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閑話 夫婦 7
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そして無事に迎えた翌朝。
「おはようございます。お迎えにあがりました」
スヴェンが、朝食を済ませた頃合いにやって来た。
髪を撫でつけて、上品な色合いの衣服を身に纏い、いかにも役人といった風態。上手く化けるものだと感心する。
「よく似合ってる」
「は……ありがとうございます。だいぶん居た堪れませぬが……」
「カークも褒めていたよ。寂れた地域を押し付けられて、嫌な顔ひとつしないできた人物だって」
「我らにはとっては黄金郷ですのに」
苦笑するスヴェン。
放浪生活をしてきた彼らからしたら、定住できる地というだけで、そこは楽園なのだという。
獣人を多く抱える彼らは、人前に立てない者らを匿う場所がいる。そういった意味で、この地は彼らにとって理想的な立地でもあった。
森や草原が多く、人が比較的少なく、交通が不便である地……。これからここを開発していくけれど、極力彼らにとって過ごしやすい形を損なわぬよう、調整を重ねていかねばと思っている。
現在彼は、セイバーン男爵家より山城の管理と、この地域の治安維持も仰せつかったことになっている。
とはいえ、吠狼の一員という扱いだから、彼自身も影の一人。役人としてどこかの村に在中するわけではない。だからこうして定期的に、この地域の村を巡回し、要望などあればそれをこなしていく日々なのだ。
で、まずは、冬から今までの報告。
「畑が多く、人里が少ない関係上、どうしても猪や鹿といった野生動物が増殖しているようでした。
狩人もいるようですが、圧倒的に数が少ない様子。
そのため、これを定量まで減らす方が良いかと思いまして、吠狼の面々で訓練を兼ねた狩猟を行なっておりました。
冬の間は食料にもできたのでようございましたが、これからは肉の処理の問題が……」
「分かった。メバック方面で引き取れるものは引き取る。賄い作りなんかに回せるか確認しよう。
あと、ウルヴズ行商団で、薫製肉なんかにして売り捌くのもありじゃないかな」
簡単な現在の問題点を報告し合ってから、ではロジェ村にご案内しますとなった。
昨日村長に言っていた通り、陽の昇る前の出発だ。
早朝だから必要ないと言ったのに、それでも村長と数人の村人が見送りに来ていて、世話になったと馬車から手を振った。
ていうか一緒にいる眠そうな顔をした娘……昨日の娘のひとりだ。あれ、村長の身内だったのか……。
馬車は途中まで。そこからは徒歩になるという。
「品物を卸す時はどうしてるんだ?」
「馬車が入れる場所で落ち合っていたのですよ」
エルランドがそんな風に説明してくれた。前は馬車を途中に残し、馬と人で荷物を運び込んでいたそうだ。
馬車をそのまま放置しておくわけにもいかないから、森の中に数人の見張りを残すことになるし、結構大変だったそう。
「現在はそこに簡素ですが、停留所と倉庫が出来上がってます。
施錠できますし、見張りも屋根の下で眠れます。それに、吠狼の方の定期的な巡回もあるので、本当に助かってますよ」
元捨場であり、オーストの領地であったロジェ村。
セイバーンで最も近場となる山城のある村であっても、二日ほどの距離があり、一日は野宿となった。
とはいえ、護衛はしっかりいるので安心して休むことができ、然程苦もなかった。
そうして、拠点村を出てから五日目の夕刻。
「お疲れ様でした。到着です」
陽の沈みきる前に、なんとか到着したその村は、一見樹々に埋もれた廃墟にしか、見えず……。
いちばん手前にある、二棟の朽ちかけた掘っ建て小屋。壁には穴が開き、蔦や苔が中まで侵食しているのをうかがわせる……。
背の高い樹木がのしかかるように枝を伸ばした、薄暗いその空間に、人が住んでいるとは到底思えなかった……。
