上 下
865 / 1,121

アギー再び 6

しおりを挟む
「ご馳走様。じゃあ、荷物整理の続きをしてくる」
「レイシール様は、二時間後までにお支度を整えておくことも忘れないでください」
「分かってるよ……」

 領主を引き継いだ以上、夜会前の駆け引きのようなものも当然、こなさなければならなくなった。
 その諸々を受け入れ出すのが二時間後ということ。
 と、そこでマルからの指示がとんだ。

「そうそう。今回からはサヤくんもですよ」
「え……」

 それは、その駆け引きにサヤも伴うということ?

「婚姻の儀の招待状は、もう送ってしまいましたからねぇ。
 レイ様の正妻の座は、もう決定事項と周知したことになります。ですから、そっちの牽制のためにも、彼女自身を見せつけておきましょう。
 あと、サヤくんにとっても、良い経験になるでしょうから」

 今回は、同席するだけで充分ですからと付け足され、来年以降のために、場数を踏ませようとしているのだと、理解した。
 半年程度ならば、婚姻前でもそれとして挨拶を行うことも、ままあることだ。
 それに、婚姻後、急に男爵夫人として振る舞えと言われても難しいだろう。
 この前段階で交流の席に立たせ、何が行われるかを体験させておく。または、サヤの未来の姿である、男爵夫人と接する場合もあるだろうから、それを目にしておくのも参考になるだろう。と、そういうことだ。
 あとは第二夫人の打診への牽制かな。

「なので、もう遠慮なく、存分に着飾ってください。二人はその手伝いを頼みます。
 本人だけに任せてしまうと、まぁ綺麗は綺麗なんですが……地味なくらい簡素な装いになりますからねぇ」

 二人……とは、メイフェイアとセルマのこと。
 そう言われた二人も食事を急ぐことにした様子。特にセルマは、サヤを飾るという使命にやる気満々だ。この娘、ルーシーに感化されつつあるよな……。

「ルフスさん、レイシール様のお召し物は、何色にされるご予定ですか?」
「では紫で纏めます」
「畏まりましたっ。ならサヤさん……あっ、サヤ様も、準じた色合いに致しますね」

 ややこしいよな……。
 正妻として立つということは、立場も改まる。そのためサヤも、様付けで呼ばれるようになるのだ。
 彼女自身も身支度が必要となったから、従者として俺の補佐に入るのはルフスとなった。
 ハインは夕食の仕込み等、まだやることが沢山あるし。

「今回の夜会は扮装ですから、ここで目一杯、男らしくしておきましょうね」
「うん。頼む。本当、切実に……」

 ルフスの言葉に一もにもなく頷いて、まだ整理していなかった衣服の荷を開けることとなった。
 着るものを用意するついでに残りをしまい込んでいくので効率的。
 荷物の整理が終わり、身支度が整う頃には丁度二時間が経っていた。

「如何でしょう?」
「うん」

 正直、ハインに任せた時より良い気がする……。
 いや、ハインだってちゃんとそれなりにはなるのだけど、あいつは元々細かいことに頓着しないから、それ以上はないというか……。
 …………違うな、俺も同じだ。無難に纏まってるならそれで良いって思っちゃうし……言っちゃうし……二人してそれで納得するのが原因だ。

「良いと思う……」

 ギルに用意してもらった衣服を、今まで通り身に付けている。
 少し伸びてきた髪を首の後ろで括り、腰帯に領主と地方行政官長の印綬を挟み、いつもと違うとすれば、少々前髪を撫で付けている程度なのだが……。

 やはり色合わせだろうか……。

「とてもよくお似合いですよ。雄々しくも美しいです」
「…………美しいはいらないかな……」

 本日の装いは槿むくげ色の上下。これはどちらかというと渋い色味なのだけど、袖の折り返しや襟にに施された金の刺繍が、その渋さを落ち着きに変換しているような気がする。
 また、近年の流行として、上着の内側に中衣を着込んだ。これは上着とは対照的に、明るい藤色。
 着る前はどうかと思ったが、上着から覗く部分が少ないからか、派手すぎることもなく意外と馴染みが良い。
 腰帯は芥子色。刺繍の色に合わせたのだろう。
 長衣はありきたりな象牙色だったが、その柔らかさが上手く全体を纏めているように思う。

