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閑話 十九歳
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長い一日を終え、なんとかバート商会に帰り着いたのは、深夜を大きく回った時間。
本来なら闇に飲み込まれている時間帯なのに、王都はまだ賑わっていた。この三日間は、昼夜を問わず盛り上がる様子だ。
大通り沿いにあるバート商会までなんとか馬車で戻れたけれど、ちょっと周りには迷惑だったかな。貴族の馬車だと分かるから、慌てて避けている人たちに申し訳なかった。
そしてバート商会も眠ってはおらず、裏庭に乗り付けた馬車を、アリスさんとギルが自らが迎えてくれたのだけど……。
「おかえりなさい。
おめでとう、無事任命式は済んだのね?」
「ただいま。うんまぁ、概ね無事に済んだと思う」
「をぃコラ……なんで若干歯切れが悪いんだ。また何かやらかしやがったのかよ」
やらかしたって言うか、回避しようがなかったって言うか……。
苦笑するしかない俺に、ギルは頭を抱えている。それよりも他の皆は? もう寝てしまった?
「話しとくことがあるから、起きてるなら集まって欲しいんだけど……いや、もう明日にするか。時間も時間だし」
「この祭りの賑わいの中で何言ってやがる」
いやまぁ、そうなんだけどさ。
それで結局、皆が集まってるという離れの大部屋に案内された。
揃って待機してくれていたのか。
せっかくお祭りなんだし、どうせなら楽しんで来たら良かったのに。
そんな風に思いながら、明日はクロード様が来るけど、少しくらいならサヤと祭りを楽しむ時間が取れるかな……いっぺんには無理だと思うけど、交代しつつ半日くらいなら、皆にも楽しんでもらえるかな。なんて、考えていたら……。
「おかえりなさいませ」
「「「おめでとうございます!」」」
なんだか豪奢な料理と、皆の祝いの言葉で迎えられた。…………え、そんな大ごと?
「……前から決まってた任命なんだから、そんな大層にしなくても……」
「ほらな。やっぱり忘れてやがった」
「それは昨日でしょ。今日は別のやつですよ」
「今日?」
「もう良いですからさっさと座ってください」
なんか適当な感じでハインにぐいぐい押され、大層な食事の並ぶ卓に、強引に押しやられた。
そして椅子に座らされ、困惑している中、咳払いしたギルが、まず口にしたのは……。
「十九歳、おめでとうだろ。お前、もうとっくになったつもりでいた様子だったけどな……」
「あ」
「そうなんですよ。貴方昨日までまだ十八歳だったんですよ。自覚してました?
だから、王家より役職を賜った貴方はギリギリ十八歳。異例の大抜擢ですよねぇ」
歴史に名を刻んじゃいましたよねぇと、笑うマル。
その隣でハインが、深妙な顔でこんなことを言う。
「貴方に物欲が無いのはどうしようもないほど皆が理解しておりますので、物で祝いの品はご用意致しておりません。
本日、レイシール様は一日をお休みに当てていただきます。サヤと二人、好きに過ごしてください」
「え?」
「サヤも了承済みです」
振り返ってサヤを見ると、赤く染まった顔で「……まぁ、特別な日やし……」と、ごにょごにょ言う。
「私たちは用意したのよ。どうせだから、変装してお祭りを楽しんで来たら良いのじゃないかと思って」
アリスさんが、比較的落ち着いた色合いの服を一式持ち出してきて、それを広げた。……従者服?
