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夜会 4

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 夜会が始まった。
 まず始めに、アギー公爵様より新年の挨拶を賜り、四の月末日に戴冠式が執り行われる旨が改めて告げられた。

「新体制で挑むにあたり、新しい職もいくつか新設されることとなる。
 お声を掛けていただいている者もおろうが、知っての通りジェンティーローニの代替わり、スヴェトラン統合の動き等、周辺も慌しい。
 女王となられるクリスティーナ様を支えるべく、共に死力を尽くしてゆこう」

 アギー公爵様のお言葉に、男性陣は左手を胸のにあて、踵を揃える。
 公爵様の後方に並ぶ奥様方と思われる八人のご婦人の中から、お一人が拍手を始めると、それが会場中の女性に広がり、サヤも手を叩いた。

 それで呆気なく、挨拶は終了。え?    これだけで良いの?    と、思っている間に、周りがガヤガヤと騒がしくなり、呼ばれた楽団の演奏が始まり、部屋の壁際に料理や飲み物が運び込まれ出した。……真面目にこれだけらしい。

「アギー殿は相変わらずだな」
「……いつもこのような感じなのかな」
「そうなのですか?」
「堅苦しいのは好まんそうでな。大抵があっさりしている。
 ……まぁ、その分個人の実力が試される場だ。アギー傘下では、縋る袖は無いものと心得た方が良い」

 父上がそう言い、サヤに手伝われて車椅子に戻る。
 簡潔な挨拶であったから立ってられたものの、従来はそんな短時間では済まない。長々とした挨拶を数人聞き、新規の参入者を紹介する場が設けられ、それから今年春の予定を知らされ、その他報告があるものが呼ばれてそれを発表し、その後やっと交流や交渉の時間……とまぁ、学舎ではそのように習ったし、そこまでに二時間は経過するのだが、アギーはものの半時間でそれを詰め込み、終わりとなった。新規の俺たちの紹介すら無い。

「今年の新規参入はセイバーンのみであるようだしな。皆知っていよう。
 分かっていることをいちいち言いはすまいよ、アギー殿は」
「そういうものなのですか……」
「まさか。アギー殿だけだ。勘違いはするな」

 ふぅ。と、息を吐いてリカルド様。
 今一度サヤを見て、形容し難い表情になった……。

「よもや……女性に武術で遅れを取ろうとはな……。
 近衛のディートフリートと子供が無手でやりあっているという話も、他は眉唾だと笑っていたが、私は笑えなかった……。
 だが…………………………こうして見ても、信じ難い」

 リカルド様の瞳には、ただひたすら驚嘆しかなく、サヤを愚弄したり、軽蔑する様子は無かった。
 それゆえただ黙って見守っていたのだが……。

「…………いや待て、セイバーン殿、婚約を許したのだな?」

 ハッとしたリカルド様は、慌てて父上に詰め寄る。

「ええ。サヤは成人すれば、我が義娘となります」
「成人⁉︎    何故成人を待つ必要がある⁉︎」
「レイシールの希望でしたので。
 これは華を精工な硝子細工を愛でるが如く貴む。まだ蕾のうちに手折ることを望みませんでした」
「まさか……まだ純白の蕾であると⁉︎    其方は阿呆か!    それでは嵐に襲われた折に如何するつもりだ!露に濡れても構わぬと⁉︎」
「ははは、この勇者をどうこうできる手合いはそうそうおりますまい?」
「いや、そうだが……!」

 焦ったリカルド様に、泰然と構える父上、隠語を織り交ぜた言葉が飛び交う。
 サヤはその様子を呆気に取られ、ぽかんと眺めていたのだが、不意にピクリと反応して表情を固めた。

「……レイシール様」
「ん?    どうした?」

 ただならぬ様子に身を寄せると、キュッと、袖の端を握られ、サヤの視線が、一点に注がれる。
 その視線の先を追った俺も、それを目にすることとなった。

「うん」

 オリヴィエラ様だ。
 壁際に集う若い貴族ら……俺の位置から見えるのは、男性数人を前に立つ、オリヴィエラ様だった。
 背が高く、男性と並んでも埋もれてしまわない彼女は、なにやら凍りついたような無表情。
 その表情もだが、彼女らのいる場所に、俺は眉を寄せた。
 俺が視線の先を確認したと認識したサヤは、また小声で、口を開く。

「海渡りの蝶……と、聞こえました。ですが、何か凄く、嫌な響き……。隠語ですか?」
「いや、違うけど……なんとなく、意味は分かるよ」

 サヤが、嫌な響き。と言った。
 そしてオリヴィエラ様の表情。
 海渡りの蝶自体は、隠語ではない。けれど、組み合わされた言葉の選び方で、だいたいは察することができた。
 渡る……という言葉は隠語だ。よく使われる。
 家同士の関係を重視する以上、正式に契りを交わす前ならば、婚姻を結ぶよう進めていた話が頓挫することも、相手を鞍替えすることも、よくあること。
 そうして、婚約者が変わった場合、捨てられた方は相手を侮辱する意味合いを込めて『蝶が渡った』『渡りをした』などと言う。
 海渡りの蝶と例えられたのは、多分……縁を繋ぐ以上に育った繋がりを持っていないとか、相手が定まらないことを揶揄したのだと思う。

