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光の影 4

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 マルやオブシズには悟られぬよう、言葉を選ぶのに難儀した。
 伝わらないかもしれない。ちょっと抽象的すぎたか……?    一瞬、そんな不安に駆られたのだけど。

 アレクセイ殿には、伝わっていた。

 気付けばそこに、作りものじゃない、表情があった。

 限界まで瞳を見開いた、彼。
 動揺のあまり、瞳が揺れる。全身の筋肉が緊張し、身を竦ませた。
 呼吸すら、忘れた。そして喘ぐように、少しだけ、口が開く。必死で何かを絞り出すように、喉が動き、瞳に…………っ!

「何を、おっしゃっているのでしょう?」

 でも次の瞬間、彼はまた、全てを覆い隠してしまった。
 瞳がそれを滲ませたのは、本当に、刹那のこと。
 とてもにこやかな笑顔。首を傾げる仕草。さらりと揺れた白髪……。
 踏み込んではいけない場所だったのだと、分かった。当然だろう。それは、分かっていた。だけど……っ。

「私には、心当たりが御座いません」

 一分の隙もない、拒絶。

「…………私の、思い違いのよう、です」

 なんとかそう絞り出すと、そうですか。という返事に、それで良いのだとでも言うような、満面の笑顔……。

 美しい見目をしていらっしゃるだけに、蝋人形を前にしたような違和感。一瞬見えてしまった激しく猛っていた感情が、この人の作られた、見せかけの感情を、より一層作り物めいてみせていた。
 白い髪に、白い法衣。陽が沈む間際の、赤い陽光が、横手から俺たちを染めていて……。

 まるで血濡れてしまったように見える、アレクセイ殿。

 何故、あれほどのものを隠していられるのだろう。
 どうすればこんな風に、全部覆い尽くして、しまえるのだろう……。

 真っ黒だと仰っていたグラヴィスハイド様が見たものは、これではないかと思った。
 アレクセイ殿から一瞬だけ溢れた感情。それをこの方は、あっという間に抑えつけ、意志の力で包み、捩伏せ、覆い隠してしまった。
 俺があの瞬間、彼の方の瞳に見たのは………………。

 這い出してきた、押し潰されそうなほどに鴻大な、憎悪と怨嗟。


 ◆


 会議に戻るアレクセイ殿と別れ、俺たちも元の会議室へと向かった。
 お待たせしていたリヴィ様に、陛下からの依頼の話を伺うと、やはり女近衛の制服やその他について。
 それには今、バート商会が独自に進めていた品があり、今日明日にも試作がいくつか完成することを伝えたのだけど……。

「よければ明日、帰郷前にギルを伴い伺いましょうか。
 もしくは、バート商会にお越しいただければと、思うのですが……。そちらであれば、まだ完成前の試作段階のものも、お見せすることが可能です」

 ギルの名前に、そわりと視線を彷徨わせたリヴィ様。

「……まだ、新設して間もない女近衛の職務は、然程の量もございませんの……。
 ですから、午前中のうちならば…………」

 時間の都合がつけられると思う……とのこと。陛下からも、まずは環境を整えることが優先で構わないと言われているそう。
 何もかもが手探りで始まる新しい職務だし、まだ制服とて正装ひとつしか無い状態だものな。

「でしたら、いらっしゃいますか?    バート商会本店に」
「えぇ、是非!    一度に全員は無理でしょうけれど、半数ずつ、時間をずらしてお邪魔させていただこうかしら」
「畏まりました。ではギルに伝えておきます。あ、リヴィ様は一番はじめの組でお願い致しますね。書類手続きは、先に終わらせてしまいましょう」

 サクサクと話を纏めて、では明日お待ちしてますねと席を立つ。
 私はじめの組がいい!    では某も!    と、背後で盛り上がる女近衛の面々のはしゃぐ声を聞きながら扉に向かうと。

「レイ殿」
「はい、なんでしょう?」

 扉に手をかける直前でリヴィ様に呼び止められた。
 だけど振り返った俺に彼女は、少し心配そうな、眉の下がった笑顔。

「……あまり、無茶をならなぬよう……。貴方、見かけによらず案外豪胆で……短気ですもの」

 昼間の洗礼騒ぎが、知られてしまったのだろうか?

「…………そうでしょうか?    一応時と場合は選んでいるつもりなのですが」
「そういうところですわ……」

 苦笑気味に笑って、「お互い、手探り続きなだけでも大変ですのに、苦労するわね」と、労りを込めた笑みを浮かべる。

「俺はもう、ここを離れますから……。残るリヴィ様は、俺以上に、大変でしょう?」
「貴方だって、別にただ田舎に引っ込むのではないでしょう?    交易路計画に、拠点村の運営に、秘匿権の無償開示……やることだらけではないの」
「やることがあるって有難いですよ。とにかくやれば、進むんですから」
「そう……。でも……あまり、根を詰め過ぎて仕事ばかりに追われないように、忠告しておきます。
 職務も大切ですわ。でも……それが誰のためか、何のためかを、忘れぬように。ねぇ、サヤ?」

 お疲れの様子だから、帰ったら労って差し上げてねと、サヤの耳元で囁くリヴィ様に、サヤは頷きつつも頬を染める。
 結局俺は……そんな風にするサヤに、癒される……。彼女がいてくれる幸運を、実感するのだ。

