383 / 1,121
地位と責任 15
しおりを挟む
食事処まで強制的に引きずっていかれた俺は、そのまま二階の部屋へ放り込まれた。
道中、どうしたのかと様子を伺ってくる職人らには、体調を崩しただけだから、少し休めばすぐに良くなると伝えられ、サヤがずっと俺の肩を支えてくれていた。
部屋の中で気持ちを落ち着けることに努め、なんとか涙は引っ込んだものの、今度は、やっぱり夢なんじゃないか、聞き間違いじゃないかという否定的な思考ばかりが働いて、恐怖が膨らんで、震えが止まらない。
そんな俺の様子にロゼは、何かやらかしてしまったと思っているのか、むっつりと黙って服の裾を無意味に弄っていた。
食堂の二階、前回と同じ部屋に、俺たちと……エルランド、ホセ、ヘルガー、ロゼが、言葉を発することもできずにいる。
「も、申し訳なかった……。
すまない、本当に……。ロゼは何も悪くないんだ。ごめんなロゼ、びっくりさせてしまって……」
とりあえず場を取り繕うように、そう口にするが、その先の言葉が、口から吐き出せない。
あの人のことを、もっと聞きたい。間違いではないと、確信したい。だけど、聞いてもし勘違いだったらと思うと……怖い。
そんな思考がぐるぐると繰り返される。
言葉を続けられず、うなだれるしかない俺を不甲斐ないと思ったのか、ハインが言葉を繋いでくれた。
「状況が見えないのですが……サヤ、何があったのです」
「あ……その……」
ちらりと俺の様子を伺ってから、キュッと、口元を引き結び、言葉を選ぶようにして、視線を彷徨わせたサヤは……。
「……オブシズさん……という、傭兵の方……学舎に行かれていた方、なのですよね。
その方について、詳しくお聞きしても、宜しいでしょうか。
その方は、砂色の髪、蜜色の瞳で、縁だけ緑がかった、特殊な瞳をしてらっしゃいませんか。
元は貴族の方なのだそうです。それで十二年前に……セイバーンに、いらっしゃったことが、ありませんか。
その当時は、足に矢傷を負って、戦線離脱したのだと、語ったらしいのですが……」
サヤの問いに、ハインもサヤが、言わんとしていることを、察した様子。
瞳を見開き、しばし瞠目した。
「…………どういう、ことです? 亡くなられてはいないと?」
眉間にしわを寄せ、鋭い眼光で、ハインがサヤを見据え、問う。
しかしサヤは困った様子で……。
「わ、私もよく、分からないんです。でも、レイシール様は、そう感じたのではないかと……」
「…………あの!」
こちらのやりとりに、硬い声音でヘルガーが割って入った。
それまでの温厚そうな雰囲気は一変し、鋭い視線が、俺を見据えていた。
「オブシズは、学舎へ在籍していたことはございますが、平民です。
貴族ではございません」
ヘルガーのその言葉に、場がまた、静まる。
「…………ちがう……?」
知らず自分で呟いた言葉が、胸を抉った。
……………………。
ほら、な……。
そんなうまい話が、あるはずがないじゃないか……。
脳裏に嘲笑う兄上が見える。
兄上が、言ったんだ。
血みどろになって果てたと……。俺のせいで死んだんだと……。
なのに、何を、期待できたと、いうんだ…………。
「そう……ですか。違う……違う……はは、そうですよね、もう十二年も前に、去ったはずの、人です……」
分かっていたはずなのに、勝手に期待していた。
蜘蛛の糸よりも細い可能性に、縋り付いてしまった自分が滑稽だった。
乾いた笑いが口から勝手に溢れてくる。
今世で会えるかもしれないなんて、馬鹿げた期待をしてしまったものだ。
「……レイシール様……」
「忘れてください……なんでも、ないんです……」
そう言葉を吐き出す。
だげど……それじゃ駄目だと、頭を振った。
ここまで踏み込んだのだから、もう、逃げちゃいけない。ちゃんと今世で、罪を詳らかにして逝こう。
「いえ……違います……。
アギーに戻られたら……当時のことを知っている方に、確認を取って頂けませんか。
十二年前に、砂色の髪で、蜜色に、縁が翡翠色へと移り変わっている、特殊な瞳をした方が、在籍していたはずなんです……。
明けの明星だと、確かにそう言ったのを、記憶しているので……。
あいにく、名は知りません。
年は、あの当時二十よりは上だったと、思われます。
他の特徴といえば……左側の額に、投石を受けたという、大きな傷がありました。
右頬から顎にかけても、多分、刀傷です……、こちらも大きなものが、走っていましたね。
体格はあまり大きくなかったと記憶しています。どちらかというと細身……。
律儀な、人でした…………。
些細なことひとつひとつに、いちいち、礼を、言う、ような……っ」
続く言葉が、吐き出せなかった。
だけど必死で呼吸を整えて、頭を下げる。
もう、これが最後の機会かもしれないのだ。だから、言え!
