上 下
476 / 1,121

不安の種 3

しおりを挟む
「報告書にもあったと思うのですが、荊縛の重篤化は、二つの病の連鎖でした。
 状況を説明しますと……荊縛によって肉体が疲弊したせいで抵抗力が低下してしまい、普段はほぼ無害な菌の攻撃すら、抵抗できなくなってしまった状態。……これが重篤化の理由です。
 幼子とご高齢者の死亡率が高いのは、肉体が未発達であったり、加齢により元々抵抗力が低下していたりするからではないかと。
 この病の連鎖。私の国の、インフルエンザという病に、酷似していまして。
 インフルエンザもかつて、連続する二つの病だと気付かず、沢山の犠牲を払った歴史がありました」

 サヤの説明に、マルとジーク、ナジェスタが感嘆の息を吐く。
 父上とガイウスは、難しい顔のまま聞き入っている様子。
 その他にも外野が沢山……。
 ここは館の中にある、一番大きな会議室だった。本日初めて使用する。昼からの急な呼びかけなのに、随分と人が集まった。
 ここに今、手の空いた使用人や騎士など、館中の人間がひしめいている。

 会議室の中心にはサヤと、ユスト。上座に父上と、ガイウスがいる。左隣に俺やマルなど、俺側の人間。右側には古参の配下たちが並んでいた。
 そしてサヤらを挟んで後方に、机が並び、そこにはナジェスタ医師と、ジークが。
 更にその後ろ側が、騎士や使用人らだ。
 まるで法廷さながら……。衆目に晒される状態のサヤが、心配でならない……。

 ここでサヤの語っている内容は、報告書でも受け取っているし、父上ら上役には既にお見せしているのだが、やはり文章ではいまいち内容の把握が難しく、細かい部分の聞き出しを行いたいとおっしゃったため、急遽説明会を開くことになった。
 そして、本日荊縛の終息がなったなら、関わった全ての者に出来うる限り経過を伝えよと仰せつかったため、このような状況になった。

「ちと良いか。この菌……というものが、よく分からぬ……。これは、元々体内にあるものなのか?」
「はい。というか、私の国では、そこら中に目に見えない菌が存在していると考えられています。
 普段、健康な状態の時は、そのような小さな敵に負けたりはしないのですけど、病と連戦を続けた後では、負けやすくなるんです」
「菌……これも悪魔の手だということか」
「いえ……悪いものもあれば、良いものもあるというか……一概に菌だから悪いわけでもありません。
 えっと……牛酪や乾酪など、発酵食品も菌の作用によって作り出されます。お酒ができるのや、麵麭がふっくらするのもそうなんです。
 私の国ではそういう、目に見えないほどに小さきもの……微生物が存在するという考え方が一般的なもので……。その……異端的な発想とお思いでしたら、申し訳ありません……」

 少し困った風にそう言ったのは、ガイウスの視線と、周りのざわめきを気にしてだろう。
 サヤの耳には、周りで囁かれている雑音も、言葉として届いているに違いない。
 その中には、きっとサヤの発言に対する否定的な意見も多いことだろう。
 こうなるのは分かっていたから……本当はこんな風には、したくなかった……。サヤを一人矢面に立たせるような、こんな場を作るだなんて……。
 父上の強引な命令に、俺は今、少々機嫌が悪い……。

 俺の妻となることを認めたサヤへの風当たりは、当然強くなっているだろう。その上で異端的な思想の人物と思われたのでは、更に厄介だ。
 周りの高まっていくざわめきに、俺のイライラは更に募り、それを横のマルが机の下から押し留めていた。

「落ち着きましょうよ……まだ序の口じゃないですか」
「序の口でこれだぞ」
「気にし過ぎですって、サヤくんはまだ大丈夫ですよ」

 まだ大丈夫なのと、傷付いていないのは、違うだろう⁉︎

 だがここで、ずっと黙ってサヤに任せていたユストが口を開く。

「異端的……との発言ですが、この考え方は我ら一門にも通じるところがあります。
 例えば我々は、酒精を傷の治療時に使うことで知られていますが、これは一般的には、治療に必要なことと認識されていません。
 患者方には手の毒を殺す……消毒のためだと説明します。
 よく誤解されるのですが、傷口に酒を掛けるのではなく、処置をする我々の手を酒精で清めるのですけどね。
 手には傷の害となる毒がある場合があります。本人にその意思はなくとも、傷口に毒を塗り込んでしまう……それを避けるための消毒なのですが、その毒……それが、彼女の言うところの菌なのだと解釈しています。
 我々の一門は、大災厄前より続いた医師団の流れをくむと言われていますから、この発想はかつての文明の、名残だと考えられます。
 聞けばサヤさんの国も古い歴史を持つ国だそうで、大災厄前の文明知識を、色濃く残している国である可能性があります。
 つまり、何が言いたいのかというと……彼女は決して、怪しい発言をしているのではないと、いうことです。我々医療者からすれば、尚のことというか……」

