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アギー再び 10

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「いやはや……やればできるものだなぁ」
「こんな荒い塗りでもちゃんと離れて見たら……うん。祭壇に見える。凄いわ」

 初めてのやり方だろうに、一発描きしたクレフィリア殿が凄すぎる。

「いえあの……貴重な絵具を無駄遣いできませんから……」

 頬を絵具で汚しながらもにこやかな笑顔。
 そう言いつつもチラリ、チラリと視線がオブシズを見ているので、この人本当に草紙物語が好きなんだなと思った。
 本日も髪を下ろしたままのオブシズ。明日は前髪をぐいと持ち上げる場面があるから、そこで瞳を晒すことになるだろう。
 この方にもあの瞳を、綺麗だって……思ってもらえたら嬉しいな……。

「では皆、明日の夜会業務は他に任せ、舞台周りに専念するように。
 身嗜みに注意せよ。極力全身を黒か紺で揃え、髪も括るなりして纏めるように。
 明日朝、完成した頭巾を配る」
「畏まりました」

 ピシッと背筋を伸ばし一礼する使用人の方々。
 興奮冷めやらぬ様子だが、自らの手が大好きな物語の場面を形作るのだと、立ち昇りそうな闘志を纏い、皆が一致団結している様子だ。
 そうしてやっと、本日は解散と号令が掛かり、ゾロゾロと大広間を後にすることとなった。
「黒と紺……」「上着、誰か持っているかな?」「黒の短衣ならば確か……」などと、言葉を交わしつつ歩くうちの一人に、俺は声を掛ける。

「クレフィリア殿」

 自らが呼ばれるとは思っていなかったのだろう。びくりと驚きの表情になり、慌てて一礼。

「いや、昨日ご挨拶いただいたと伺いました。席を外しており、申し訳なかった」

 俺のその言葉で、オブシズとサヤもペコリと頭を下げる。
 クレフィリア殿の視線が、オブシズに集中……。
 昨日挨拶したの、この人だった⁉︎ と、思い出したよう。一気に顔が赤くなった。
 あぁ、昨日は知らないままでオブシズと接してたのか。
 俺も、まさかここでお会いすることになるとは思っていなかったからな……。でも、良い機会だからと、そう思ったのだ。
 一礼すると、使用人におやめ下さいと慌てた声。

「私、あの場に控えておりました。ですので状況も承知しております。
 あの……私、グラヴィスハイド様の元で女中長を務めておりまして……昨日の主の発言、まことに申し訳ございませんでした。
 普段は、あのようになさる方ではございませんの……。どうか、誤解しないでいただけたらと……」

 そう言い、躊躇もなくサヤに頭を下げるものだから、こちらの方が慌てた。
 サヤは俺の婚約者ではあるが、まだ平民だ。この方は男爵家正妻の二子と聞く。サヤより当然、身分は上。

「だっ、大丈夫です。気にしておりませんから」
「本人もこう言っておりますから、頭をお上げください。
 実は私、グラヴィスハイド様とは学舎での縁がございます。ああいう揶揄いは、慣れっこと言いますか……。
 それに……サヤの事情は、お伝えしておりませんでしたからね」
「…………まぁ!」
「? 何か、驚くことでしょうか?」
「あっ、いえ……我が主はあまり、どなたかと、深くご縁を繋ぐことを、なさらない方ですから……。
 学舎のご縁がある方だなんて、初めて伺いました……。そうですか……」

 ほっと、嬉しそうに微笑む。
 主の知人という俺の言葉に、心から喜んでおり、それが隠せず表情に現れているのだ。
 あぁ、気持ちの良い人だなと思った。
 ヘイスベルトもそうだが……あまり内面を隠すことが得意でないというか、感情と表情が、素直に直結している人なのだろう。
 貴族社会では生き辛い特性だと思うが……グラヴィスハイド様にとってはきっと、良いことだ……。

「ヘイスベルトから、貴女のことも色々とお聞きしております。
 グラヴィスハイド様つきの女中長とは伺っておりませんでしたが……成る程、それで……。
 彼を私に推薦してくださったのも、グラヴィスハイド様なのでしょう?」
「まさかあの子っ」
「いや、黙ってましたよ。でも……そういうのが得意ではないですからね、彼も」
「……も?」
「あっ……」
「……! 姉弟揃ってまことにお恥ずかしい……」
「えっ、いやっ……よ、良いことですよ⁉︎」