ロゼの生活する村……。こんな厳しい環境だったのかと、呆然としていたのだけど……。
「いやいや、こうしておかないと。隠れ里なんですから」
エルランドに笑ってそう言われ、ハッとなった。
そ、そうか。村の入り口をこんな風に偽装してあるんだな。びっくりしてしまった。
「まっ、ちょっと前まではまさにこんな感じだったんですよ。
でもこの冬は、色々家々の手直しもしていただけましたし、食料事情もかなり改善されましたからね」
「今年は餓死者も出ませんでした……。吠狼の方々が、冬の間も狩猟を行なってくれたおかげで、肉類も補充できましたし。
こんなに安心して冬を越せたことなんて、今まで無かったです」
そんな風に言いつつホセが、こちらですと朽ち掛けた掘っ建て小屋の間を進む。
それに続いて俺も足を運び、更に十分くらい奥へと分け入った頃、森の先に、少し陽が射す場所が出てきて、夕陽が木々を赤く染め上げる中に、明らかな人工の光……。
そうして見えてきた建物の前に、数人の人影があった。中心にいる背の高い女性はローシェンナ。その隣……深く頭巾を被った、こちらも女性。
二人は腕に、布包みをひとつずつ抱えていた。
「いらっしゃい」
優しい声音でそう……まず言葉を発したのはローシェンナ。
その姿に、なんだかドキリとしてしまったことに、びっくりした。
どうしてローシェンナにドキリとしてしまったのかが、自分でよく分からなかったのだ。
なんだろう……凄く……女性的で美しく見えたというか……。
ローシェンナは前から肉感的な肢体をしていたし、綺麗な人だったけれど、そういうのじゃなくて……。
何か、それまでのローシェンナとは、決定的に違ったのだ。
まず気付いたのは、ローシェンナが袴を穿いているということ。
義足の部分から断ち切られた、片足だけ短い細袴ではない。踝までを隠してしまう女性らしい袴を身に付けていて、義足は隠れてしまっている。
それが珍しく感じたのか?…………いや、違う気がする……。
出会った当初より少し伸びた髪?
柔らかく穏やかな表情?
色々考えたけれど、これというはっきりとしたものが掴めず、首を傾げるしかなかったのだけど……。
「レイきたー!」
その女性の足元。二人の袴の間から、飛び出してきた幼い女児。
まるで跳ねるようにして駆けてきて、そのまま俺に全力の体当たり。
それを受け止め抱き上げると、そのまま首に抱きつかれ、グリグリと頭を擦り付ける、お馴染みの抱擁。
くすぐったくて、可愛くて、笑いを堪えることができなかった。
「ロゼ、元気だった」
「げんきー!」
二ヶ月ぶりくらいになるロゼは、元気いっぱい。満面の笑顔で笑ってくれた。その姿に、俺がどれほど癒されたか。……まぁ、本人はなんとも思ってないんだろうけど。
だけどホセは慌てた。
まぁね。通常は貴族相手にやって許される行動じゃないものな。
「ロゼッ、レイ様って言いなさい! それと誰彼構わず抱っこを要求しない!」
「いやっ! だってロジェはレイだっこしたかったんだもん!」
「良いんだよホセ。俺だって嬉しいんだ。ロゼが大歓迎してくれているって分かるから」
そうか。ロゼ的には俺をだっこしてるつもりだったのか……。
そう思ったらおかしくって笑ってしまった。隣でサヤも笑っているから、尚更楽しい。
「ロゼ、ノエミと、ロゼの弟たちを紹介してくれるかい?」
そう言うと、うん! と、良いお返事。そうして、腕から飛び降りたロゼは、そのまま俺の手をグイグイと引っ張った。
そうして、ローシェンナと並ぶ女性の元に誘導されて。
「カーチャ! えっとね、レイだよ! おとこのこだからね! まちがっちゃだめだよっ」
………………。
ブフォッ! って、後ろで誰かが吹いた。
バカ、口塞げと叱責の声。
だけど笑ったやつだけじゃなく、皆が必死で笑いを噛み殺しているのは、気配で分かってるんだからな……っ!
