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「お伝えしておりました通り、木炭の製造量を倍量近くに増やすとなると、やはり値上げは致し方ないこととなります」
「何故ですか。今年はやむなし……と言うならば分かります。今後もということが、こちらは納得がいかない」

 交渉は淡々と始まった。
 お茶を楽しみ、人心地ついたらダウィート殿は、直ぐに気持ちを切り替えたよう。

「オゼロからこちらまでの送料が嵩むことが大きな理由のひとつになります。
 今回我々がこちらに寄らせてもらう際、輸送経路を辿らせていただいたのですが、街道幅の狭い場所も多く、一度に多くを運びにくい。
 そのためどうしても輸送本数を増やすことになります」
「それはセイバーン領内でのお話ですか?」
「いえ、セイバーンまではヴェルテ経由で輸送を行なっておりますので、セイバーンに限らず、その道中のお話となりますね。ヴェルテの求め以上をセイバーンが必要とするならば当然、ヴェルテの関与しない輸送に関しての費用は、セイバーン持ちとなりますので」

 普通に考えれば、オゼロから離れた領地は送料が嵩むことになる。
 しかし、それで料金が跳ね上がっていては、地方に行くほど燃料費が高騰してしまい、民の生活を圧迫しかねない。
 そのため、送料は国全体で計算され、分割がされている。纏めて運べるところは纏めてしまい、輸送の途中、立ち入る領地に荷を下ろして行く形となっており、量もその便の本数で割られている。
 今まで、セイバーンが求めていた石炭の量が、今年からほぼ倍となり、荷の量を倍にできるほど積載量に余裕が無かった。
 だから、今年はどうしても送料が嵩む。というならば、納得できるのだが……。

「ヴェルテの便が増えたわけではありませんのに、木炭だけ倍になるのです。致し方ないとご理解いただきたい」

 それは分かるが……ならばヴェルテを経由する便に拘る必要は、全く無いよな。

「でしたら追加分はアギー経由に経路を変更することをご提案します。距離とてさほど変わりはありませんし、あちらの木炭量は我々の比ではないのでしょう?    送路もきちんと整備されているはず。それならば本数を増やして対応する必要はないでしょう?
 セイバーンとアギーは交易路を設ける予定が進んでおりますし、そちらの開通が二年内と考えられております。
 現在は交易路資材の運送も頻繁に行なっているので、安全性も確保しやすいかと。
 それに今後、セイバーンの木炭使用量は増量こそあれ減量となることは当面見込めませんから、交易路の通行税が経費に加わることを考えても、こちらの方が妥当」
「減量は無い。その保証などございませんでしょう?    そうおっしゃるならば根拠を示していただきたいのですが」
「こちらが現在の職人収容率、在籍数。それと、無償開示品の習得を目指し来村されている方の人数。無償開示から、開示品の習得に多くの職人がこちらに来られております。これが根拠ですね。指導者の人数的に数を、捌くためにも木炭が必要なのです。
 一度に多くを指導し、早く習得していただきたいのです。でなければ回りません。フェルドナレン中の職人を受け入れられる場所が、まだここしかございませんから」
「そちらを広げるということは?    それこそ王都や我がオゼロに支部を設けていただければ、セイバーンのみに木炭を大量輸送する必要はない」
「無理です。まず職人が増えぬことには。
 無償開示したとはいえ元は秘匿権所持品ですよ。作れる人数が限られるのは当然でしょう」

 ……セイバーン……もとい、俺が発言力をつけることを牽制してきている気がするな……。

 交渉を始めて数時間。相手の目的はどうやら秘匿権無償開示に対する牽制だけではないようだということが、徐々に理解できてきた。
 木炭製造における人件費、材料費、そして運搬費用に至るまで問題があると述べていらっしゃるが、セイバーンに職人が集まることを懸念している節が、会話の中にちらほらと見えていたから。
 思えば、任命式の前からその節はあった。俺が他の長らと交流を深めることを、阻害してきていたものな……。
 けれどそうする理由。そして交渉にこのダウィート殿を出してきた理由が、まだ見えない。
 彼はとても冷静で、頭ごなしな対応を見せることは無かった。常に淡々と、理に適う内容のみを口にする。
 また、細かな数字に煩かった。何事にも根拠。細やかなことでも追求してくる。こちらも適当なことは口にできない。マルの用意してくれていた資料が、大変役に立ってくれている。
 とはいえ、気は抜けない……集中。今は。

