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夏のはじめ 2

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 その日一日の作業を終えて、拠点村に戻ってきた。
 明日は幼年院の行事が入っているから、畑の仕事は一日お休み。
 明後日から試験畑で収集した情報の分析と、来年からの方針を検討していくことになるだろう。
 あと、あの新たな事業がきちんと機能してくれているか……そろそろもう一度打ち合わせを兼ねて、訪問しておこうかな……なんて考えていたのだが。

「あ、レイシール様」

 サヤに名を呼ばれた。

「ん?」

 見ると、主筋通りの先を指差す姿。そちらに視線をやると。

「あれ……ロゼ⁉︎」

 てけてけと掛けてくる幼子の姿。茶色い二つ括りの髪がぴょこぴょこしている。間違いなくロゼだ。

「レイみつけたー!」
「ロゼ久しぶり! うわぁ、大きくなった、一年ぶりくらい⁉︎」

 急いで馬から降りて腕を広げると、胸に飛び込んできたロゼは、記憶にあるより随分と背が伸びていた。
 ぽちゃっとしていた顔の輪郭も、少し細くなって、大人びたように感じる。

「大きくなった⁉︎」
「なったなった! お姉ちゃんになっててびっくりした!」
「ムフーっ! ロゼもう六さいだからね!」

 ニシシと歯を見せて笑う姿はまだまだ幼かったけれど、自分の名前をロゼと言えるようになっていて、本当に大きくなったのを実感した。たったの一年で子供は随分と変わる。

「またホセの仕事について来たのかい?」
「うんっ」
「レイルとサナリは元気にしている?」
「うんっ」

 満面の笑みで頷いて、もう一回抱っことせがまれて、ロゼを抱き上げた。
 重さが違う。だけど、ぐりぐりと首元に頭を擦り付けてくるお馴染みの仕草は顕在。

「ははっ、ロゼ、くすぐったい」

 戯れていたら、エルランドとホセもやって来て、俺と戯れているロゼに、ホセは平謝り。そうしてロゼに、おりなさいと厳しい声。

「ロゼ……それは駄目だって言ったろう……。もうレイシール様はご領主様なんだ。お前が簡単に触れて良い方じゃないんだよ」
「……レイ、えらい人になった?」
「前から偉い人!」
「……じゃぁ、もうだっこしちゃだめ?」

 前より……物事の理解も深まっているな。
 一年前は、やりたいことをやると言う衝動だけで動いていたロゼなのに……。

「……そうだね。俺の体面というのがあるから……あまり公ではこんな風にするべきではないかな」

 そう言うと、表情を曇らせる。

「……おりる」

 ロゼを素直に下ろすと、ホセの足にまとわりつくように身を隠し、こちらを伺うみたいに顔を覗かせた。

「……ごめんなさい」

 子供の成長って、早いなぁ……。

「ロゼ、世の中には色々な決まり事がある。
 例えば俺は貴族という身分で、貴族が街を歩く時っていうのは、大抵が仕事中なんだ。
 仕事の邪魔をするのは駄目なことだろう?」

 身分の上下とかはきっと、まだ難しい。だからまずは、これを理解してもらおうと、そう話した。
 お仕事の邪魔をしてはいけない。は、ロゼにもすぐ理解できたよう。こっくりと頷く。

「だからね、また仕事が終わったら、一緒に遊ぼう」

 そう言ったら、もう遊んじゃ駄目ではないと分かったのだろう。曇ってた表情に光が差した。

「いつまでおしごと?」
「日暮れまでかな。
 エルランド、この時間にいるってことは、拠点村に泊まるんだろう?」
「はい。明日一日は、ここで休息を兼ねて過ごそうと考えております」

