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不安の種 2
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「……分かった。アイル……今回のことは、厳重注意のみ、サヤのたっての願いだとして、不問にしてくれ。
だけど、まだここは、獣人だと分かりやすい彼が自由にできる環境にない。
それを今は、理解してほしい……そう伝えてもらえるか」
その言葉に、サヤはホッとしたのか表情を緩め、アイルは厳しい顔を崩さない。
「そちらの掟をないがしろにすることは申し訳ない。でも一度だけ……機会を与えてやってほしい……」
そう言うと、渋々といった感じながらも、是と頷いた。
「アイルは持ち場に戻ってもらって構わない。すまなかったな……」
「いや、こちらの教育不足だ。申し訳ない」
アイルが会議室を去り、暫くしてから……。
「サヤ。全部ちゃんと、話してくれるか」
今一度そう言うと、かくりと肩を落とす……。
「……全部……?」
「こっちに来て」
サヤを呼んで、その両手を握って、俺は……。
「…………全部だよ。全部聞くから。
サヤが、大変な時に、彼がサヤを、支えてくれたんだな……。傍にいれなかった俺に、それを責める資格なんて無いよ」
「レイは、なんも悪うない!
私がお願いして、無理やり……っ」
「それでもだよ。傍に……いなかった、行かなかった……」
まず何より、サヤ一人にあの大きな問題を。一度は全て押し付けたのだ、俺は……。
医者ですらないサヤに、終息までこれほど長くかかる危険な病を、たった一人背負わせた。
それがどれほどの覚悟を必要とするものだったか、重責がどれほどのものだったか、サヤは何も言わないけれど、とても、恐ろしく、感じていたはずだ。
ユストがあんな風に怒ってくれなかったら、あそこに向かうと言ってくれなかったら、彼女はずっと一人で、耐えなければならなかった。そうして罹患して…………亡くなっていたかもしれないのだ……。
そしてカルラのことも……。
手紙を見た時俺は、サヤの涙に気付いていたのに……。
サヤに何一つしてやらなかった……。
戻って来いという言葉すら、飲み込んだ。
サヤは望まないと、あの時はそう思ったけれど……あれはサヤの逃げ道を絶ったも同然だ。
逃げたかったかもしれないのに、口実を与えなかった。
そして、サヤからの手紙が途絶えた時も……。
確認する恐怖を、先延ばしにした……。サヤから短い文章の、走り書き程度の一言が届くまで、ただただ、怯えて、時が過ぎるのを、待つことしか……。
「俺は、何一つしてやれなかった……。
そのくせ、あそこを出て来たサヤを、責めて……。
今更話を聞いたって、遅いよな。だけど……教えてほしい。辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと全部、話してほしい。……それしか、できないけど……知りたい……」
あの時には戻れない。戻ったとしても、俺はきっと同じ選択をする……。
俺の立つ場所には、その道しか無い……。
そんな風に、サヤに何もしてやれない俺には、ウォルテールを責める資格など、ありはしないのだ。
「カルラが亡くなった時に……私、ちょっともう、いっぱいいっぱいで……。
色々が、限界やってな……でも私が怖がったり、泣いたりしてたらあかん。みんなが不安になるやんか。せやし、どうしようかって、思ってた時に……」
夜、行ける場所の限られたあの範囲で、人目を忍べる所なんて見当たらず、ただ彷徨い歩いていた時に、ウォルテールに見咎められてしまったのだと、サヤは言った。
場を誤魔化して立ち去ろうとする彼女を、ヴォルテールは呼び止め、目立たない建物裏にある、薪置き場に連れて行った。
「ここなら誰も見てない。俺が見張っとくから、好きなだけ息抜きしたらって、そう言うてくれはった」
自身は背を向けて、見ないように気を使ってくれたという。