「娘が大変失礼をいたしまして……っ」
「いや……まぁ正直、外見に関しては……今更と言うか……」
怒りよりもなんかこう……絶望に近いものがくる……。
なんともいえない気分を味わっていたら、焦ったようにオロオロしていたノエミは、意を決したように、深く被っていた頭巾を手ずから外した。
そうして現れたのは……ほぼ、狼に近い、顔……。いや、獣化している者も多く見てきたけど、やはり狼とは、どこか違う。
鼻は低めだ……なんというか、人と狼の中間? 鼻と口が、人より少しせり出しており、狼よりは口吻が短い。顔面にも体毛が生えていて、鳶色の毛並みだけど、服の隙間から覗く喉元の毛は色が薄い……。瞳はほぼ白目が無く綺麗な琥珀色をしていた。
髪は体毛とほぼ同じ色。だけど、肩の辺りで二つに分けて括られていて、頭上に、その髪の間からピンと飛び出る獣の耳……。
顔以外に晒された肌……手は、人となんら変わらない。それだけに、彼女は獣人なのだと、強く認識した。
あぁ、ホセは……彼女が獣人だって、当然分かっていて、それでも妻にと、夫婦になると、覚悟を固めたんだ……。
それが分かって俺は……なんだろう。とても、安堵した。救われたと言っても良いと思う。
あぁ、種が違っても、共に歩むことはできるのだ……。
種が違っても、俺たちだって、ちゃんと夫婦に……。
「……はじめまして。
私は、レイシール・ハツェン、セイバーン。セイバーンの後継です。
この度は、おめでとうございます。
本当は、もう少し早く顔を出したかったのですが……申し訳ない」
そう言い笑い掛けると、ノエミは、少し戸惑うみたいに瞳を揺らした。
そうして、視線をホセに向ける。
と、ノエミの袴を、下からグイグイと引っ張る手。
「カーチャ、レイがねっ、レイルとサナリがみたいって、みせてあげよっ。ロジェのきょうだい!」
まるで自慢するみたいに大きな声で、早くとせっつくロゼに、ノエミの隣にいたローシェンナがくすくすと笑う。
「そうだねぇ。ロゼはそればっかり、毎日言っていたもんねぇ」
「うんっ! だってね、レイはぜったい、かわいいっていうよ!」
それでローシェンナは、視線をノエミに向けた。
どこか不安そうにするノエミ。だけど、その腰を片手でポンと叩いて、大丈夫だよと促す。
そうして二歩、ローシェンナはノエミに身を寄せた。
「ほぅら、見てごらん。可愛いよ」
二人が抱いていた布の包み。それを俺の前に。
多分そうだと思っていたのだ。それぞれが抱く、布に包まれているものが、きっと幼子なのだと。
そうして見せられた二人は、複産だから、双子に近いのだと思っていた。でも、似ていなかった。
女の子の方は、桃色の肌に、ふわふわ綿毛のような小麦色の髪を逆立てている。
あまりにちっちゃい手……爪は更に小さくて、あるかないか分からないくらい……。
ふくふくのほっぺたに、花弁のような唇。それはそれは愛くるしい。
男の子の方は、布に包まれている身体は見えないものの、顔は完全なる狼だった。
とはいえ小さい。ほぼ子犬だ。
鼻鏡は黒く濡れてツヤツヤしていて、毛並みはやはり茶色っぽい。けれど、全体的に灰味がかっている感じ。口吻はノエミよりも長く、より狼らしかった。
二人とも眠っているから、瞳の色は分からない。だけど、レイルの耳は、ピクピクと音を聞き取り、動いていて、顔を寄せるとフンフンと、鼻を鳴らした。
そうして、顔の横の手……肉球のついた手が、空中を掻く。
「あらぁ、知らない匂いがしたの、分かったのかしらねぇ」
ローシェンナが、慈愛に満ちた笑顔でそう言い、レイルの額を指で撫でる。すると、耳を寝かせて、気持ちよさそうに身を任せて……!
