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社交界 1

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 アギーは、聖白石と呼ばれる特殊な鉱石を産出することで有名だ。
 三の月が終わる頃合いとなる今日。俺たちはアギー領の首都、プローホルに到着しようとしていた。

「だいたい我々貴族が持ってる家紋印とか、この鉱石でできてるんだけどね。
 ほらこれも。家紋の指輪だけど……凄く精巧な作りだろう?」
「はい……物凄く、細かいです。真っ白いですし……象牙のようなものかと思っていたのですけど鉱石なんですね」
「うん。これは領主や役職に就く者が王家より下賜されるのだけどね、その聖白石で作られている。
 この鉱物……低温で溶けて、高温で固まる性質なんだって。その温度の扱い方が難しいらしくってね」
「…………?    低温で解けるんですか?」
「らしいよ。とはいえ、どんな温度でそうなるのかは当然秘匿権領域だから。
 つまりこの家紋印は、王家とアギーにしか製造権利が無い。注文された分しか製造されない。偽装なんてできないんだよ」

 馬車の中、口を開いているのは俺とサヤだけだ。
 この馬車には他に、父上とガイウスが同乗していたが、父上は微笑ましく俺たちを見ているだけ。ガイウスはただひたすら無心で無言に徹している。

「私の国では……こんな鉱石、聞いたことないです……」
「だろうね。今の所、アギー領の鉱山からしか産出されていない。
 だからアギーはかなりの財力を有しているし、四家ある公爵家の中でも抜きん出ているとされている。文字通りの大貴族なんだ。
 ……けど、今のアギー公爵様も然り、皆様が素晴らしい方だよ。
 あの家系はとにかく血縁が多いことでも知られているんだけどね」
「おっしゃってましたよね。奥様が八人、お子様が三十人以上って」
「そう。だけど跡目争いとかも、何故か起こらないんだよな……今の公爵様だって確か二十人以上ご兄弟がいらっしゃって、八子……」
「アギー公爵は、くじ引きでハズレを引いてしまったから公爵にならざるを得なかったと嘆いていたぞ」

 突然口を挟んだ父上。
 その言葉に、俺とサヤは沈黙した…………え?    なんて?

「くじ引き?」
「あの代はな。
 その前の代は兵棋盤で決めたと聞いたが……」
「…………冗談ではなく?」
「彼らは至って真面目にその手段を用いたそうだがな」

 父上流の冗談かなこれ……。そう思ったけれど、父上は笑って「あちらに着いたら、聞いてみればよかろう?」とのこと。

「あとあの家系の面白いところは、貴族を退く者もかなり多いという部分だろうな。
 商人や学者、芸術家……ありとあらゆる分野に降りていくぞ」
「そうなのですか。親族の方がかなり多そうだなって思っていたのですけど……」
「そういう意味では案外少ない。早く家を出た方が自由にできる可能性が高いと、どんどん巣立っていくらしいからな」

 そこは知らなかった。
 貴族を辞めた場合姓は捨てるから、どこの誰かなんて分からなくなるしな……。

「サヤは、アギー家の方にはまだお会いしておらぬのか」
「いえ……クリスタ様にはお会いしたことがございます」
「クリスタ……何番目だったかな」
「クリスタ・セル・アギー様ですよ。中程の方です。お身体が少し不自由でらして……あまり人前にはお出にならない方なので。
 学舎でも、引き篭もりでしたからね」
「ほう」

 実は姫様なんです。……なんてここでは言えないので、適当にはぐらかしておいた。

「それにしても……大貴族であられて、かなり経済が潤ってらっしゃる風ですのに……バラックが多いのですね……」
「……バラック?」
「あっ、申し訳ございません、私の国の言葉で…………えっと……掘立小屋?    とか、粗雑な作りの建物を言うのですけど……」

 そう言うサヤが見ていたのは、首都プローホルの裾野に広がる下町区域……。雪ももうだいぶんまばらなので、歪で薄汚れた、ちぐはぐな建物が乱立しているのがよく見えた。
 ここは首都を囲う外壁の更に外にあたる部分だ。潤う経済により、外壁の中だけでは収まらなくなった都が、外に溢れ出している……。

「……ここは、他領からの流民や、最下層の人々が集まっている場所だからな……。
 アギーのプローホルは、地価が高いことでも有名なんだけど、潤っていることでも有名だから。だが、この外壁の外は、本来はプローホルではない。だから土地代も取られない。
 それで、ここで少しでも稼ごうって流民がね、こうして勝手に建てて住み着いてしまうんだ。
 本当は、小屋を建てるとかも駄目なんだけどね……。そんなこと言ってられないから……今はもう黙認されている」

