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閑話 息子 6

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「母を弔ってくれたのは、アーシュなんだな」

 顔を伏せたままのアーシュに、俺はなんとかそう、言葉を絞り出した。
 何も刻まれていない、ただの白い岩。これが母の墓前であると分かるのは、それをした本人だけだろう。
 異母様はきっと、母を墓に収めることを、拒んだのだと思う。どこへなりと打ち捨てて来いと、そう命じた。
 そしてそれを言い渡されたのは、きっとアーシュではない……。母の傍にいた者に、異母様がそんなことを命じるはずがないことくらい、俺にだって分かる。

「場所をここにしたのも、アーシュなんだな」

 それをアーシュは、ありとあらゆる手段を講じ、なんとか掴み取ったのだ。そしてここに、葬った。
 見つからないよう、細心の注意を払い、周到に振る舞い、守り抜いた。
 きっとそれは危険な行為だったはずだ。自身の身の安全を考えたならば、するべきではなかった。
 セイバーンの墓所の裏を選んだのも、母を一人きりにしないためなのだと分かる。
 それだって、少なくない危険を伴っただろう。
 その上でアーシュは、母の無念を晴らすため、手を尽くしてきてくれた。

「………………ありがとう」

 その言葉しか、お前に伝えるべき言葉は無い。

「ありがとう。誰がお前を責めるものか。
 母の死は、運が悪かっただけだ。アーシュのせいなんかじゃない。
 父上だって、そう言ったはずだ。
 でも、そんな言葉ではアーシュの心は救われない……そう思ったから……お前の願いを聞き入れることにしたのだと思う。
 父上は俺に、本当はアーシュを手放したくないのだって言ったよ。でもお前の願いだからって……お前がそれでは苦しいならって、承知したんだ」

 アーシュが俺を見て苦しんでいるのは、母の面影を追ってしまうからだと思っていた。
 それならば、アーシュを解放してやるしかないと、俺も思った。
 それしか、アーシュに俺がしてやれることは無いのだと。
 だけど、こんな誤解が理由なら、そんなのは受け入れられない。

 花束を左手に持ち替えて、俺は握力の弱い右手で、アーシュの手を取った。
 ハインが鬱金香臭かったって、言うはずだよ……こんなに大きな花束……、用意していただなんて……。

「アーシュ……俺は母を知らない……。十六年ずっと避けてきた。母を知ることを拒んできた。だから分からない。
 母は、今のアーシュを責めるような人だった?
 あの手紙のせいでと、お前を責めるような、人だったの?」

 そう言うと、アーシュは身を固めた。
 俺は母を知らない。十六年避けてきた人だ。だけど……。
 アーシュや他の皆が、死を悼んでくれた人だ……。ただの庶民であるのに、慕ってくれた。大切にしてくれた。そんな人だ。

「母は、お前が自分を責めることを、喜んだろうか……」
「…………っ!」

 堪らずアーシュは、顔を跳ね上げた。
 だけど言葉が出てこない。違うと言いたいのだということは、苦しそうなその表情で分かる。
 だけど、自分を許せないお前は、それを口にできないのだよな……。
 それが分かったから、それで充分だと思った。

「アーシュ、教えてほしい。
 母は、どんな人だった。何を喜んだ。
 好物は?    苦手なものは?    身長は?    口癖は?    好きな色は?    好んだ場所は?    俺は、何一つ、知らないんだ……」

 俺がずっと許さずに、責め続けてきた人だ。だから俺こそ、許されないんだ、本当は。
 だけど……アーシュがそんな風に大切にしてくれた人なら、ちゃんと勇気を出して、会っていれば、分かり合えたかもしれない……。
 お互いに、許し合えたかもしれない……。

「今まで全て、拒んできたから……本当に、何ひとつ、知らないんだ……。
 だから、俺の知らない記憶を、分けてくれないか。こうしてまたにここで、一緒に母の記憶を、偲んでやってくれないか。
 俺では、母と分かち合える記憶が少なすぎる。だけどお前がここにいてくれたら……母の記憶は、ここにある意味があると思う。
 お前が守ってくれたんだ。俺がこんな風に考えられるようになるまでの時間を、残してくれた。
 だから、お前は、自分を責める必要なんて、ひとつもない」

 お前は母の、もう一人の息子なんだ。
 俺と重ねていたかもしれないけれど、それだけじゃなかったと思う。
 だからどうか、ここにいてほしい。母の骸が、寂しくないように。

