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領主 1

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「怪我の具合は?」
「見ての通りですよ。大したことありませんから」

 頭の傷がどうしても目立つ……。
 それはそうだ。包帯を巻かれているのだから隠しようがない。

 裏山滑落事件の翌日、俺の怪我はもう村中に知られてしまっていた。
 当然父上の耳にまで及び、こうして呼び出されて怪我について聞かれる展開となってしまったわけだ。

 セイバーンに行ってきたということは伏せてあった。
 晴れたので、気晴らしに雪原へ散策に出たことになっている。
 そこで一人、崖に気付かず滑落したという、少々間抜けな言い訳をしたわけだ。

「部下がどれほど優秀でも、お前が勝手に怪我をしてくるのでは守りようがないぞ」

 父上の指摘に、背後に立つハインがまったくだと思っているだろうことが、背中に掛かる圧で分かる……。

「……気をつけます……。
 次はちゃんと、武官も連れて行きますから……」

 ハインの二時間以上に及ぶ説教で、精神面はかなり疲弊しているのだ。もうそれくらいにしておいてほしい。
 顔に出さないよう気をつけながら、内心でそんな風に思っていたのだが……。

「まあ、説教はついでだ。
 あとひと月ほどでアギーの社交界だが……準備の方はどうなっている?」
「……大丈夫です。大体の目処は立ちました。
 サヤも……出席には了承してくれましたから……」

 ガイウスの反応を少々警戒しつつ、そう口にすると、すかさずマルが言い訳を添えてくる。

「誰とも何もない。と、言うよりは、心に決めた相手がいるとでも言っておく方が、牽制にもなりますからねぇ。
 それに、セイバーンが疲弊した今の状況で、レイ様がジェスルのような悪い虫に集られては困ってしまいます。
 縁を結ぶ相手を選ぶためにも、時間稼ぎは必要ですから、せいぜいサヤくんの情報収集に時間を費やしてもらいますよ」

 セイバーンにとって必要なことなのだと織り込むことで、ガイウスらの反発を逸らす戦法だ。
 父上は、マルの言葉の意味を薄々察しているだろうに、そこはあえて指摘しなかった。
 そのかわり、俺を槍玉にあげることにした様子。

「まるでレイシールに蝶が群がることを想定しているような言い方だな」
「群がりますね、間違いなく。
 セイバーンが高収入の下級貴族だということはどこだって知っています。
 今までちょっかいをかけてこられなかったのは、ジェスルの影があったからですし。後継の一子がジェスルの傀儡と思われていたゆえでしょう。
 そこから解き放たれたのですから、警戒心のゆるい……あるいは金銭面で切迫した家は、当然手を伸ばしてきますよ。
 それなりに考える家はまだ静観という立場を取るでしょうが、それだって情報収集は進めるでしょう。
 あぁそれと、ジェスルの影とかどうでもよくて、レイ様個人が欲しいと思っている大貴族の方は、とにかく何かしら縁を繋ごうとしてくるでしょうねぇ」

 いや、男爵家と縁を繋ぎたがる大貴族ってなんだよ……。

 内心ではそうぼやきながら、顔は無表情を決め込んでおく。
 大方、リカルド様界隈を警戒しての発言だろうと思ったのだ。彼の方は何故か俺を気に入ってくれているようだし。
 とはいえ、裏事情を知らないガイウスからしたら、ただの大ボラ吹きにしか見えないマルである。
 学舎を卒業しているわけでもない、成り上がり後継の俺。しかもセイバーンの財力ではなく、俺個人が欲しいだなんて、普通に聞けば笑い話だものな。

「ふむ……ならやはり、私も行くべきだろうな」

 そういえばリカルド様方は、上手く象徴派の手綱を握ることができたのだろうか……。
 なんて、俺が心配するまでもないようなことを考え、思考が逸れていた時に、父上の不穏な発言が耳を通過し、暫し意味が理解できなかった。
 えっと……。

「…………どこへ行かれるのですか?」
「アギーの社交界に決まっていよう」

 さも当然という態度でそう言われ……。
 ぽかんと口を開けて、暫く呆然としていた俺は、さぞ間抜けな顔をしていたことだろう。

「……はぁ⁉︎    父上寝呆けてますか⁉︎」
「寝言にならぬよう、努めてきたつもりだ。体調の維持は上手くできているし、薬を減らした後の倦怠期も無事越えた。
 勿論、睡眠時間も充分確保している。体力を付けるために運動も取り入れてきた。それは見た目にも、成果として出てきていると思うが?」

 淡々とそう返されて、言葉に詰まる。

 確かに……父上はかなり、努力をされていた。
 脚の腱は切られてしまっているため、下半身はどうしても萎えるしかない……。しかし動かせる箇所は極力動かしている様子で、救出当初よりもずっと身体はしっかりとしてきている。

「普通に、皆と同じように……とは、いかぬ。それは重々承知しているが、領主である私には、セイバーンの今後を考える義務がある。
 その中に其方の今後も含まれているのは当然であろう?
 家の事情で急遽後継となった其方は侮られやすい。庇護者に代理を立てていられる状態ではないのだ。
 それに、私が姿を現さぬでは、いらぬ疑いを招くこともあろう。
 今だからこそ、私は表に出るべきだ」
「それはっ!」
「覚悟は私にだって必要だということだよ。
 息子に押し付けてきた職務だが、私にしかできぬことまでそうはしない」

 だけど、この時期の社交界に出向くなど、身体の負担でしかない!