「……ルフス、詳しいね……」

 流行まで取り入れて……。
 この、上着の下に中衣を着込むというの、ここ最近のことなのだ。
 女中らが纏い始めたのが始まりとされているが…………発端は多分バート商会の、女性用制服。
 そして更に、その大元となっているのは、サヤら、女近衛の制服だろう。
 そこから男性にも取り入れられるようになり、色合わせの難易度が更に跳ね上がったと嘆きの声も多いが、装いはより華やかになった。

「領主ともなれば、そこは押さえておかなければなりませんからね」
「…………善処します」

 レイシール様は、ギルさんがご友人にいらっしゃるのですから、造作もないことでしょうにと笑われたが、違う。逆だよ。
 ああいうのがいるから、投げておけば良いという結論に達する。だから、余計に考えなくなるんだよ。

 そんなやりとりをしていたら、コンコンと扉が叩かれた。

「レイシール様、サヤ様の準備が整いました」
「あぁ、入って大丈夫だよ」

 そう声を掛けたら、ガチャリと扉が開き…………。

「……うわ」

 ついそう声が漏れたのは、サヤがあまりに、可憐だったから。

 サヤの纏っていたのは、葡萄色の上着。こちらも渋みのある色合いだから、サヤらしいといえばらしいのだけど……。
 そこに合わせてあったのは、真珠色の短衣と冴えた桃色の腰帯……サヤが自ら選ぶことは、まず無い色だった。

 その短衣の襟は、刺繍の飾り紐を首に沿わせたような、サヤの婚礼衣装を彷彿とさせられるもの。ギルめ、早速取り入れてる……。
 従来の、首に沿った襟ではなく、首をふんわりと包む、開き掛けの蕾のような襟で、なんとも華やかだ。
 その襟元にある、飾り紐の首飾りも良く合っている。簡素だけど、それが余計に可愛らしい。

 袴は、葡萄色の上布、桃色の中布、その下に更にに象牙色の刺繍を挟み、一番下が真珠色と、段差を付けて重ねてある流行最先端のもので、一番下の真珠色の布には、やはり桃色で細やかな刺繍が加えられていた。
 中心がほんの少しだけ摘まれており、色の重なりがさり気なく強調されているのも良い。凄く、可憐だ。

 桃色の腰帯は、背中側で大きく花開くように結ばれていて、サヤの背に蝶々がとまっているみたい。
 上着の内側に纏う短衣も真珠色。だが、その可憐さに対し、胸のすぐ下で腰帯を縛る形の袴であるから、胸の膨らみが強調されて凄い……ことに……っ。

「う、うわって、言われましたっ、ほら、言ったじゃないですか⁉︎」
「違います。表情見たら分かるじゃないですか。サヤさんがあまりに可愛くて声が出ちゃったやつです」
「そんなわけないでしょう⁉︎」
「ルーシーさんが太鼓判押したやつですから絶対正解です!」

 桃色、やっぱりルーシーか。

 着替えます!と、サヤが言い出して、慌てて待って! と、押し留めた。いかん、見惚れてたら脱がれてしまう。

「サヤ……凄く、凄く似合ってる。可愛い。もっとちゃんと見たいから、こっちにおいで」
「………………嘘」
「嘘じゃないよ!」
「でもこの桃色は、あまりに……派手ですし、こ、子どもっぽいですよっ」
「? 桃色は別に、子どもっぽくないと思う」

 サヤの色感覚ってたまに不思議だよな。
 別に全然子供っぽくはない。というより逆……大人っぽい……。

 部屋を出ようと、セルマと押し問答しているサヤ。脱がれては大変! それに……触れずにはいられなくて、腰に手を回した。

「あっ」

 サヤをそのまま抱き上げて、逃げられないように確保。

「お、下ろしてください……」

 腕に座らせるように高く持ち上げられ、俺を見下ろすサヤは、ほんのりと薄化粧を施していた。
 目尻に添えられた柔らかい薄紅……。
 唇が、むしゃぶりつきたくなるほどに、ふっくらとして艶めいている。
 ずいぶん長くなった黒髪は、横髪だけを下ろしてあとは結い上げられて、海渡りの蝶で纏められていた。晒されたうなじが眩しく、同じ蝶を模して作らせた耳飾が、右耳に揺れている……。

「……ルフス、俺の襟飾は花が良い。
 この蝶が、俺の園の花を好んでくれたら、嬉しいんだけどね」
「左様ですね。
 ではこちらに置いておきますから、サヤ様に付けていただいてください。
 セルマ、来客を迎える準備を進めますから、手伝ってもらえますか」
「はいっ」

