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父の軌跡 14

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「沈んだ後、母が、作り笑いばかりなことに、気が付いた……。
 セイバーンに行くと、周り中が、そんな感じで……表面と内面は違うのだって、子供ながらに、理解したんだ……」

 仮面だらけ。
 偽りだらけ。
 肯定的なことを言っていても、内面では否定してる。笑顔でいても、心の方は怒ってる。
 そんなちぐはぐな人ばかりで、見誤ると、裏の顔が歪む。それが怖くて、必死で顔色を伺った。
 もう、要らないと、思われたくなかったから……。
 また沈めてしまおうと、そんな風に思われるのが、怖かったから。

「母は、普通にしていたと、思ってたのに……あの日、俺は死を望まれた……。
 いつから……どこから……ずっとそれが、気になって…………。原因は、失敗してしまったのは、どこからだって…………。
 普通に笑っていたと思ってたのに…………ずっと、殺したいって、思っていたのかなって……楽になりたかったのかなって…………」

 ギュッと、サヤの手に力がこもる。
 背中に回された手が、熱い。俺が、寒いだけなのかな……。

「今なら、分かると思ったのに…………見えないんだ……仮面が。
 きっかけが分かれば、納得できると、思ったのに……仕方がないって、俺が失敗したせいだって、納得できると……。
 なのに、どこからの母が、仮面だったのかが、見つけられない…………。記憶だから?    俺にはそうとしか、見えていなかったから?    それともやっぱり……生まれた時から?    俺を授かってしまったことが……」
「それは、ない!」

 黙って聞いていたサヤが、不意に俺の言葉を遮った。

「レイ、レイは三歳でここを離れて、六歳でセイバーンを離れて、十年も戻らへんかった。
 なのに、なんでおもちゃ箱が、まだあそこにあった思う?」
「……出ていった時のままに、なっていたから?」
「違う思う。ここは、管理されてる。
 ずっと空き家やったて、カークさんが言うてはったのに、空き家やった空気が無かった。
 たまに使われたり、掃除に来る人がいたりする……管理されとる家やで、ここ。
 十五年あれば、家は、案外朽ちるんやから……」

 そういえば……空き家であるのに、庭が荒れていなかったなと、初めて思い至った。

「推測ですけど……領主様は、セイバーン中を回ってらっしゃったって、伺いました。
 ここは、その時の宿として利用されていましたか?
 畑があるのは農村……街中に宿を取っていたとは、考えにくいです」

 サヤが、ただ黙って見守るだけだったカークに、そう言うと、彼は是と、頷いた。

「左様でございます。
 レイシール様がセイバーンへ移られてからも、度々利用しておりました」
「レイ、お仕事で使うてはった家やのに、おもちゃ箱があるなんて、不自然やろ?」

 それは、そうだけど…………。
 片付け忘れていただけかもしれない。そう思ったけれど、サヤは違うと首を振った。

「もう一回、見に行こう」

 応接室に戻って、サヤはおもちゃ箱の蓋を開けた。
 中には整理整頓されたおもちゃ……主に積み木。何かの人形、ずいぶんボロボロの、畳まれた上掛けと、鞠が入っていた。

「ほら。大切に、ここに置いてはったんや。
 レイの使うてたものやから。レイの思い出やからや、思う」

 積み木……。

「疎んではったら……こんな風には、残してはらへん思わん?」
「っ、じゃあ……じゃあなんで⁉︎」

 瞬間で込み上げてきた怒りとも悲しみともつかないもので、俺はつい声を荒げた。
 サヤの言葉を否定するために、サヤの顔を覗き込んで「じゃあなんで、俺をあそこに連れて行った⁉︎    なんで俺をあそこに沈めたんだ!」と、叩きつけるように責めたてる。

「思い付きで殺そうなんて思ったのか⁉︎    それとも、後になって罪悪感に駆られた⁉︎」

 後ろに仰け反るサヤの肩を掴んで、無理やり俺の前に引き戻す。

「結局俺をどうしたかったんだよ!
 セイバーンに行ってからは、俺を避けてた。仕事だって、忙しいってそう言われてたけど、父上よりも俺に、寄り付かなかったんだ!
 会ったら会ったで、嘘笑いばかり……ヘラヘラ嘘の笑みで懐柔して、隙を伺っていたのか⁉︎    そうすれば、俺がまたのこのことついて行くとでも⁉︎」

 そこで、ぐいと背後から、肩を掴んで引き剥がされた。

「落ち着いてください。サヤを責めて、どうするんです」

 ハインがそう言って、冷めた目で俺を見るから…………お前に何が分かるんだと言いそうになって、言葉を飲み込んだ。
 分からない……。分かるはずがないんだ、ハインには。親がいないのだから。

 恵まれているからこその、苦しみなのかな、これは……。
 生きることに支障は無かった。食べさせてもらって、生かさせてもらって。その延長に、死に方まで含まれていただけで。
 なんか、もう、分からない…………。
 苦しくて悲しくて、頭を掻きむしって蹲ったら、その上からサヤに抱きしめられた。
 母には与えられなかった温もり……それを今サヤが、代わりのように、与えてくれる。

