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新たな戦い 11

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「……志の、高い方、なんだね……」

 それは、サヤを置いていってまで、やらなきゃならないことだったのか。と、そんな言葉が喉まで出かかっていたけれど、サヤが望む言葉だとは到底思えず、無理やり飲み込んだら、そんなしょうもない、適当な言葉しか、出てこなかった。
 内心で焦って、更に言葉に混乱し、サヤの握る手に力を込めることしかできない。
 すると彼女は、小さく、くすりと笑った。

「ええ。でも……子供みたいな人ですよ?
 母が考えていたのは、そんなご大層なことじゃなくて……子供をなくす母親や、母親をなくす子どもを、少しでも減らしたいって気持ちだけだったと思います。もしくは……彼らが親子で過ごす時間を、豊かな時間にしたかったのだと……」

 そうして空を見上げ、口調を変えた。

「お母ちゃんな、小夜を失うたら、絶対あかんかったもん。小夜かて、同じやろ?
 せやから、医療のない地域で、知識がないせいで、お互いをなくすようなんは、救いが無さすぎてあかん。
 日本は医者も助産師もいくらだっておるけども、あっちは私しかいいひんのんや。
 小夜が寂しいのん分かってて、離れとるのはほんま堪忍やで。
 せやからかわりに、小夜がほんまに大切やって思うもの見つけたら、それだけ選んだらええ。
 小夜がほんまやりたいって思うことやったら、お母ちゃんは小夜の味方したるさかい。絶対に反対しいひんから、それでチャラにし」

 妙に力強い喋りかた。
 普段は訛っていても、どこかおっとりした口調のサヤなのに、別の誰かの声かと思うほど、違った。

「小さい頃は……なんでもっと帰ってきてくれへんのって……帰国する度に喧嘩して……こんな感じのことを言われたんです。私も聞き分けがなくて……今思うと恥ずかしい。
 だけど母も、子供と張り合うことはないと、思うんですよね。
 お母さんは私より、よその子が可愛いんやろ!    って、泣いて怒る私に、そんなことないもんっ!    お母ちゃんかて小夜に会えへんの、ムッチャ寂しいのに我慢してるもんっ!    て、大人なのに、怒って泣いて、反論するんですよ?」

 くすくすと笑う。可笑しそうに、懐かしげに。
 そうしてから、俺の方を見た。

「でもあれは、今の私に、くれた言葉だったんだなって、思うんです。
 母の気持ちも、今なら、分かる……」

 そう言った彼女の、その瞳を見たらもう、理性なんて、なんの役にも立ちはしなかった。

「っれぃっ⁉︎」

 断りを入れることも忘れ、腕の中に引き込んで、捕まえた。
 高ぶった気持ちのままに抱きすくめ、少々強引に頭巾をずらし、額に唇を押し付けて「俺がいるから」と、言葉を注ぎ込む。

「そんな顔しないでくれ……」

 申し訳なさと愛しさ。守りたい気持ちと罪悪感。そんなごちゃごちゃした感情に振り回されて、ただただサヤを、一人きりにしたくなくて……。
 凄く寂しげなのに、潤ませた瞳であえて微笑んで……サヤが俺を見上げるから、ただ守りたいという気持ちを、慰めになりたいという気持ちを、大切なこの人を、大切にしたいのだということを、こうして腕の中におさめることでしか、表現ができなかった。

「れっ、れい、往来やから、ひっ、人が見てるっ」

 押し殺された小さな声。
 背中に回された手がペチペチと俺を叩く。
 腕の中の細い腰。細い肩。
 言葉は聞こえていたけど、頭には届いていなかった。
 額に押し当てていた唇を、こめかみにもう一度。そして目尻に。そこで無理やり身体を引き剥がされた、力技で。

「あかんって、言うてる!」

 悲鳴に近い、上ずった声音でそう言われ、やっと状況を理解した。
 サヤの向こう側に、何事かとこちらを振り向く、複数の……っ!