隣のルーシーは、程々に高価そうな女性の礼服を満面の笑顔で抱えている。
「こっちはサヤさん用です! お嬢様と使用人風にしてみました!」
「お祭りだもの。そういった方たちもきっとそれなりに紛れているから、さして目立たないわよ。
お化粧は、ルーシーが張り切ってるから任せたら良いでしょ」
「任せてくださいな!」
そうしてそのままなし崩しで、皆から一言ずつの祝詞が並び出した。
父上からも。アーシュすら嫌そうに祝いの言葉を口にするから、なんか申し訳なくなる……。
そうして、一通りが終わってしまってから俺は…………。
「あ、あの……ごめん。
明日、ヴァーリンのクロード様が、いらっしゃるんだけど……」
「「「はぁ⁉︎」」」
いや、ほんとごめん。だってこんな贈り物を用意してくれているだなんて思ってなくて……ていうか、誕生日だってことすら、失念してて……。
で、そのヴァーリンのクロード様がうちに仕えることになったと伝えたら阿鼻叫喚だった。マルですら頭を抱えた。ルフスまで呆然としている。
「貴方なんでそう、厄介を持ち込んでくるんです⁉︎」
「断れよ! 何考えて受け入れてんだお前、状況分かってるのか⁉︎」
「…………絶対ただでは済んでいないと思ってましたが……」
マル、ギル、ハインには絶望された。いや、俺だって抵抗したんだぞ⁉︎
「結局連れ去られて引いてきたのがそのくじなんですね……前代未聞どころの話じゃないですよ……」
「何をどうしたらそうなるんですか……」
「………父上が心停止を起こしそうです……」
アーシュが眉間を揉み解し、オブシズは頭を抱え、ルフスに至っては涙目だ。いや、俺もちょっとガイウス大丈夫かなって、心配してる。
「レイ様って凄いんですね! 公爵家の方が仕えたいと思うなんて、私、なんだか誇らしいです!」
これはユミル。公爵家が凄い家だというのは分かっていても、どれくらい凄いのかはあまり理解できていない様子。
「お前、なンでそうなンだよ⁉︎ 式典真っ只中だろ、なンで自分の誕生日忘れンだよ」
「やー……黙ってた俺たちも悪かった……のかなぁ?」
「ま、まぁとりあえず、食べましょう! 祝賀会でお食事だってできてないんでしょうから」
最終的には皆が諦めた。
「だな。もう食おう。で、寝る!朝になってからその辺は考える!」
自棄っぱち気味にギルが纏め、そのまま宴会に雪崩れ込むことに……もう、ほんとごめん。
サヤが隣に座り、それだけで幸せな気持ちになったのだけど、そんな俺の前にハインが温かいお茶を用意してくれた。
ユストが料理を少しずつ皿に取り分けてくれて、ルーシーとアリスさんが酒瓶を大量に運び込んでくる。
「レイくんは飲まないだろうけど、皆さんは飲むわよね?」
「飲みます!」
笑顔でナジェスタ医師。容姿に反して酒は飲める口らしい。
「あ、私もお茶で。飲酒は二十歳まで禁止されてるので」
「あらまぁ! そんな国があるの!」
「私も茶だな」
「領主様も飲めないのに俺たち飲んで良いの?」
「気にせずとも良い。存分に楽しめ」
「今日はお薬飲めてませんけど、倦怠感はありませんか?」
「問題無い」
ワイワイと賑わいを取り戻し、あれを取ってくれだとか、これ最高に美味しい! だとか、皆が笑顔で卓を囲んだ。
ジークが一発芸だと言って親指が千切れる手品をしてくれたり、ルフスが祝いの歌を歌ってくれたりした。本職の歌い手かと思う程の美声でびっくりだ。
そうした中、ジェイドがウーヴェから預かったという小箱を出して来て、それが比較的簡素な耳飾だったものだから、意味が分からなくて首を傾げる。まさか俺に付けろと……?
「サヤ用に決まってンだろ。
あの派手なやつは日常的に使いにくいだろうって。
明日からは、こっちで良いンじゃねぇ?」
リヴィ様の耳飾みたいに、耳にかける部分は簡素なつくり。垂れ下がる部分に、小粒の真珠の連なりと、泳ぐ小魚が揺れていた。
「…………付けて良い?」
「今ですか⁉︎」
「うん」
サヤの耳に手をやると、くすぐったがって首を竦める。その耳からいつもの大きな、魚のひれみたいな飾りを外すと、サヤはさっと、左耳を手で隠してしまった。
「あ、あの! それは、右耳にしませんか……」
「あ、そうか。同じ方ばかりじゃ耳が疲れるよな」
左右に拘りは無いし、逆の耳でも構わない。
サヤは自分で付けると言い張ったが、俺が貰ったものだから俺が付けると強引に承諾させた。
両手を握って、ギュッと肩に力を入れるサヤ。可愛い。くすぐったいのを懸命に堪えている様子が、悪戯心を刺激されてしまう。
「…………帰ったら、ロビンに調節してもらわないとな。少し浮いてる」
「だ、大丈夫、です。ぐらつく程じゃ……あ、あの、まだですか⁉︎」
「ん。ちょっと待って」
耳を指で撫でると、首すら朱に染まる。
必死で息を殺しているのだけど、合間に小さく息が漏れる。
そんな姿がたまらなく可愛くて、いけない気持ちを刺激されそうで、抱きしめたくて仕方がなかった。
「…………よく似合う」
耳元でそう囁くと、キロリと睨まれ、その後すぐに、恥じらうように視線を逸らす。
けれど、確かめるようにそっと耳に触れるその姿……長い睫毛が影を落とす、伏し目がちの視線が、妙に大人び、艶めいて見えるものだから、ぐらりと気持ちが揺さぶられた。
慌ててお茶に手を伸ばし、それを呷って気持ちを誤魔化す。
香茶のつもりでいたのだけど、いつもよりどこか、深みを感じる。ふんわりと鼻に抜けた香りが、甘かった。
「……でも美味しいなこれ……」
なんの茶葉だろうか……。
「ルーシー、これお代わりくれる?」
「あ、お気に召しました?」
「うん。香りが良いな。何か……何か、甘みを感じる……異国のお茶?」
注いでくれたそれを、今度は口の中で転がした。
……いつもの香茶に風味は近いけど…………分からないな、何か別種の茶葉と混ぜてある?
