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門出 18

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 サヤが狙われてる。
 それはもう直感だった。

 サヤの腕時計だけを持ち去った何者かは、腕時計の価値を理解している。その所有者が誰であるかを理解している。そうして今、目の前の欲に流されないのは、もっと大きな獲物……それを確実に得るつもりでいるからだ。

 サヤの首に、得体の知れない何者かの手が掛かっている……。それを意識してしまったら、恐怖で身が竦みそうだ。
 けれど……。
 恐れ慄いている時間の余裕など、ありはしない。
 こうしている間にも、相手はサヤを得るために、爪や牙を研ぎ澄ましているのかもしれない。
 もしかしたら、もうすぐそこまで、辿り着いているのかもしれない。手を伸ばしているのかもしれない……っ。

 サヤを抱く腕に、自然と力が篭る。奪われてなるものかと、腹の底の闇が蠢いた。
 可能性として、最も高いのは無論、ジェスルだ……。


 ◆


「……ダニルのことじゃないのか?」
「それもなんだけど……ちょっと急を要する事態が発覚したから、まずはそれが先」
「…………お前、どうした?」

 深夜。
 サヤの部屋を辞した後から、俺の記憶はどこか曖昧としている。
 つい、サヤの置かれた状況について考え込んでしまうためだ。

 あれから、普通に部屋へと戻り、ジェイドにアイルとローシェンナを館に呼びたいと伝えた。
 訝しむ彼が、深夜ならばと言うから、極力知る者を減らしたいから、当人ら以外には知られないようにと念を押し、夕食だと呼びに来たハインにも、皆に深夜、こっそり部屋に来るよう伝えてくれと言伝た。

「どうしたって、何か変?」
「…………いや、変っていうか……なんでこんな時間に、皆で集まった?」
「うん。それは今から、言うよ」

 夕食の席では、極力普段通りに振る舞い、ダニルらのことも、夫婦喧嘩の仲裁だと誤魔化した。
 そして今、もう日付けも変わった頃合いだ。

 お客様来訪中の、急な召集。
 しかも使用人にも見咎められず、深夜に来いと言われれば、そりゃ訝しむ。
 そうして集まったのは、サヤ、ギル、ハイン、マル、シザーに加え、オブシズ、ジェイド、アイル、そしてローシェンナ。
 ウーヴェはメバックだったから、今回はここで集まれた者のみだ。ユストは兵舎を抜け出すのが大変そうだったから、今回は見送った。

「私を館に呼ぶってどういうことよぅ?
 ウォルテールを叱責した手前、来にくいったらなかったわぁ」
「ローシェンナは、誰かに見咎められたりするようなヘマは、しないだろ?」
「そりゃしないけど……そんな、怖い顔で言われると、勘繰っちゃうわぁ」

 あれ。
 俺、怖い顔になってた?

「……怖いっつーか……表情が抜け落ちてる」

 ギルにそう指摘され、表情を取り繕う余裕も失せていたことに、やっと気付いた。

「まさか夕食の席でも?」
「そこはまだ、保ってました」
「大丈夫じゃないですか?    付き合いが長い僕らはともかく、お嬢様方やオブシズには、分からなかったと思いますよぅ」

 ハインとマルの言葉に、オブシズが申し訳なさそうに眉を下げ……。

「うん、まぁ……俺は気づかなかったけど……。
 それよりサヤが……元気が無い様子なのが気になってた……」

 頭を掻きつつそう言い、サヤ絡みなのかと問うから、うん。と、頷き、肯定する。

「そうなんだ。ちょっとね、今からとても重要な話を、することになる。
 信じ難いことだと思うけど……まずは最後まで聞いてほしい」

 そう前置きすると、ジェイドらは顔を見合わせ、オブシズは神妙になり、なんとなく察したギルたちは一瞬沈黙した後……。

「ちょっ、お前まさか⁉︎」
「それは今聞く余裕無い。言ったろ、緊急事態なんだ」

 深夜まで待つのすら辛かったくらいに、俺だって今、余裕が無いんだよ……。

 そう言うと、ハインは苦虫を噛み潰したような顔をし、ギルは不安そうに、マルも彼にしては真面目な表情を作った。シザーはまぁ……いつも通りのソワソワだ。それでちょっと気持ちが和む。