「も、申し訳ない……。俺が、し、死なせた人なんです!
ですがどうか、名を、知らせて頂けないでしょうか……。せめて、それだけ……。
何か、償える手段があるのなら、なんだっておっしゃってください。遺族の方がいらっしゃるなら、せめて、生活の保障を……」
「ちょ、ちょっと待ってください⁉︎
ええぇ~……⁉︎ 揉め事とかじゃ、ないんですか? オブシズを差し出せとか、そういう類のやつじゃ⁉︎
だいたい十二年も前って、貴方、ロゼくらい幼なかったはずでしょう⁉︎」
慌てて立ち上がったヘルガーが、混乱した様子でそんな風に言い、頭を抱える。
ロゼは、自分の名が出たためか、キョトンとした顔で、俺たちを交互に見た。
ホセは意味が分からないといった様子で、だげどロゼだけは守ろうとしているのか、彼女の肩に両手を添えている。
こちらはというと、シザー、ジェイドには全く状況が理解できないのだろう。ただ首を傾げたり、オロオロと狼狽えるばかり。
ハインとサヤは、揃って神妙な顔。
そしてマルは、顎に手を当て、無表情で思案の最中だった。
そんなどうしようもなく、重い沈黙の中、最年長者である、エルランドが仕方なしに、口を開く。
「あの、レイシール様……ちょっと、落ち着きましょう。
その……死なせた……というのは、祝賀会で仰っていた、方ですか? 学舎出の傭兵……という?」
「そう、です。ほんの数日の、邂逅でしたし、お互い、名乗りもしなかったので、名も、知らずじまいで……。
俺はあの当時、少々特殊な環境に置かれていて、それをあの人は……憂いてくれたんです。
そのせいで……巻き込んでしまった……」
「……それは、傭兵としての仕事の最中ということで?」
「違います…………ゆきずりに、俺が、関わらせてしまったんです……。
いけないと分かっていたのに、あの人の優しさに、つけ込んだ……」
温もりに、縋り付いてしまった……。
エルランドとヘルガーが、顔を見合わせ、困ったように黙り込む。
そして二人で何か視線のやりとりを交わし、エルランドに顎をしゃくられたヘルガーが、はぁ……と、溜息を吐く。
「あの……もう少し、具体的に、おっしゃってくださいませんか。意味が、分からない。
その人のこと、死んだと思われてたんですよね?」
「そう、聞かされました。
証拠として、あの人の小剣も、確認させられた……」
他は、口にできない。
万が一、彼らに累が及んではいけないから。
具体的なことを述べようとしない俺に、二人は少し沈黙して……。
「……その後、六歳で、学舎に行かれた……のですよね?」
確認するようにエルランドが言い、俺が頷くと。
「六歳って……あー……つまり、言えない類のやつ……」
そう呟いたヘルガーの肩を、エルランドが拳で殴る。
察しても口に出すなという叱責のつもりなのだろう。ヘルガーがしまったという顔になる。
その様子に鼻を鳴らしたエルランドが、お前はもう黙ってろとばかりにずいと身を乗り出した。その様子に、じゃあはじめっからそっちがやってくれりゃ良いのにと、ヘルガーが顔をしかめる。
「……十二年前は、私も明けの明星とは関わっていませんでしたし、ヘルガーも在籍しておりませんでした。
隊員も、今回連れて来ているのは、比較的若い者ばかりなので……少々、お時間をいただけますか。
荷を置き、戻りましたら、必ず確認し、連絡致します。
…………それで、宜しいでしょうか?」
「はい。充分です……。
すいません……、手を煩わせてしまう……」
「良いんですよ、そんなことは。
…………それよりもその……気に、病まないことです。
傭兵というのは、自分の命は自分の手で握っているものです。
その人が、貴方に関わろうと思ったのは、その人の意思が全てで、誰かに縋られたからって理由で行動なんて、しませんよ。
まして、依頼じゃないなら、尚のことです」
俺の様子を気に病んだのか、エルランドがそんな慰めの言葉を口にする。
ヘルガーも、そうですよと、言葉を添えた。
「私たちは、己の責任は己で取るのです。全ての行動は、自己責任だ。
