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カナくん 2

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 カナくんの名は、サヤがこの世界に来た初めの日から、耳にしていた。
 俺が、サヤを好ましく思っているのだと自覚した時にも、その名があった。

 彼女は常に前を向いていて、足掻いていて、前に進む努力を怠らなくて……。
 運命の悪戯で、自らの世界から迷い出てしまったこの世界にあってすら、そうで。
 その行動理念の根本的な部分に、彼の存在があるのだということは、早々に知った。
 彼女を彼女たらしめている。
 そこにカナくんという存在が、大きく作用している。
 無体を働かれそうになっていた彼女を救ったのはカナくんで。
 苦しみの中にいた彼女を救い出したのもカナくんで。
 彼女は彼を、とても大切に想っていて……。

 嫌われている……。そう言って泣いたのに、サヤはカナくんが好きで。
 何度も辛い言葉を吐かれ、傷ついてきたと俺に告げるのに、それでも求めていて……。
 彼女が強くなろうとするのは全て、カナくんのためで。

 初めはただ、彼を妬んでいた……。
 サヤの中のカナくんの大きさに。全く敵わないであろう自分に。
 無理だと思っていたのだ、彼に勝ることなんて……。
 今だって、その気持ちはやはりある。元の世界に戻れるならば、サヤはこの世界と俺じゃなく、元の世界とカナくんを選ぶのではないか……。
 今でも彼女は、カナくんに魂を捧げているのではないか……。

 けれど。

 カナくんに劣らない気持ちを、俺は持っている……いや、むしろカナくんよりも絶対俺は、サヤのことを大切に想っている。
 サヤに酷い言葉を何度も浴びせた相手などに、俺の気持ちは負けやしない。
 もうこの世界にサヤはいる。
 俺の恋人となってくれた。
 抱きしめることも、口づけることも許してくれた。
 将来の妻になることも、承知してくれた。
 カナくんが得られなかったものを、俺は沢山得ている。
 もう俺は、カナくんに負けやしないのだと。
 そう思っていた。思い込もうとしていた。

 だけど『あの人』として、久しぶりにサヤの口からこぼれた彼の存在に、俺は結局、恐怖を抱いた。

 俺がカナくんという名を気にしているのは、サヤも理解していて……最近彼女の言葉から、その名が出てくることは、極端に少なくなっていた。
 それは俺も薄々感じていて、だけどあえて指摘せずにきたのだ。

 怖かったから……。

 本当は、もう……察していたから……。
 カナくんは…………サヤを嫌ってなど、いなかったのだと、いうことを……。

 サヤの言う通りだ。
 怖いは、いつまでも傍にいる……。


 ◆


 最後の挨拶は、当然アギー公爵家。
 ここは流石に、父上と共にご挨拶へと伺った。
 通された部屋にはアギー公爵様だけでなく、クリスタ様に扮した姫様と護衛なのだろうディート殿、リヴィ様、クオンティーヌ様も同席しており、グラヴィスハイド様が不在であることに、少なからずホッとしたのだけど、そのことは表情に出さぬよう努める。
 サヤを部屋に置いてこようか、最後まで迷ったのだ……。だけど、サヤを伴わないのは不自然すぎて、本人にも嫌がられて結局連れてくる羽目になった。
 そんなわけで、連行された時の面々でご挨拶に伺うこととなったのだが……。

「久しぶりにセイバーン殿とお会いできて良かった。
 これからは隣人として……そして後継殿とは同僚として、末長く縁を繋いでゆけたらと思っている。
 次は戴冠式……直ぐだな。病み上がりには少々堪えようが、あの椅子は良い周知になる。ぜひ持参していただきたい」
「そうだな。
 成人前の役職をとやかく言う輩を黙らせるためにも重要だろう。
 申し訳ないのだけれど、レイシールには姫様の風除けにもなっていただきたいと考えている。
 女性の統べる王政……色々と風当たりも強かろうからな」