 皆が風呂に入りたがりまして。と、苦笑。
 身体が資本の行商は、肉体的な疲れが溜まりやすいのだろう。

「分かる。風呂って身体がほぐれる気がするんだよな」
 明日は……夕刻から風呂が混むと思うから、日中ならば堪能できると思うよ」

 まだ渋い表情のホセにごめんなと仕草で謝りつつ。
 ……ホセは、そろそろ娘にきちんと身分の差を理解させようと考えているのだと思う。
 俺も、気安いロゼの態度に甘えていた節があるから、これからはきちんと区別をつけなきゃ駄目なんだろう……。
 だけど……。

「なぁホセ、明日までは保留では駄目かな」
「ですが……」
「俺が弁えなきゃいけないのだって分かってはいるんだけど……ロゼがこうしてくれるの、俺も嬉しいんだよ……。
 心配しなくても、ロゼもちゃんと分かってくる年頃だと思う。だから……今回が最後」

 そう言うと、渋々頷いてくれた。

「ありがとう。じゃあロゼ、明日は幼年院に来るかい? 院の行事で水遊びをするんだけど」
「水遊び?」
「そう、暑くなってきたからね。ちょっとしたお祭りのようなものだよ」
「おまつり⁉︎」

 瞳を輝かせるロゼ。
 サヤに、服の予備ってあったかな? と、聞くと、余りがあったと思いますよと答えが返る。

「水合戦をするから、濡れても良い格好になるんだ。服は貸すから、遊びにおいで。朝から一日遊ぶからね」
「良いのですか?」
「ひとりくらい混じっても問題無いさ。
 朝一からまず武器作りがあって、昼から合戦。給食も付いているから、ロゼのお昼は用意しなくて大丈夫だよ。
 見学も自由にできるけど、きっと昼からの方が見応えもあると思う」

 午前中はゆっくり風呂で疲れを取ってもらおうと思い、そう言った。
 俺の言葉に、では甘えさせていただきますと、ホセを押し留めたのはエルランド。
 そして、話を切り替えるように、次の話題が提供された。

「それでレイシール様、例の件で報告がありまして、私どももお時間をいただきたいのですが」

 例の件……。

「うん。では本日の晩餐に招待しよう。受けてくれるだろうか?」
「ご相伴に預からせていただきます」
「では、支度が出来次第人をやるから。
 何人くらい来れそう?」
「五名でお邪魔させていただきます」

 ポンとロゼの頭に手を置いたエルランド。
 これはロゼも来るということなのだろう。

「分かった。ではまた後で」

 そう言うと、ペコリとお辞儀をしたエルランド。
 意味深に笑って、ロゼに帰っておめかしをするぞと誘って、踵を返した。
 よし……。

「では俺たちも戻ろうか」
「はい」

 サヤに、戻ったらすぐ調理場へ使いを出してと伝えつつ、俺たちも館に足を向けた。
 俺たちも身支度を整えないとな……。きっと正式な服装の方が、良いだろうから。


 ◆


 日が暮れてから、こちらの準備を整えて使いをやると、エルランドらがやって来た。

「お招きいただき、大変光栄に思います」
「うん。私も本日を楽しみにしていた。是非旅の話を色々聞かせておくれ」

 訪れたのは、エルランド、ホセ、ロゼ、ヘルガーという、お馴染みの顔に加えてもう一名……落ち着かなげにしている女性の姿があった。
 皆が服装を整えて来ており、俺たちも客人を招くのに失礼のない服装。サヤも、婚約者としての立ち位置であるため、女性の礼装だ。
 ぽかんとした顔で俺を見上げるロゼ。彼女も、目一杯のおしゃれをして来てくれているようで、いつも二つ括りにしてある髪が、かつてのサヤのように、馬の尻尾にされ、飾り紐が結ばれていた。

「あぁ……良く似合っているね」

 そのロゼの長めの前髪に、髪留めが添えられており……多分、急遽エルランドが買い与えたのだろうと思う。
 きっとこちらの心象を良くするための投資として、敢えて子供に身に付けさせたのだ。
 こういったところが抜け目のない商人だよねと思う。そして、細々としたその駆け引きを、面白いと感じる俺も、結構染まっているのだろう。

