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閑話 夫婦 12

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暫くただ必死で、抱きしめていた。
 時間がどれだけ過ぎたか分からなかったけれど、今はそうすることしかできなかった。
 唸り、泣いていたサヤは、そのうち泣き疲れてしまったらしい。
 先程腕の中で身体を強張らせたまま、夢の中に落ちてしまった。

「………………」

 どうすれば、良いんだろうな……。
 どうすれば彼女を楽にしてやれるんだろう……。サヤの言う通り、別に妻を娶って子を成せば良いのだろうか……。
 身を犠牲にする覚悟で、サヤは俺に試せと言った。恐怖に震え、涙を零しながらも抵抗しなかった。
 なら俺も、どれだけ嫌悪感があろうと、望まないことであろうと、血を残すための責務なのだと割り切って、二人目の妻を受け入れるべきなのか……?
 そうすれば、サヤを手放さずに、すむのだろうか?

「その方が、サヤは楽になれるの?」

 でもそれは、どうしても、選びたくない……。
 愛せない相手と、愛せないのを承知で行為に及ぶなど、責務だと割り切るなど、絶対にできない。

「授かったって……サヤとじゃなければ意味がない……」

 だから、サヤを手に入れたい。繋がりたいって思ってる。でも……。
 それだって、サヤの気持ちが伴わなければ、意味がないのだと、今回痛感した。
 ただ役割のためとして身体を繋げ、胤を植え付ける。そんな風には、したくない。
 その結果が、サヤとの別離となるなら、尚のこと、認められなかった。

「……俺も思ってたよ。サヤは絶対に、良い母親になるんだろうって。
 サヤの世界に帰してやれたなら、サヤは全部得られるのにって。
 だけど、もうそれは、できたとしたって、許さない……」

 できないと分かってる。でもできたとしても、もう許さない……。

「俺の隣にいて。
 サヤの世界に帰らないで。
 他の全部を失わせると分かっていても、俺のものにしたい。
 サヤでなければ、俺は幸せになんて、なれないんだよ……」

 眠ってしまったサヤには届かない言葉。
 利己的すぎて、口にできない独占欲。
 でも結局、これが俺の本音だ。
 俺はサヤが思っているほどできた人間じゃない。結構我儘で、身勝手なんだ。

 元々俺は、成人さえすれば、貴族という肩書きを、捨てるつもりだった。
 それどころか、彼女が現れなければ、血も責任も友も……全て投げ捨てて、来世へ旅立っていたかもしれない。
 俺はサヤが思うほど、崇高な人間じゃない……。

「サヤと一緒にいるために、大切にしているんだよ……。
 誰かを悲しませることになったって、サヤを優先したいんだ……」

 サヤが大切にしてくれるから、俺もそうしてる。
 サヤがそれを喜んでくれるから、そうしているんだ。
 俺の世界が色付いて、輝いているのは、大切にしたいと思えるのは、全部サヤがいるからこそなのに……。

 パキ……と、小枝の折れる音が響いた。

 音のした方に視線をやると、俺たちの通ってきた木々の間から、ローシェンナがこちらを見ていた。
 多分わざと音を立てたのだろう。ここにいることを、俺に知らせるために……。

「盛大にやりあったもんねぇ」

 開口一番にそう言われ、やっぱり見られてたのかと思う……。
 いくらなんでも、本気で二人きりにしてくれるはずはない。
 何より、誰も俺たちを探しに来なかった……。結構長い間、ここでこうしていると思うのに。
 森は、獣人である彼らの領域だ。サヤの耳が良いことだって承知しているのだし、こちらに存在を悟らせずに警護するくらいのこと、朝飯前にやってのけるだろう。

「安心なさいなぁ。ジェイドとアイル以外は近付かないように言ってあったからねぇ」
「仕組まれていたのだから、それくらいの準備はしてあるのだろうと思ってましたけどね」

 そんな風に憎まれ口を叩いてみたけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい……。
 だってそれ、ローシェンナだけじゃなく、他の二人にも見られていたかもしれないってことだよな……。良かった、サヤが寝ていて。彼女が起きてたら、恥辱で混乱して憤死しそうだもの。

「でも結局やめちゃったのねぇ」
「……元から、最後までする気は無かったよ……」

 言い訳がましく弁明。
 ちょっと頭に血が上って、売り言葉に買い言葉。強情なサヤに、参ったと言わせたかった……。だけど結局……。

「……惨敗…………。
 それどころか……婚約も解消になってしまった……。はは、短い夢だったなぁ……」

 サヤを得られると浮かれていたのだろうな、俺は……。
 彼女を苦しめていることを分かっていながら、今日まで見ないふりをしていた。無茶を通そうとした。
 何度も苦しんで、踠いているサヤを見ていたのに……。

「…………自業自得だ……」

 自嘲気味にそう笑って、眠ったサヤを膝の上に下ろした。俺がサヤを膝枕か。変な感じだ。

 そうするとローシェンナが、義足をものともせず、物音一つ立てずにやって来て、俺の横に、昨日と同じように身を投げ出して寝転がり、空を見上げ出して……。
 暫く二人で沈黙していたのだけど、囁くような小声で「昔ね、マルクスとこうしてたことがあった」と、言葉が続いた。

「北の地は、こんなに緑豊かじゃなかったけれど……針葉樹の森はあったわぁ。
 そこに、これよりもう少し大きい、岩の舞台があって……あたしはそこが好きだった」

 マルクスには硬くて座りにくいって不評だったのだけどねぇ……と、笑う。
 そうか。ローシェンナは北で、マルと二人でこうしていたんだな……。

「……サヤは身体を悪くしているの?    だから、貴方との間に子ができないって言ってる?」
「違うよ……。生まれた世界が違うから……種が違うから、子はできないのだって……」
「……なんでそれが、子のできない理由になるのか、私には分からないわねぇ」
「設計図が噛み合わないのだってさ。
 馬と驢馬に子はできても、馬と魚は無理だって。……俺たちは、それ以上に違うからって……。
 ……何が違うんだろうな。姿形は、全くと言って良いほど違わない……性別と、髪や瞳の色くらいのものだよ、差なんてさ……」

 夜空を切り取ったように美しい、サヤの黒髪を指で梳いた。
 よく手入れされた、引っかかりひとつない、絹のように滑らかな髪。
 実際に触れてみても、サヤと俺たちとに、そんな大きな隔たりがあるだなんて、思えなかった……。

「設計図ねぇ……そんなこと言ったら、獣人と人は相当違うと思うけどねぇ」
「ほんとそうだよな……。だけど、サヤから見たら、そこに差は無いのだろうね……難しすぎてよく分からないけど……」
「面白いわねぇ。サヤには、獣人と人に、差は無いと感じるの……」

 笑うローシェンナ。
 その差を一番痛感しているのは彼女なのだと思うから、俺は口を閉ざした。
 ローシェンナは、暫く黙っていたのだけど……。

「私にも分からないわぁ。
 ……でも、種が違うって、拒む気持ちは、少し分かる……」

 ポツリと、そう……。

「あたしも分かっていたのよねぇ。種が違うって。だから、深入りするつもりなんて、本当は無かったのよぅ」
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