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ウォルテール 3

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 弱ったウォルテールには、狼の姿を維持するようこっそりと言い聞かせ、場所の余っていた荷車に乗らせた。彼の見張りは、馬に乗ったシザーが引き受けてくれた。
 護衛の面々はかなり警戒していたけれど、サヤの言葉には素直に従う狼に感心し、こちらにすべて任せてくれたので有難かった。
 そうしてとりあえずメバックに急ぎ、なんとか門が閉じる前に、到着できたのだけど……。

「なんだ?    今度はまたでかい犬を拾ったな」

 バート商会に辿り着くと、迎えてくれたギルがそう言って首を傾げる。
 暗がりだし、獣化した獣人だとは思い至っていない様子。
 だけど、サヤがウォルテールに大人しくするよう言い聞かせ、部屋に連れて行こうとするのを見て、なんとなく察した様子だ。
 顔を手で覆って苦渋に満ちた表情を隠す。驚きも一緒に飲み込んだのだろう……。

「…………仕方ねぇ。何か要るものはあるか?」
「服一式。それから、傷の手当てをしなきゃならないと思う」

 明かりの下で見ると、ウォルテールは少なからぬ傷を身体に負っており、ところどころ毛が汚れていた。ジェイドとやりあった際に斬られていたらしい。
 早く手当てしないとな……血を失いすぎてしまうと大変だ。

 バート商会には俺とサヤ、ハイン、マル、シザー。父上とガイウス親子、女中頭と、父上付きの武官が一人残り、後はギルの確保してくれた宿に向かうことになった。

「オブシズ、すまないな……」
「いや、俺はこっちの方が気が楽ですよ。……それに……あの親子からも、目を離したくないですしね……」
「……怖がらせてしまったから……二人に申し訳なかったと、伝えておいてくれるか」
「畏まりました。あと、女中らには親子と同室でいてもらうことにします」
「頼む」

 残りの面々を送り出し、足の悪い父上の部屋は、二階にご用意致しましたというワドに父上らのことを任せる。準備ができたら伺うからとガイウスに言伝ててから、俺たちは自分の部屋に急いだ。

「サヤ、ウォルテールの怪我は俺が診るから」
「え、でも……」
「サヤくん、ウォルテール、獣化解いたら裸身ですからね?」
「っ⁉︎    お、終わったら教えてください!」

 ウォルテールを俺の部屋に引き入れてから、マルとシザー、そして荷物を持ってやって来たハインとギルで取り囲んだ。
 サヤが離れる時、ウォルテールは嫌そうな素振りを見せたけれど、すぐ隣の部屋にいると言うと、とりあえず納得する気になった様子。

「いいよ。獣化を解いても」

 ハインが部屋の扉をきっちりと閉じたのを確認してから、俺はウォルテールにそう伝えた。
 すると前に見せてもらったローシェンナの獣化とは随分と違う展開に、唖然とすることとなる。

 ウォルテールの変化は、静かだったのだ。
 骨が軋むような音は無く、自然な移行を果たすだけのことであるように、するりと形が変わった。
 そうして現れたのは、ふてくされた顔の、一人の男。裸身であることなど歯牙にもかけず、胡座をかいてそっぽを向いている。
 斬られた傷は、人型になっても残るものであるらしい。身体には赤い筋が幾本も走っていた。
 血は流れていない……早いな、もう血が止まったのか。なら一応傷口を洗い、中に砂利などが含まれていないかだけ確認することにしよう。

「触るなよ!」
「駄目だ。もし怪我から悪魔が入ったらどうする。サヤを悲しませるのか……」

 サヤの名を持ち出すと、牙を剝きだすようにして威嚇してきたけれど、大人しく従った。
 フーッフーッと、必死で興奮を押し殺そうとするかのような息遣いで、俺が傷を確認する間を耐える。一度殴られそうになったが、それはシザーの腕が阻んでくれた。
 俺にも思うところはあったが、ハインが斬り殺しそうな顔をするから今は我慢してくれと瞳で制して、とにかくやるべきことに徹する。

「大丈夫そうだ」
「なら今は夜着を着てろ。人型の大きさが分からんから、服はまだ用意してないしな。明日の朝には渡そう」

 そう言いながら、とりあえずの夜着を投げ、ウォルテールをじっくりと見つめるギル。目測しているのだろう。ウォルテールはギルにまで威嚇しようとしたけれど、丁度入室してきたサヤに睨まれて、耳をピクリと下げた。サヤが怒っていたからだ……。

「ウォルテールさん……」
「だ、だってこいつ、威嚇してくる……」
「人が見つめるのは威嚇じゃないです。分かってるでしょう?」
「……………………」

 頬を膨らませてそっぽを向くウォルテール。反省の色が見えない態度に。サヤの視線がより鋭くなった。
 無言で、ただ見つめる…………。
 段々と、サヤの周りの空気が冷めていくような錯覚……。
 サヤの中で、何かが重く深くなっていくような……ちょ……これ、本気怒りなんじゃ?