「貴女もよく来てくれた。村を出るのは勇気が必要だったろう?」

 そう声をかけた女性が、今回エルランドにお願いしていた件。玄武岩の輸送と共に、嗅覚師をこちらに招く算段だった。
 ペコリと頭を下げた女性は、ロゼ共々、人でありつつ、獣人並みの嗅覚を併せ持った人。ノエミの再従姉妹にあたるのだという。

「私が里に出向くことができれば良かったのだけど……ここのところ、時間を作るのが難しくてね。申し訳ない」
「領主様にご足労いただくわけには参りません。
 西の道が開通するのを待とうかとも思っていたのですが、もう暫くかかるようでしたし、彼女が決意を固めてくれましたので」

 畏った口調で話すホセに、ロゼの口が開きっぱなしだ。何事⁉︎ と、顔に書かれているものだから、笑いを堪えるのに苦労する。

「まぁ、報告は後にしよう。まずは食事を楽しんでほしい。
 長旅で色々疲れたろうから。ハイン……」
「はい」

 背後に控えていたハインに指示すると、女中らの手により晩餐が運ばれてきた。皆の前に配膳され、まずは俺が一口ずつ、それぞれを口にする。
 それを待ってサヤが「どうぞ」と一同に促し、宴の席が始まった。

「これは、去年の鹿肉の料理に似ておりますね」
「覚えていてくれたのだね。うん。あれを大きくしたようなものだよ。皆気に入ってくれていたようだったから」

 急遽、追加で作ってもらったのだ。鹿肉は無かったので、豚や山羊の肉が主となったけれど。
 ロゼが喜ぶかなと思ってこの品を選んだのだけど……当のロゼはカチコチに固まったまま……。普段と違う雰囲気に戸惑っている。
 エルランドは、敢えてロゼにこの雰囲気を味わわせようと思ったのだろうから、ここはエルランドに任せ、俺は貴族らしく振る舞うに徹した。

 ただ偉いのだと言葉で言うより、よほど効果的だったろうとは思うが……不安そうな姿が少し、可哀想にも感じる……。
 でも、ロゼの将来のためだ……。身分差を理解するのは、早い方が良いだろう。

 不安そうにソワソワと周りを見渡していたロゼであったけれど、鼻の良い彼女には、料理の香りがとても良く香っていたろうと思う。
 目の前の皿に、だんだんと意識が支配されていって、食べたそうに、メンチカツ を見た。
 小さい子には、食卓の礼儀作法は難しかったろうか……。

「ロゼちゃん、左手に肉叉、右手は小刀を持って、肉叉で肉を押さえながら切り分けるの。こんな風に」

 と……。
 ロゼの斜め向かいに座っていたサヤが、食べ方の説明を始めた。

 実際に切ってみせ、一切れを口に運ぶ。
 それを見てロゼも、見様見真似で挑戦を開始した。

「お口に入る大きさにするのが、上手に食べるコツです。……そう、上手にできてますよ」

 それに慌ててホセが礼を述べた。

「お気遣いありがとうございます」
「いえ。私もこちらの作法に慣れるまで、些か時間を必要としました。
 幼いうちは特に難しいでしょうから」

 ……サヤは始めから、きちんと綺麗な所作だったが、敢えてそういうことにしたのだろう。

「私の国は、箸を用います。
 二本の棒を片手に持って、それを使って食事を進めます」
「棒……ですか?」
「はい。汁物は、直接器に口をつけて飲みます。
 こことは全く違う作法なんですよ」

 にっこりと笑ってそういい、話の流れに気を利かせたのだろうハインが、調理場からたまにサヤが使う、箸を持ってきた。
 実際にそれを使ってみせるサヤに、エルランドらの瞳も釘付けだ。

「なんとも器用な……」
「なかなか珍しい食器でしょう?」

 その食卓の席は、箸の話題で盛り上がり、楽しいものとなった。
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