「ふむ……職人が増えぬことには……ですか。
 では、将来的には考えていると?」
「無論です。たったふた品の秘匿権無償開示だけでこれだけの職人が集まるのです。今後無償開示が増えれば、この村だけで指導を行うなど無理でしょう。
 それは私も重々承知。ですが、まずは職人の質を維持することが最重要。
 オゼロ公爵様も懸念されていた通り、中途半端な技術を垂れ流すなどあってはならないのです。それでは国民の生活向上、国力の底上げにはならない。
 それだけでなく、現段階では、この村での指導を徹底しなければならない理由がもうひとつあります。
 ただ職人を増やしても、支部を広げることは不可能。できるとしても、現状では十年ほど先となるかと」

 考えてはいるが、当面は無いよと示すと、ダウィート殿は瞳を伏せ、思案を巡らし始めた。
 けれど、何故十年は先と示したかの理由には、思い至らなかったよう。

「申し訳ない。何故十年は無理という試算になるのでしょう。
 今の頻度で職人を増やせば、各都市ごとに一人指導者を置くくらいのことは容易にできるはず……」
「品質の維持を考えずとも良いならば、そうですね。
 ですが、理由を述べるには、まずブンカケンの運営体制からお伝えせねばならないのですが、よろしいでしょうか」
「大変興味深いです。是非お聞かせ願いたい」

 そういうのは結構。……とは、ならないんだよな、この人……。
 なんとなく情報に対する貪欲さがマルを彷彿とさせられるというか……。
 交渉ごと以外の話が増えてしまって少々厄介だけれど、ここを蔑ろにして信用に欠けると思われては本末転倒だ。
 だから正直に、質問に答えるしかなかった。

 ダウィート殿は、文官というより、学者肌の人である様子。
 ただ交渉を任されている人という印象ではない。だが、ならばこの人はオゼロの何か……という部分も分からない。
 家名は捨てているのか名乗られなかったしな……。家名を捨てる……しがらみを捨てる……その上で貴族社会に留まるというのは、貴族にとって生半可なことではない。
 マルがいてくれれば、名前や容姿からある程度情報が絞れたかもしれないのに……。

「秘匿権品は無償開示となっても、その品を指導し、製造許可を出せるのはブンカケン所属職人のみに絞っています。
 
 それは、今無償開示している品が、そのままではない可能性が高いというのがまずひとつ」
「…………そのままではない?」
「改良し、より良いものにしていく可能性がありますから。例えばこの硝子筆であれば、筆先のみを取り替えできないか、今色々と試作中です」
「……なんと…………それを口にしても良いのですか?」
「もう無償開示し、国で管理する秘匿権です。他に奪われることもないでしょう。
 それに、形はある程度見えてきていますので、改良に何十年と掛かることはない……来年か、再来年には出せると思います」
「………………無償開示した品……と、いうことは、新たな硝子筆として提案するのではなく、亜種として出すのですね……。それによる利益は考えないのですか?」
「利益よりも、優先したい目的がありますので。
 この硝子筆に関しては、そちらを優先することにしています」

 そう言うと、ダウィート殿は暫く沈黙。手元の書類に何かを書き記した。
 その間に、ちらりと視線をやった先はサヤ……。
 そうしてまた、続けてくださいと俺を促す。
 俺は、分からないように息を吐き、乱れそうになる意識の手綱を、今一度握り直した。

