上 下
829 / 1,121

軍用馬 9

しおりを挟む
 本来馬事師というものは、優秀な種となる馬を複数頭有しているものであるという。
 その技法は門外不出。たとえ雇い主であっても、見せることはない。
 約五百年ほど前、とある人物が編み出した技とされているのだが、名前から性別、出生まで全て謎とされており、近年は、この技術を特別視したために生まれた架空の人物だと言われているそうだが、馬事師らがこの技法をどれだけ重要視しているかを窺わせる逸話として語られているそうだ。
 この技法は、貴族には盗めない。
 彼らが見極める馬の質というものは、我々には推し量れないものであるからだ。馬を使う側が良いという馬が、彼らにとって良い馬とは限らないということ。
 また、どれだけ優れた素養を持って生まれたとしても、それを育てる技術も必要で、ゆえに馬事師は、一度成功すれば三代先まで安泰だと言われている。

「つまり三代までが我慢の限界……ということですよ」

 貴族に仕える馬事師は、赤か黒を、その三代までのうちに出してこなければならない。

「彼らはその三代までに出さなければならなかった結果を、出せなったということです。
 実力不足と言えばそうなのですが、そこに結構貴族の横槍が絡むことが多くてねぇ……。
 例えば……この馬を名馬に育てろ! と、自分の好みの馬を優先した命令を押し付けてくるとか。
 白馬の馬格赤が欲しい! 作れ! とかですね。
 まぁその期待に応えてこその馬事師とも言えるのですが」

 そう、知識を披露するマル。
 サヤは、何やら思案顔。

「調教技術……名馬の作り方……」
「何か気になることでも?」

 そう問われ、いえ……と、少し考えてから……。

「それで結局、契約は結べることになったのですか?」

 俺に向かいそう問いかけてきたから、俺は首を横に振った。

「それがまた保留。あまりに胡散臭かったみたいでさ……」

 らちがあかないから、ヴーヴェが動いた。

「彼らがこの契約のなんたるかをきっちりと理解するまで、私が責任を持って伝えさせていただきます。
 また、要望等も聞き出し、纏めますので、数日を預けていただけますでしょうか」

 というわけで、現在彼とリタが、仮小屋で契約説明を続けている。
 それを聞いたマルが、呆れたとばかりに書いていた書類を放り投げてしまった。やめろ、もしかして書き損じたのか? なら散らかさず、失敗書類の箱に、速やかに入れてくれ。

「彼ら、流民をしてるくらいですから、種となる馬も全て失っている上に、生活資金だって枯渇してるんでしょう?
 こうでもしなきゃ、種を買い集めることも無理でしょうに」
「種を買い集めさせるための方便だと考えているのかもしれませんね。
 良い馬が分かれば、もう用無しだと……」

 ハインが添えた一言で、皆が溜息を吐いた。
 疑いだしたらキリがない……人は悪く見ようと思えばいくらだって悪く見ることができるのだから。
 けれど、彼らがそう疑ってしまうのは、俺が貴族だからなのだ。

「この人疑ってもしょうがないと思うんですけどねええぇぇ」
「……貴族で痛い目を見た人は慎重にならざるを得ないですよ……彼らを責めるのも可哀想です」
「でも理想の契約者だと思いますけどねぇ。流民扱いして買い叩けば良いのに、正式契約ですよ? 契約金まで出してくれるって、種馬を買う資金を担保無し貸し付けてくれたようなものじゃないですか。
 しかもそれ、彼らの負担にならないよう、考えてこの形にしてあるのだってことくらい、契約内容を見れば分かるでしょう! 更に牧場まで、自分たちの希望通り作ってくれて! これが破格の待遇じゃなければなんだっていうんです⁉︎」
「だから怪しいンだろ……」
「これだけ資金を投入して騙す方が手間ですよ! 種馬如きで賄える金額なもんですか。むしろ大赤字じゃないですか!
 だいたい、そこの見極めをしないから騙されることになるんですよ。そんなの自業自得でしょう⁉︎」

 マルほど頭が回るならば、それを瞬時に判断できるんだろうけどね……。
 あいにく彼らは、読み書きも覚束ない状況だった。
 馬事師は技術を言葉や文字で残さない。身体に染みつけた習慣として残すとのことで、これも技が盗まれないための対策なのだろう。が……読み書きができないのは、貴族が彼らに、それを覚えさせないようにしていた可能性もある。
 北の地で学があるということは、必ずしも良いことではない。見なくて良いものが、見えてしまう場合もあるのだ……。

「とにかく、ヴーヴェが請け負ってくれたから、彼に任せるよ」

 色良い返事が聞けることを願う。願わずにはいられない……。
 種馬を失い、このままでは馬事師としてやっていくことは不可能になってしまった彼らだが、やり直す機会の一度くらい、恵まれたって良いと思う。