だからその……貴方が死なせてしまったなんて、思う必要は、無いんですよ? 不慮の事故の類とでも、思ってください」
「ありがとう……でも……俺は、俺の責任を、取りたいんです……」
残り少ないかもしれない時間を、きちんと整理して逝きたい……。
極力、誰の手も煩わせず、やり終えられることは、始末して。
掬い上げられ、落とされた心はもう、疲れ切ってしまっていて……。そう口にするのがやっとだった。
あの人はいない。もういない。
分かっていたことを確認しただけなのに、再現された絶望に、自責の念が込み上げてくる。
ごめんなさい、俺に関わらせてしまったばかりに……。
苦しくて、悲しくて、他の面々の様子に気を配る余裕もなく、ハインの采配で、俺はしばらく、ここで休まされることとなった。
エルランドらは荷を下ろしに行き、マルとジェイド、ハインがそれに同行する。
シザーとサヤは部屋に残ったが、俺はただ、長椅子で項垂れておくことしかできなかった。
これ以上、皆を煩わせてはいけない。元気を出さなきゃ、少しでも、前向きに、考えよう……。
あの人の名を知ることができるかもしれない……。そうしたら、共同墓地に名を刻もう。亡骸はあそこに無いけれど、せめて……。
元から、死んだと思っていた人が、そうであっただけじゃないか……何も、変わらない。今まで通りだ……。
そう、今まで通り……。事実は変わらない。
あの人は殺されたんだ……兄上に。
結局あの人たちは、十二年前からずっと、変わらない……ということだ。
あの人の死を思い出し、腹の底の黒いものが、うぞりと、蠢いた。
二年前の母の死が、やはり異母様方の手の上であったなら、全く何も、変わっていないということだ……。
背後から、全身を滅多打ちにされていたという、母……。
寄ってたかって切り刻まれたであろう、あの人……。
執拗に振るわれた暴力。
まるで……まるで遊んでいるみたいに……。
あの人たちはきっと、これからも変わらない……。
下手をしたら、俺の周りの誰かがまた……。
それだけは絶対に、させない。
もうこれ以上、あの人ような犠牲を、出してたまるか……。
異母様は伯爵家の令嬢だ……。
嘆願等によっては、幽閉で終わってしまうかもしれない……。その息子である兄上も……。
それではいけない。
万が一でも、この世に可能性を残しては逝けない。
もう誰も、犠牲にならないように……。
時間はあまり残されていないかもしれない。
その中で、俺にできること、俺がすべきことは、最良はなんだ?
焦る気持ちと、絶望が、腹の底の黒く蠢くものを刺激する。
二人の死に様が、俺がいなくなった後、他の誰かに降りかかりでもしたら……そんなの、耐えられない!
なに、簡単なことじゃないか……。
絶てば、終わる。
闇が、そう囁いた。
いや、違う……俺の、本心。心の声だ。
全てを俺が、終わらせれば良い。
そうすれば、後に誰かが、迷惑を被ることもないだろう……。全てひっくるめて、始末する。
腹の底の闇が、じんわりと身体に、染み込んでいくように……黒く重いものが、俺の気持ちを、染めていく……。
「レイ、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
決まっている言葉を反射で返し、作り慣れた笑顔を顔に貼り付けて。
サヤ。
彼女を帰せなかったら、ここは、彼女の残る場所になる。
だから、彼女を守るためにも、必要なことだ。
うん。これを、俺が今生でするべき、最後の仕事にしよう。
道中、どうしたのかと様子を伺ってくる職人らには、体調を崩しただけだから、少し休めばすぐに良くなると伝えられ、サヤがずっと俺の肩を支えてくれていた。
部屋の中で気持ちを落ち着けることに努め、なんとか涙は引っ込んだものの、今度は、やっぱり夢なんじゃないか、聞き間違いじゃないかという否定的な思考ばかりが働いて、恐怖が膨らんで、震えが止まらない。
そんな俺の様子にロゼは、何かやらかしてしまったと思っているのか、むっつりと黙って服の裾を無意味に弄っていた。
食堂の二階、前回と同じ部屋に、俺たちと……エルランド、ホセ、ヘルガー、ロゼが、言葉を発することもできずにいる。