 現在、街道沿いには等間隔に警備が配置され、通る貴族らは下町区域をただ黙って、早足に通り過ぎるだけだ。
 去年の春先にも大火災があったとマルから聞いた覚えがあるが……その名残は見当たらない。
 物々しい状況だが、これが無いと馬車に流民が群がってくると聞く。
 商品とは思えないようなものを売りつけられたり、馬車に取り憑いて外装を剥がされたり、金品を渡すまで付け回されたり……と、本当か嘘か、判断しにくい噂をよく耳にするのだけど……この雰囲気を見ていると、あながち嘘ではないのかもしれない……。
 だから、傭兵団なんてものが、護衛に必要になるのだよな……。
 窓の帳が揺れた時、チラリと見える警備の向こう側……そこからはこの季節とは思えない薄着の人々が、黙って通る馬車を、ただ見据えていた……。

 外壁に到着すると、更に物々しい警備が敷かれていた。
 家紋により、通される門が違う様子で、馬車の間を走り回る兵士が見える。
 とりあえず男爵家だし、多分後回し。門前で暫く待たなきゃならないんだろうなぁ……と、そんな風に思っていたのだけど。

「失礼。セイバーン男爵家のお方……レイシール・ハツェン・セイバーン殿であられますか」

 思いの外早く声を掛けられて、びっくりした。
 窓から覗くと門番と思われる兵の姿と、高価な鎧に身を包んだ正規の騎士がこちらに向かってくるのが見える。……来客の選り分けに騎士まで駆り出されてるんだ……捌く人数も多いから大変なんだろうな。
 御者台のハインが、騎士に対し返事を返し、招待状や人数の確認を行っている。その間にまた兵士が走り、どこかに向かった様子。

「……引き篭もりの……中ほどに位置するご子息……と、先程言っていたな」

 不意な父上の言葉に、俺は「ええ」と、簡単に返事をしたのだけど……。

「それならこのような扱いではなさそうなものだが……」

 訝しげに眉を寄せ、父上がそう言うものだから……あ、これは通常の対応ではないのだと、初めて理解した。
 なんだろう……姫様が、何かしてるのかな?

「あー……学友待遇ですかね……」

 しどろもどろ、そう誤魔化してみたのだが……。
 そこで外からハインの声。

「レイシール様……使いの方が、直々の面会を求めておられます……」

 ひぇ⁉︎

 ますます目を見開く父上に、背中を嫌な汗が伝った……。
 これも、異例のことなんだな。うん。こんなところで直々の面会とか普通求めてこない気がするもんな……。
 と、いうか。今日のいつ頃我々が到着するかなんて、姫様はご存知無いはずだ。と、いうことは……俺が来たら知らせが走るようにされていたか、毎日ここで待っていたか……恐ろしい想像しかできない……。

 若干表情を引きつらせながらサヤを促すと、窓の帳を開いてくれたのだが……。

「あっ、ディート殿⁉︎」
「うむ。間違いなくレイ殿だな。待っていた」

 使いの方とか言うから物凄く慄いていたというのに、そこにいたのはディート殿だった。
 長かった髪が首の後ろに無いこと以外、お変わりない様子。
 えっ……でもなんでディート殿……?

「クリスタ様がな、其方は屋敷だと言うので迎えに来た。
 少し異例の対応になるのでな、俺が寄越されたというわけだ」
「…………屋敷?」
「アギーの邸宅だ。宿ではない」

 …………………………ん?

 父上を見ると、更に微妙な表情になっている……。ガイウスに至っては白目だ。
 ちょっと待て……。学舎で学んだ知識を総動員して邸宅に招かれる理由を考えたが、俺が招かれる理由が思い浮かばない。邸宅に招かれるのは…………賓客だけでは?

「ほらな。そんな顔をするのだろうとクリスタ様がおっしゃったのだ。
 下手をしたら手違いだと押し切られて逃げられるからさっさと連れて来いと言われた。間違いなく邸宅だから、安心して案内されてくれ」
「どこに安心しろと⁉︎」
「クリスタ様からの言伝も預かっているぞ。『逃がさん』だそうだ。観念しろ」

 にこにこと笑顔でそんなこと言われても⁉︎

 押し問答していても仕方がない。とにかく逃がさん……とまで言われてしまったので、ディート殿の馬についていくことになった……。

「レイシール……これはやはり……お前との血縁を求められた招待なのではないか?」
「えっ⁉︎    いや、違いますよ!
 それにもしそうだったとしても、俺はサヤだけですから。それはお受けしませんよ⁉︎」
「……公爵家の方を断ると……しかもアギーの方……無理です!」

 ガイウスが悲壮な声でそんな風に呻いて顔を伏せてしまう!
 父上の時の絶望的な婚姻を思い出しているのか、声まで震えていて正直動揺した。

「いや、そんなことにはなりませんから!    これはきっと……クリスタ様の悪戯ですよ!
 彼の方はたまにとんでもないことを平気でおっしゃるんです、お茶目な方なんです!」
「レイシール……断るのだな?    では私も腹を括る……」
「いけません!    公爵家の……ましてアギーの求めを断ってしまっては、セイバーンは終わります!」