喉がじんわりと温まる感じがする。香辛料か何か、入れてあるのかな。
「…………レイシール様?」
「うん?」
「顔、赤くないですか?」
「そう?……でもなんか、暑いかも」
いつもより重い上着を着ているからかな……。そう思ったから、上着を脱いだ。それで随分とスッキリした気分になる。
うん、やっぱりこういうゴテゴテしたの、あまり着慣れないし、そういえばもう帰って来たのだから、剣帯だって外して良い気がする。
「…………レイシール様、何をされているのです?」
「ん? これ邪魔だなって。あれ……帯も邪魔」
「レイシール様⁉︎」
「首、苦しい」
腰帯を外し、剣帯を取ると、襟元も窮屈な気がした。ひとつふたつ釦を外す。周りがなんかざわざわしてるけど、どうしたんだ?
「おいっ、ルーシー何を飲ませた⁉︎」
「何って……香茶ですけど……」
「いつものより美味しかった。だけど暑い」
「ちょっ、それ以上脱ぐのは不味いですって!」
「サヤ、その茶まさか、酒が入ってたりしないよな⁉︎」
サヤが俺の前に身を乗り出し、手元にあった香茶を掴む。
暑い。
鼻を近付け、香りを確認するサヤの可愛い耳が目の前に来て、ムラムラと触れたい気持ちが高まった。
手を伸ばして指を這わせると、びくりとしたサヤが茶碗を取り落とす。
机に広がっていくお茶……。サヤが慌てて手を伸ばすから、濡れてしまうと思い、その手を取って動きを阻むと、サヤからも甘い香りがした気がした。
「……これ、好き」
良い香り。
「レイ⁉︎」
「おい、もう何でもいい! そいつ止めろ! 絶対酔ってるから!」
「いつもと様子が違いますね……」
「観察してる場合か⁉︎ 後にしろ!」
「あれ、誰か私のお茶知らない? 葡萄酒割り作っておいたやつ……」
「それだー!」
サヤを抱きしめて、この香りがどこからしているのか、確認しようと鼻を寄せた。
焦り、上ずった声がする。
ドタバタしている周りが少々煩わしかったけれど、腕の中の柔らかな感触が心地良かったから、それくらいのことには目を瞑ろうと思った。
耳に鼻を寄せるけれど、ここじゃない……。そのまま耳を伝い、首元に鼻を埋める。
……ここも違った。
胸元かな?と視線をやると、柔らかな手が俺を阻む。煩わしいと感じたけれど……。
「あ、ここだ」
「何が⁉︎」
手首。
飛び散った水滴。ぺろりとそれを舐め取ったら、周りから凄まじい絶叫。
「もう殴ってでも止めろー!」
そんな風に聞こえたけれど、香りの元が分かったからそれで満足。
抱き心地を調整して、そこからはもう、よく覚えていない……。
◆
「……と、いうことがあったんですよ」
「ぁぁぁぁぁ、ぅそだとぃってくれ……」
覚えてる。途中までは。だけど最後の方、それ本当に俺かと頭を抱えた。
サヤを抱えて満足した俺は、何故かそこから急に笑い出したらしく、上機嫌でサヤの頭を撫で、膝に座らせ、手ずから食べ物を与えたがり、拒むと泣き出すという……なんかもう目を背けたい状況であったらしい…………。
サヤが大人しく膝に座ると機嫌を直し、次にはサヤがどれだけ可愛いか、愛しいかを滔々と説明し始め、だから手放さないと宣言。公開処刑さながらに晒され続けたサヤが不憫でならなかったとハイン。
それはもう満面の、蕩けきった笑顔を振りまきまくるから、気が変になりそうだった……と、ギルは呻いた。
サヤを除く女性陣は急いで部屋の外に退避させたから、被害は最小限に食い止められたと言われたが、何の被害かは怖くて聞けなかった。絶対ろくなことじゃない……それだけは確信が持てる。
「分かったから、もうやめてくれ。聞きたくない……」