「も、申し訳なかった……。
すまない、本当に……。ロゼは何も悪くないんだ。ごめんなロゼ、びっくりさせてしまって……」
とりあえず場を取り繕うように、そう口にするが、その先の言葉が、口から吐き出せない。
あの人のことを、もっと聞きたい。間違いではないと、確信したい。だけど、聞いてもし勘違いだったらと思うと……怖い。
そんな思考がぐるぐると繰り返される。
言葉を続けられず、うなだれるしかない俺を不甲斐ないと思ったのか、ハインが言葉を繋いでくれた。
「状況が見えないのですが……サヤ、何があったのです」
「あ……その……」
ちらりと俺の様子を伺ってから、キュッと、口元を引き結び、言葉を選ぶようにして、視線を彷徨わせたサヤは……。
「……オブシズさん……という、傭兵の方……学舎に行かれていた方、なのですよね。
その方について、詳しくお聞きしても、宜しいでしょうか。
その方は、砂色の髪、蜜色の瞳で、縁だけ緑がかった、特殊な瞳をしてらっしゃいませんか。
元は貴族の方なのだそうです。それで十二年前に……セイバーンに、いらっしゃったことが、ありませんか。
その当時は、足に矢傷を負って、戦線離脱したのだと、語ったらしいのですが……」
サヤの問いに、ハインもサヤが、言わんとしていることを、察した様子。
瞳を見開き、しばし瞠目した。
「…………どういう、ことです? 亡くなられてはいないと?」
眉間にしわを寄せ、鋭い眼光で、ハインがサヤを見据え、問う。
しかしサヤは困った様子で……。
「わ、私もよく、分からないんです。でも、レイシール様は、そう感じたのではないかと……」
「…………あの!」
こちらのやりとりに、硬い声音でヘルガーが割って入った。
それまでの温厚そうな雰囲気は一変し、鋭い視線が、俺を見据えていた。
「オブシズは、学舎へ在籍していたことはございますが、平民です。
貴族ではございません」
ヘルガーのその言葉に、場がまた、静まる。
「…………ちがう……?」
知らず自分で呟いた言葉が、胸を抉った。
……………………。
ほら、な……。
そんなうまい話が、あるはずがないじゃないか……。
脳裏に嘲笑う兄上が見える。
兄上が、言ったんだ。
血みどろになって果てたと……。俺のせいで死んだんだと……。
なのに、何を、期待できたと、いうんだ…………。
「そう……ですか。違う……違う……はは、そうですよね、もう十二年も前に、去ったはずの、人です……」
分かっていたはずなのに、勝手に期待していた。
蜘蛛の糸よりも細い可能性に、縋り付いてしまった自分が滑稽だった。
乾いた笑いが口から勝手に溢れてくる。
今世で会えるかもしれないなんて、馬鹿げた期待をしてしまったものだ。
「……レイシール様……」
「忘れてください……なんでも、ないんです……」
そう言葉を吐き出す。
だげど……それじゃ駄目だと、頭を振った。
ここまで踏み込んだのだから、もう、逃げちゃいけない。ちゃんと今世で、罪を詳らかにして逝こう。
「いえ……違います……。
アギーに戻られたら……当時のことを知っている方に、確認を取って頂けませんか。
十二年前に、砂色の髪で、蜜色に、縁が翡翠色へと移り変わっている、特殊な瞳をした方が、在籍していたはずなんです……。
明けの明星だと、確かにそう言ったのを、記憶しているので……。
あいにく、名は知りません。
年は、あの当時二十よりは上だったと、思われます。
他の特徴といえば……左側の額に、投石を受けたという、大きな傷がありました。
右頬から顎にかけても、多分、刀傷です……、こちらも大きなものが、走っていましたね。
体格はあまり大きくなかったと記憶しています。どちらかというと細身……。
律儀な、人でした…………。
些細なことひとつひとつに、いちいち、礼を、言う、ような……っ」
続く言葉が、吐き出せなかった。
だけど必死で呼吸を整えて、頭を下げる。
もう、これが最後の機会かもしれないのだ。だから、言え!
「も、申し訳ない……。俺が、し、死なせた人なんです!