 な、なんか阿鼻叫喚になってきてる⁉︎

 皆が動揺を隠せない状態で、一人サヤだけが状況の理解ができていない様子。不思議そうに首を傾げている。
 公爵家の招待が俺の名指しであることや、それの持つ意味を彼女は知らないからだろう。
 だけどここで説明するわけにもいかず、ちょっとこれどうしよう⁉︎    と、思っている間に邸宅に到着してしまった。
 どうも最短距離で案内されたらしい。それ確実に特別待遇だよね⁉︎

 断頭台に立つくらいの悲壮な顔のガイウスを宥めすかし、とにかく馬車から降りることとなった。
 まず従者姿のサヤが。次に降りたガイウスはもう使い物にならないのではと思うほどに顔面蒼白だ。父上に差し出す手も震えているものだから、俺も慌てて手を貸した。
 その間にサヤは荷から車椅子と杖を下ろし、ハインは馬車や荷物を邸宅の使用人に託す手続きを進めている。
 そうこうしていると、馬を降りたディート殿がまたこちらにやって来た。

「レイ殿……どうした?」
「どうしたもこうしたも……男爵家にあるまじき高待遇に動揺を隠せないんですよ、我々は……」
「はっは、面白いことを言う。レイ殿には当然の待遇だと思うがな」
「全く当然じゃありませんよ⁉︎」
「当然だとも。それはすぐに理解することになろう。さあ、こちらへ。サヤとマルクスは同行せよとのこと、姫様がお待ちだ」

 姫様って言った⁉︎

 え、姫様で出てくる気なんですか?    そんなまさか、ここアギーですよ⁉︎
 そんな風に思うものの、それを口になどできない。
 そうこうしてる間に、続く馬車も到着した様子で、マルやシザー、オブシズといった俺の配下にあたる面々と、古参の方々が降り立つ。更に続く馬車には料理人のユミルや女中など、使用人が続くだろう。こうして見ると大所帯だ……。

「レイシール様、部屋の準備は私が向かいます。サヤ、頼みましたよ」
「はい」
「では私も準備の方に残ろう。シザーはレイシール様を頼む」

 オブシズとハインは部屋の準備に残るようだ。因みに、ジェイドらは別行動中。街の中に潜伏しているはずだ。

 正直状況についていけず、俺も頭を混乱させていた。

 姫様が姫様でここにいるのは流石にやばいんじゃないだろうか……。
 いくら母方の実家とはいえ、自由にも程がある。
 そんな風にぐるぐる混乱する頭で考えていたのだけど……。

 案内された部屋で待っていたのは…………。

「クリスタ様、レイシール殿をお連れしました」

 色調を抑えられた、少し暗い内装の部屋……そこに座していたのは、間違いなく、クリスタ・セル・アギー様だった…………。
 少し濃いめの灰髪をした、 ……。

「待っていたぞレイシール。お前ときたら、とんでもない手紙を寄越しおって」
「姫様?…………ちょっと待ってください……え?    今これどういうことですか?」
「どういうことだと?」

 にっこりと笑い、手に持った扇をゆるりと動かす。

「クリスタ・セル・アギー……それで間違いない。安心しろ。
 ただまぁ、本来の装いはこちらだ」

 それ、なんの説明にもなってませんよ⁉︎

「…………レイシール……クリスタ殿はご子息だと伺っていたはずだが……」

 父上がそんな風に、呆然と呟くが、俺にも状況は分かってませんと、首を必死で横に振った。
 そんな、風に翻弄される俺たちに向かい、姫様はにっこりと楽しそうに笑って……。

「セイバーン殿。お初にお目にかかる。私は立場的にあまり公には顔を出せぬ身であるゆえ、対外的に病弱ということになっておる身なのだ。
 学舎でも、その一環として男装で過ごしていた。其方の息子も、私が女であるとは知らなかったのでな。許してやってくれ」

 余計意味不明なんだけど⁉︎

 更に混乱する俺に、姫様はにんまりと笑ってみせる。そうして……。

「セイバーン殿。この顔、誰かに似ておると思わぬか?…………思い当たるであろ?
 私は……クリスティーナ・アギー・フェルドナレン様の影を勤めておる身だ。更にはそこなレイシールが、近々同僚となるゆえ、姫様の名代として、此度この場を用意させてもらった。
 何しろこやつ、直前になってやっぱり辞めると言い出しよるでな……姫様は、何としてもこやつを確保せよと私に命じられたのだ」

 スラスラとそんなことをさも当たり前みたいな顔をしておっしゃる。
 意味が分からない……姫様が、姫様の影⁉︎    それなんの遊びですか⁉︎
 そう叫んで頭を掻き毟ってしまいたい!

 そんな俺の心境は察しているだろう姫様が、とても楽しそうに、俺に言ったのは……。

「レイシール……姫様より襟飾も預かってきておる。もう観念せよ。其方は春から地方行政官長だ」
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