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死の残滓 1

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 天使というのは、死した者が、来世へと旅立つまでの、つかの間の姿であるらしい。

 炎から逃れるために跳んだサヤが、俺すら飛び越して、地に落ちた。

 沢山の腕に絡め取られて、サヤを受け止めることもできなかった俺の前で、むくろとなったサヤから、もう一人の彼女がゆっくりと、身を起こす。
 カラを残し、背に羽を携えて。
 あぁ、これが天使の羽化なのかと、絶望の最中に、思う。

 美しい。
 美しいけれど、なんて、虚しい……。

 艶やかな黒髪に、玉虫色の羽。羽ばたくための練習なのか、大きく広げて、閉じて、何度かそれを繰り返してから、んーっと、伸びをした。
 骸を脱ぎ捨ててしまったサヤは、一糸纏わぬ無垢な姿で、艶やかな白い肌が眩しい。普段なら、視線のやり場に困っていただろうと思う。

 無垢なサヤは、傷付き、無残な傷を沢山身に刻んだ己の骸を、ちらりとだけ見下ろした。
 そうして、ただそれだけで、未練なんて無いみたいに、羽を広げるから……。

 いかないでくれ!

 必死でそう呼びかけ、駆け寄って、抱きしめた。
 香りは同じ。柔らかく心地よい肌の、温かさも。
 だけど決定的に違ったのは、もう何ひとつ今世に興味なんてないといった風な、あどけない表情。

 記憶はカラに置いていくからね。来世には、必要ないものだから。

 そう言うーーに、そんなのは嫌だと首を振った。

 仕方がないよ。死ねば、誰だってそうなるんだよ。

 死んでない。死なせない!    こんなところで死んで良い娘じゃないんだ!

 腕に力を込めると、無垢なサヤは嬉しそうに笑って、俺の背に腕を回してくる。
 こういった遊びだと思っているのかな……。
 ぐりぐりと、ロゼみたいに、頭を首に擦りつけて、キャッキャとはしゃぐ。

 たまにいるんだよね。なんの因果か、紛れ込んでしまう迷い子が。
 異物だから、普段ならさっさと取り除くんだけど……。

 そう言ったーーが、サヤを鷲掴みにした。
 いやいやと身を捩るサヤを、雑に扱って、ぶら下げる。
 苦しいのか、それとも怖いのか、羽を震わせて涙を零すから、俺は慌ててーーの指を掴んだ。

 …………なに?
 やめてくれ。
 なに、そんなに気に入ってるの?

 不思議そうに首を傾げる。

 サヤは俺の女神なんだ……。
 女神?   ははっ。あぁ、ほんと気に入ってるんだ。何がそんなに良かったの?

 大した興味もなかったのか、あっさりと手を離してーーは、だけどと、言葉を続ける。

 でもそれ、異物なんだよ?
 種が違う。
 君らは、全く別物なんだ。それを、分かってる?
 別物なのは、分かってる。
 だけど、だから、なんだっていうんだ。
 彼女は彼女で、大切で、俺はそれを、愛おしいと思うんだ。
 へぇ……。
 怖いとか、異質だとか、そんな風には思わないの?
 サヤを怖いだなんて、全く思わない。
 だけど、俺のせいで傷付けてしまわないか、穢れさせてしまわないか……。それを思うと、怖い……。

 そう言うと、ーーは、また不思議そうに、俺を見て……。

 でもさ、そうやってる限り、この子は異物だよ。
 この世界に馴染まないなら、やっぱり異物だ。
 異物ならいらないよ。

 そう言われて、カッとなった。

 異物じゃない!

 腕を伸ばすーーから、サヤを庇って抱きしめる。
 するとサヤは、安心したように、身を擦り寄せてきた。
 愛おしくて、額に口づけを落とすと、嬉しそうに、唇を啄ばんでくる。
 歓喜に身体が震えた。
 求めてくれることが嬉しくて、腕に力を込める。
 だけど、壊してしまいそうで……それ以上のことを、求められなくて……。

 その様子を見て、ーーは……それまでのどこか無機質だった存在感を、ガラリと変えた。

 そう思うならさ、ずっとお客様にしておくのは、どうかと思うよ?

 その大きな指を伸ばして、サヤの頭を、優しく撫でる。
 愛子をあやすみたいに、優しい手つきで。まるで、慈しむように。

 今回のあれはさ、この子が特別だからじゃないよ。
 こうやって、死んでしまうようなことだったんだ。
 命懸けだったんだよ?

 そう言われ、まざまざと思い出されたあの情景に、身の毛がよだつ。

 だけどこの子は必死だから。
 紛れ込んでしまった異物なんだって自覚してるから、自分の全部を担保にして、必死に存在意義を示そうとするんだ。そのために、命だって賭けるんだよ。
 この子のしたことは、失敗したら最後の、危ない賭けなんだ。
 この子は自分が特別じゃないって知ってる。だけど特別を求められたら、それを演じるよ。
 そしていつか、できないことまで求められて、それでも拒めなくて、失敗する。
 そうなってしまって、良いの?

 腕の中の無垢なサヤが、サラサラと崩れ出した。
 サヤという存在が消える恐怖に悲鳴をあげる。必死で掴もうと、守ろうと、かき抱くけれど、散っていく…………。

 ぼくは、この子を呼んじゃいないよ。
 そんなことはしない。本来はこんな風にだって、しやしないんだよ。
 この子は勝手に、紛れ込んだんだ。
 だから何も、意味なんてない。
 なのに、そんなものに縋ったこの子は、どうなるんだろうね?
 縋りつけるものが無いって分かったら。足場なんて無いって、気付いたら。

 最後の一欠片まで消えてしまい、絶叫して地面を掻きむしった。
 失くなってしまった。また。

 まだだよ。

 そう言われ、ーーが指差したのは、骸のサヤ。
 傷だらけで、ボロボロになって、それでも安らかな表情で、呼吸をしていた。
 這い寄って、抱きしめると、温かかった……。安堵に涙が溢れてくる……。

 君が受け入れてあげなきゃ、この子はずっと、異物だよ。

 そう言ったーーは、仕方ないなというように、溜息を吐く。
 そうして、俺にその指を、突きつけた。

 君、ほんとヘタレだから、特別に念を押しておくけどね。
 この子、自分からは絶対に、求めやしないよ。
 本当は欲しているのに、遠慮して、端っこのちょっとだけ、少しだけもらえれば充分だって、きっとそう言うんだ。
 君は、この子のこと、強い子だって思ってるけど…………本当は、もっとずっと、脆いんだよ。
 はじめっからそうだったでしょ?

 そう言われ思い出したのは、出会った当初の、遠慮して、我慢して、必死だったサヤ。

 そんな……じゃあ、どうすれば?

 そう問うと、ーーは、悪戯っ子みたいな、人の悪い笑みを浮かべて、言った。

 分かってるくせに。
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