ですがどうか、名を、知らせて頂けないでしょうか……。せめて、それだけ……。
何か、償える手段があるのなら、なんだっておっしゃってください。遺族の方がいらっしゃるなら、せめて、生活の保障を……」
「ちょ、ちょっと待ってください⁉︎
ええぇ~……⁉︎ 揉め事とかじゃ、ないんですか? オブシズを差し出せとか、そういう類のやつじゃ⁉︎
だいたい十二年も前って、貴方、ロゼくらい幼なかったはずでしょう⁉︎」
慌てて立ち上がったヘルガーが、混乱した様子でそんな風に言い、頭を抱える。
ロゼは、自分の名が出たためか、キョトンとした顔で、俺たちを交互に見た。
ホセは意味が分からないといった様子で、だげどロゼだけは守ろうとしているのか、彼女の肩に両手を添えている。
こちらはというと、シザー、ジェイドには全く状況が理解できないのだろう。ただ首を傾げたり、オロオロと狼狽えるばかり。
ハインとサヤは、揃って神妙な顔。
そしてマルは、顎に手を当て、無表情で思案の最中だった。
そんなどうしようもなく、重い沈黙の中、最年長者である、エルランドが仕方なしに、口を開く。
「あの、レイシール様……ちょっと、落ち着きましょう。
その……死なせた……というのは、祝賀会で仰っていた、方ですか? 学舎出の傭兵……という?」
「そう、です。ほんの数日の、邂逅でしたし、お互い、名乗りもしなかったので、名も、知らずじまいで……。
俺はあの当時、少々特殊な環境に置かれていて、それをあの人は……憂いてくれたんです。
そのせいで……巻き込んでしまった……」
「……それは、傭兵としての仕事の最中ということで?」
「違います…………ゆきずりに、俺が、関わらせてしまったんです……。
いけないと分かっていたのに、あの人の優しさに、つけ込んだ……」
温もりに、縋り付いてしまった……。
エルランドとヘルガーが、顔を見合わせ、困ったように黙り込む。
そして二人で何か視線のやりとりを交わし、エルランドに顎をしゃくられたヘルガーが、はぁ……と、溜息を吐く。
「あの……もう少し、具体的に、おっしゃってくださいませんか。意味が、分からない。
その人のこと、死んだと思われてたんですよね?」
「そう、聞かされました。
証拠として、あの人の小剣も、確認させられた……」
他は、口にできない。
万が一、彼らに累が及んではいけないから。
具体的なことを述べようとしない俺に、二人は少し沈黙して……。
「……その後、六歳で、学舎に行かれた……のですよね?」
確認するようにエルランドが言い、俺が頷くと。
「六歳って……あー……つまり、言えない類のやつ……」
そう呟いたヘルガーの肩を、エルランドが拳で殴る。
察しても口に出すなという叱責のつもりなのだろう。ヘルガーがしまったという顔になる。
その様子に鼻を鳴らしたエルランドが、お前はもう黙ってろとばかりにずいと身を乗り出した。その様子に、じゃあはじめっからそっちがやってくれりゃ良いのにと、ヘルガーが顔をしかめる。
「……十二年前は、私も明けの明星とは関わっていませんでしたし、ヘルガーも在籍しておりませんでした。
隊員も、今回連れて来ているのは、比較的若い者ばかりなので……少々、お時間をいただけますか。
荷を置き、戻りましたら、必ず確認し、連絡致します。
…………それで、宜しいでしょうか?」
「はい。充分です……。
すいません……、手を煩わせてしまう……」
「良いんですよ、そんなことは。
…………それよりもその……気に、病まないことです。
傭兵というのは、自分の命は自分の手で握っているものです。
その人が、貴方に関わろうと思ったのは、その人の意思が全てで、誰かに縋られたからって理由で行動なんて、しませんよ。
まして、依頼じゃないなら、尚のことです」
俺の様子を気に病んだのか、エルランドがそんな慰めの言葉を口にする。
ヘルガーも、そうですよと、言葉を添えた。
「私たちは、己の責任は己で取るのです。全ての行動は、自己責任だ。
だからその……貴方が死なせてしまったなんて、思う必要は、無いんですよ? 不慮の事故の類とでも、思ってください」
「ありがとう……でも……俺は、俺の責任を、取りたいんです……」
残り少ないかもしれない時間を、きちんと整理して逝きたい……。
極力、誰の手も煩わせず、やり終えられることは、始末して。
掬い上げられ、落とされた心はもう、疲れ切ってしまっていて……。そう口にするのがやっとだった。
あの人はいない。もういない。
分かっていたことを確認しただけなのに、再現された絶望に、自責の念が込み上げてくる。
ごめんなさい、俺に関わらせてしまったばかりに……。