「俺たちが揃ってここを訪れる方が、母は……きっと喜ぶ……だろう?」

 そう聞くと、アーシュは歯を食いしばって、顔を伏せた。こらえきれなかった嗚咽が、微かに聞こえた。
 その頭を右肩に抱き寄せて、俺はとりあえず、過ぎる時間を待った。


 ◆


「なんで、撤回を撤回しないんだ⁉︎」
「そんな都合の良いことが通るなどあってはならないからです」

 後日…………。
 結局騎士を辞したままのアーシュを前にしている。
 いつものどこかツンツンとしたアーシュだ。その後方で、ジークが苦笑し、ユストがハラハラと状況を見守っている。

「誰が知っているわけでもないんだから、そんなことに拘る必要が、あるか⁉︎」
「あるに決まっているでしょう。人の目がどうこうなど、関係ありませんが」
「だけどこの前、残ってくれるって言った!」
「言っておりません」
「夏にまた、あそこに一緒に行くって確約取ったぞ俺は⁉︎」

 そう言い机にダンッ!    と、拳を振り下ろしたら、ものすごい険悪な顔でチッと舌打ちするアーシュ。
 そうしてしばらくお互い睨み合っていたのだけど……。

「はいはい、じゃあ騎士以外で良いんじゃないですかぁ?
 幸い、レイ様は人材不足ですから、武官でも文官でも従者でも、好きに選んでいただけば良いのでは?
 まぁ、能力があるの前提ですけども」

 机に向かって書類仕事を片付けていたマルが、こちらに視線もやらないでそんな風に投げやりに言う。
 するとすかさずオブシズが挙手。

「賛成。武官候補、まだ見つかっていないのでとても有り難い」
「え、でもさ、アーシュなら文官じゃないか?    そもそも偽装傭兵団の時だって頭脳担当だったのに」
「両方できるならもう従者で良いンじゃねぇの?」

 窓辺でつまらなそうに外を見ていたジェイドまで、そんな風に横槍を入れてくる。
 とりあえずここに残ることが大前提で話を進められてしまったアーシュは、なんとも形容し難い、苦渋に満ちた顔。

「……ひとつ、伝え忘れておりましたが……」

 そんな俺たちにアーシュは、最後の切り札とばかりに今まで伏せていたことを、口にした。

「私は、オゼロ傘下、ダウィア子爵家の者です。私を抱えるということは、身中に虫を飼うも同義。
 戴冠式で、私がセイバーンにいることも知られましたし、彼方から必ず私に手が伸びるでしょうが、宜しいのですか?」
「そんなこと、言われるまでもなく知ってますよ」

 サラッとマルが当然のことであるように口を挟む。
 まぁ、俺が知らなくってもマルは知ってるよね……。絶対に調べてるし。その上でアーシュに害は無いって思うから、好きに使えって口を挟んできたのだろうし。

「それを言っちゃうとバルカルセの名を捨ててるオブシズだって問題ありになっちゃいますしねぇ」

 バルカルセもオゼロ傘下であるそうだ。それにはオブシズも苦笑。

「まぁ、抱える子爵家の多い家ですからね……」
「僕としては、貴方がダウィアに戻ってセイバーンのことをあれこれ口にされるより、ここに残っていただける方が良いんですよ。
 それにねぇ。レイ様、持っても良いとなってから、関わったが最後、全部懐に入れていく人になっちゃったんで、なんかもう、今更?
 どうせ戻っても、あれこれ理由をつけて関わり続けようとするんでしょうし。
 あっちに戻られちゃうと、そこ取り継ぐの僕の仕事になっちゃいそうなんですよねぇ」

 大変面倒くさいです。と、マル。
 そしてアーシュも嫌そうな視線を俺に向けてくる……。

「そんなわけなんで、じゃあもう文官でお願いします。貴族相手の応対できる人材必要なんで丁度良かった。
 クロード様お一人を使い倒すわけにも行きませんしねぇ」
「えっ⁉︎    ズルくないか⁉︎    なんでも良いって言ったのに!」
「最適なのは文官かと。北の出身者は腹の探り合い得意ですから。苦情対応任せられるととても有り難いですねぇ。
 で、早く決めちゃわないと、こっちで勝手に進めますけどどうします?」

 逃がさないよ?    と、黒い笑みを浮かべるマル。
 それで結局アーシュはというと、長考に耽った結果、逃れられないという結論に達した様子で、苦渋に満ちた顔から「文官」と、搾り出した。
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