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オゼロ官邸 3

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 まず動いたのはオブシズだった。
 長椅子を跨ぎ越し、俺の前に身を割り込ませて、腰の小剣に手を掛け、止まる。
 背後で動いた気配はジェイドだろうか。
 サヤも警戒を強くし、身を沈めて直ぐにでも踏み出せるように態勢を整えた。
 けれど、殺気を纏い、今にも剣を抜きそうな歴戦の猛者、オブシズの本気を前にしても、エルピディオ様は涼しげ。
 それは周りに数多く発生した、こちら向きの殺気が、桁違いの数だからだろう。

 正直、首元に抜身の刃を突きつけられた心地に、恐怖を抱かなかったといえば、嘘になる。
 エルピディオ様が俺を排除すると決定を下せば、皆の命が消える。
 抵抗したところで、切り抜けられる可能性は限りなく低いだろう。
 それだけ、力の差が歴然なのを、肌で感じる。
 だけど……。

 エルピディオ様はまだ本気ではない。
 これはあくまで、こちらの反応を見るための一手だ。
 だから、反応を返せ。彼の方が見たいのは俺の反応だ。
 俺から何かを探りたい。
 言葉を繋ぐ間に、エルピディオ様の探る何かを、俺も探れ。それしか皆が生きて帰る道は無いだろう。

「利よりも害を除く……。
 それはまさしく、現状の秘匿権の形、そのものですね」

 混乱し、暴れそうになる思考の手綱を必死で握り、乾いた唇を舐めて、言葉を絞り出した。

「ですがそれは私にとって、先細りの道なのです」
「ほう……。先細りの道とは?」

 エルピディオ様より、隣のダウィート殿の方が、緊張している。
 いや、違うな……混乱だ。
 きっとダウィート殿としても、予想外の状況なんだ。

「近い未来、オゼロの金の卵も、失われるだろうということです」

 俺の言葉に、周りの殺気がより高まった。
 肌を破って心臓に達しそうな、強い怒り……。だけどこれは、エルピディオ様のものではない。

「そうなってきているはずです。この二千年のうちに、少しずつ。
 時が経てば経つだけ、掬った水が手の隙間から溢れていくように。
 ただ守るだけでは、失われていく。守っているつもりで、削り、磨耗していることから、目を背けているだけだ。
 俺が歩いていたのも、そんな道でした」

 駄目だ。意識が、集中が保てない。
 サヤが危険だ。守らなければならないのに、彼女だけはなんとしても、逃さなければいけないのに。
 そのために言葉を紡がなければ。見つけ出さなければ。エルピディオ様の、探すものを。

「いつか朽ちるまで、その時間を無闇に、過ごすだけ……。
 今が、そうであるはずです。
 オゼロは、何度もそれを覆そうとしてきたことでしょう。けれど、そのための道が見えなかった。進むべき方向が。
 それは、きっと今のままでは、変わりません。朽ちるまで」

 俺の断言に、ダウィート殿が顔色を変える。
 エルピディオ様は、それでも黙って俺を見ていた。

「それが、利よりも害を除くことを、選んできた結果です!」

 そう叫ぶと、エルピディオ様がスッと、手を挙げた。
 待て。
 その動作で殺気が緩む。

「続きを聞こう。
 其方には、違う道が見えていると聞こえるが……其方はオゼロの何を知っているというのかな?」

 少なくとも興味は引けたようだ。
 その言葉に、握っていた拳を開いて、汗を細袴に擦りつけて拭った。
 落ち着け。時間は得た。エルピディオ様は、この話を聞く気がある。何を選ぶべきだ。どこまでを口にしても許される?

「……オゼロが……進むべき道を、見出せないのは……。
 過去の礎を、失っているからです」

 残滓、傾倒、血の柵、息の長い……策略?
 利よりも害を除く……。影を、操る……。

「意味が分からんな。もっと具体的に述べてくれないか」

 核心に触れるのを避け、当たり障りない言葉を選んだことが、指摘されてしまった。
 瞳にも不満の色が強くなる。
 だけどこれは、確証を持っていることではなく、あくまで推測……。本当にオゼロが目指しているものかどうかが、分からない。

 でも、次に誤魔化せば見限られるかもしれない。

 俺が思わせぶりに言っているだけで、利にならないとなれば……利よりも害が大きいとなれば……。
 いや、余計なことは考えるな。正しいことを選ぶんじゃない。エルピディオ様の探っているものを探る、時間稼ぎなんだ、これは。
 ダウィート殿は反応した。だから、オゼロが足掻き、進むべき方向を見失っているというのは、当たりだ。
 この方向で口を動かせ。頭を回せ。それと同時に、エルピディオ様の言葉を吟味するんだ。

「二千年前の大災厄。ここはあくまで、通過点なんです。
 本当に知るべきは、もっと前。三千年、もしくは四千年の過去。その時の人々が刻んできた道筋。
 今残る遺跡の形。そこに至った過程です。
 だけど我々には、手掛かりが無い。二千年前の知識すら、塵になろうとしている。
 だからオゼロは、全てが塵と化す前に、金の卵が、金の卵たり得た形のことわりを、見つけ出したいと、足掻いてきた」

 其方は、自ら選択しておるようだ……。
 無いようで、有る。有るようで、無い……。
 俺は、影を操る……。

「けれどもう、やり残したことが見つからない……。なのに、得られない。失うばかりで、朽ちていくばかりで。
 その焦燥は、人を絶望に向かわせます。
 無気力になるならばまだ良い。
 まだ踏み入っていない場所を探し、踏み込んではいけない場所……禁忌にも手を伸ばそうとし始める……」

 俺の言葉に、顔色を失っていくのはダウィート殿だった。
 エルピディオ様は、ただ俺の吐く言葉から、俺の核心を探ろうとしている。

「でも行き詰まっているのは、立ち位置を変えないからです。
 同じ場所からでは、同じ風景しか見えません」
「ほう。では違う風景とやらは、どこからならば見えるのかな?」

 違う風景を、見る方法は…………。

 残滓、傾倒、血の柵、息の長い策略……
 利よりも害を除く……。影を、操る……。
 其方は、自ら選択しておるようだ……。
 無いようで、有る。有るようで、無い……。
 俺は、影を操る……。

 エルピディオ様から見た俺の姿は……。

「もう、追わないことです。
 金の卵は、失われるものだ。それを受け入れる。そこにしがみ付かない。
 そうではなく……」

 オゼロが利よりも害を除くことを優先したのは、大災厄を恐れたから?
 大災厄は、都を砕いた。それにより人は、滅びの寸前まで数を減らした。
 生き残るために獣人と交わり、獣人もまた、血に潜って数を減らした。
 多分、滅びは同時ではなかった。獣人は元々、原始的な狩猟を主とした生活を送っていたから、常に楽観的で、今を生きていたから、彼らは絶望していなかった。
 血に潜ってしまったことで、数を減らしたかに見えたんだ。

 ……ん……潜る?

「…………やはりどうも違うな……」

 エルピディオ様の、独り言……。

 何と・・

 そこで何故か、兄上が思考を過った。
 何が違った。俺と、兄上は。

 あ…………、もしか、して?

「…………俺の影は、ジェスルの影ではありません」

 ついポロリと口から溢れた言葉に、エルピディオ様ばかりか、ダウィート殿も反応した。
 息を詰め、瞳が見開かれ、つい腰を浮かせる。
 あぁ、そうか。そうだな……セイバーンは、ジェスルが巣食っていた地なのだ。
 外から見れば、俺もその中に浸っていた身だと見える。
 俺が多くの秘匿権を有していることを、知っていたエルピディオ様は、俺のことを当然、調べていた。
 影を使って。
 なのに、俺が探れない。情報が制限されていることは、きっと肌で感じ、分かっていたのだろう。
 だから、ジェスルが動いていると、思ったのだ。

 ジェスルは埋伏の虫を潜ませる。
 ジェスルとの縁を切ったとみせたセイバーンも、ジェスルの血が潜っただけに見えたのだ。

「俺の影は、ジェスルではない。
 彼らには、父上をジェスルから取り戻すため、力を借りました。
 セイバーンは、セイバーンの意思を、取り戻しています」
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