苦しくて、悲しくて、他の面々の様子に気を配る余裕もなく、ハインの采配で、俺はしばらく、ここで休まされることとなった。
エルランドらは荷を下ろしに行き、マルとジェイド、ハインがそれに同行する。
シザーとサヤは部屋に残ったが、俺はただ、長椅子で項垂れておくことしかできなかった。
これ以上、皆を煩わせてはいけない。元気を出さなきゃ、少しでも、前向きに、考えよう……。
あの人の名を知ることができるかもしれない……。そうしたら、共同墓地に名を刻もう。亡骸はあそこに無いけれど、せめて……。
元から、死んだと思っていた人が、そうであっただけじゃないか……何も、変わらない。今まで通りだ……。
そう、今まで通り……。事実は変わらない。
あの人は殺されたんだ……兄上に。
結局あの人たちは、十二年前からずっと、変わらない……ということだ。
あの人の死を思い出し、腹の底の黒いものが、うぞりと、蠢いた。
二年前の母の死が、やはり異母様方の手の上であったなら、全く何も、変わっていないということだ……。
背後から、全身を滅多打ちにされていたという、母……。
寄ってたかって切り刻まれたであろう、あの人……。
執拗に振るわれた暴力。
まるで……まるで遊んでいるみたいに……。
あの人たちはきっと、これからも変わらない……。
下手をしたら、俺の周りの誰かがまた……。
それだけは絶対に、させない。
もうこれ以上、あの人ような犠牲を、出してたまるか……。
異母様は伯爵家の令嬢だ……。
嘆願等によっては、幽閉で終わってしまうかもしれない……。その息子である兄上も……。
それではいけない。
万が一でも、この世に可能性を残しては逝けない。
もう誰も、犠牲にならないように……。
時間はあまり残されていないかもしれない。
その中で、俺にできること、俺がすべきことは、最良はなんだ?
焦る気持ちと、絶望が、腹の底の黒く蠢くものを刺激する。
二人の死に様が、俺がいなくなった後、他の誰かに降りかかりでもしたら……そんなの、耐えられない!
なに、簡単なことじゃないか……。
絶てば、終わる。
闇が、そう囁いた。
いや、違う……俺の、本心。心の声だ。
全てを俺が、終わらせれば良い。
そうすれば、後に誰かが、迷惑を被ることもないだろう……。全てひっくるめて、始末する。
腹の底の闇が、じんわりと身体に、染み込んでいくように……黒く重いものが、俺の気持ちを、染めていく……。
「レイ、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
決まっている言葉を反射で返し、作り慣れた笑顔を顔に貼り付けて。
サヤ。
彼女を帰せなかったら、ここは、彼女の残る場所になる。
だから、彼女を守るためにも、必要なことだ。
うん。これを、俺が今生でするべき、最後の仕事にしよう。
0
お気に入りに追加
836
あなたにおすすめの小説
【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました
112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。
なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。
前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
旦那様、私は全てを知っているのですよ?
やぎや
恋愛
私の愛しい旦那様が、一緒にお茶をしようと誘ってくださいました。
普段食事も一緒にしないような仲ですのに、珍しいこと。
私はそれに応じました。
テラスへと行き、旦那様が引いてくださった椅子に座って、ティーセットを誰かが持ってきてくれるのを待ちました。
旦那がお話しするのは、日常のたわいもないこと。
………でも、旦那様? 脂汗をかいていましてよ……?
それに、可笑しな表情をしていらっしゃるわ。
私は侍女がティーセットを運んできた時、なぜ旦那様が可笑しな様子なのか、全てに気がつきました。
その侍女は、私が嫁入りする際についてきてもらった侍女。
ーーー旦那様と恋仲だと、噂されている、私の専属侍女。
旦那様はいつも菓子に手を付けませんので、大方私の好きな甘い菓子に毒でも入ってあるのでしょう。
…………それほどまでに、この子に入れ込んでいるのね。
馬鹿な旦那様。
でも、もう、いいわ……。
私は旦那様を愛しているから、騙されてあげる。
そうして私は菓子を口に入れた。
R15は保険です。
小説家になろう様にも投稿しております。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる