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逢瀬 3

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 俺の言葉に、身を固めたサヤ。
 俺は緊張をほぐすように、その固まってしまったサヤの背を、ポンポンと叩いてあやす。

「今すぐってことじゃないよ。
 話せる時が来たら……話してくれたら、嬉しい。
 辛い経験が、簡単に口にできることじゃないってことは、俺自身が身を以て知ってるから、いつになっても良いんだ。
 ただ…………。事件のことは、ともかく。
 サヤは他にも沢山遠慮してるだろう?    それはもう、気にしなくて良いんだって、先に伝えたかった」

 腕の中の愛しい人を抱きしめて、俺はもう一度、同じ言葉を口にした。

「もう、俺に遠慮しなくて良い。話したい時に、話したいことを言葉にすれば良い。
 思い出して良い。寂しい、会いたいって、言ったら良い。帰りたいって、言ったら良い。それが俺を責めることになるなんて、考えなくて良い。
 我慢しなくて良い。笑って誤魔化さなくて良い。カナくんのことも、飲み込まなくて良い。言葉にしたら良いんだ。
 思うままを、思うままに口にして良いんだ……。何一つ、取り戻してやれないけど……故郷に帰してやることも、できないけど……俺は全部を受け止めるし、その寂しさを埋められるように、努力する。大切にするから」

 苦しかったろう。
 思い出していたに違いない。
 比べなかったはずがないのだ。
 お互い好き合って、恋人同士になったはずの二人なのだから。
 俺と並んだ時、手を繋いだ時、唇を重ねた時……。
 カナくんとしたかったこと、できなかったことを、その都度思い出していたはずだ。
 そうして、俺に何かひとつを与える度に、与えられなかったことを、カナくんに申し訳なく感じていたのだと思う……。

「サヤの大切な人だって分かってたのに……サヤが俺を気にして口にしないようにしてるの、分かってて触れなかった。
 嫉妬して、そう仕向けてた。
 ごめん、本当に……今日までずっと、苦しめてたと思う」

 大切に決まってる。
 忘れられないに決まってる。
 捨てられなくて当然なんだ。
 だって、辛い記憶だって思い起こすに違いないのに、それでも手放さずにいた気持ちなんだから。
 これからだって、ずっと大切にしなきゃいけないものだ。
 サヤをサヤたらしめたもの。
 サヤが、サヤの世界から持ち込めた、数少ないもの。
 彼女がずっと忘れない、覚えておくのだと言っていたもの。
 共に歩むと決めたのだから、俺だってそれを、大切にしなきゃいけなかった。

「サヤの全部を大切にする。
 それは、サヤが今まで過ごしてきた時間も含めて、全部だから。
 サヤの辛い経験も。カナくんと過ごした時間も含めて、全部だから。
 だから、知りたい。
 サヤが言葉にできると思った時で良い。
 サヤの世界にいた時のサヤを、俺にもくれたら嬉しい」

 腕の中で、動きを止めたままのサヤ。
 今更何を言うのだろうって、思ってる?
 うん……本当、今更だと思う。
 ずっと勇気を持てなくて、自信を持てなくて、今だってそんなもの、無いに等しいのだけど……。
 今からだって、きっとカナくんへの嫉妬心は捨てられない。聞く度に、歯痒く思うのだろうけど……。

 サヤを大切にしたい気持ちだけは、誰にも負ける気は無いから。

「好きだよ」

 どんなサヤでも全部好きだ。
 サヤは頑張り屋で、いつも前に向かっていて、まるで太陽を追いかける向日葵のようだと思う。
 だけど、ずっとそうして、頑張ってなくても良いんだよ。
 俺の前でくらい、弱音を吐いたらいい。
 俺の前でくらい……弱くなって良い……。脆くなって良いんだよ……。

 腕の中のサヤが、身じろぎしたので腕を緩めた。
 すると、頭巾を目深に下ろしたままのサヤが、身を起こす。
 何も言わなかったけれど、頬を伝う雫に、彼女の今までの苦しみが見えた気がして、唇を寄せてそれを吸い取った。
 こんなに人のいる往来で、こんなことしたら怒られるかなと、やってしまった後で気付く。
 しまった。この衝動で動く癖もどうにかしたほうが良いかもしれない。
 そんな風に思っていたら、頬に触れる指の感触。
 サヤの手なのは、感覚で分かり、そのまま近付いてきた影に、視線を上げると、眼前に…………。

「さ…………」

 名を呼ぶ前に、唇が塞がれた。
 いつもの啄む口づけではない、もっと、熱くて、深いもの。
 目深に被った頭巾で顔は見えなかったけれど、そんなことは瑣末ごとだった。
 未熟な俺は、すぐに頭に血が上ってしまう。サヤが自らが俺にそうしてくれたのだと……そう思っただけで、もう気持ちが振り切れてしまったから。

 力加減も忘れ、頭巾ごと頭を抱えて、腰を抱き寄せた。
 絡め取ったサヤの舌に、自分のものを擦り付けて、サヤの口内に潜り込む。
 彼女の気持ちいい場所はもう知り尽くしてる。
 そこをひとつずつ丹念に愛でて、愛しいのだと刻み込んだ。
 熱い吐息。震える指先。嫌悪感からではなく、愛撫に翻弄されているのだって、知ってる。
 サヤは初心で、何度こうしても慣れない。
 そのうち手が拳になって、力無く俺の肩を叩いたから、名残惜しいと思いつつも唇を解放した。
 すると、紅が掠れ、唾液で濡れてしまった艶やかな唇から、必死の抗議の声。

