上 下
400 / 1,121

アンバー 2

しおりを挟む
「足を止めるな!    目標の部屋はもう目前だ!」


 状況は、かんばしくなかった。

 進むにつれ、当然ながら敵影は増えた。
 前方の人影はさほどでもない。……後方に比べれば……。
 足を進めながら、俺は苦しい決断を、せざるを得ない状況だと、悟っていた。

「……シザー……後方、抑えを頼めるか……」

 時間を、稼ぐ必要がある。
 異母様の部屋はもうすぐそこだけれど、当然守りは固められているだろう。すぐに攻略とはいかないに違いない。
 時間をかけるだけ、こちらの消耗が進む。
 部屋を開けられなくて戸惑っているうちに、後方から追い打ちを受けたのではたまらない。とは言っても、迫ってくるこの人数を相手にしていたら、目標に逃亡時間を与えるだけだ。

 前方に戦力を集中して、急ぎ進むしか……。

 そう考えると、苦渋の決断をするしか、ないのだ。
 後方に最小限の人員を裂き、食い止めている間に目的を達する。
 セイバーン兵や偽装傭兵団の隊員では、死傷者がきっと、相当数になってしまう。
 そうなれば当然、より状況の過酷さが増すだけ。
 追い詰められて終わる未来しかないのだ。

「……」

 返事は無かった。けれどこくりと頷いたシザーが、足を止めて廊下の真ん中に仁王立ちになる。
 覇気が、視認できるのではないかと思えるほどの気迫でもって、押し寄せてくる騎士に慄きもしない。
 自身の命を賭けて、俺の命に、忠実に。
 彼の実力も、その覚悟も分かっていたけれど、そうは、したくなかった……。けれど、こうするしか……。

「俺も残る」

 踵を返したジェイドが腰の袋から何かを取り出し、廊下の奥に向かって投げつけた。
 それは騎士ら頭上辺りで天井に当たり、砕けて何か、粉末状の粒子が舞い散ると……。そこで悲鳴や怒声、凄まじい混乱が生じた。

「はっ、こんな時は確かに威力絶大だなこりゃ」

 丸い形状に見えたからあれは、卵の殻の目潰しだろう。
 サヤは、目と鼻と両方潰すのだと言っていた。廊下のように行動範囲が制限された場所では、更に混乱に拍車が掛かる。
 そこに嘲笑うかのように、更に何かが投げ入れられた。あれは、石飛礫だろう。親指の先程の石の玉。投石用でありつつ、退路に転がして、踏んだ者が体勢を崩す役割も果たす。目と鼻をやられた者らの中に放り込めば……結果は当然、混乱は更に……だ。

「任せた!」

 ジェイドの機転で、シザーの危険は随分と緩和された。
 この二人なら、きっと凌げる。
 そう思えたので、その言葉を残し、先に進むことにする。
 ジェイドは動かせる方の腕をひらりと振った。シザーは、気迫の後姿のみで、俺を送り出す。混乱を抜け出してきた者を、その大剣で吹き飛ばし、命を果たす。

 二人を残して、俺たちは目前にある、異母様の部屋へ向かった。
 扉前に到着すると、第一部隊がかなり頑張ってくれた様子。負傷者が出ていたものの、警護の騎士はもう倒され、扉が押し開かれる瞬間だった。

「こちらはフェルナンに向かいます!」

 扉が開いたことで、ジークらと第三部隊は兄上の捕縛に向かう。セイバーン兵も半数がそちらに向かった。

 残りの俺たちは、第一部隊と共に異母様の部屋の中へ押し込む。と、悲鳴。
 女中数名と同じく数名の騎士。人数にものを言わせて一気に捕縛に掛かる。

「何をしているの!    其方らは早く其の者を捕らえなさい!」

 異母様の金切り声が、俺たちと共に来たセイバーン兵をそう叱りつけたけれど、彼らはそれに、反応を返さなかった。

「お縄を頂戴すべきは貴女様ですよ、アンバー様。
 領主様を、お返しいただきました」

 兵士長が、淡々と言葉を発すると、異母様の瞳が、大きく見開かれる。

「……何を、言っているの?…………執事長を、ザラスを呼びなさい!」
「今頃は、ザラス様も捕らえられておりましょう。
 アンバー様、貴女を謀反の罪で拘束します。抵抗は無意味ですから、大人しく従って頂きたい。
 でなければ、無駄に死傷者を増やすことになりますので」
「何が謀反だというの!それは其方らでしょう⁉︎」