「い、行こうっ」

 慌てる前に腕を掴まれて、路地に引っ張り込まれてしまった。
 そのまま無茶苦茶にずんずんと進んで、とにかくその場から必死で遠去かるサヤの背中を、追うことしかできない。
 頭巾が外れ、馬の尻尾のような黒髪が、歩調に合わせて跳ねていた。
 どれくらいだか、サヤの気がすむまでそうして進んで、やっと立ち止まった時には、ここがどこだか分からない。
 入ったことがないか、随分前で、覚えていない、どこかの路地。

「すっ、すまなかった!」

 何か言われる前に、必死で詫びて、頭を下げる。
 唇に、まだサヤの感触が生々しくて、顔を見れない。
 決して、やましい気持ちでしたのではない。けれど、その気持ちが全く皆無であったのかと問われたら、自信が持てなかった。あのまま我を忘れて、どこまで進んでいたか、正直分からない。
 サヤが震えていたかどうかすら、覚えていない。そんなことを配慮することすら、忘れていた。

「わ、私も……あないなところで、する、話や、なかったかも、しれへん、けど……」

 途切れ途切れのサヤの言葉に、血の気が下がる。拳を握って、下を向くしかできず、後悔で胸が引き千切られそうだった。
    怖がらせた……。待つと言ったのに、自分の理性すら保てないなんて。

「涙、引っ込むくらい、びっくりした。は、恥ずかしいて……どうしよ、死ぬ」

 死ぬほど⁉︎
 こっちが泣きたい気分で顔を上げたら、真っ赤に熟れたサヤが。

「あんなん、反則……!    ひ、人目は、気にせなあかんっ!
 人前であんな、あんな……荒療治すぎるやろ⁉︎」
「……え?」
「すまんやあらへん!    人前でああいうことは、したらあかんのっ!    
 この前かて、ワドさんいてるのに、レイ、平気で……っ。あああぁいうのんは、見せるものと、違う!    私、これからどないな顔して、あそこの道歩いたらええの⁉︎」
「…………怖くなかったの?」
「怖い⁉︎    怖いどころや……怖いどころや、のうて…………」

 そこでまた、思い出してしまったかのように、頬に手をやって、それまで以上に朱に染まって、狼狽えた視線が虚空を彷徨い……。

「あ、あんなん……それどころや、ない……」

 蹲ってしまった。
 壁に寄りかかって、小さく縮こまる。
 震えている。けれど、手の甲まで真っ赤にしている。
 恐怖ではなく、羞恥心でなのは明白で、見える部分の肌が全部、赤い。耳も、首元も。

「わ、私は、人前でああいうのんは、無理……。怖ぁなかったけど、恥ずかしい。
 レイが、私を、慰めるために、ああしてくれたんやって、分かってるけど……大切に、してくれてはるんは、感じたけど……う、嬉しいけど……み、見られるんは嫌や。ああいうのんは、二人の時だけに、して」

 嬉しいって、思っ…………。

「寂しいのは……吹き飛んだから…………。そこはその……おおきに……」

 言われた言葉が、遅れて頭に浸透してくる。怖がられていなかったことにホッとして、気持ち悪くなかったであろうことに泣きそうになって、嬉しいと言われて頭が真っ白になった。
 俺も座り込んで頭を抱える。ダメ、俺が、悶死する……っ!

「あ、あああぁぁ、ごめん、ほんと、ごめん。ちょっと、落ち着くから……」
「うん……」

 ………………え?   二人の時だけ?

「…………あの、本気で言ってる?    二人の時ならいいの?」
「うん?…………あっあかん!」

 だよね。

「…………うん。分かった……」
「……………………ち、ちがう……い、いつでもは、あかん……」
「⁉︎……や、やめよう⁉︎    お互い冷静になろう!」
「ぅ、あ、うん!」

 正直、色々が、現実味なかった。
 耳にしたサヤの言葉もだ。
 夢だろうか……俺、寝てるんだろうか……じゃないとおかしい色々がある……だけどサヤの家族の話は夢であってほしくない。初めて、あんなにしっかり、話してくれたのに……。

「……私が見つけたのは、レイや……。
 お母さんは、知ればきっと、応援してくれはる。
 せやから、私のこと、後ろめたく思う必要は、あらへん……それが、言いたかっただけ」

 最後に付け足されたその言葉に、もう色々が決壊する。
 そういうこと言うから、こっちがおかしくなるんだよ⁉︎

「ちょっとしばらく我慢して!」

 人目がないことだけは確認して、丸まったサヤを引き寄せて抱きしめた。
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