「巫山戯んな。俺らはそれに何時間耐えたと思ってんだ」
「悪かったよ! だけどこれ俺が悪いかな⁉︎」
「知らん! ていうか酒入ってるって匂いで気付けよ⁉︎」
最終的に悟りきったハインが葡萄酒をお茶だと言って与え、寝落ちさせたという…………。
「今まではニコニコしつつ服を脱いで眠るだけだったのですけどね……。執着を持つと人は変わるのでしょうか……」
「それ初耳なんだけど⁉︎」
「被害を被るのはほぼ私とギルだけだったので」
「あ、僕も一回見ましたよ。寮でもありましたよねぇ……姫様が巫山戯て少量飲ませたら阿鼻叫喚……」
「やめろ、思い出させるな」
「あの時よりはマシでしたね。脱ぎ切らなかったので」
「俺どこまで脱いでたの⁉︎」
「ま、あの状況でサヤを押し倒さなかったのは見上げた根性だと褒めてやンよ。
良かったな、記憶飛ンでる間に致してなくて」
そんなことになってたら俺は首を括る!
それでも結局、眠った俺がサヤを手放さなかったものだから、サヤも眠れず、やっと手を緩めたのが朝方近くだったと言われ、何と言って詫びれば良いのか、そもそも詫びが受け入れてもらえるのか、また苦悩することになった。
サヤは今部屋で休ませているとのこと。良いです。好きなだけ休ませてやって。何なら今日一日寝てもらってても構わない。
「まぁ、あれです。酒は飲んでも飲まれるなですよ」
「飲む気なんて無かったんだよ!」
「来年の祝いは禁酒で行いましょう……」
「そうだな。健全な食事会にしよう」
「サヤくんが付き合ってくれると良いですねぇ、来年も」
「…………そこはもう、運を天に任せるしかねぇな……」
「誠意を持って謝れ。それしか手は無い」
「あとあれです。気の迷いが起きかけていた男性陣も、早く正常な精神を取り戻せるよう、祈りましょうか」
「それどういう意味⁉︎」
「知らんでいい」
もう寝台から出たくなかった……。一生酒なんか飲みたくない。最悪だ……。
本来なら闇に飲み込まれている時間帯なのに、王都はまだ賑わっていた。この三日間は、昼夜を問わず盛り上がる様子だ。
大通り沿いにあるバート商会までなんとか馬車で戻れたけれど、ちょっと周りには迷惑だったかな。貴族の馬車だと分かるから、慌てて避けている人たちに申し訳なかった。
そしてバート商会も眠ってはおらず、裏庭に乗り付けた馬車を、アリスさんとギルが自らが迎えてくれたのだけど……。
「おかえりなさい。
おめでとう、無事任命式は済んだのね?」
「ただいま。うんまぁ、概ね無事に済んだと思う」
「をぃコラ……なんで若干歯切れが悪いんだ。また何かやらかしやがったのかよ」
やらかしたって言うか、回避しようがなかったって言うか……。
苦笑するしかない俺に、ギルは頭を抱えている。それよりも他の皆は? もう寝てしまった?
「話しとくことがあるから、起きてるなら集まって欲しいんだけど……いや、もう明日にするか。時間も時間だし」
「この祭りの賑わいの中で何言ってやがる」
いやまぁ、そうなんだけどさ。
それで結局、皆が集まってるという離れの大部屋に案内された。
揃って待機してくれていたのか。
せっかくお祭りなんだし、どうせなら楽しんで来たら良かったのに。
そんな風に思いながら、明日はクロード様が来るけど、少しくらいならサヤと祭りを楽しむ時間が取れるかな……いっぺんには無理だと思うけど、交代しつつ半日くらいなら、皆にも楽しんでもらえるかな。なんて、考えていたら……。
「おかえりなさいませ」
「「「おめでとうございます!」」」
なんだか豪奢な料理と、皆の祝いの言葉で迎えられた。…………え、そんな大ごと?
