぎるのに、決して自分のものではない名前。

 ロレッタ……。
 …………え、俺に言った?

「あなた、違いますわ。ロレッタは髪色が黄金色ではなかったでしょう?」
「だがあれはロレッタだろう⁉︎」
「ロレッタはもっとずっと背が小さかったわ。そもそも、年齢が違います。あの方はどう見ても二十かそこらよ」
「では娘⁉︎」
「いなかったでしょ」

 あ。俺だ。俺のこと言ってるんだこの方。
 俺を、母と間違えているんだ。

 だがそこで、アギー公爵様のご入室の知らせが入った。

 会場中の方々が入り口の方に向き直り、頭を下げる。

 いらっしゃった。
 なんとも間が悪いことに。
 けれど、やるべきことをやるため席を立った。
 サヤとヘイスベルトに目配せを送ると、二人も頷いて、席を立つ。
 アギー公爵様ご入室を合図にして、会場奥に足を向けた。
 その様子に、こちらを気にしていた方々が訝しげに意識を向けたけれど、公爵家の方々に粗相するわけにもいかない。
 誰も頭を上げることができずに、彼女らを見送る。

「オブシズ」
「はっ……」

 オブシズが手を差し出してくれて、俺はそこに、自らの手を添えた。
 切り替えろ。今から俺は姫君だ。
 瞳は光を失い、目の前にあるのは絶望。想う人は存在を失っているはずで、これから更なる絶望の底、深淵に、足を踏み出す。

 複数の足音。それが会場の中心に進んでくる。
 俺はオブシズに手を引かれ、逆の手で、裾を踏んでしまわぬよう、少しだけ持ち上げた。
 今動くことは、本来ならば不敬だけれど、アギー公爵様の指示であるから問題無い。

 この中で頭を下げる必要のないのは、同じく公爵家の方々のみ。
 オゼロの方も、代役としてこられた高官の方であったようで、頭を低く下げている。

「おい」
「お勤めですので……」

 動こうとする俺を諌めようとしたビーメノヴァ様が、俺に手を伸ばす。とっさに避けて下り、極力女性らしい声を意識して、そう伝えた。
 どうしたって通常の女性よりも低い声なのだが、なんとか取り繕えたよう。ビーメノヴァ様は途端に、言葉を詰まらせて頬を朱に染めた。

 やばい反応しないでくださいよ……。
 その場に公爵家のお二人を残して、前に進む。ヴァイデンフェラー殿の横を通り過ぎ、極力急ぎ足で。そのおかげか、なんとかアギー公爵様に遅れをとらず、目的の場所に到着できた。

 アギー公爵様は……。
 煌びやかな衣装を纏い、指や首をジャラジャラと飾り付け、なんともけばけばしく、物々しく、悪役を演出していた。
 着付けの段階より圧倒的に装飾品を増やしてある。普段使っていない杖まで持っているが、これもまた凄まじくゴテゴテしていて、まさか役作りのためだけに誂えたのだろうか?
 頬がふっくりと膨らんでいるのは、綿でも口内に詰めているのだろう……いや、確かに小太り設定となっていたけども。

 目礼だけを済ませて、アギー公爵様の隣に進んだ。

「準備は良いな」
「はい」

 オブシズの手が離れて、彼はそのまま数歩、後方に下がり。しゃがみ込む。アギー公爵様に続いていらっしゃった、騎士姿のリヴィ様が、オブシズの横を擦り抜ける際に、小剣の模擬刀を手渡していく。
 部屋の隅から、全身を黒一色の衣装で包み、顔までもを覆い尽くした者……黒子が二名進み出て、部屋奥に垂らしてあった帷の紐を一気に引くと、そこ現れたのは、昨日のうちに用意された、あの祭壇前の風景……。
 いつの間に入室していたのか、巫女の衣装で着飾った陛下……もといクリスタ様が、祭壇横に持ち込まれた長椅子の上に寝そべっていた。
 俺を見て、ニヤリと笑う。
 失敗は許さんぞ。その時は分かっておろうな? という、脅しの顔ですよねそれ……。

「皆の者、面を上げよ!」

 高らかに宣言されたアギー公爵様。
 俺は自分に集中! と、念じて、瞳を伏せた。
 俺は何も見えない。耳だけが頼りとなる身だ。

『本日、めでたく我々の婚姻の儀を執り行えること、誠に愉快!』

 伯爵の台詞が始まった。

『姫、其方もそのような暗い顔をするな。せっかくの美貌が台無しではないか。
 媚びのひとつでもふっておかねば、後で辛くなるのは其方だぞ?』

 急に始まった寸劇に、顔を上げた会場の男性一同はほぼ、唖然と口を開いていた。
 けれど、女性陣は違う。押し殺された感嘆、歓喜、姫様っ、騎士様っ!と、声援を送る声も上がる。

 俺は、視線を床に落としたまま口を閉ざし、首を声とは逆側に向けた。
 すると伸びた手が、俺の顎をがしりと掴む。そのまま無理に引かれて、瞳の見えない姫様は、よろけ、着物の裾を踏んでその場に膝をついてしまう。

『ワシの言葉が聞こえなんだか?』
『…………私には、既に夫がおりま……』

 最後まで言い終われず、また顎を掴まれた。そしてぐいと引かれて、地を這いずるように、無理やり引き寄せられる。
 きゃあっと、女性の悲鳴。姫様の扱いに対する抗議の声。