「う……っわあぁぁ、可愛い…………!」
ふたりは本当に可愛くて、可愛くて、可愛くて……! 愛おしいと言う気持ちが、胸にいっぱいになる。
幼子から香るこれは、乳の匂い? ふわんとした、牛酪に近いような香り。
サナリが口をあむあむと口を動かし、溢れたヨダレをノエミが手拭いでそっと拭った。
そんなひとつひとつがとても美しくて、幸せが滲み出ているようで、なんともいえない気持ちになった。そう、これは幸せ。ここは幸せに満ちている。
「良かった……。ずっと心配していたんだ。
こうしてちゃんと、元気に生まれてきて、本当に良かった。良かったなロゼ……」
母子とも命が危うい、覚悟もしているって聞いたあの時は、本当に辛くて、悲しくて……。ひとりで頑張って我慢しているロゼが、心配で……。
それがこうして、無事に生まれてきた赤子を、皆が祝福してる。大切にしているって、ちゃんと分かる。
感極まって、ロゼを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめたら、むふふと笑う声が、首をくすぐった。
「ほらねカーチャ、ロジェは、レイはぜったい、かわいいっていうって、しってたけどね!」
そう言って、とても幸せそうに笑ったロゼは、天使のようだった。
「おはようございます。お迎えにあがりました」
スヴェンが、朝食を済ませた頃合いにやって来た。
髪を撫でつけて、上品な色合いの衣服を身に纏い、いかにも役人といった風態。上手く化けるものだと感心する。
「よく似合ってる」
「は……ありがとうございます。だいぶん居た堪れませぬが……」
「カークも褒めていたよ。寂れた地域を押し付けられて、嫌な顔ひとつしないできた人物だって」
「我らにはとっては黄金郷ですのに」
苦笑するスヴェン。
放浪生活をしてきた彼らからしたら、定住できる地というだけで、そこは楽園なのだという。
獣人を多く抱える彼らは、人前に立てない者らを匿う場所がいる。そういった意味で、この地は彼らにとって理想的な立地でもあった。
森や草原が多く、人が比較的少なく、交通が不便である地……。これからここを開発していくけれど、極力彼らにとって過ごしやすい形を損なわぬよう、調整を重ねていかねばと思っている。
現在彼は、セイバーン男爵家より山城の管理と、この地域の治安維持も仰せつかったことになっている。
とはいえ、吠狼の一員という扱いだから、彼自身も影の一人。役人としてどこかの村に在中するわけではない。だからこうして定期的に、この地域の村を巡回し、要望などあればそれをこなしていく日々なのだ。
で、まずは、冬から今までの報告。
「畑が多く、人里が少ない関係上、どうしても猪や鹿といった野生動物が増殖しているようでした。
狩人もいるようですが、圧倒的に数が少ない様子。
そのため、これを定量まで減らす方が良いかと思いまして、吠狼の面々で訓練を兼ねた狩猟を行なっておりました。
冬の間は食料にもできたのでようございましたが、これからは肉の処理の問題が……」
「分かった。メバック方面で引き取れるものは引き取る。賄い作りなんかに回せるか確認しよう。
あと、ウルヴズ行商団で、薫製肉なんかにして売り捌くのもありじゃないかな」
簡単な現在の問題点を報告し合ってから、ではロジェ村にご案内しますとなった。
昨日村長に言っていた通り、陽の昇る前の出発だ。
早朝だから必要ないと言ったのに、それでも村長と数人の村人が見送りに来ていて、世話になったと馬車から手を振った。
ていうか一緒にいる眠そうな顔をした娘……昨日の娘のひとりだ。あれ、村長の身内だったのか……。
馬車は途中まで。そこからは徒歩になるという。
「品物を卸す時はどうしてるんだ?」
「馬車が入れる場所で落ち合っていたのですよ」
エルランドがそんな風に説明してくれた。前は馬車を途中に残し、馬と人で荷物を運び込んでいたそうだ。
馬車をそのまま放置しておくわけにもいかないから、森の中に数人の見張りを残すことになるし、結構大変だったそう。
「現在はそこに簡素ですが、停留所と倉庫が出来上がってます。
施錠できますし、見張りも屋根の下で眠れます。それに、吠狼の方の定期的な巡回もあるので、本当に助かってますよ」
元捨場であり、オーストの領地であったロジェ村。
セイバーンで最も近場となる山城のある村であっても、二日ほどの距離があり、一日は野宿となった。