 気を利かせてくれたのだろうルフスらが退室して、部屋は俺とサヤの二人きりになった。

「レイ、おろして!」
「…………ごめん、離したくない……」

 離せない。愛しい人がこんなに美しいのだもの。

 じっと見つめていたら、どんどんサヤの顔が朱に染まり、最後は居た堪れないという風に、俺の首元に纏わり付くようにして、顔を伏せてしまった。

「も、堪忍。そんなに見んといて……」
「…………」

 返事の代わりに、首元に鼻を擦り付けたら、甘い香りと共に声が溢れて、更に堪らなくなった。
 だけど、ここで今までの時間を、台無しにしてしまうわけにもいかない。あと半年と、この三年、日々数え続け、慣れた親しんだ呪文を心に呟く。

「とっても似合っているよ。本当に。
 だからどうか、もっと見せて。こっちを向いてくれないか」
「……っほんまに、おかしくない?」
「おかしいなんて……そんなこと、どうして思うの? こんなに良いのに?」
「だって鮮やかすぎるしっ。軽やかな色は、私らしくない……似合わへん」
「似合ってるってば」

 そこはルーシーの審美眼に大絶賛だよ俺は。

 長椅子に運んで下すと、ホッとしたように腕を離す。
 けれど、そのまま両腕の間に閉じ込めるように、サヤの両側から背もたれを掴んだ。
 また見つめる俺に、もー! と、抗議の声を上げるものだから……。

「……他に見せるのがもったいないくらい可愛くて、ここに閉じ込めておきたいくらいに思ってる」

 そう言ったらサヤは、「妄言がすぎる!」と、悲鳴を上げて、その唇を我慢の限界を超えた俺に、塞がれてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

距離を置きましょう? やったー喜んで! 物理的にですけど、良いですよね?

hazuki.mikado
恋愛
婚約者が私と距離を置きたいらしい。 待ってましたッ! 喜んで! なんなら物理的な距離でも良いですよ? 乗り気じゃない婚約をヒロインに押し付けて逃げる気満々の公爵令嬢は悪役令嬢でしかも転生者。  あれ? どうしてこうなった?  頑張って断罪劇から逃げたつもりだったけど、先に待ち構えていた隣りの家のお兄さんにあっさり捕まってでろでろに溺愛されちゃう中身アラサー女子のお話し。 ××× 取扱説明事項〜▲▲▲ 作者は誤字脱字変換ミスと投稿ミスを繰り返すという老眼鏡とハズキルーペが手放せない(老)人です(~ ̄³ ̄)~マジでミスをやらかしますが生暖かく見守って頂けると有り難いです(_ _)お気に入り登録や感想、動く栞、以前は無かった♡機能。そして有り難いことに動画の視聴。ついでに誤字脱字報告という皆様の愛(老人介護)がモチベアップの燃料です(人*´∀`)。*゜+ 皆様の愛を真摯に受け止めております(_ _)←多分。 9/18 HOT女性1位獲得シマシタ。応援ありがとうございますッヽ⁠(⁠*゚⁠ー゚⁠*⁠)⁠ノ

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

運命の番でも愛されなくて結構です

えみ
恋愛
30歳の誕生日を迎えた日、私は交通事故で死んでしまった。 ちょうどその日は、彼氏と最高の誕生日を迎える予定だったが…、車に轢かれる前に私が見たのは、彼氏が綺麗で若い女の子とキスしている姿だった。 今までの人生で浮気をされた回数は両手で数えるほど。男運がないと友達に言われ続けてもう30歳。 新しく生まれ変わったら、もう恋愛はしたくないと思ったけれど…、気が付いたら地下室の魔法陣の上に寝ていた。身体は死ぬ直前のまま、生まれ変わることなく、別の世界で30歳から再スタートすることになった。 と思ったら、この世界は魔法や獣人がいる世界で、「運命の番」というものもあるようで… 「運命の番」というものがあるのなら、浮気されることなく愛されると思っていた。 最後の恋愛だと思ってもう少し頑張ってみよう。 相手が誰であっても愛し愛される関係を築いていきたいと思っていた。 それなのに、まさか相手が…、年下ショタっ子王子!? これは犯罪になりませんか!? 心に傷がある臆病アラサー女子と、好きな子に素直になれないショタ王子のほのぼの恋愛ストーリー…の予定です。 難しい文章は書けませんので、頭からっぽにして読んでみてください。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

処理中です...