そうして、ただ泣かせてくれたのだと、彼女は言った。
「ウォルテールさんの元々いたところも、泣けない場所だったって、言うてた。だから、こういう場所を探し出すのは得意なんだって。
あの子には私くらいの歳のお姉さんがいはって、会いたい人に会えないのは、我慢ができなくなるくらい、苦しい時があるよねって……。
それからは色々、気にかけてくれて……」
そこで一度言葉を飲み込んだサヤを、抱き寄せた。
今更なのは分かっていたけど、それでも思い出す辛さを、少しでも紛らわせたくて……。
「…………罹患、した時に……私ちょっと、取り乱してしもうてな。
痛みには慣れてるし、強いつもりやった。でも……神経を直接刺されるみたいなあれは……想像していたのと随分違うて、私の知らない病気やって思うたら、もうパニックになって……その時にウォルテールさんを…………レイと、見間違うたんや……」
背中に回された手が、ゆっくりと俺の背中を撫でるように動く。
色合いが似ていたから、薄明かりの中、朦朧としていた意識も手伝って、俺と錯覚したのだと……。
「私、力一杯手を握ってしもうてたし、きっと凄ぅ、痛かった思う……。名前まで間違って……せやけど、大丈夫だ、ついててやるから、一人にしないって、ずっと根気強くそう…………」
俺がするべきだったことを、ウォルテールが全て、してくれたのだなと思うと、悔しさと後悔と、感謝と嫉妬がごちゃ混ぜになった。
「せやし……なんかもう、怖いとかは、全然無うてな。
してくれた分を……お姉さんの代わりになれたらって、そう思うてしもて……」
身を屈めると、察したらしいサヤが、少し視線を泳がせつつ、恥ずかしそうに口を開く。
唇を重ねて、許してくれるサヤの中を、これでもかというほど丁寧に愛でた。
サヤの手が背を叩いて抗議するまで、言葉の代わりに愛を交わした。
「そっ、それ、いつも……っ! 日中からそんなん、あかんっ」
悲しく辛かった気持ちを、サヤの心の中から追い出したかったのだけど、目的はちゃんと達せられた様子。
頬を染めて、瞳を潤ませたサヤの抗議に、俺はわざと不満の表情を示す。
「前より規制が厳しくなってない? 誰も見てないのに……」
「だってそれは……そ、そういうんは……」
「これ以上サヤと触れ合えなくなったら、俺はいったいどうやってサヤに愛を伝えたらいいの」
「っ、あ、愛…………」
真っ赤になって俯く姿が、とても可愛い。
腕の中にその愛おしい存在があることを、神に感謝した。そして……ウォルテールにも。
「口づけだけは許して……その先は、サヤが成人するまでちゃんと、わきまえる。
人前では慎むから、これだけお願い……」
鼻先を啄みながらそう言うと、困ったように眉を寄せる。その皺の寄った眉間に唇を押しつけると、今度は両手が俺の口を塞ぎにきた。
「や、やりすぎ……あっ!」
その手に口づけすると、もうどうしようもなくなったらしい。
にぎにぎと手を握りながら、口をはくはくさせて、必死で何か考えている姿が、また可愛くて、愛おしくて、唇に吸い寄せられてもう一度身を屈めると……。
「わ、分かったから、もう、もうかんにんし……!」
許可が出たのでもう一度唇を塞いだ。
◆
俺の婚約者となった以上、サヤにも立場がある。
だから俺の配下以外、例え子供といえど、二人きりになるようなことは控えてほしいと、伝えた。
「マルの話にもあったろう? ウォルテールは身体が大きいから、見た目でも子供扱いされないだろうしね。
実際どうかというより、対面を重んじていることが貴族には多々ある。
ごめんな……俺は皆にまだ、信用されてないから……そういうの全部が、悪い方に取られるし、サヤの不利になる……。たったこれだけのことすら、許してあげられなくて……」
「ううん。理由は分かったから、大丈夫。
私の方こそかんにん。立場とか、全然、思い到らんかった……」
眉を下げて笑うのは、言葉ほど大丈夫なのではなく、少し困っているからだと、もう知っている……。