 悲鳴のように叫んだ異母様の視線が、そこで俺を見つけた。
 恐怖に引きつっていた表情が、途端に鬼のような形相へと歪む……。

「……レイシール……そう、貴方なのね……このっ、悪魔が!
 兵を誑かし、謀反を企むだなんて、さすがあの醜女の産んだ悪鬼だこと!」

 鬼のような形相なのに……。

「それでもあの人のたっての願いで生かしておいてやった恩を、仇で返すのね‼︎」

 なんだろう……。酷く、必死に見えるのだ。

 異母様に感じてきた恐怖は、いつの間にやらかなり薄らいでしまっていて、言葉の棘は、身体の表面を掠めていくだけだった。
 罵る暴言が一区切りつくまで、ただ黙ってその言葉を聞き、言葉が途切れたところで、口を開く。

「異母様。何故父上を監禁などしたのですか」

 その言葉に、場がシン……と、静寂に染まった。

「逃亡阻止のために、腱を切り、更に薬漬けにして。
 何故、そこまでしなければならなかったのです?
 父上が貴女以外と子を成したことが、それほど許せなかったのですか……。
 ですが、貴族である以上、承知されていたはずでしょう?
 特に貴女は、納得の上で、降嫁されたはずだ。
 なのに何故……母を、殺しましたか。
 二年ともう、半年前ですか……そこで一体、何があったのです?」

 俺の言葉に、よろりと異母様が傾ぎ、寝台に座り込んだ。
 …………恐怖……?
 引きつった顔で、どこか虚空を見ている。
 俺の言葉に、父上の救出が虚言ではないと悟ったからか?

「領主様を……領主様に、そのような仕打ちを⁉︎」

 激昂した兵士長が叫び、兵士らがいきり立つ。
 けれどそれを、俺は手を挙げて制した。
 怒りに呑まれるな。我々は責務を果たすべく、ここに来ているのだから。

「貴女には、父上を我々が救出したこと、知らされていなかったようですね。
 ですが、もう二日前ですよ。
 父上は別邸から救出しました。そして昨日夜半、父上の奪還を諦め、始末を優先する指示が出たそうです。
 毒まで使って、父を亡き者にする理由は、資金源であるセイバーンを抑えるためですか。
 残念ですが、兄上はもう、後継として認めない方向であるそうです。たとえ父上を始末したとしても、セイバーンは手に入りませんよ。
 その場合、セイバーンは国に返上されます。父上の遺言として、それは受理されるでしょうし、私もそれを受け入れます。
 つまり、セイバーンがジェスルの資金源となる未来は、ありません。
 貴女方はもう、詰んでいるんです」

 淡々とそう伝えたが、返事は返らない。
 兵士長が顎をしゃくり、異母様を捕らえるよう、兵に指示を出した。
 けれど、兵が異母様の両腕に手を伸ばした途端、それは鋭い音でもって拒否された。

わたくしに触れることは許さないわ!」

 そうしてから、ギッと鋭い視線を、俺に突き刺す。

「お前のせいよ……お前のせいで、全部狂ったのよ!
 お前さえ生まれて来なければ、すべて丸く、おさまっていたのに!
 お前は本当に悪魔よ!    あの女も、お前を孕んだと、私を脅して、私に並び立とうなどと!」

 俺が全てを狂わせた。
 それは……その通りなのだろう。
 俺が生まれて来なければ、均衡は崩れなかったのかもしれない。
 多少の問題は孕んでいたろうけれど、ここまで拗れることは…………。

「それは、違うでしょう!」

 だがそこで、兵士長が声を張り上げた。

「奥様、貴女が正妻としての責任を果たしてさえいれば、全ては丸くおさまったことです。
 ロレッタ様を第二夫人と認めず、妾としてしか許さなかったのは貴女だ。
 ロレッタ様を卑しい身分と言うが、それは貴女がそこに彼の方を追いやったからでしかない。
 それでも彼の方は、セイバーンのために尽くしてくださいました。
 軽んじられる身分でも、御子息様の認知が認められずとも、全てを受け入れたではないですか!」
「黙りなさい!    私はジェスルの、伯爵家の者です!
 当然のことではないの⁉︎」
「領主様の胤は等しく領主様のお子です。その事実は変わらない。それを貴女は認めなかった。
 だからあのような事件を招いたのでしょう!
 領主様がレイシール様方を呼び戻したのは当然のことで、この方に責任などありはしない!」