 集中するために瞳を閉じ、俯いたサヤが耳が拾った言葉をブツブツと呟く。
 俺とサヤのやり取りに気付いたリカルド様が「どうした?」と、サヤに問うものだから、それを遮り、口の前に指を立てた。

 どうか、静かに。

 本来は不敬も甚だしいのだが、そこに気を回す余裕も無かった。

「あざとい……媚び……見る……耐えぬ?
 ……全て聞き取るのは無理です……ざわめきが……。
 我が華……引き……渡す?    雄花……腕の、りゅうりゅうたるや…………?」

 サヤの、晒された二の腕が、泡立っていた。
 だから……。
 サヤを胸に引き寄せて、飾りの無い右耳のみを、そっと塞ぐ。

「もう良いよ。充分理解した。サヤは、海渡りの蝶……とても気に入っているのだよな」
「え?    は、はい。とても繊細な、素晴らしい意匠が、大好きです」

 ロビンから買ったという髪飾り。サヤはそれを『海渡りの蝶』と、呼んで、大切に扱っていた。ならば、それを隠語として揶揄に使われるのは、俺も本意ではない。
 目を眇め、標的を確認する。服装からして伯爵家が一人……子爵家三人……従者だろうか。まぁ、身分があれば入室できるものな。
 後ろ姿であるため、年齢は伺えないが、おそらく若い。髪は切っているから成人だろうけれど、そんなことはどうでも良かった。

「申し訳ありません、少し外します。
 ……サヤをお願いできますか」

 咄嗟に父上に言いそうになって、慌ててリカルド様へと方向を変えた。
 父上が俺を見て、何かを推し量ろうとする視線……。

「……何かあったのか?」

 訝しげに眉を寄せるリカルド様に、俺は笑ってかぶりを振った。

「いえ、アギー公爵様からのお約束を、果たしに行くべきかと思い立ちましたので。
 直ぐに戻ります。
 申し訳ない……苦言は、後で全て、承ります」
「レイシール様⁉︎」
「サヤは父上を頼む」

 返事を待たず、一礼して踵を返した。
 そもそも腹立たしかったのは、女性一人を前に、男数名がさも当然と並んでいること。
 それは去年の夏、夜市の時に、壁際で震えていたサヤを思い起こさせた。

 男同士でだって、一人を複数が取り囲むなど卑怯な行為であるというのに、女性を相手に……。しかも大広間の隅、歓談用の席を仕切る、衝立の影……。明らかに人目を阻み、あの場所に追いやっているのだ。サヤの耳でなければ、きっと会話だって、拾われなかったろう。
 強張ったオリヴィエラ様の表情や、サヤの聞き取った言葉の羅列だけでも、一体何が行われているかは察しがついた。
 近付くにつれて……オリヴィエラ様が一人ではないことにも気付いたが、それが状況解釈を間違っていたということでもなく、俺は更に足を急かす。

「オリヴィエラ様!」

 行われていた会話にもなっていない一方的な暴言を遮って、俺が声を割り込ませると、俺に気付いていなかった男性陣が驚いて振り返る。
 俺はそちらを敢えて無視して、ずかずかとその間に割って入った。

「探しましたよ。こんなところにいらっしゃったのですか」

 満面の笑顔で胸に手をやり、一気に距離を詰めて、勢いのまま左手を取って小指に口づけをした。
 され慣れているだろうオリヴィエラ様であったけれど、まさか俺に親睦の深い相手への挨拶をされるとは想定していなかったのだろう。唖然とした顔をしているので、そのまま畳み掛けることにする。

「本日はいつもに増して、麗しいですね。礼装のお色が髪色に映えていて、とてもよくお似合いです。
 どうかこれより、私に貴女とのひと時をお譲りいただきたいのですが、如何でしょう?
 アギー公爵様の許可もいただけたことですし、私は貴女と親睦を深めたい。
 ……やぁ、貴女は先日の茶会でご一緒しましたね。確か……ホーデリーフェ様。本日もお会いできるとは、光栄です」

 未だ嘗てなく貴族然とした挨拶をこなし、オリヴィエラ様の後ろに隠れたホーデリーフェ様にも、胸の前に手を置いて一礼。
 そのついでに、「大丈夫ですか?」と、小声で付け加えると、泣きそうな瞳が、縋るように俺を見る。けれど、次の瞬間に俺の背後を見て、恐怖に表情が引きつった。
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