身分なんて無いと言っていたサヤの国には、婚約が人生の何かを大きく変えるなんてことは、起こらないのかもしれない……。
ウォルテールと会っても良いけど、二人きりにはならないで。離れた場所で待機させるのでも構わないから、視界の中にちゃんと共がいるようにしておいてとお願いした。
そして、そういう時は、シザーかオブシズ、アイルかジェイドを伴ってくれたら良いと。
「でも、レイの護衛……」
「まだ獣人の存在を知らない者が殆どだから、伴えるものは限られる。
それに、サヤは俺の婚約者だから、俺の武官を連れていたっておかしくないし、従者の格好をしていたなら尚のこと、普通のことだからね」
そう言うと納得した様子。それで、今回のこの件はお終いと、することにした。
「じゃあ、そろそろ仕事に戻ろうか。調理場への知らせは……」
「あ、済ませました」
「そうか。なら、俺はこれから父上のところに行ってくるから、ハインを呼んでもらえるかな」
「はい」
サヤが退室するまで、穏やかな表情を維持する。そこまでは……。
「…………」
扉が閉まり、俺は長椅子に座って、深く息を吐いた。
……何も、おかしなことは、ない……。サヤの話を聞いて、サヤが彼を受け入れる理由も、よく理解した。けど…………。
ウォルテールの、あの表情の理由が、まだ、よく分からない……。
狼の姿の時から、顔を合わす度に感じる、俺への敵意……。
それはサヤを奪う男……という意味でなのか……だけどそれにしても……と、そう思うのだ。
ウォルテールは明らかな好意を、サヤに寄せていると思う……まだそこに、色情が含まれていない風なのは、年齢ゆえだろうか……それがあればサヤだって、きっとそんなに簡単に、彼を受け入れられなかったろうから。
サヤの弱い部分に気付き、支えようとしてくれたことは、腹立たしいけれど感謝してる。そんな場にサヤを一人で立たせた俺に対して、憤りを感じているのだと言われれば、その怒りは甘んじて受ける覚悟だ。
でも、それだけとは思えない何かが……残り香のようなものが、最後にほんの細やかな、違和感を伝えてくるのだ。
それが何か分からずに、もどかしさばかりが募る……。
だから……。
二人きりになるなと、理由をつけて確約させた。
サヤは強いし、そうそうなことは起こらないと思う。でも、サヤは優しい。心を許した相手には、とことん親身になる。そこが長所であり、急所でもある……。
万が一……そんなことは起こらないと思うものの、万が一……そのために。その心配が、杞憂だと分かるまで……。
コンコン……。
扉を叩く音で、我に返った。
「レイシール様……」
「あ、すまない。今行く」
席を立って、思考を一度切り替えることにする。
今はまだ、情報不足なのかもしれない。ウォルテールのことをもっと知れば、分かることなのかも。
彼に対する嫉妬心や、サヤへの気持ちが彼を、悪く考えさせているのかもしれないし……。まずは、もっと知らなければ。
自分をそうやって、無理やりにでも納得させて、席を立った。
考えるのはまた後、父上のことを終わらせてからにしよう。
だけど、まだここは、獣人だと分かりやすい彼が自由にできる環境にない。
それを今は、理解してほしい……そう伝えてもらえるか」
その言葉に、サヤはホッとしたのか表情を緩め、アイルは厳しい顔を崩さない。
「そちらの掟をないがしろにすることは申し訳ない。でも一度だけ……機会を与えてやってほしい……」
そう言うと、渋々といった感じながらも、是と頷いた。
「アイルは持ち場に戻ってもらって構わない。すまなかったな……」
「いや、こちらの教育不足だ。申し訳ない」
アイルが会議室を去り、暫くしてから……。
「サヤ。全部ちゃんと、話してくれるか」
今一度そう言うと、かくりと肩を落とす……。
「……全部……?」
「こっちに来て」
サヤを呼んで、その両手を握って、俺は……。
「…………全部だよ。全部聞くから。
サヤが、大変な時に、彼がサヤを、支えてくれたんだな……。傍にいれなかった俺に、それを責める資格なんて無いよ」
「レイは、なんも悪うない!