 ユストの言葉に、ナジェスタ医師も机をトントンと叩いて発言を求めた。

「私たち一門の元に治療を望み訪れる者は、二分されます。
 お金が無い貧乏人か、お金で解決できなかった病を抱えているか。
 信心で傷や病が治せればそれが一番だけど、我々一門は現実を見ろと、師に言われます。
 その結果が我々の治療方法なので、正直ご納得いただくしかないのよねぇ。
 だから、マティアス医師筆頭、我々一門は、サヤさんの発言を異端とは考えてない。と、心に留めておいてくださいな」

 ユストとナジェスタは、古い流れをくむ医師団所属という父上のもとで医師となった。
 その医師団自体はもう瓦解したも同然らしいのだが、彼の父、マティアス医師はその志を貫き通していらっしゃる稀有な方だ。
『命に貴賎は無い。国籍、民族、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別をせず、治療を行う』という、この時代にはいささか無理難題すぎる志なのだが、ユストもその志を引き継ぐ医師である。
 マティアス医師は、腕利きの医師であると有名だそうなのだが、偏屈な頑固者でも知られているらしい。貴族といえど、マティアス医師の志を理解しない者には治療を施さない。金があるなら他に行ってくれと言って憚らない人なのだそう。
 本来貴族にそれを言えば手打ちにされそうなものだが、そんな主張が許されているのは、彼の腕と、信頼の賜物だろう。

「まぁ、その菌云々は一般には理解し難いことだと思いますが、実際処置が間違ってなかったからこそ、この結果なわけでしょう?
 とりあえずはそれで良いのじゃないですか?    何が正しいかはともかく、結果は正しかったのですし。
 ……けどよくまぁ、それに気付きましたね。
 荊縛は、サヤくんの国には無い病だったのでしょう?」

 場の雰囲気がまた騒めきを大きくする前にと、マルがそう言葉を挟んでくる。
 話が切り替わってホッとした。

「はい……でも、荊縛自体がインフルエンザによく似てはいました。
 インフルエンザは、筋肉や関節に痛みを伴う場合があるんです。筋肉痛のような感じなんですけど。
 荊縛は、全身の神経に針を刺すみたいな痛みで……食事の時が特に辛くて……汁物すら、舌の痛みで食べられなかったんですよね……。
 だから、本来なら体力を付けて、抵抗力を上げなければいけないのに、そのための栄養摂取や、水分補給ができない……余計に衰弱が進み、抵抗力が低下し、肺炎にかかる……という悪循環を引き起こしているのだと思います。
 温かい物は特に痛いんです。でも、冷やしたものは比較的楽だったので、食事の時間を区切ったりせず、食せるときに食すように切り替えましたので、体力の低下もある程度抑制できたのだと思います」
「……この時期に、冷たい食事ですか?」
「盲点だったですよね……気付けたのはほんと、偶然です。
 私……飛び火した直後だと思うのですけど……熱いものに舌が痺れたような違和感を感じて……猫舌気味なので、それが原因かなってその時は思ったのですけど……たぶん痛みの兆候だったんです。
 他の作業をしている間に食事が冷めて……それを食べた時は、なんともなくて。
 だけど翌日から、熱と一緒に痛みが始まって……」

 そう言うとサヤは、その痛みを思い出したかのように、身を縮めて自身の肩をさすった。
 幻痛に悩まされているかもしれないと、ナジェスタが言っていたし、彼女にとってその痛みは、まだ身近なのかもしれない……そう思うと、いてもたってもいられなかった。
 こんな離れた場所ではなく、今こそサヤの隣にいてやりたいのに……くそっ、早く終われ。

「私……痛みには、強い方だと思っていたのですけど……。神経を直接刺されるようなあれは、本当に、辛くて……。
 インフルエンザはあんな痛みじゃないので、思ってたものとの落差に混乱してしまって……」

 はじめの二日間ほどは、ただ痛みに朦朧とするばかりであったという。
 眠ろうにも熟睡できず、半覚醒したような状況で耐えるしかない。
 食事など取る気も起きず、体力が落ちるから食べろと促され、口に入れられても痛みで反射的に吐き出してしまう。
 ほぼ補水液のみで四日ほど過ごして、そういえば補水液はあまり痛くない……と、やっと気付いたらしい。

「試しに冷めた汁を含んでみたら、まだ熱いものよりは我慢できる感じだったんです。雪で冷やすと、だいぶん食べやすくなりました」

 それで、見ていた時と、こうして感じている今とを比較すれば、他にも何か気付けるかもしれないと、思ったのだそうだ。
 そして、発病して六日目にさしかかろうかという時、痛みの中に、固定された箇所があることに気が付いた。

「常に全身が痛いんですけど、その痛みは筋肉の動きに合わせた感じだったんです。
 肉体を動かす時の筋肉の収縮……脳から送られる電気信号……それが神経に入る刺激と連動してしまっているような……もしくは、その電気信号自体が針になってしまったような……」