「……前から決まってた任命なんだから、そんな大層にしなくても……」
「ほらな。やっぱり忘れてやがった」
「それは昨日でしょ。今日は別のやつですよ」
「今日?」
「もう良いですからさっさと座ってください」
なんか適当な感じでハインにぐいぐい押され、大層な食事の並ぶ卓に、強引に押しやられた。
そして椅子に座らされ、困惑している中、咳払いしたギルが、まず口にしたのは……。
「十九歳、おめでとうだろ。お前、もうとっくになったつもりでいた様子だったけどな……」
「あ」
「そうなんですよ。貴方昨日までまだ十八歳だったんですよ。自覚してました?
だから、王家より役職を賜った貴方はギリギリ十八歳。異例の大抜擢ですよねぇ」
歴史に名を刻んじゃいましたよねぇと、笑うマル。
その隣でハインが、深妙な顔でこんなことを言う。
「貴方に物欲が無いのはどうしようもないほど皆が理解しておりますので、物で祝いの品はご用意致しておりません。
本日、レイシール様は一日をお休みに当てていただきます。サヤと二人、好きに過ごしてください」
「え?」
「サヤも了承済みです」
振り返ってサヤを見ると、赤く染まった顔で「……まぁ、特別な日やし……」と、ごにょごにょ言う。
「私たちは用意したのよ。どうせだから、変装してお祭りを楽しんで来たら良いのじゃないかと思って」
アリスさんが、比較的落ち着いた色合いの服を一式持ち出してきて、それを広げた。……従者服?
隣のルーシーは、程々に高価そうな女性の礼服を満面の笑顔で抱えている。
「こっちはサヤさん用です! お嬢様と使用人風にしてみました!」
「お祭りだもの。そういった方たちもきっとそれなりに紛れているから、さして目立たないわよ。
お化粧は、ルーシーが張り切ってるから任せたら良いでしょ」
「任せてくださいな!」
そうしてそのままなし崩しで、皆から一言ずつの祝詞が並び出した。
父上からも。アーシュすら嫌そうに祝いの言葉を口にするから、なんか申し訳なくなる……。
そうして、一通りが終わってしまってから俺は…………。
「あ、あの……ごめん。
明日、ヴァーリンのクロード様が、いらっしゃるんだけど……」
「「「はぁ⁉︎」」」
いや、ほんとごめん。だってこんな贈り物を用意してくれているだなんて思ってなくて……ていうか、誕生日だってことすら、失念してて……。
で、そのヴァーリンのクロード様がうちに仕えることになったと伝えたら阿鼻叫喚だった。マルですら頭を抱えた。ルフスまで呆然としている。
「貴方なんでそう、厄介を持ち込んでくるんです⁉︎」
「断れよ! 何考えて受け入れてんだお前、状況分かってるのか⁉︎」
「…………絶対ただでは済んでいないと思ってましたが……」
マル、ギル、ハインには絶望された。いや、俺だって抵抗したんだぞ⁉︎
「結局連れ去られて引いてきたのがそのくじなんですね……前代未聞どころの話じゃないですよ……」
「何をどうしたらそうなるんですか……」
「………父上が心停止を起こしそうです……」
アーシュが眉間を揉み解し、オブシズは頭を抱え、ルフスに至っては涙目だ。いや、俺もちょっとガイウス大丈夫かなって、心配してる。
「レイ様って凄いんですね! 公爵家の方が仕えたいと思うなんて、私、なんだか誇らしいです!」
これはユミル。公爵家が凄い家だというのは分かっていても、どれくらい凄いのかはあまり理解できていない様子。
「お前、なンでそうなンだよ⁉︎ 式典真っ只中だろ、なンで自分の誕生日忘れンだよ」