『其奴はもう死んでおろ? とっくの昔に』
『……っ、いいえっ!』

 失ってなどいない。ちゃんと知っている。あの人の声、あの人の温もり。
 それは今日までもずっと、傍にあった。

『伯爵様……』
『おぉ巫女、なんだおったのか。ほれ、婚姻の儀を執り行いに来たぞ』

 長椅子に寝そべっていたクリスタ様が、ゆっくりと身を起こし、長椅子に座り直す。
 んーっと伸びをして、ふあぁと欠伸。まだ眠たいといった風に、長椅子の座褥クッションを抱え込む。
 長椅子前にはごく薄い紗が垂らされており、我々に陛下の姿はくっきり見えているものの、作中では少々違う。
 人影が分かる程度と書かれていて、本来は薄らと輪郭しか見えないのだ……これは、客席に分かりやすくという演出。

『あらぁ? 誰の婚姻の儀? 見たところ、ここにそのような方はいらっしゃっておられないようだけど……』

 茶目っ気たっぷり、こてんと首を傾げる巫女。
 ムッと表情を歪める伯爵。

『またお巫山戯か、巫女よ。私と姫の婚姻に決まっておろう』
『あらまぁ、親子以上に歳の離れた婚姻だなんて、ご愁傷様だこと』
『……巫女よ、今お巫山戯は後回しにしてくれるか。さっさと儀式を済ませたい』
『はいはい。分かってるわ。でももう一度、確認だけさせて頂戴』

 巫女は、長椅子の上に再度寝そべり、にっこりと微笑んだ。

『誰と、誰の婚姻ですって?』
『だから言うておろう』
『ええ、聞いたわよ? でも、それは無理だもの。だって姫も仰っていたじゃない?』

 顎を掴まれたまま引き寄せられ、苦しい態勢で停止……一番の正念場。
 数本の指先で必死に身を支えて、首を伸ばす。いや、体勢に無理がありすぎるんだって……。

 ゴクリと固唾を飲み、寸劇に釘付けとなっている女性陣。それをちんぷんかんぷんといった様子で見たり、寸劇に視線を移動させたりと、忙しない男性陣。

『私には、夫がおります。あの方が、あの方のみが、私の生涯の伴侶!』
『そうよねー。それに、その夫が死んだなんて報せ、私、受理した覚えは無いし。
 重婚を強要だなんて、伯爵様は、神をも恐れぬのね。そんな大罪を、嬉々として犯すおつもりだなんてっ!』

 まぁでも、罪なんて今更かしらぁ? と、巫女は言う。

『貴方はもう、数多の罪を重ねているものね』
『……何をぬかす?』
『私が知ってるだけで八つ。そしてもうひとつ、最も大きな罪は……その人の夫。ご本人の口が述べてくれるでしょうよ』

 巫女が手を上げ合図を送ると、舞台袖から四名の黒子が足早にやって来た。
 長椅子の四隅に陣取る黒子に、何事⁉︎ という視線が、女性陣にまで広がった。

『そうだな、私は訴えよう。私自身の命を狙った、貴方の罪! 強盗を装い、数多の商隊を襲い、私服を肥やしていたことを!』

 姫の婚姻に、唯一立ち会う立場であった文官の男。
 立ち上がったオブシズが声を上げると、また女性陣から悲鳴のような歓声が上がった。
 姫の文官として仕えていた、猫背の冴えない男……。

『其方の命を狙っただと?』
『そうとも。伯爵……この瞳を、よもや忘れてはおらぬだろう⁉︎』

 そう言うと、顔を左手で覆い、バサリと前髪を、撫で付ける。
 前髪は、サヤの椿油で湿らされており、手で撫で上げるだけで、頭上に留まるように、ちゃんと整えられていた。

 この日一番の歓声が上がった。
 オブシズの二色に滲んだ瞳を近くで見たご婦人が、言葉を失って床に崩れる。
 額にある大きな傷も、まるで誂えられたようにそこにあるが、これは作品が、彼を雛形として作られているからだ。

『まさか、生きて……っ⁉︎』

 とっさにそう口にしてしまい、慌てて口元に手をやった伯爵。

『し、知らぬっ、このような奴は! こいつこそ、姫の夫を語る偽物に違いない!』
『あらあら、そうなの。でも……そうであったとしても、貴方はもう逃げられないけれど。
 だって……私は言ったでしょう? 知っているだけで、八つの罪が、貴方にはある。私はそれを証言できる』

 巫女が手を上げると、長椅子の脇に控えていた黒子が長椅子ごと、陛下を持ち上げた。そして舞台袖に移動。
 柱の衝立の影に入ると、そこから男装のサヤが颯爽と現れて、先程まで陛下の長椅子があった場所へ足を進めた。

『私の顔も、覚えているだろう? 伯爵!』

 紗の帷を手で払い、サヤが前に姿を表す。
 実は帷の後ろにいたのは、男装したままの巫女だったのだ。
 その場面を知っている女性陣からは、千切れんばかりの拍手と歓声。
 そして、それまで伯爵を警護していた騎士二人……リヴィ様とディート殿が、持っていた模擬刀を伯爵に向け、オブシズも渡された模擬刀で、ピタリとアギー公爵様扮する、伯爵を指し示す。

『続きは、牢で聞こうか、伯爵!』
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