「……今最善とされている形でも、今後変更がある可能性がある。不備が出る可能性もね。
 だから我々は、誰がどの製品を習得し、指導しているかを把握しておきたい。何かしら変更点が出た場合、指導者全員に知らせが届く体制を維持したいのです」
「…………ですがそれでは、十年後ならば支部を広げられるとする根拠が分かりません」
「…………根拠」
「ええ、根拠。十年後は出来る。その可能性があるのでしょう?」

 ダウィート殿との交渉を続けながら、頭は情報整理に半分使い、更にレイモンドの動きにも視線を配る。
 広の視点を使えるようになっていて本当に良かったと思う。ただまぁ……とても疲れるから、集中を維持するのが大変だ。

 サヤは、交渉が始まった直後から、後方で我々の話し合いを纏めている。
 ……ふりだけど。
 話し合いの内容を覚え書きにしているふりをして、後方での会話を拾ってもらっていた。
 ダウィート殿に付き従ってきているお二人も、覚え書きを取りつつたまに会話をする。
 それを聞き取れる限り、拾ってもらっているのだ。

「根拠は…………識字率です。先程の、硝子筆にも関連することなのですが……。
 現在ブンカケン所属の職人の識字率は、まだ低い……。
 全員に文字を覚えてもらうか、もしくは読み書き計算を習得した職人を弟子に置いてもらうかしなければ、通達が行き渡りませんでしょう?」
「…………………………識字率」
「遠方に支部を置くなら絶対に必要です。新たに更新された情報を、必ず伝える術なしに、質の維持は不可能。
 ですから、我々は硝子筆の秘匿権無償開示を最優先にしましたし、これからもここに収益を求めるつもりは無い。つまり、我が国の識字率を上げていくためにです。
 私は現在の木筆の使用量。これの八割以上をこの硝子筆に置き換えたいと考えています。そのためにも木炭の値上げは困る。
 今の硝子筆は銀貨五枚が最低価格。これをせめて、二枚までに留めたい。そうすれば、この国の識字率は自然と上がる。記録を残すことが当たり前となれば、様々な品の品質だって変わっていくと考えています」
「………………貴方の話は飛躍しすぎます……」
「そうでしょうか?    世の中、全ては繋がっています。
 麻袋に土を詰めたものがフェルドナレンの礎となるように、硝子の筆が国民の生活を変える。それは決して絵空事ではない」

 本当は、交渉だけに集中したいんだがな……。

 ダウィート殿と、レイモンドの視線。俺に向くそれが、品定めをするかのように、たまにサヤ、シザーへと移り変わる。
 それが俺の精神力を削いでくる……。

 ダウィート殿は、表情に乏しいせいで、感情の機微が読み取りにくい。だからいつも以上に集中を必要とする相手だった。
 それに加えてレイモンドは、数多の女性を陵辱している。子爵家当主という立場を利用してだ。
 商家に対し、かなり横暴な所業も行っている。
 だからその視線が、サヤを標的にするのではという懸念……。
 それが俺の精神を削ぐ。
 けれど、どんな情報も余さず拾っておきたい。ジェスルが絡むかもしれないなら、尚のこと。
 何よりサヤがそれを望んだ。使うべき者は使うべきと、主張した。