「サヤ、こっちにおいで」

 一人でただ項垂れていたサヤを招き、その手を握ってから、俺は一度、サヤの顔を覗き込んだ。
 不安そうに俺を見る彼女に、大丈夫だよと笑いかけて。

 大丈夫だよ。
 ここの皆が、サヤを受け入れてくれないとは、考えてないんだ。
 俺の不安は、ここの中には無い。だから、大丈夫だよ。

「皆に、今まで伏せていたことを伝える。そのために集まってもらった。
 それは、彼女のことなんだ」

 そうして俺は、サヤが異界から迷い込んだ身であり、この世界の住人ではないことを告げた。

 たまたま泉で、偶然に出会ったこと。
 泉の中には、戻れなかったこと。
 言葉は初めから通じていて、どういった理屈かは分からないが、多少耳が良くなり、力も強くなったこと。

 口にしてしまえば、たったそれだけのことだった。
 言うべきことを言い終えた俺が口を閉ざしても、事情を知らなかった者らは、どう反応して良いやら分からない様子で、ただ呆然とサヤを見る。

「こんな、荒唐無稽な内容だから、彼女の身の安全も考え、伏せていた。
 今日まで偽りを述べていたことは詫びる。
 まぁ、信じられない内容かとは思うんだけど……本当なんだ」

 そう言うと、真っ先に口を開いたのはジェイド。

「……いやまぁ、驚いたは驚いたがよ……どっちかっていうと……納得……だな」

 そう言って、はぁ……と、息を吐く。

「信じる信じねぇは、正直分かンね……。つか、こんな嘘を言う意味も、分かンねぇし……。
 でも、こいつが妙な知識を阿呆みたいに垂れ流してンのは見てきてるし、俺らとは価値観とか感覚が、根本的に違う理由も、つくっつうか……」

 それに対しアイルは……。

「……どうでも良い。サヤは、我らの恩人であり、主の番。俺にはそれで充分だ。
 共に仕事もした。背を預けるに足る人物?かどうかは、その時確認済みだ」

 相変わらずの冷めた表情で、難しく考えることは放棄した様子。

「匂いが変だとは思ってたけど……それだって別に、特別すぎやしなかったしねぇ。
 獣人を知らなかったのも、サヤの世界に獣人がいないからなのねぇ……。
 ……それに、帰り方の分からない、海の向こうの隔離された島国が、異界だったってだけの話でしょぉ?」

 ローシェンナも、多少の戸惑いはうかがわせたものの、そう言って苦笑する。

「そもそも、あたしたちはサヤに命を賭けてもらってる……。
 そこに疑いを挟む余地なんて、あるわけないじゃないのぅ」

 その言葉に、サヤはぺたんと座り込んでしまった。

「サヤ……」
「ごめんなさい……気が、抜けてしまって……」

 そう言い、俯いたサヤの頭をポンポンと撫でる。
 きっと不安だったと思う……。
 始めのうちは、他に選択肢もなく、今を乗り越えるために必要で、サヤの真実を伝えたけれど、吠狼らとの縁は、まだ一年にも満たない……。
 もし信じてもらえなかった場合、異質な自分は、行き場を失うかもしれないと、そんな風に考えたのかもしれない。