「やー……黙ってた俺たちも悪かった……のかなぁ?」
「ま、まぁとりあえず、食べましょう! 祝賀会でお食事だってできてないんでしょうから」
最終的には皆が諦めた。
「だな。もう食おう。で、寝る!朝になってからその辺は考える!」
自棄っぱち気味にギルが纏め、そのまま宴会に雪崩れ込むことに……もう、ほんとごめん。
サヤが隣に座り、それだけで幸せな気持ちになったのだけど、そんな俺の前にハインが温かいお茶を用意してくれた。
ユストが料理を少しずつ皿に取り分けてくれて、ルーシーとアリスさんが酒瓶を大量に運び込んでくる。
「レイくんは飲まないだろうけど、皆さんは飲むわよね?」
「飲みます!」
笑顔でナジェスタ医師。容姿に反して酒は飲める口らしい。
「あ、私もお茶で。飲酒は二十歳まで禁止されてるので」
「あらまぁ! そんな国があるの!」
「私も茶だな」
「領主様も飲めないのに俺たち飲んで良いの?」
「気にせずとも良い。存分に楽しめ」
「今日はお薬飲めてませんけど、倦怠感はありませんか?」
「問題無い」
ワイワイと賑わいを取り戻し、あれを取ってくれだとか、これ最高に美味しい! だとか、皆が笑顔で卓を囲んだ。
ジークが一発芸だと言って親指が千切れる手品をしてくれたり、ルフスが祝いの歌を歌ってくれたりした。本職の歌い手かと思う程の美声でびっくりだ。
そうした中、ジェイドがウーヴェから預かったという小箱を出して来て、それが比較的簡素な耳飾だったものだから、意味が分からなくて首を傾げる。まさか俺に付けろと……?
「サヤ用に決まってンだろ。
あの派手なやつは日常的に使いにくいだろうって。
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そんな姿がたまらなく可愛くて、いけない気持ちを刺激されそうで、抱きしめたくて仕方がなかった。
「…………よく似合う」
耳元でそう囁くと、キロリと睨まれ、その後すぐに、恥じらうように視線を逸らす。
けれど、確かめるようにそっと耳に触れるその姿……長い睫毛が影を落とす、伏し目がちの視線が、妙に大人び、艶めいて見えるものだから、ぐらりと気持ちが揺さぶられた。
慌ててお茶に手を伸ばし、それを呷って気持ちを誤魔化す。
香茶のつもりでいたのだけど、いつもよりどこか、深みを感じる。ふんわりと鼻に抜けた香りが、甘かった。
「……でも美味しいなこれ……」
なんの茶葉だろうか……。
「ルーシー、これお代わりくれる?」
「あ、お気に召しました?」
「うん。香りが良いな。何か……何か、甘みを感じる……異国のお茶?」
注いでくれたそれを、今度は口の中で転がした。
……いつもの香茶に風味は近いけど…………分からないな、何か別種の茶葉と混ぜてある?
喉がじんわりと温まる感じがする。香辛料か何か、入れてあるのかな。
「…………レイシール様?」
「うん?」
「顔、赤くないですか?」
「そう?……でもなんか、暑いかも」
いつもより重い上着を着ているからかな……。そう思ったから、上着を脱いだ。それで随分とスッキリした気分になる。
うん、やっぱりこういうゴテゴテしたの、あまり着慣れないし、そういえばもう帰って来たのだから、剣帯だって外して良い気がする。
「…………レイシール様、何をされているのです?」
「ん? これ邪魔だなって。あれ……帯も邪魔」
「レイシール様⁉︎」
「首、苦しい」
腰帯を外し、剣帯を取ると、襟元も窮屈な気がした。ひとつふたつ釦を外す。周りがなんかざわざわしてるけど、どうしたんだ?