 暫く耐えていたウォルテールであったけれど、サヤのその冷たくも重たい視線と無言の重圧に、どんどん耳が下がっていった。

「ご…………ごめん……」

 とうとう折れて、謝罪を口にする……サヤの勝利だ。

「……どうして、勝手に姿を消したり、したんですか。
 他の皆さんに、迷惑を掛けるって、分からなかったんですか。
 しかも、ジェイドさんに噛み付いて、あんな酷い怪我……」
「……だって……」
「…………」

 また黙ってしまったサヤに、ウォルテールはキュッと耳を平行にする。

「だって、あいつら、すぐ戻るって言ったのに!    サヤずっと戻らないし、どこ行ったか教えてくれないし!
 しかもあいつら、俺をずっと一人にしてくれないし、いい加減気持ち悪かったんだよ!
 ならもう勝手にに探そうと思って……そう、訓練の時に、思い立って……」

 ウォルテールの言葉に、サヤは傷付いたように表情を歪めた。
 自分が原因だったから……。自分のせいで、皆に迷惑をかけてしまったと思ったのだろう。
 だが、ウォルテールは違うことを考えたようだ。

「あいつら、訓練したら、サヤのところに行けるって言ったんだ!    なのに、いつまでたっても行けない……真面目にちゃんとやってもまだだって言う!
 なぁサヤ、俺、サヤの傍にいたい。サヤは俺、怖くないって言ったもん。狼でも触れてくれる……なぁ、良いでしょ?」

 サヤなら言うことを聞いてくれる。そう思ったのだろう……。だけど…………。

「そんな理由で、ジェイドさんを傷付けたんですか……」

 サヤの掠れた声に、ウォルテールは訝しげに尻尾を揺らした。
 そしてギョッとする。サヤが、涙を浮かべていたから。

「みなさんが駄目だって言ったのは、正しい判断です。
 だってウォルテールさんは、ああやって平気で狼の姿を晒して、相手を傷付ける……。
 あれがどれだけ危険なことだったか、分かってない……みんなの優しさも、分かってない!」

 サヤの言葉に、混乱したような表情で一歩身を引いた。
 だけど、ムッとした顔になり、まるで自分が絶対に正しいのだとばかりに、サヤに牙を剥く。

「はぁ⁉︎    俺はちゃんと、やれって言われたことやってたよ!    ちゃんとできてた!」
「やれと言われたことをやるのは、目的じゃないんです。それをしなきゃいけない意味を、理解しなければいけなかったの。
 館に来てはいけないのは、その耳や尻尾、足を見られてはいけないから。
 まだ駄目だと言われたのは、貴方がその重要性を、理解していないから。
 貴方の不注意で、沢山の人が行き場を失う!
 そしてなにより、貴方が……貴方が辛い思いをするかもしれないって……そう思うからこその言葉なんですよ⁉︎」

 サヤの叫びに、ウォルテールは虚をつかれたような顔になる。

「私だけで良いんですか?    ウォルテールさんを怖くないって言うの。
 違うでしょう?    私たち、世の中のみんながそうなるよう、頑張ってるの。レイシール様だって、マルさんだって、頑張ってるの!
 そのために今、みんなは悪魔の使徒なんかじゃないってこと、証明しようって、努力してるの!
 貴方が獣化できて、強いのはみんな知ってます。でも、その強さを自分の気持ちで御せないから、駄目だって言われてるの!
 感情のままに牙を剥いて、ジェイドさんの腕、あんな風に…………相手を傷付けたのに、ウォルテールさんは今そのこと、なんとも、思ってない!    そんな人、私は嫌です!」

 サヤの拒絶に、呆然と瞳を見開いて、ウォルテールは固まった。
 そして、まるでかつて味わった痛みの再来を恐れるかのように、一歩身を引く。

「……嫌?    …………俺のこと嫌なの?」

 怖くないって、言ったのに……嫌なの?    と、震える声で、サヤに問う。その言葉に、サヤは泣きそうな顔になった。

「俺、分かんない……だって俺は、普通にしてるだけだよ!
 これが俺なんだもん。耳だって、脚だって、尾があることだって、俺が選んだんじゃない……前世だって知らない……俺は好きでこう生まれたんじゃないよ⁉︎」
「私は、ウォルテールさんの耳や足や、尾なんてどうだって良いんです!    狼の姿だって、綺麗だと思うしとても好き。だけどその綺麗な姿を……貴方自身がその価値を落とすから嫌なの。
 平気で誰かを傷付けることが嫌!    それを当然だと思ってるのが嫌!    貴方がそうすることで、他の獣人みんなが危険だって思われる……それがとても嫌!
 ウォルテールさんは、誰かのための我慢ができない……。だから、駄目だって言われたんです。
 アイルさんもハインさんも、ローシェンナさんだってすごく頑張ってそれをしているの。その頑張りを、足蹴にされることが嫌!」