 あのような……とは、母の心中未遂のことだろうか。
 それは、母に届けられていた手紙を、兵士長は知らないということなのだろう。
 順当に考えれば、あの手紙の送り主は異母様か、ジェスルだ。本来の目的は俺の始末であったのかもしれない。
 兄上以外の後継となり得る存在を抹消したかったということ。
 だけど……妾の子で、認知すらされていない俺をというのは、違和感があった。
 あの当時の俺に後継となる可能性なんて、それこそ兄上が没することでもない限りあり得なかった。なのに何故わざわざ……?
 母に対する怒りや嫉妬……そう考えるならば、異母様がそんな暴挙に出たことも納得ができるが…………。

 何だろう、この違和感……。

「彼の方は私の夫なのよ!    他など許されるはずがないではないの!
 ただの補佐だと言うから……子供だと言うから認めたのに……子を成すなど裏切りではないの!」
「貴族の義務です。他の妻を娶るかもしれないことも、子を成すかもしれないことも、当然でしょう」
「当然なものですか!」

 髪を振り乱して怒りをぶちまける異母様を見て、俺は……今この場でやっと、異母様の本心を、見たのだと思った。
 この方は、ただ父上に執着していたのだ。
 政略結婚とはいえ、十も年の離れた相手に、若くして嫁いだのだ、異母様も……。
 それこそ、サヤと変わらぬ年齢で、子まで成した。
 この方にとってそれが貴族の勤めで、正しき行いで、上位貴族とはいえ、女性であり、後継となり得ない生まれの異母様は……駒としての価値にしか、しがみ付けなかったのかもしれない。

「あの人は私のものなのよ!    だからあそこにいるのよ!
 あの人がそれを承諾したのだもの!」
「……兵士長」
「はっ。捕らえよ」
「触るなと言ったでしょう!」

 それでも異母様は手首を掴まれ、縄をかけられた。
 貴人を捕らえておく場合の部屋など男爵家には無いので、三階の隅にある、使用人の控え室へ押し込められ、鍵が掛けられた。
 これをもって異母様は全ての権限を剥奪されたことになり、俺は大きく息を吐く。

「……私の名の下に命ずる。ジェスルの者へ、投降せよと。
 武器を捨てたならば、無闇に傷つけはしない。しばらくは聴衆等に付き合ってもらうが、異母様の罪と関わりない者、罪を犯してない者は、ジェスルへお帰りいただけると。それから……こちらの調べに協力するならば、便宜も図ると」
「便宜……ですか」
「苦味ばかりでは、食らうこともしてもらえないだろう?」
「畏まりました」

 兵士長にそう伝えると兵が呼ばれ、報せが村中を走ることとなった。
 異母様の失脚と、父上に全権が戻ったこと。現在は俺がその代理を務めることだ。

 謀反人の頂点を捉えたとなるわけで、ことはこれで、収束する……かと、思われたのだけど……。

「レイシール様、フェルナン様の部屋が……」

 ひと段落した俺の元に、まずはジークが戻ってきた。困惑した表情で……。

「扉が、開かないんです」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

【完結】妹にあげるわ。

たろ
恋愛
なんでも欲しがる妹。だったら要らないからあげるわ。 婚約者だったケリーと妹のキャサリンが我が家で逢瀬をしていた時、妹の紅茶の味がおかしかった。 それだけでわたしが殺そうとしたと両親に責められた。 いやいやわたし出かけていたから!知らないわ。 それに婚約は半年前に解消しているのよ!書類すら見ていないのね?お父様。 なんでも欲しがる妹。可愛い妹が大切な両親。 浮気症のケリーなんて喜んで妹にあげるわ。ついでにわたしのドレスも宝石もどうぞ。 家を追い出されて意気揚々と一人で暮らし始めたアリスティア。 もともと家を出る計画を立てていたので、ここから幸せに………と思ったらまた妹がやってきて、今度はアリスティアの今の生活を欲しがった。 だったら、この生活もあげるわ。 だけどね、キャサリン……わたしの本当に愛する人たちだけはあげられないの。 キャサリン達に痛い目に遭わせて……アリスティアは幸せになります!

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

処理中です...