「おいっ、ルーシー何を飲ませた⁉︎」
「何って……香茶ですけど……」
「いつものより美味しかった。だけど暑い」
「ちょっ、それ以上脱ぐのは不味いですって!」
「サヤ、その茶まさか、酒が入ってたりしないよな⁉︎」
サヤが俺の前に身を乗り出し、手元にあった香茶を掴む。
暑い。
鼻を近付け、香りを確認するサヤの可愛い耳が目の前に来て、ムラムラと触れたい気持ちが高まった。
手を伸ばして指を這わせると、びくりとしたサヤが茶碗を取り落とす。
机に広がっていくお茶……。サヤが慌てて手を伸ばすから、濡れてしまうと思い、その手を取って動きを阻むと、サヤからも甘い香りがした気がした。
「……これ、好き」
良い香り。
「レイ⁉︎」
「おい、もう何でもいい! そいつ止めろ! 絶対酔ってるから!」
「いつもと様子が違いますね……」
「観察してる場合か⁉︎ 後にしろ!」
「あれ、誰か私のお茶知らない? 葡萄酒割り作っておいたやつ……」
「それだー!」
サヤを抱きしめて、この香りがどこからしているのか、確認しようと鼻を寄せた。
焦り、上ずった声がする。
ドタバタしている周りが少々煩わしかったけれど、腕の中の柔らかな感触が心地良かったから、それくらいのことには目を瞑ろうと思った。
耳に鼻を寄せるけれど、ここじゃない……。そのまま耳を伝い、首元に鼻を埋める。
……ここも違った。
胸元かな?と視線をやると、柔らかな手が俺を阻む。煩わしいと感じたけれど……。
「あ、ここだ」
「何が⁉︎」
手首。
飛び散った水滴。ぺろりとそれを舐め取ったら、周りから凄まじい絶叫。
「もう殴ってでも止めろー!」
そんな風に聞こえたけれど、香りの元が分かったからそれで満足。
抱き心地を調整して、そこからはもう、よく覚えていない……。
◆
「……と、いうことがあったんですよ」
「ぁぁぁぁぁ、ぅそだとぃってくれ……」
覚えてる。途中までは。だけど最後の方、それ本当に俺かと頭を抱えた。
サヤを抱えて満足した俺は、何故かそこから急に笑い出したらしく、上機嫌でサヤの頭を撫で、膝に座らせ、手ずから食べ物を与えたがり、拒むと泣き出すという……なんかもう目を背けたい状況であったらしい…………。
サヤが大人しく膝に座ると機嫌を直し、次にはサヤがどれだけ可愛いか、愛しいかを滔々と説明し始め、だから手放さないと宣言。公開処刑さながらに晒され続けたサヤが不憫でならなかったとハイン。
それはもう満面の、蕩けきった笑顔を振りまきまくるから、気が変になりそうだった……と、ギルは呻いた。
サヤを除く女性陣は急いで部屋の外に退避させたから、被害は最小限に食い止められたと言われたが、何の被害かは怖くて聞けなかった。絶対ろくなことじゃない……それだけは確信が持てる。
「分かったから、もうやめてくれ。聞きたくない……」
「巫山戯んな。俺らはそれに何時間耐えたと思ってんだ」
「悪かったよ! だけどこれ俺が悪いかな⁉︎」
「知らん! ていうか酒入ってるって匂いで気付けよ⁉︎」
最終的に悟りきったハインが葡萄酒をお茶だと言って与え、寝落ちさせたという…………。
「今まではニコニコしつつ服を脱いで眠るだけだったのですけどね……。執着を持つと人は変わるのでしょうか……」
「それ初耳なんだけど⁉︎」
「被害を被るのはほぼ私とギルだけだったので」
「あ、僕も一回見ましたよ。寮でもありましたよねぇ……姫様が巫山戯て少量飲ませたら阿鼻叫喚……」
「やめろ、思い出させるな」
「あの時よりはマシでしたね。脱ぎ切らなかったので」
「俺どこまで脱いでたの⁉︎」
「ま、あの状況でサヤを押し倒さなかったのは見上げた根性だと褒めてやンよ。
良かったな、記憶飛ンでる間に致してなくて」
そんなことになってたら俺は首を括る!
それでも結局、眠った俺がサヤを手放さなかったものだから、サヤも眠れず、やっと手を緩めたのが朝方近くだったと言われ、何と言って詫びれば良いのか、そもそも詫びが受け入れてもらえるのか、また苦悩することになった。
サヤは今部屋で休ませているとのこと。良いです。好きなだけ休ませてやって。何なら今日一日寝てもらってても構わない。
「まぁ、あれです。酒は飲んでも飲まれるなですよ」
「飲む気なんて無かったんだよ!」
「来年の祝いは禁酒で行いましょう……」
「そうだな。健全な食事会にしよう」
「サヤくんが付き合ってくれると良いですねぇ、来年も」
「…………そこはもう、運を天に任せるしかねぇな……」
「誠意を持って謝れ。それしか手は無い」
「あとあれです。気の迷いが起きかけていた男性陣も、早く正常な精神を取り戻せるよう、祈りましょうか」
「それどういう意味⁉︎」
「知らんでいい」
もう寝台から出たくなかった……。一生酒なんか飲みたくない。最悪だ……。
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