「……っ、やりすぎ……っ」
「ごめん……つい……」

 どこか呂律まで怪しくなってるサヤの声が、揺れている。
 そのまま気力の限界であるみたいに、俺の肩に頭を預けてしまった。

「あほうっ、おうらいやのに、はずかしぃのにっ」

 場所、覚えていたのか。
 でも自分から促したのだと自覚しているのか、言葉に勢いが無い。
 分かってるのに、俺にこうしてくれたのか……。
 そう思うと、もう堪らなかった。
 言葉で何を言うよりも、普段なら絶対にしないに違いないのに、人の目のある場所だと分かってて、気持ちを行動で示してくれたことが、嬉しかった。

 そのまま抱きしめて、なんて愛しいのだろうかと、その存在を噛みしめる。
 サヤは恥ずかしいと言いつつも顔を上げず、そのまま俺にしがみついて、動かない。
 頭巾で隠れているけれど、きっと、耳も、首も赤く染まっていると思う。
 知ってる。何度も見たから。瞳を潤ませて、どこか悔しそうに、恥ずかしそうに、唇を戦慄かせているのだと思う。
 その表情を隠すために、俺にしがみついているのかな。

 …………。
 ……………………。
 あっ、察した。

 これ、恥ずかしくて顔を上げられないやつか。

 周りを見渡してみるけれど、別段誰かに注目されているということもない。
 だって、すぐ近くには踊りの輪があり、恋人同士となった者たちだってそこら中にいるわけで。
 正直口づけなんて、挨拶程度の扱いだ。

「……大丈夫、全然目立ってないよ」

 そう言ったのだけど、何故かサヤには拳で胸を叩いて抗議された。いや、ホントだって。

「わっ、私の国では、こういうのんは、人前でしいひんの!」
「うん。分かってるよ」
「…………ちがう、キスだって、しいひんのに、こっちはもっと、しいひんの!」
「キス?」

 問い返したけれど、返事は無い。
 何故か俺にしがみつく手にグッと力がこもり、限界値を超えてしまった恥ずかしさに苦悩するみたいに、サヤは押し黙ってしまった。
 そうして、暫く待っていたのだけど……。

「教えへん!」

 最後にそう、力強く宣言。
 …………。

 モヤっとした。

「…………最近サヤ、教えてくれないことが増えた……」

 イケズも、イロカも、キスも駄目って言うの?

「前は直ぐに教えてくれたのに……秘密が増えた」

 ついそう愚痴ってしまったら、ガバッと身を起こしたサヤが、抗議の声を上げる。

「レイ、さっき、言いたくないことは言わんでええって、言うた!」
「そ、そんなこと言ってない!    今じゃなくて良いって言っただけだ!」
「せやから今は教えへんって言うてる!」
「狡い!    サヤの言い方なんか狡いと思う!」
「狡くないもん!」

 ついそんな感じで言い合いになってしまった。
 暫く押し問答をしていたのだけど、視線を感じて顔を上げたら、周りの恋人たちがこちらを注視していることに気付いてしまった。
 視線を向けていない人たちも、何故か黙って動きを止めていて、耳に意識を集中しているのだと気付く。

「………………場所を変えよう」
「う、うん」

 慌てて立ち上がって、手拭いを回収するサヤの袴を手で払い、付いていた砂を落とした。
 極力周りを見ないようにして、急いでその場を離れる。
 顔が熱い。今日はなんだってこう……なんか逃げてばっかりだ。
 慌てすぎたのか、石畳に躓いて、少しよろけたサヤの腰を反射で抱き寄せたら、ひぁっ⁉︎    と、小さな悲鳴。
 勢いのまま俺に縋り付いてしまったサヤが、はっと顔を上げる。
 色付いた頬が、頭巾から垣間見えていた。
 熱にのぼせ、潤んだ瞳が、唾液で濡れた唇が、俺の眼前に迫っていて、視線が絡んで息を飲む。
 ぐらりと気持ちが煮立つのを感じ……咄嗟に、ずれ落ちかけていた頭巾を掴んで、サヤの顔の前に引き下ろした。

「お、おおきに……」
「う、うん」

 やばい。衝動が……っ。
 だってサヤが、なんかいつも以上に、い、いろ…………っ考えるな!

「レイ?」
「なんでもないっ!」

 サヤの身体を俺自身から引き剥がして、衝動を抑え込んだ。
 俺が危険だ。
 だけど、手を離してしまうのは……サヤをひとりにしてしまうのは、もっと危険だ。

 手を、指を絡めるようにして、握った。
 そして視線を逸らしたまま、とりあえずまだ通ってない場所を目指して足を進める。
 進めてみたものの…………どうせサヤには伝わってるよなと、思い直す。
 俺がサヤに良からぬことを考えたの、きっと全部、伝わってる……。

「…………ごめん、今ちょっと…………っ、怖かったら、ホントごめん……」

 だけど、手を離してしまうのは、もっと危険だから。

「絶対、何もしないから、ごめん、手だけ離さないで……。
 暫くすれば、落ち着く。落ち着かせる。ホントごめん!」

 まだグラグラ煮立っている衝動を、気合いで捩じ伏せにかかる。
 あれ以上に何を求める必要がある?
 サヤは、この上ないくらい、俺に与えてくれてる。
 不誠実なのは良くない。俺はまだ成人前!

 いつもの心よ凪げを全力で唱えながら、必死で前を見続けた。
 そんな俺に引っ張られながらサヤは……。

「……大丈夫。レイは、怖ぁないから」

 気を使ってくれたのかもしれない。か細い声で、そう言った。
 振り返れなかったから、サヤの顔は見ていない。
 だけど、俺が無理やり握った手に、キュッと力がこもり、離さないと、行動で示してくれたから……。
 俺はホッと安堵しつつ、とりあえず平常心を取り戻すことに専念した。
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