「貴女が底抜けに優しいのは、間違いなく貴女の気質だもの。
 あたしたちはぁ、それに何度も助けてもらったの。これくらいのこと、なんとも思わないわぁ」

 ローシェンナにそう言われ、そっと抱きしめられて、温もりにホッと、安堵の息を吐く。

 けれど……。

 そんな獣人らに反し、オブシズは……まだ、状況を受け入れられない様子だった。

「……ギルやマルクスは……知っていたのか……」
「そうですねぇ。まぁ、早い段階で聞かされましたよぅ。
 と、いうか。他に選択の余地が無かったんですよねぇ、あの時は。
 レイ様は孤立して孤軍奮闘してましたし、ジェスルの脅威もありました」
「……信じられん……信じられたのか、お前たちは⁉︎」

 半ば叫ぶみたいにオブシズ。
 それに対しギルは、諦めも混じったような表情で、言葉を返す。

「ま、信じられんものを色々見たし、それに日々、助けられてるしな……」
「この世界に無い調味料をあれだけ出されれば」
「サヤくんの国の言語、あれは一人に作り込める構造じゃないですよ。
 一つの言語に三種の文字。何千文字とあるそれを、巧みに織り交ぜた独特な文章構成。この世界の誰が発想できるっていうんです?    あんなもの」

 皆が口々にそういうと、オブシズは呆然とそれを見渡して、ふらつき、壁に背中を預けた。

「…………シザーは……」
「…………れ、レイ様の、信じるものは、信じる」

 もののついでみたいに聞かされたシザーだったけど、そんな風に考えていてくれたらしい。
 その返答に、オブシズは両手で顔を覆った。

「……異界だぞ?    そんなもの、あると本気で思うのか?
 俺は……俺は分からない……まだ、悪魔がいると言われた方が信じれる!
 だって異界だぞ⁉︎」
「……そうは言いましても、彼女の黒髪……この世界では、他に見かけませんよ」

 ハインの指摘に、オブシズは更に追い詰められたような顔をした。
 そして、そのハインの指摘で、俺は最後の重要事項を、今、伝えると決めた。

「……これを今、皆に伝えたのは……皆に、サヤを守る手助けを、お願いしたいと思ったからなんだ。
 サヤが泉を抜けてこの世界に来た時、持ち込まれたものがある。
 彼女が身に纏ってていたものだ。……そのうちの一つが、失われていたことが、先程発覚した。
 箱に詰め、釘まで打って封印していたのに、失せていたんだ」

 俺の発した言葉に、吠狼の三人が、それまでとは打って変わって緊張をみなぎらせた。
 殺気すら纏わりつかせ、臨戦態勢で叫んだのはアイル。

「あり得ない!」

 そのままつかつかと俺に詰め寄り「ここは、常に警護している。穴は無い。痕跡が無くとも、匂いでだって、我々は察知できる!」と、声を荒げる。

 彼にしては珍しい感情の発露に、それだけ彼らが責任と誇りを持ち、この仕事に就いてくれているのだと、肌で感じた。

「……俺らへの侮辱か、そりゃ」
「違う」
「違わねぇ。俺らはそこいらの半端な連中とは違う。
 それとも何か?    俺らの中に、それをした奴がいるとでも言いてぇのかよ?」
「違う。そうじゃない」
「じゃぁ、なンのつもりでその言葉を口にしやがった⁉︎」

 くってかかるジェイド。
 しかし怒るジェイドに、冷水を浴びせるような言葉がぶつけられた。

「そんなこと、何故言い切れる。
 俺にはそうは思えない……あの脱走した狼じゃないのか?」
「なンだと⁉︎」
「お前たちは大きな組織だ。離脱者だって、掟を守らない者だっているだろう」
「てめぇ……なまっちょろい傭兵無勢が、俺らの掟を語るのかよ?」
「こちらとて命を賭けている。兇手と違って、隠れるわけにもいかないからな」

 何故かオブシズとジェイドが火花を散らしだし、俺は慌ててしまった。
 今まで特別ぶつかる様子も見せなかったのに、なんで今⁉︎

「止めろ!    違う、誰を疑ってるとか、そういうことじゃないんだよ!
 失くしたのは腕時計という、小さな時計のついた腕輪なんだ。
 こんなものをサヤが持っていたなんて、吠狼の皆は知らないだろう⁉︎
 それに、その腕輪がここで盗まれたとも限らない。半年近く、その腕輪は釘の打たれた木箱に封印されていたんだ!」

 慌てて二人の間に体を割り込ませ、俺はサヤに確認したことを付け加えた。
 だいたい、疑ってる相手に、サヤの素性を話したりするもんか!