 デンキシンゴウ云々の部分はいまいち理解不能だが、筋肉の収縮が痛みに直結しているという部分には、周りがざわめいた。

「あぁ、幼い時の記憶だが、確かにそんな感じだ」
「お前荊縛経験があるのか」
「あれはマジで酷いぞ。全身に針がぶっ刺されていくみたいなんだ。
 幸い俺は、比較的軽くで済んだけど……あの人あれに、何日も耐えたのか……」

 使用人の中からそんな話し声が聞こえてくる……。
 そちらに気を取られている間に、サヤの話は先に進んでおり、慌てて意識を引き戻した。

「けれど、体の動きとは関係なく、痛い箇所がなんとなく……喉と胸の痛みが強まってきているような違和感を……。
 それで、亡くなった幼子が、胸をやたらと痛がっていたのを思い出して……」

 ゾワリと身の毛がよだった。
 それはサヤが、死への旅路を歩み出したと、同義であったから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

悪役令嬢は毒を食べた。

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
婚約者が本当に好きだった 悪役令嬢のその後

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

旦那様、私は全てを知っているのですよ?

やぎや
恋愛
私の愛しい旦那様が、一緒にお茶をしようと誘ってくださいました。 普段食事も一緒にしないような仲ですのに、珍しいこと。 私はそれに応じました。 テラスへと行き、旦那様が引いてくださった椅子に座って、ティーセットを誰かが持ってきてくれるのを待ちました。 旦那がお話しするのは、日常のたわいもないこと。 ………でも、旦那様? 脂汗をかいていましてよ……? それに、可笑しな表情をしていらっしゃるわ。 私は侍女がティーセットを運んできた時、なぜ旦那様が可笑しな様子なのか、全てに気がつきました。 その侍女は、私が嫁入りする際についてきてもらった侍女。 ーーー旦那様と恋仲だと、噂されている、私の専属侍女。 旦那様はいつも菓子に手を付けませんので、大方私の好きな甘い菓子に毒でも入ってあるのでしょう。 …………それほどまでに、この子に入れ込んでいるのね。 馬鹿な旦那様。 でも、もう、いいわ……。 私は旦那様を愛しているから、騙されてあげる。 そうして私は菓子を口に入れた。 R15は保険です。 小説家になろう様にも投稿しております。

距離を置きましょう? やったー喜んで! 物理的にですけど、良いですよね?

hazuki.mikado
恋愛
婚約者が私と距離を置きたいらしい。 待ってましたッ! 喜んで! なんなら物理的な距離でも良いですよ? 乗り気じゃない婚約をヒロインに押し付けて逃げる気満々の公爵令嬢は悪役令嬢でしかも転生者。  あれ? どうしてこうなった?  頑張って断罪劇から逃げたつもりだったけど、先に待ち構えていた隣りの家のお兄さんにあっさり捕まってでろでろに溺愛されちゃう中身アラサー女子のお話し。 ××× 取扱説明事項〜▲▲▲ 作者は誤字脱字変換ミスと投稿ミスを繰り返すという老眼鏡とハズキルーペが手放せない(老)人です(~ ̄³ ̄)~マジでミスをやらかしますが生暖かく見守って頂けると有り難いです(_ _)お気に入り登録や感想、動く栞、以前は無かった♡機能。そして有り難いことに動画の視聴。ついでに誤字脱字報告という皆様の愛(老人介護)がモチベアップの燃料です(人*´∀`)。*゜+ 皆様の愛を真摯に受け止めております(_ _)←多分。 9/18 HOT女性1位獲得シマシタ。応援ありがとうございますッヽ⁠(⁠*゚⁠ー゚⁠*⁠)⁠ノ

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

運命の番でも愛されなくて結構です

えみ
恋愛
30歳の誕生日を迎えた日、私は交通事故で死んでしまった。 ちょうどその日は、彼氏と最高の誕生日を迎える予定だったが…、車に轢かれる前に私が見たのは、彼氏が綺麗で若い女の子とキスしている姿だった。 今までの人生で浮気をされた回数は両手で数えるほど。男運がないと友達に言われ続けてもう30歳。 新しく生まれ変わったら、もう恋愛はしたくないと思ったけれど…、気が付いたら地下室の魔法陣の上に寝ていた。身体は死ぬ直前のまま、生まれ変わることなく、別の世界で30歳から再スタートすることになった。 と思ったら、この世界は魔法や獣人がいる世界で、「運命の番」というものもあるようで… 「運命の番」というものがあるのなら、浮気されることなく愛されると思っていた。 最後の恋愛だと思ってもう少し頑張ってみよう。 相手が誰であっても愛し愛される関係を築いていきたいと思っていた。 それなのに、まさか相手が…、年下ショタっ子王子!? これは犯罪になりませんか!? 心に傷がある臆病アラサー女子と、好きな子に素直になれないショタ王子のほのぼの恋愛ストーリー…の予定です。 難しい文章は書けませんので、頭からっぽにして読んでみてください。

処理中です...