「まぁ、じゃあ数日空きましたからね。
 今なら良いですよ。好きに休みを挟んでいただいて」
「そう? じゃあ明日。サヤも大丈夫かな」
「はいはい、どうぞどうぞ。待っててもしょうがありませんもんね。いってらっしゃい」

「あら、どこに行くの?」

 基本的な書類の写しを練習していたクララが顔を上げ俺を見る。
 そうするとマルが。

「何って決まってるじゃありませんか。いちゃつかせてあげてくださいよ。この二人、滅多にその時間取れないんですから」
「あぁ、逢瀬ね。あらあらご馳走様だこと」
「マル、言い方!」

 そんなふうに言ったらサヤが無駄に意識してまた距離が開くんだよ!

 耳まで赤くして机に突っ伏してしまったサヤをクララはニヤニヤ笑って更に突く。「貴女最近どうなのよ。ちょっとは進展してるの?」といった具合で。
 進展するわけないだろうが! 俺たちは成人するまでそういうことしないって、知ってるでしょう⁉︎

「では明日一日、お二人は休日としましょう。
 サヤ、明日中に済ませておかなければならないものだけ優先して、今日は進めてください。
 それからクララ、無駄口叩く暇があるならば手を動かしなさい」

 遅いですよ。と、ハイン。
 だが実際、クララが一枚の書類を仕上げる間に、ハインは三枚仕上げ、更に予定の調整を行なっているのだから文句も言えない。
 隣でセルマもクララと同じくらいの速度でもたもたと書類写しを進めていて、メイフェイアは席を外している。

「……ここ、どれだけ秘匿権申請書類書くつもりよ……」
「何枚あっても困りませんから、どんどん作ってください」

 これって本当に従者の仕事なの? と、呟くクララに、本来は文官の仕事ですよとハイン。そう言われればやるしかない。

「お茶の時間までに十枚は仕上げていただかないと」
「……あんた結構鬼だわね」
「サヤは初めから、余裕で終わらせてましたよ」
「っ、やってやるわよ!」

 負けず嫌いに喧嘩を売るの、ハインはお手のものだもんな……。
 結構良い具合にやってるじゃないかと見守りつつ、俺はマルに「黒の馬格の馬って、今現存するの?」と、聞いてみた。正直聞いたことがないのだ。

「ここ近年で言いますと、八十年程黒は生まれていません。
 赤は二、三年に一度は現れています…………ていうかですね、黒は別格すぎなんですよ。
 その馬格という基準ができた当初は黒が立て続けに出てますけど、あれも怪しいと思いますけどねぇ。当時の馬の質を考えたら、赤だって黒だと言ってそうです。
 実際、きちんと記録が残されるようになってから、正しく黒に分類された名馬なんて十頭程度。同じ時代に二頭いたと言う話は聞きません。そんなにポンポン生まれるものじゃないんだと思いますよ。
 そもそも、馬格という格付けができたのも五百年ほど前で、それまでの名馬と言われる馬が、どの基準で名馬と呼ばれていたかなんて誰にも分からないんです。黒だったと言われている馬も、黒であったとは限りません」
「赤でも充分な名馬ですけどね。
 俺は雇われ先で赤の馬を見たことがありますが、体格といい、風格といい……別格でしたよ。あれより凄い馬なんて想像できません」

 感嘆の溜息を吐いてオブシズは言った。
 元傭兵の彼にとって、馬は大切な相棒なのだ。名馬への憧れは強いのだろう。

「傭兵団の馬も基本は青?」
「ですね。隊長格や、斥候役は白を預かる場合もありますよ」
「ヴァーリンには赤、いそうだよな……」
「片手で数えられる程度ですね。やはり一番多いのはオゼロか、アギーだと思いますよ」

 うちは文官家系ですからとクロード。
 ヴァーリンが文官家系という言葉には語弊を感じるんだけどなぁ……。

 馬談義に花を咲かせていたら、ハインに目をつけられてしまった。

「レイシール様っ。明日休みたいと言うならば、喋ってないで手を動かしてください!」
「はいはい……」
「はいは一度で結構です」

 俺にもハインは容赦ない……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

(完)私を捨てるですって? ウィンザー候爵家を立て直したのは私ですよ?

青空一夏
恋愛
私はエリザベート・ウィンザー侯爵夫人。愛する夫の事業が失敗して意気消沈している夫を支える為に奮闘したわ。 私は実は転生者。だから、前世の実家での知識をもとに頑張ってみたの。お陰で儲かる事業に立て直すことができた。 ところが夫は私に言ったわ。 「君の役目は終わったよ」って。 私は・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風ですが、日本と同じような食材あり。調味料も日本とほぼ似ているようなものあり。コメディのゆるふわ設定。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。 お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。 これからどうやって暮らしていけばいいのか…… 子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに…… そして………

処理中です...