「俺がサヤの素性を先に明らかにした理由を、考えてくれ。
 俺は、ジェイドたちを疑ったりなんか、微塵もしていない!    だから秘密を口にしたんだ!
 オブシズも、それを踏まえて発言してくれ。彼らは俺の部下じゃなく、対等なんだ。それでもこうして、力を貸してくれている。命を賭けてくれてる!
 彼らを疑うことも、侮辱することも、俺は許さない」

 そう言うと、オブシズはどこか苦しそうに顔を歪める。
 ……いや、分かってるんだ。彼がそうしてしまった理由も。

「すまない。言いにくいことだから、敢えて可能性を口にしてくれたってことは、理解してる。
 だけど、それこそ土嚢を積んでいた時から、彼らとは接して来てるんだよ、俺たち。
 死線だって、一緒にくぐり抜けて来たんだ」
「は……差し出がましいことを……申し訳ありません……」
「いや、こちらの説明不足もあったと思う。それは、悪かったよ……」

 一触即発だった場をなんとか収めて、俺はサヤの腕輪が、夏場の不法侵入者以後、木箱に釘まで打って封印されていたことを、改めて伝えた。
 別館からの引越しの際も、中身は確認せず、そのまま運び込まれたのだ。

「だから、半年近く、箱の中身は確認されていなかったんだ」
「先程も、箱はちゃんと封印されていたんです。でもこじ開けてみたら……腕時計だけが……」

 そう告げると、ジェイドは場の空気を誤魔化すみたいに頭を掻き……「箱を見せろ」と、口にした。

「そりゃ、どう考えたって、箱を開けて中身、出してるだろ。
 開けたと分からンように加工したンだろうから、確認する。そうしてあれば、玄人だろ」
「ついでに匂いも確認するわぁ。
 オブシズの言う通り、掟が確実に厳守されてるわけじゃ、ないものねぇ。
 実際に脱走者だって出て来てるしぃ、疑いはごもっともだと思うわぁ」
「そもそも、一番怪しいのはジェスルでしょうけど」

 ハインが当然のことを口にするが如く、そう口を挟むと、争ってしまった二人はお互いそっぽを向く。
 その可能性を失念して、お互いを挑発してしまったことが気まずかったのだろう。
 そうやって、一瞬緩んだ場の雰囲気だったのだけど……。

「ですが……不法侵入後から吠狼はほぼ、館の警護を離れた期間がありません。
 その隙をついて、サヤの私物を盗み出しています。
 相手はかなりの手練れですよ。しかもそれを、我々に今日まで、悟らせなかった」

 その、マルの指摘が、ひやりと背を撫でる……。

「……今日まで、接触もせず、存在も匂わせず……。
 まぁ、ジェスルなんでしょうけど、ジェスルなんですかねぇ……」
「…………お前、何言ってんだ?」

 ギルがつい、そう口を挟んだのだけど。

「いえ、独り言ですから、お構いなく。
 とにかく、サヤくんの私物を盗んで、サヤくんを放置してくれるとは思えませんね。
 サヤくんが異界の者だと察しているかどうかはともかく、発覚の可能性を上げてでも、私物をひとつ持ち出しているというのが、なんとも意味深です。
 今まで以上に、警戒を怠らないようにしないとねぇ。
 ま、サヤくん手練れですし、そうそう遅れはとらないでしょうけど」

 そう言いつつマルは、言葉以上に警戒した表情。
 俺はそれに、えも云われぬ不安を感じていた……。
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