「レイシール様……二階へ、お越しください」

 俺たちのやりとりを見ていたカークが、不意にそう口を挟んだ。
 その背後でユストが、痛ましげな視線を俺に向けていて、アーシュは顔を伏せている。また不甲斐ない姿を見せてしまった。しかも、サヤに八つ当たりなんて……。

「行こう、レイ」

 サヤは、当り散らした俺を、責めなかった。当然のように優しく微笑んで、俺の手を取る。

 カークに案内されて、二階に上がった。
 そして、立ち入った記憶のない部屋の前に、案内される。

「どうぞ。鍵は、掛かっておりません」

 閉じた扉を前に促され、少し戸惑ってから、握り部分に手を伸ばした。
 押し開くと、そこは戸棚と、机。椅子が二脚。たったそれだけの部屋。

「……ここが、何?」
「将来の、貴方様のお部屋でした」

 将来?……そんなもの、なんのために用意していたんだろう……。

 俺に続いて中に入ってきたカークが、戸棚を開けて、中から紐で綴られた紙の束を取り出す。
 何やら線がのたくった紙だった。木炭なのか、太い掠れた線が、不規則に這い回った跡。
 二枚目……三枚目…………全て同じものはないが、同じ内容。そして端っこには、小さく日付らしいものがふってあった。

「貴方様の、お書きになったものです。報告書だそうですよ」
「報告書?」
「ロレッタ様の真似をされて、描いてらっしゃったそうです。
 ロレッタ様は、貴方様の毎日を、報告書に綴っておられたので。
 ここに移られた初日から、欠かさず毎日、一枚ずつです。この戸棚には、その報告書と、貴方様の報告書のみが、しまわれておりました」

 もう一つ、戸棚から取り出された紙束。
 それを差し出すカークだったが、俺は、受け取らなかった……。

 触れるのが、怖かったのだ…………。

「み、見たくない…………」
「レイ……」
「無理だ。嫌だ。もうこれ以上……」

 傷付きたくない……!
 見た覚えのあるような字面。きっと、執務室で何度も目にしているはずだ。

 父上の字も、母の字も、俺は知らない……。
 学舎に届けられていた書面も、誰が書いていたのかは知らなかった。
 母宛に出してはいたけれど、それは他に相手がいなかったからだ。父上には誓約上、送ることができなかったし、父と母以外、俺と関わりの深い者は、いなかったから……。
 けれど、多忙だった二人のこと……見ているかどうかも怪しいと思っていたし、まして返事など……。
 そもそも、それこそ報告書のような手紙に、返事があったことすら、稀だった。それだって、事務的な内容で、文官や執事らの手かもしれない……。そんな風に、考えていたのだ。

 セイバーンに戻って、手探りで政務について学んでいた時に、父の字も、母の字も、きっと何度も目にしている。それを知りたくなかった。特定したくない。知らないままがいい。
 母の痕跡に触れていたなんて、考えたくない!

「……レイ、お母様は、ちゃんとレイを、愛してはった思う」

 横からサヤにそう言われ、必死で首を振った。
 ならなんで。
 それをまた、繰り返すだけの言葉だ。

「こんなにみっちり、毎日書くんは、凄く大変や思う。
 それを欠かさず毎日書いてはったんは、きっとお父様に見てもらうためや。
 ここにいる間お母様は、レイと二人の生活を、ずっと続けるつもりでいはったんや思う。
 お父様とは、一緒におられへんから……レイの成長に、立ち会えへんから……レイのことを、伝えるために書いてはったんやない?
 それと、将来レイに、見せるためもあったと思う。
 もしかしたら……レイに子供ができた時に、何かしら、助けになるかもしれへんって、思うてはったんか……。
 ……こんなに小さな字で、たくさん……食べたものや、眠った時間まで書き込んである。
 愛情なしにできることやあらへん。
 レイの殴り書きやって、丁寧に取ってある。貴重な紙を、こんなに……これもきっと、お父様に……」
「ならなんで⁉︎」

 なんで死を望まれなきゃならなかったんだ‼︎
 どう足掻いたって、俺を殺そうとした事実は、覆らない。
 たとえはじめは愛情があったのだとしても、結局俺は、必要ないってことになったんだろ⁉︎

「……七の月十五日。この最後の頁。何故途中で書くのを止めてあるんでしょうね」

 不意に、ハインのそんな言葉が耳を打った。
 パラリと紙をめくる音……顔を上げるとハインが、報告書を手に取り、最後の頁を見ていた。

「レイシール様が泉へ沈められたのは、この日付なのですか」
「いいえ……二十二日後の、八の月に入ってからでございます」
「……毎日の習慣を、ひと月近く怠ったと?」
「…………」

 ハインの指摘に、カークは答えなかった。
 けれど、真水の中に墨を落としたような違和感が、ジワリと場に広がる。

「……私の存じ上げる限りで申しますと……、ロレッタ様は……レイシール様を身篭られた時、それは喜ばれたのですよ……。
 フェルナン様に、兄弟ができると……」

 予想外の言葉に、皆の視線がカークに集中した。
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