 姫様の影のふりをした姫様に敢えてそう言われ、俺は苦笑した。
 もとより、それは重々承知しているし、当然そうなるつもりでいる。
 女性の身で王となり、更には長い歴史において尊ばれてきた白を否定する姫様だ。
 どれほど些細なものであっても、手は必要だろうと思う。

「は。誠心誠意、努めさせていただきます。姫様の世を、豊かなものとするために」
「その言葉、偽りは無いな?    やっぱり辞めたはもう無しだぞ」

 こっちにも念を押された……。
 もうしませんから……あれはだってほら、仕方なかったんですよ……。

「地方行政官の長を、王都不在の地方貴族……しかも下位の男爵家にやるというのは、納得させるのに些か骨が折れた。
 ちょっと無理を通したのでな、色々口煩く言ってくる輩も多かろう。
 任命式後の顔合わせは少々荒れるのを覚悟しておいてほしい。
 まぁ……黙らせる為には極力実績を用意しておくことが肝要だ。できるだけ、準備しておくようにな」

 アギー公爵様の助言に、俺は慎重に頷いておく。
 当然のことだけど……アギー公爵様にも色々と手を回してもらっているのだろうな……。辞めるなんて言って、本当に申し訳なかった。その分を、いただく職務を全うすることで返していこうと心に誓う。
 実績……。うん、それは充分、用意したと思う。あとはそれを持って、戦場に赴くだけだ。

 前にも伝えたと思うが、怠っておるまいな……と、姫様の瞳が俺を見据えている。
 いや、それは承知してますよ……だから色々頑張ってますって……ホントです。本当ですから。
 必死で瞳で訴えたのだけど、姫様は胡乱な目で俺を見据えるばかり……。
 信用無いな……いや、全部俺が悪いんだって分かってるけど……。

「あ、その実績でひとつ、お伺いしておきたいことがございましてね、ちょっと持参していたものがあるのですが。
 一度ご覧いただいておいた方が良いかと思うんですよね。まだ色々試験的な段階で、実用には年単位で時間が掛かると踏んでいるので、お伝えしようか悩んだんですけど……一応、前もって?」

 俺が姫様と視線でやり合いをしている最中、急にそう口を挟んだマル。
 彼が何をネタにそんなことを口にしているのかは直ぐに分かったけれど、そんな話だったか⁉︎    と、一瞬呆気にとられてしまった。
 慌てて振り返ると、案の定お土産にと用意していた瓶に、目隠しで掛けられていた布が取り払われる瞬間で……。

「マル……」

 何か急に画策しだしたマルに、俺は頭を抱えた。
 露わになった瓶を見て、アギー家ご一同様はきょとんとした顔になってるし……。

「…………それは?」
「野菜の干物です。ほら、昨日リヴィ様とクオンティーヌ様が食した赤茄子と胡瓜もここに入ってます」
「えっ⁉︎    あれこんな風なものじゃなかったでしょ⁉︎」

 咄嗟にそう叫んだクオンティーヌ様に、アギー公爵様を視線をやり、口元に手をやって、まぁ!    と、驚いたリヴィ様に、その視線は移り……。

「あれは調理する前に水で戻したものなんですよぅ。多少は戻るんですって。水に浸けるだけで」
「其方ら、あの干からびた野菜、食したのか?」
「……ひ、干からびてなかったのよ……昨日は遅くなって、ご飯食べ損ねちゃったって言ったら、レイシール殿が晩餐に招待してくださって、それで……」
「この季節に、胡瓜と赤茄子が使用されてましたの。まさかあんな風になっていたのね……しかも、とても美味でしたわ」
「あんなだと知ってたら食べなかったわよ!」
「あらそう?    私、とても美味しくいただきましたし、この季節に夏の野菜がいただけるだなんて、魔法ではないかと驚きましたのよ。
 こうやっておいて食べられるならば、いくらだって欲しいと思いますわ。冬の味気ない食事、肌は荒れるし、代わり映えしないし、いつも嫌がっているのはクオンの方じゃなくて?」
「そ、そうだけど……そうだけどこれよ⁉︎」
「でも、美味だったのでしょう?」
「う…………だけど、だけどおおぉぉ」