 サヤは涙を零しながら、そう言った。
 そう言いながら、サヤはその言葉の矛盾にも気付いていて、だから苦しんでいた。
 獣人は……本当なら、そんな我慢をする必要は無いのだと思う……。
 世の中が普通に獣人を受け入れていれば、彼らがそうそう人を傷つけるほどに、感情を爆発させる必要なんて、無いだろうから。

 彼らは生まれつき、牙や爪といった武器を持つ。本来は、ただそれだけのことなのだ。
 帯剣して歩く俺たち人と、なんら変わらない。
 なのに歴史が彼らを悪だと作り変えたから、目くじら立てるようなことでないことまで、いちいち叩かれる。
 人の世にだって暴力はあり、同じように人同士で傷付け合うのに……。
 それでも……。
 今は、それを堪えてもらわなきゃ、いけない。
 この理不尽な要求を、受け入れてもらわなきゃいけないのだ。
 だけどウォルテールは、まだそのことを理解できていない……。
 他の獣人らと違い、周りをただ恐れずに済む。血が濃い分、獣化もできて強い。だから余計、その理不尽に耐えられないのだろうと思う。

「ウォルテール。君はなんでサヤが好きなの?    その理由を、もう一度よく考えて。
 サヤは、ウォルテールが獣人であることは、気にしてないんだ。狼でも、良いんだよ」

 そう声を掛けると、弾かれたように視線がこちらを見た。まるで、縋り付くように……。

「サヤはね、誰かが痛いことも、痛いんだよ。
 ウォルテールが傷付けた相手がいることが、苦しいんだ。
 ウォルテールにそうしてほしくないんだ。それと同じくらいにね……ウォルテールが、その姿でいることを否定されることが、苦しいんだよ」

 そう言うと、混乱した顔になる。
 難しいかなやっぱり……俺も、どう言えばいいか、まだ迷ってる……。だけど、今、どうにか言わなきゃいけないことだと思うのだ。

「ウォルテールが獣人であることを、怖がられたり、嫌がられたりしたくないんだ。
 だけど、ウォルテールが相手を傷付けるとね、全部をその姿のせいにされるだろう?    ウォルテールが悪くないことでも。
 ウォルテールが傷付けた相手が、全然関係ない獣人まで悪く言う。それが辛い。
 だってそれにはその逆もあるだろう?    ウォルテールと全然関係ない、聖典の獣人が悪魔の使徒だったことで、ウォルテールが悪く言われる。
 サヤは……サヤに優しくしてくれたウォルテールが、優しいって知ってるから。
 誰かを傷付けて、それを獣人に生まれたから当たり前だ。なんて風には、思ってほしくないんだ。
 自分が獣人であることを、自分で貶めてほしくないんだよ」

 ただそう生まれたってだけだ。
 そのウォルテール  の叫びは、よく分かる。
 だけどそれを理由にして人を傷つけてしまったら、周りを肯定していることになってしまう。
 ただそう生まれたってだけ。
 その言葉を、正しく叫ばなくては駄目なんだ。

「俺のこと、嫌いじゃないの?」
「嫌いじゃないから、苦しいんだよ。サヤは君を嫌だって言ってるんじゃない。君のやったことが嫌なんだ。
 血に流されるな。血を理由にするな。お前のお前らしさを、血如きで捨てるな。そう言ってるんだ。
 本当にサヤを好きだと思うなら、サヤを泣かせたら駄目だろ。あんな苦しい顔して、嫌だなんて、叫ばせたら駄目だ」

 俺が言えた義理じゃない……。
 だけど、俺が言うべきことだ。
 サヤを幸せにすると誓ったから。

「サヤの傍にいたいなら、言われたことだけやってちゃ駄目だ。その意味を理解しなきゃな。
 誰か一人の行いが、全員に跳ね返る。今、君ら獣人は、そんな場所に立ってるんだ。
 それをちゃんと考えて。自分が一人じゃないってことを、考えるんだよ、ウォルテール。お前は今、群れの一員なんだ。それを自覚しなさい」
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