とはいえ、護衛はしっかりいるので安心して休むことができ、然程苦もなかった。
そうして、拠点村を出てから五日目の夕刻。
「お疲れ様でした。到着です」
陽の沈みきる前に、なんとか到着したその村は、一見樹々に埋もれた廃墟にしか、見えず……。
いちばん手前にある、二棟の朽ちかけた掘っ建て小屋。壁には穴が開き、蔦や苔が中まで侵食しているのをうかがわせる……。
背の高い樹木がのしかかるように枝を伸ばした、薄暗いその空間に、人が住んでいるとは到底思えなかった……。
ロゼの生活する村……。こんな厳しい環境だったのかと、呆然としていたのだけど……。
「いやいや、こうしておかないと。隠れ里なんですから」
エルランドに笑ってそう言われ、ハッとなった。
そ、そうか。村の入り口をこんな風に偽装してあるんだな。びっくりしてしまった。
「まっ、ちょっと前まではまさにこんな感じだったんですよ。
でもこの冬は、色々家々の手直しもしていただけましたし、食料事情もかなり改善されましたからね」
「今年は餓死者も出ませんでした……。吠狼の方々が、冬の間も狩猟を行なってくれたおかげで、肉類も補充できましたし。
こんなに安心して冬を越せたことなんて、今まで無かったです」
そんな風に言いつつホセが、こちらですと朽ち掛けた掘っ建て小屋の間を進む。
それに続いて俺も足を運び、更に十分くらい奥へと分け入った頃、森の先に、少し陽が射す場所が出てきて、夕陽が木々を赤く染め上げる中に、明らかな人工の光……。
そうして見えてきた建物の前に、数人の人影があった。中心にいる背の高い女性はローシェンナ。その隣……深く頭巾を被った、こちらも女性。
二人は腕に、布包みをひとつずつ抱えていた。
「いらっしゃい」
優しい声音でそう……まず言葉を発したのはローシェンナ。
その姿に、なんだかドキリとしてしまったことに、びっくりした。
どうしてローシェンナにドキリとしてしまったのかが、自分でよく分からなかったのだ。
なんだろう……凄く……女性的で美しく見えたというか……。
ローシェンナは前から肉感的な肢体をしていたし、綺麗な人だったけれど、そういうのじゃなくて……。
何か、それまでのローシェンナとは、決定的に違ったのだ。
まず気付いたのは、ローシェンナが袴を穿いているということ。
義足の部分から断ち切られた、片足だけ短い細袴ではない。踝までを隠してしまう女性らしい袴を身に付けていて、義足は隠れてしまっている。
それが珍しく感じたのか?…………いや、違う気がする……。
出会った当初より少し伸びた髪?
柔らかく穏やかな表情?
色々考えたけれど、これというはっきりとしたものが掴めず、首を傾げるしかなかったのだけど……。
「レイきたー!」
その女性の足元。二人の袴の間から、飛び出してきた幼い女児。
まるで跳ねるようにして駆けてきて、そのまま俺に全力の体当たり。
それを受け止め抱き上げると、そのまま首に抱きつかれ、グリグリと頭を擦り付ける、お馴染みの抱擁。
くすぐったくて、可愛くて、笑いを堪えることができなかった。
「ロゼ、元気だった」
「げんきー!」
二ヶ月ぶりくらいになるロゼは、元気いっぱい。満面の笑顔で笑ってくれた。その姿に、俺がどれほど癒されたか。……まぁ、本人はなんとも思ってないんだろうけど。
だけどホセは慌てた。
まぁね。通常は貴族相手にやって許される行動じゃないものな。
「ロゼッ、レイ様って言いなさい! それと誰彼構わず抱っこを要求しない!」
「いやっ! だってロジェはレイだっこしたかったんだもん!」
「良いんだよホセ。俺だって嬉しいんだ。ロゼが大歓迎してくれているって分かるから」
そうか。ロゼ的には俺をだっこしてるつもりだったのか……。
そう思ったらおかしくって笑ってしまった。隣でサヤも笑っているから、尚更楽しい。
「ロゼ、ノエミと、ロゼの弟たちを紹介してくれるかい?」
そう言うと、うん! と、良いお返事。そうして、腕から飛び降りたロゼは、そのまま俺の手をグイグイと引っ張った。
そうして、ローシェンナと並ぶ女性の元に誘導されて。
「カーチャ! えっとね、レイだよ! おとこのこだからね! まちがっちゃだめだよっ」
………………。
ブフォッ! って、後ろで誰かが吹いた。
バカ、口塞げと叱責の声。
だけど笑ったやつだけじゃなく、皆が必死で笑いを噛み殺しているのは、気配で分かってるんだからな……っ!