 何やら言い争いを始めてしまったリヴィ様とクオンティーヌ様。
 その様子をよそに、姫様がトコトコとこちらにやって来て、瓶の一つをひょいと持ち上げた。

「……成る程、胡瓜と赤茄子……葉物もある……お、甘唐辛子もか」

 ひ、姫様……素が、素が出てしまってますよ⁉︎    威厳がダダ漏れです!

「蓮根、大根、人参、甘藍、結構色々入ってますよぅ。どれもこの季節には、お目にかかれないはずでしょう?
 ただ、これを始めたのが夏の終わり頃でして、春や初夏の作物はまだ試していないんです。
 それから、途中で黴が出てきてしまったものもございまして、色々まだ検証が必要ですねぇ。
 ですがこれ……土嚢以上のものに、なりはしませんか?    これの作り方が、確立されたとしたら……」

 マルの言葉に、姫様はうむ……と、小さく答え、暫く黙った。

「……春のものは試していない……。つまり春のものも、冬まで保つというのか?」
「理論上は。ものによりますけど、年単位での保存が可能である……と、考えています」
「……例えば、胡瓜だけでも……何か一種類だけでも、直ぐに実用化できるものはあるのか?」
「まだございません。
 ですが来年以降には……夏の終わりから冬にかけての作物に関してであれば、可能性はあります」

 しかし。
 と、マルは言葉を続けた。

「これを世に出す際、必ず絡んでくるであろう秘匿権問題がありましてね。それが、その野菜と共に瓶に入っている袋の中身なのです。
 それ、乾燥材でして。干し野菜の保存に欠かせないものなのですけれど、形状が木炭に酷似しています。その製法も」
「なに?」
「全く違うものですよ。それは僕が保証します。秘匿権も確保してあります。でも、絶対に絡んでくると思うんですよ。
 これから我々、その秘匿権のあり方を根本から覆すつもりでおります。あれはもう、貴族や神職者らの金蔵でしかなくなっておりますし、フェルドナレンの文化の成長を妨げる枷となっておりますから。
 なので姫様に、どうがそのことを、ご理解いただきたいと考えておりまして」
「…………それは、それ以上の価値があることなのだな」
「勿論。まず夏の野菜で冬が越せるようになります。腐らせ捨てるものが、冬を救うのですよ。これほどの価値あるものを、一貴族の利権で捨てるなど、もったいないじゃないですか」
「全くだな。……秘匿権はもう得たのだな」
「はい。得ています。元より国に譲渡する目的で所持しておりますので、受け取っていただくだけです」
「承知した。王都に戻り次第、姫様にお伝えする。戴冠式で答えを出そう」
「宜しくお願い致します。
 あ、これ、お土産に置いていきますね。
 この四瓶は、多分来年冬まで保つと思います。この状態を維持し、極力湿気が少なく、直射日光の当たらない場所で管理していただければ。
 乾燥材は季節ごとの交換をしてほしいところなのですけど、それはまた今度。とりあえずは食してみてください。調理法は、こちらにまとめてありますので参考までに」

 マルが差し出した資料を姫様は受け取った。
 二部あり、ひとつをアギー公爵様へ渡す。

 アギー公爵様はとても楽しそうにしており、瞳をキラキラと輝かせているようで、この人本当に珍しいものとか面白いものとか好きなんだな……と、再認識した。

「良い土産をありがとう。是非、今晩にでも食してみよう」

 皆様で食べると一食で終わりそうだな……。下手をしたら五十人近くが食べるのだものな……。四瓶で足りるだろうか……。
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