 オゼロやジェスルの目的がまだ見えない今は、とにかく情報を得るしかない。

「我々は、ただ識字率が自然と上がることを願っているわけではありません。
 十年後と言ったのは、それまでに我々の望む職人が育っている。その確信があるからです。
 現在この村は、雨季明けから運営を開始する幼年院を備えております。
 この村の子供たちに、読み書きと計算を覚えさせる。それが十年後の根拠。
 彼らが育ち職人となる頃には、皆が文字を理解し、計算能力を身に付けた職人に育っているでしょう。
 それと同時に幼き頃から、我々の目指すものを伝えてゆきます。
 品質の維持が何故重要か。ブンカケンに所属した者が担う責任とは何か。そういったものを骨の髄にまで浸透させる。
 一年二年で適当なことはできません。確実に結果を得るための十年。
 我々は、ただ現在だけを見ていたのでは駄目だと考えています。十年先のための今。そして十年先が、百年先のための布石でなければ」
「そのために……わざわざ庶民を学ばせる場を、運営するのですか?」
「目的はそれだけではないですが。
 秘匿権に関わる仕事が多い以上、秘密の保持も必要ですし、雑務も多い。女性の働き手も求められるので、女性の働きやすい環境を得る模索をした結果、こうなりました。
 また、流民の保護も目的に含まれており、そのためこの村は母子家庭が多いのです。母親一人の状態で、子の面倒を見つつ働くのは容易ではありませ……」
「へぇ、崇高なことだ。でも貴殿、孤児まで漁っていたという噂があるが、じゃあそれは何のために?」

 急に割り込んだ声に、集中が乱された。
 今までの時間、交渉は全てダウィート殿に任されていたというのに、レイモンドの介入。

 ……孤児に触れないよう、話題を選んでいたこと、気付かれたか?

 そう思ったものの、指摘を放置しておくわけにもいかない。

「何のお話でしょう?    漁った覚えなどありませんが」
「アギーの友人が言ってましたがね。孤児らを馬車に押し込めて連れ去ったのを目撃した……と」

 それはまさか……あの窃盗団の子らのことか?
 アギーの友人……という言い方がとても意味ありげで気持ち悪かった。敢えてブリッジスを匂わせてきたのかな。
 そう思ったものの、そこを確認するわけにもいかない。とりあえず状況に誤解がないよう説明することに。

「その友人殿、酷い勘違いをされているようです。
 先程申しました通り、我々は事業の一環に、アギーに集う流民の救済と雇用を含めております。
 男性の働き手を持つ家庭は、交易路計画の雇用で収入を得られる。
 けれど、孤児や母子家庭は、あの現場で職を見つけることは難しい。だからこの拠点村に招き入れました。
 孤児らはこの村に設けてあります孤児院におりますよ。神殿の許可も得ております」
「左様ですか」

 あっさりと矛を下ろすレイモンド。
 けれど、その嘲りを含んだ表情がしゃくに触り、心に嫌な負荷をかけてくる。
 しかし俺の視線は、ダウィート殿から謝罪が入ったことで向かう先の修正を余儀なくされた。

「部下が失礼。その話、上からは聞き及んでおりませんでした。
 流民救済……そのようなことまで含めていらっしゃるとは」
「……セイバーンはアギーと隣接しておりますし、施設の有無や距離的な問題もありますから、他の地での交易路計画には含めていないのです。
 そのため、交易路計画としてでなく、私の研究所を兼ねた、この拠点村での事業としています」

 その言葉でダウィート殿は熟考に入った。
 ただ何を考えていらっしゃるのかはとんと読めない……。表情が乏しい人はやりにくいな……。
 しかし、さして間を開けぬうちに、トントンと訪を告げる音。

「どうした」
「お時間です」
「もうそんな時間か……。
 ダウィート殿。本日はここまでと致しませんか。田舎の郷土料理となりますが、晩餐をご用意いたしました。
 続きはまた明日、お時間を頂ければと……」
「あぁ、そうですね。私も少し聞いたお話を纏め直す時間を頂きたい。
 ふむ……なかなかに興味深い。思っていた以上に複雑です」
「まずお部屋へご案内致します。荷はもう運び込んでございます。
 晩餐のお時間ですが、如何致しましょう。しばしお部屋でおくつろぎになりますか?」
「では身支度を整えたく思うので、半時間ほどお時間をいただけますかな」

 ハインとやりとりするダウィート殿。その間に、会合中の覚書きや資料をまとめていく部下ふたり。
 部屋を出ていく三人を見送っていたら、最後に部屋を出るレイモンドが、俺に意味ありげな視線を向けてきた。そうして口角を引き上げる……。

 扉が閉まると同時に、俺は膝の力が抜けるまま、床に崩れた。
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