 なんとか父上を諌めなければと、ガイウスに視線をやった。彼なら父上を無理矢理にでも留めてくれると思ったのだ。
 しかし……俺の思惑に反して、ガイウスは悲痛な表情ながら、父上の言葉に否を唱えない。

「ガイウス!」
「もう説得済みだから観念するのだな」

 良い笑顔でそんなこと言われても!

「万が一があっては、ならないんです!    父上のお身体は……」
「私の代わりはお前だ。もう後が決まったのだから、私は多少の無理がきく」
「皆はそれに納得などしておりません!」
「おかしなことを言うのだな。皆の納得など、其方は必要としておらぬだろう?
 其方しか後継はおらぬのだから、選択の余地は無いのだものな」

 カチンときた。
 そうじゃない。それは全部……っ。

「それが許されているのは、父上が古参の方々を抑えていてくれているからこそでしょう?
 もし万が一のことがあれば、信頼のない俺の命など誰も聞きはしません。
 セイバーンは瓦解しますよ。それで良いんですか⁉︎」
「ふふ。まるで瓦解しては困るとでも言いたげで、面白いな」

 あげ足を取られ、一瞬言葉に詰まった。
 セイバーンの今後など知ったことか。サヤがいるからここにいるだけだと啖呵を切った手前、まだこの状況を崩すのは困る。

「……民をいたずらに振り回すのは、父上の本意ではないでしょう?    まだ、領主は父上なのですよ。
 民の安寧は、領主一族の責務。幼い俺にまでそんな事をおっしゃっていたのは父上ですから。言葉には責任を持つべきです。
 俺だって一応今は後継という立場ですから、そこにいる以上は、責任を担うつもりでいます。
 だから、行くべきではない。と、言っているんです。
 今貴方に何かあっては困るんですよ。俺ではなく、民が」

 表情を作り、なんとかそう切り返した。
 だがそれに対し父上は、すっと視線を逸らして聞いていないような素振りを見せるものだから、正直ちょっとイラっとする。

「父上……」
「私の越冬が危ぶまれたのは、この体力の落ちた状態で、食料の乏しい時期を越せるかどうかという部分が、大きく懸念されていたということだ」

 急に逸れた話に腰を折られ、言おうと思っていた言葉を飲み込まされた。
 その俺の隙を突いて、父上は更にたたみかけてくる。

「だがここでは、この時期にもかかわらず、きちんと滋養のある食事ができている。
 そのため、私の肉体は想定されていなかった程に良い状態であるらしい。
 これはナジェスタ医師の言葉であるから、疑う必要はないぞ。
 その環境を整えてくれたのはお前で、私はお前の担う未来に憂いを感じてはいない。
 だから先のために、少々の危険は承知の上で、動くべきだと思った。
 領主という立場のもと、其方の足場を固めるのが、セイバーンにとって最良であると判断したのだ。
 ナジェスタ医師にも、先程社交界への出席が可能となるよう、病状管理をお願いしたし、了承を得た。
 レイシール。これは領主としての私の意思であり、其方に対しての命だ。
 私は社交界に出席する。
 其方も後継として、そのための準備を進めなさい」

 領主としての判断……。
 つまり、代理でしかない俺には逆らう権利は無いわけだ……。

 内心、焦っていた。
 いくら本来よりはマシといっても、健康な状態とは程遠い。
 いまだに父上は細く、短時間の歩行ですら息が上がる有り様なのだ。
 社交界に出席するとなれば、自分の思うようには動けない。会の進行に沿って行動しなければならないからだ。
 それはどう考えても、お身体への負担が大きすぎる……。

 なんと言えば思い止まってくれるだろう……。アギーの社交界は裏の事情を隠すためのものだから、父上が赴く必要は無いのだと言うべきか?
 アギー主催での社交界は、俺を役職に迎えるためのお披露目と、根回しを兼ねて設定してあるというのがマルの見解で、アギー公爵家傘下の有力貴族が多く集まる様子であるという。
 だから、俺さえ参加しておけば、一応問題は無いのだ。
 しかし……裏の事情など関係無しに、夜会は夜会としての機能を有しているだろう。
 成人前の分際で役職を賜るという時点で、色々厄介の種が多そうなのに、庇護者が代理というのは、かなり不利だ。
 サヤのことも……耳飾が無いことも……全てが不利に働く……。
 しかも貴族の駆け引きというものを、俺はまだ、学舎で学んだにすぎない。実際の空気を、経験していない……。

「レイシール、良いな?」

 俺の思考を遮断するように、父上から釘を刺され、反論は許されていないのだと知った。

「……はい……」

 納得などしているはずもなかったが、そう答えるしかない。

 俺が他のことに気を取られているうちに、ただ静かに意思を固め、準備を進めていた父上。
 ガイウスとナジェスタを抑えていた父上の、圧勝だった。
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