「ではまた明日ね、ごきげんよう」
「はい。また明日……」

 人の少なくなった王宮を足早に進み、念のためにと、厩舎まで送ってくれたクロードと別れた。
 彼も数日中に故郷へと帰り、セイバーンへの移住準備に追われるのだろう。
 預けていた馬と馬車を回収して、来た時同様、御者台にはオブシズが座った。馬車に乗り込んだ残りの三人も、とりあえずは無言。門番に印綬を示し、城下へと馬車を進めた。
 暫くは揺れに身を任せていたのだけど……。

「…………俺、何かおかしかったかな……」

 リヴィ様の、俺を気遣うような視線や、言葉……。俺はいつも通りに、しているつもりだったんだけど……。

「そうですねぇ……。ここ一年くらいでレイ様、だいぶん前の感じが戻ってきてるというか」

 俺の言葉に、ここ一年より前の俺を知っているマルが、口を開く。

「学舎にいた頃に、随分近くなってると思うんですよねぇ。
 ようは、作り物じゃない感情が、節々で表に出てきているといいますか。
 僕としては、心を押さえつけて、一番穏便に、一番当たり障りない表現で……って風に、作り込まれた良い人を演じ、笑っているレイ様より……」

 覗き込むようにして、俺と視線を合わせてきたマルが、珍しく年相応の、大人っぽい笑みを浮かべていた。

「ままならない気持ちに、振り回されている今の方が、断然良いと思いますよぅ」
「……振り回されてるのに?」
「サヤくんが来る前の二年、僕らがどんな気分だったかっていうのを、的確にお伝えする手段が、今日手に入ったんですけど、聞きます?」

 そう言ったマルが、俺の頭を撫でるように触れ「今の貴方とおんなじですよ」と、言った。

「悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、どうして良いか、何ができるか分かからなくて、困ってる感じですかねぇ」
「……俺、今そんな風?」
「ええ」

 そうかもしれない……。

 馬車の外に視線をやると、朝同様に、人影の少ない街の様子が見えた。
 もう屋台などは片付けられ、だいぶん普段通り。でも、賑わいだけが欠けている街並み。
 病とともに、陛下のご結婚も発表されたはずなのにな……。皆まるで、葬儀の前であるかのようだ。

 五の月に入ってすぐ。俺がまだ、セイバーンに帰り着く前に、洗濯板と硝子筆の無償開示が発表されるだろう。
 そしてそれを見た職人らが製作方法を得に、拠点村までやって来る。だけどその前に、貴族との繋がりが強い者らが、紹介状付きで到着することになるだろう。
 ま、紹介状持参してようがしてまいが、扱いは同じ。特別優遇もしないのだけど。
 そして五の月のうちに、陛下のご婚礼も、当初の予定通り密やかに行われる……。この状況で大々的にやれば、暴動等が起きかねないだろうから。

「嬉しいです。貴方がまた、そんな顔を、してくれるようになったことが」

 アレクセイ殿のことを一旦忘れよう。思考を逸らそうとしていた俺に耳に、またするりと、マルの言葉が届いた。

「いつも貴方は、良い顔で上手に、笑ってましたよ。本来の貴方を知らない人にとってはね。実際、それで充分だったでしょう?
 だけど、僕らからしたら、付け入る隙のない笑顔って言うんですか?    あぁ、何を言っても駄目なんだな。この人には届かいてないんだなって気分になる、嫌な笑顔なんです。
 だって僕らは知ってるんですよ。貴方が本当に笑っている時は、こんな無害な笑顔じゃないんだってことを」
「……なんか酷い言われよう……」
「いや本当に。気の迷いが起こる笑顔ですからね」

 どんな笑顔だ。
 少し口元をひんまげると、くすくすと笑い、そしてあやすように、言い聞かせるように、マルは言葉を続けた。

「時間が必要ってことなんだと、思います。
 貴方を困らせ、そんな顔にする原因は、相当な大問題なんでしょうから。
 でも僕ら、それに二年耐えたんですよ。ちょっとは褒めて欲しいですね。ホントあれ、精神削られたんですから。
 ……僕はまだ良いんです。ギルやハインは……貴方の一番近くにいましたからねぇ」

 その言葉に、つい反射で拳に力が入った。
 こんな気持ちで二年。ただ黙って、俺を待っていてくれた……支えていてくれた、あの二人……。

「貴方が何故そんな顔をされているのか、僕らに言えるなら言えば良いし、言えないなら、黙っていたら良いんです。
 ただ……時間は、人を動かしますよ。出会いが、人を変えます。今が答えじゃない。まだ先が、ちゃんとあります。
 だから、焦らず、やれることをやりましょう。そうしたらいつか、機会は巡って来るのじゃないかって……。
 実体験ですからね。自信を持ってそう、お伝えしておきます」

 ニコニコと笑顔で、いつもどこか軽い……マルのその言葉が、有難かった。
 隣に座ってずっと俺を見つめていたサヤが、拳になっていた俺の手を、己の手でそっと包み込む。
 自らの膝の上に置いて、ただ黙って、握りしめてくれる……。
 あぁ、俺は恵まれている。
 こんな風に心配してくれて、だけど踏み込まないでいてくれて、なのに苦しいを、一人で抱えなくて良いのだと、そう示してくれる……。

 俺に表情が戻ったというならば、それをまた与えてくれたのは……こんな、皆の、優しさなのだろう。
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