 揚げ足取りと思われた⁉︎

 急いで弁明すると、くすくすと笑われ、揶揄われたのだと気付く。
 クレフィリア殿は、ヘイスベルトと本質的には似ているけれど、より気が強く、はっきりした性格で、茶目っ気もある、なかなかに好印象な方だった。
 しっかり者のお姉さんといった感じ。それでいて、愛嬌もあって……。長く女中として、経験を積まれた方なのだと伺える。
 つい話が弾んでしまったのは、彼女が建前ではなく、本当に楽しそうに、言葉を交わしてくれたからだ。
 戻らない彼女を探しに来た女中に呼ばれなければ、もっと立ち話に花を咲かせてしまっていたかもしれない。

「職務の邪魔をしてしまいました……グラヴィスハイド様には私から……」
「滅相もございません。
 隠し立てができる主ではありませんから、正直に申し上げますし、あの方もきっと、お責めにはならないと思いますわ。
 ですのでお気になさらず、それでは失礼致します。ヘイスベルトを、どうか宜しくお願い致します」

 ペコリと頭を下げて、またチラッと視線が一瞬だけ、オブシズを見た。
 そして、口元を引き締めて踵を返したけれど、耳が赤くなっているのは、鮮やかな夕焼け色の髪をひっつめにしていたから、背後からも見えて……。

 ふむ……。
 あの方、耳飾とか無かったけれど……未婚だろうか。


 ◆


「姉上ですか? えぇはい。他家に嫁ぐといった話は、出てませんね」
「でも……ヘイスベルトは確か今、二十四……」
「はい。姉は二十六……この春に二十七になりますね……。あー……年齢的に本人も、家庭を持つことは諦めているといいますか……」

 言葉を濁すヘイスベルト。
 かつては恋人がいた時期もあったそうなのだが、ハマーフェルドよりも財力のある家からの打診であっさりと鞍替えされ、それ以降は仕事に生きているそう。

「うちは本当に、極貧男爵家なものですから、仕度金等の捻出もままならないという事情もあり……」
「でも、アギーでの給金とか……」
「半分以上は実家に入れていると思います。後は絵の具とかに消えていってるのじゃないかと……」
「そういえば、絵を描くのだね。びっくりしたよ。舞台の背景をたった数時間で描き上げてらっしゃった」
「…………えっ、姉上、何、してたんですかっ」
「大丈夫大丈夫、アギー公爵様も喜ばれてたよ」

 あの人描きだすと一点集中しちゃう人なんですよね……と、心配そうにヘイスベルト。
 まぁ、仲の良さは、舞台のことを真っ先に伝えに行ったヘイスベルトでよく分かっていたけれど、婚期を逃しているというのが、なんとも勿体無いと思ってしまった。

「凄く良い人だったのに……」
「はい。自慢の姉です。庶子の私にも壁を作らない……。ちょっと勝ち気でおてんばな人なんですが……」

 見た目よりは繊細で、傷付くことを怖がる面もあるんですよね……と、そんな風に言う。
 つまり、かつての恋人の仕打ちで、恋愛に臆病になってしまったのだな……。家の事情もあるからと、それで諦めてしまっているのか。
 ヘイスベルトも、そんな姉を心配しているのだろう。そわりと視線を彷徨わせて……。

「あの、後で少し……お時間を頂いても……?」
「うん、良いよ。姉上に会いに行くの?」
「あ、はい。その……朝はすっかり失念してしまいまして、土産を渡し忘れていたものですから」

 そういえばヘイスベルト、姉への手土産だと、硝子筆を購入していた。
 それに、ヘイスベルトも実家へ仕送りしていると言っていた……。それは、領地のためにというより、姉を助けるためなのかもしれない。

「最近は自分の婚姻もまだなのに、私の縁談ばかり心配していて……。
 男はどうとでもなるから、まず自分の幸せを考えてよって、言っているんですが……。
 どうもあの人、響かないんですよねぇ……」

 ……ふむ。聞いた話と領地の生産性を考えると……二人の婚姻のための仕度金は無理だから、せめて弟だけはって風に、考えてそうだな……。
 ならば、悪い話ではないかもしれない。

「あぁ……それから、もし良かったらなんだけど……セイバーンに戻る前に、どこかで姉上を、晩餐かお茶会に招待する?
 お土産を渡す時に、そのことも打診しておいてもらえたら嬉しい」
「えっ、良いんですか⁉︎」
「良いよ。本当は、もっとしっかり家族と会える時間をって思ってたんだ……でもバタバタしちゃったし、今年は夜会の開催も早かったからね。
 街に数日残るくらいの余裕はあるし、社交界後なら宿も確保できるだろうし」

 ちょっと俺にも、思うところがあるし……。
 しかしそこで、サヤから「レイシール様」と、諌めるような声が上がった。
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