私がお願いして、無理やり……っ」
「それでもだよ。傍に……いなかった、行かなかった……」
まず何より、サヤ一人にあの大きな問題を。一度は全て押し付けたのだ、俺は……。
医者ですらないサヤに、終息までこれほど長くかかる危険な病を、たった一人背負わせた。
それがどれほどの覚悟を必要とするものだったか、重責がどれほどのものだったか、サヤは何も言わないけれど、とても、恐ろしく、感じていたはずだ。
ユストがあんな風に怒ってくれなかったら、あそこに向かうと言ってくれなかったら、彼女はずっと一人で、耐えなければならなかった。そうして罹患して…………亡くなっていたかもしれないのだ……。
そしてカルラのことも……。
手紙を見た時俺は、サヤの涙に気付いていたのに……。
サヤに何一つしてやらなかった……。
戻って来いという言葉すら、飲み込んだ。
サヤは望まないと、あの時はそう思ったけれど……あれはサヤの逃げ道を絶ったも同然だ。
逃げたかったかもしれないのに、口実を与えなかった。
そして、サヤからの手紙が途絶えた時も……。
確認する恐怖を、先延ばしにした……。サヤから短い文章の、走り書き程度の一言が届くまで、ただただ、怯えて、時が過ぎるのを、待つことしか……。
「俺は、何一つしてやれなかった……。
そのくせ、あそこを出て来たサヤを、責めて……。
今更話を聞いたって、遅いよな。だけど……教えてほしい。辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと全部、話してほしい。……それしか、できないけど……知りたい……」
あの時には戻れない。戻ったとしても、俺はきっと同じ選択をする……。
俺の立つ場所には、その道しか無い……。
そんな風に、サヤに何もしてやれない俺には、ウォルテールを責める資格など、ありはしないのだ。
「カルラが亡くなった時に……私、ちょっともう、いっぱいいっぱいで……。
色々が、限界やってな……でも私が怖がったり、泣いたりしてたらあかん。みんなが不安になるやんか。せやし、どうしようかって、思ってた時に……」
夜、行ける場所の限られたあの範囲で、人目を忍べる所なんて見当たらず、ただ彷徨い歩いていた時に、ウォルテールに見咎められてしまったのだと、サヤは言った。
場を誤魔化して立ち去ろうとする彼女を、ヴォルテールは呼び止め、目立たない建物裏にある、薪置き場に連れて行った。
「ここなら誰も見てない。俺が見張っとくから、好きなだけ息抜きしたらって、そう言うてくれはった」
自身は背を向けて、見ないように気を使ってくれたという。
そうして、ただ泣かせてくれたのだと、彼女は言った。
「ウォルテールさんの元々いたところも、泣けない場所だったって、言うてた。だから、こういう場所を探し出すのは得意なんだって。
あの子には私くらいの歳のお姉さんがいはって、会いたい人に会えないのは、我慢ができなくなるくらい、苦しい時があるよねって……。
それからは色々、気にかけてくれて……」
そこで一度言葉を飲み込んだサヤを、抱き寄せた。
今更なのは分かっていたけど、それでも思い出す辛さを、少しでも紛らわせたくて……。
「…………罹患、した時に……私ちょっと、取り乱してしもうてな。
痛みには慣れてるし、強いつもりやった。でも……神経を直接刺されるみたいなあれは……想像していたのと随分違うて、私の知らない病気やって思うたら、もうパニックになって……その時にウォルテールさんを…………レイと、見間違うたんや……」
背中に回された手が、ゆっくりと俺の背中を撫でるように動く。
色合いが似ていたから、薄明かりの中、朦朧としていた意識も手伝って、俺と錯覚したのだと……。
「私、力一杯手を握ってしもうてたし、きっと凄ぅ、痛かった思う……。名前まで間違って……せやけど、大丈夫だ、ついててやるから、一人にしないって、ずっと根気強くそう…………」
俺がするべきだったことを、ウォルテールが全て、してくれたのだなと思うと、悔しさと後悔と、感謝と嫉妬がごちゃ混ぜになった。
「せやし……なんかもう、怖いとかは、全然無うてな。
してくれた分を……お姉さんの代わりになれたらって、そう思うてしもて……」
身を屈めると、察したらしいサヤが、少し視線を泳がせつつ、恥ずかしそうに口を開く。
唇を重ねて、許してくれるサヤの中を、これでもかというほど丁寧に愛でた。
サヤの手が背を叩いて抗議するまで、言葉の代わりに愛を交わした。
「そっ、それ、いつも……っ! 日中からそんなん、あかんっ」
悲しく辛かった気持ちを、サヤの心の中から追い出したかったのだけど、目的はちゃんと達せられた様子。
頬を染めて、瞳を潤ませたサヤの抗議に、俺はわざと不満の表情を示す。
「前より規制が厳しくなってない? 誰も見てないのに……」
「だってそれは……そ、そういうんは……」
「これ以上サヤと触れ合えなくなったら、俺はいったいどうやってサヤに愛を伝えたらいいの」
「っ、あ、愛…………」
真っ赤になって俯く姿が、とても可愛い。