「娘が大変失礼をいたしまして……っ」
「いや……まぁ正直、外見に関しては……今更と言うか……」
怒りよりもなんかこう……絶望に近いものがくる……。
なんともいえない気分を味わっていたら、焦ったようにオロオロしていたノエミは、意を決したように、深く被っていた頭巾を手ずから外した。
そうして現れたのは……ほぼ、狼に近い、顔……。いや、獣化している者も多く見てきたけど、やはり狼とは、どこか違う。
鼻は低めだ……なんというか、人と狼の中間? 鼻と口が、人より少しせり出しており、狼よりは口吻が短い。顔面にも体毛が生えていて、鳶色の毛並みだけど、服の隙間から覗く喉元の毛は色が薄い……。瞳はほぼ白目が無く綺麗な琥珀色をしていた。
髪は体毛とほぼ同じ色。だけど、肩の辺りで二つに分けて括られていて、頭上に、その髪の間からピンと飛び出る獣の耳……。
顔以外に晒された肌……手は、人となんら変わらない。それだけに、彼女は獣人なのだと、強く認識した。
あぁ、ホセは……彼女が獣人だって、当然分かっていて、それでも妻にと、夫婦になると、覚悟を固めたんだ……。
それが分かって俺は……なんだろう。とても、安堵した。救われたと言っても良いと思う。
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「……はじめまして。
私は、レイシール・ハツェン、セイバーン。セイバーンの後継です。
この度は、おめでとうございます。
本当は、もう少し早く顔を出したかったのですが……申し訳ない」
そう言い笑い掛けると、ノエミは、少し戸惑うみたいに瞳を揺らした。
そうして、視線をホセに向ける。
と、ノエミの袴を、下からグイグイと引っ張る手。
「カーチャ、レイがねっ、レイルとサナリがみたいって、みせてあげよっ。ロジェのきょうだい!」
まるで自慢するみたいに大きな声で、早くとせっつくロゼに、ノエミの隣にいたローシェンナがくすくすと笑う。
「そうだねぇ。ロゼはそればっかり、毎日言っていたもんねぇ」
「うんっ! だってね、レイはぜったい、かわいいっていうよ!」
それでローシェンナは、視線をノエミに向けた。
どこか不安そうにするノエミ。だけど、その腰を片手でポンと叩いて、大丈夫だよと促す。
そうして二歩、ローシェンナはノエミに身を寄せた。
「ほぅら、見てごらん。可愛いよ」
二人が抱いていた布の包み。それを俺の前に。
多分そうだと思っていたのだ。それぞれが抱く、布に包まれているものが、きっと幼子なのだと。
そうして見せられた二人は、複産だから、双子に近いのだと思っていた。でも、似ていなかった。
女の子の方は、桃色の肌に、ふわふわ綿毛のような小麦色の髪を逆立てている。
あまりにちっちゃい手……爪は更に小さくて、あるかないか分からないくらい……。
ふくふくのほっぺたに、花弁のような唇。それはそれは愛くるしい。
男の子の方は、布に包まれている身体は見えないものの、顔は完全なる狼だった。
とはいえ小さい。ほぼ子犬だ。
鼻鏡は黒く濡れてツヤツヤしていて、毛並みはやはり茶色っぽい。けれど、全体的に灰味がかっている感じ。口吻はノエミよりも長く、より狼らしかった。
二人とも眠っているから、瞳の色は分からない。だけど、レイルの耳は、ピクピクと音を聞き取り、動いていて、顔を寄せるとフンフンと、鼻を鳴らした。
そうして、顔の横の手……肉球のついた手が、空中を掻く。
「あらぁ、知らない匂いがしたの、分かったのかしらねぇ」
ローシェンナが、慈愛に満ちた笑顔でそう言い、レイルの額を指で撫でる。すると、耳を寝かせて、気持ちよさそうに身を任せて……!
「う……っわあぁぁ、可愛い…………!」
ふたりは本当に可愛くて、可愛くて、可愛くて……! 愛おしいと言う気持ちが、胸にいっぱいになる。
幼子から香るこれは、乳の匂い? ふわんとした、牛酪に近いような香り。
サナリが口をあむあむと口を動かし、溢れたヨダレをノエミが手拭いでそっと拭った。
そんなひとつひとつがとても美しくて、幸せが滲み出ているようで、なんともいえない気持ちになった。そう、これは幸せ。ここは幸せに満ちている。
「良かった……。ずっと心配していたんだ。
こうしてちゃんと、元気に生まれてきて、本当に良かった。良かったなロゼ……」
母子とも命が危うい、覚悟もしているって聞いたあの時は、本当に辛くて、悲しくて……。ひとりで頑張って我慢しているロゼが、心配で……。
それがこうして、無事に生まれてきた赤子を、皆が祝福してる。大切にしているって、ちゃんと分かる。
感極まって、ロゼを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめたら、むふふと笑う声が、首をくすぐった。
「ほらねカーチャ、ロジェは、レイはぜったい、かわいいっていうって、しってたけどね!」
そう言って、とても幸せそうに笑ったロゼは、天使のようだった。
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