腕の中にその愛おしい存在があることを、神に感謝した。そして……ウォルテールにも。
「口づけだけは許して……その先は、サヤが成人するまでちゃんと、わきまえる。
人前では慎むから、これだけお願い……」
鼻先を啄みながらそう言うと、困ったように眉を寄せる。その皺の寄った眉間に唇を押しつけると、今度は両手が俺の口を塞ぎにきた。
「や、やりすぎ……あっ!」
その手に口づけすると、もうどうしようもなくなったらしい。
にぎにぎと手を握りながら、口をはくはくさせて、必死で何か考えている姿が、また可愛くて、愛おしくて、唇に吸い寄せられてもう一度身を屈めると……。
「わ、分かったから、もう、もうかんにんし……!」
許可が出たのでもう一度唇を塞いだ。
◆
俺の婚約者となった以上、サヤにも立場がある。
だから俺の配下以外、例え子供といえど、二人きりになるようなことは控えてほしいと、伝えた。
「マルの話にもあったろう? ウォルテールは身体が大きいから、見た目でも子供扱いされないだろうしね。
実際どうかというより、対面を重んじていることが貴族には多々ある。
ごめんな……俺は皆にまだ、信用されてないから……そういうの全部が、悪い方に取られるし、サヤの不利になる……。たったこれだけのことすら、許してあげられなくて……」
「ううん。理由は分かったから、大丈夫。
私の方こそかんにん。立場とか、全然、思い到らんかった……」
眉を下げて笑うのは、言葉ほど大丈夫なのではなく、少し困っているからだと、もう知っている……。
身分なんて無いと言っていたサヤの国には、婚約が人生の何かを大きく変えるなんてことは、起こらないのかもしれない……。
ウォルテールと会っても良いけど、二人きりにはならないで。離れた場所で待機させるのでも構わないから、視界の中にちゃんと共がいるようにしておいてとお願いした。
そして、そういう時は、シザーかオブシズ、アイルかジェイドを伴ってくれたら良いと。
「でも、レイの護衛……」
「まだ獣人の存在を知らない者が殆どだから、伴えるものは限られる。
それに、サヤは俺の婚約者だから、俺の武官を連れていたっておかしくないし、従者の格好をしていたなら尚のこと、普通のことだからね」
そう言うと納得した様子。それで、今回のこの件はお終いと、することにした。
「じゃあ、そろそろ仕事に戻ろうか。調理場への知らせは……」
「あ、済ませました」
「そうか。なら、俺はこれから父上のところに行ってくるから、ハインを呼んでもらえるかな」
「はい」
サヤが退室するまで、穏やかな表情を維持する。そこまでは……。
「…………」
扉が閉まり、俺は長椅子に座って、深く息を吐いた。
……何も、おかしなことは、ない……。サヤの話を聞いて、サヤが彼を受け入れる理由も、よく理解した。けど…………。
ウォルテールの、あの表情の理由が、まだ、よく分からない……。
狼の姿の時から、顔を合わす度に感じる、俺への敵意……。
それはサヤを奪う男……という意味でなのか……だけどそれにしても……と、そう思うのだ。
ウォルテールは明らかな好意を、サヤに寄せていると思う……まだそこに、色情が含まれていない風なのは、年齢ゆえだろうか……それがあればサヤだって、きっとそんなに簡単に、彼を受け入れられなかったろうから。
サヤの弱い部分に気付き、支えようとしてくれたことは、腹立たしいけれど感謝してる。そんな場にサヤを一人で立たせた俺に対して、憤りを感じているのだと言われれば、その怒りは甘んじて受ける覚悟だ。
でも、それだけとは思えない何かが……残り香のようなものが、最後にほんの細やかな、違和感を伝えてくるのだ。
それが何か分からずに、もどかしさばかりが募る……。
だから……。
二人きりになるなと、理由をつけて確約させた。
サヤは強いし、そうそうなことは起こらないと思う。でも、サヤは優しい。心を許した相手には、とことん親身になる。そこが長所であり、急所でもある……。
万が一……そんなことは起こらないと思うものの、万が一……そのために。その心配が、杞憂だと分かるまで……。
コンコン……。
扉を叩く音で、我に返った。
「レイシール様……」
「あ、すまない。今行く」
席を立って、思考を一度切り替えることにする。
今はまだ、情報不足なのかもしれない。ウォルテールのことをもっと知れば、分かることなのかも。
彼に対する嫉妬心や、サヤへの気持ちが彼を、悪く考えさせているのかもしれないし……。まずは、もっと知らなければ。
自分をそうやって、無理やりにでも納得させて、席を立った。
考えるのはまた後、父上のことを終わらせてからにしよう。
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★8月22日投稿開始、完結は8月25日です。初日2話、2日目以降2時間おき公開(10:10~)
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
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