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自覚 17

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 その夜。俺はサヤを呼び出した。
 屋敷の三階廊下、突き当たりにある露台。空は冴え渡り、濃い闇の中に、綺麗な丸い桃色の月が輝いていて、少し明るい。
 ハインは只今就寝準備として、部屋を整えてくれている。
 少しサヤと話をするからと、時間を作ってもらっていた。

 艶やかな黒髪に戻ったサヤは、髪を下ろしたまま、少し緊張した面持ちでやって来た。
 湯浴みも済ませているため、お互い夜着の上に、羽織を纏った状態だ。
 どこか怒っている風なのは、また俺が、恋人をやめようという話をするのではと、警戒しているからだろう。

「そこに座って」

 露台に置かれた椅子。
 そこを指差す。
 無言でやって来て座ったサヤの前に、俺は立った。

「まずはさ……謝ろうと思って」

 そう口にすると、意味がわからないのか、キョトンとした顔。
 そんなサヤに俺は、まず深く頭を下げた。

「色々、ごめん……。まずサヤに、故郷を返してあげられないこと。
 それから、自分でそれを捨てるなんて、言わせてしまったこと。
 そして……恋人になるってサヤの決意を、踏みにじったこと」

 そうしておいてから、片膝をついた。

「もう一度、やり直させて、もらえるだろうか。
 サヤの両手を、俺に貸してくれる?」

 そう聞くと、怪訝そうにしていたサヤの顔が、一気に赤く染まった。
 両手を貸すというものの先に、何があるのかを、察したからだと思う。
 俺もそんなサヤの様子に、少々居心地悪い思いをする。顔が熱いから、俺もきっと、赤くなってるんだろうな……。

「や、りなおす?」
「ああ、やり直す。もう一度サヤに、魂を捧げる。良いだろうか」
「なんで?」
「俺の覚悟が、足りなかったと、思うからだよ」

 ギルと話をした後、サヤが帰るまでの時間を、ひたすら考えた。
 俺はどうすべきなのか。
 サヤの言葉を、どう、受け止めるべきなのか。
 サヤは、俺のために心を固めてくれたのだ。こんな俺を選んで、横に立つと、言ってくれた。
 ずっと一緒にいたのだ。俺の全てを、彼女は見てきてる。どうしようもない部分も、全部サヤに晒してきた。なのに……俺の横に立つことを、彼女は選んでくれたのだ。
 どう考えたって、利点なんて無い……。なのに、俺を、彼女は選んだ。
 そして、少しだけで良いと言った俺に、彼女は全てを捨てるという選択をしたのだ。
 そんな彼女に、俺はどうやって報いれば良いのだろうか。
 俺が個人の裁量でどうこうできる範囲には、サヤに支払える対価なんて、ありはしなかった。この世界中を探したって、きっとない。それだけの価値があるものなんて……。

「ほんの少しだけ、サヤの心を欲しいと、俺は言ったろう?
 なのにサヤは、全部を俺に、くれるんだよな……。
 それじゃあ、割に合わない。そう思ったから、やり直す。良いだろうか」
「……じゃあ、もう、やめるって、言わへん?」
「それも、今から言うよ」

 瞳を見据えて言うと、サヤは居住まいを正した。
 そうして、恥ずかしそうに視線を少し、逸らし……それでも両手を、差し出してくれた。あの時のように、手のひらを上に。
 それを受け取って唇を落とす。次は、手の甲を上に。もう一度。

「俺の魂と、この生涯は、サヤに捧げる」
「……生涯?」
「そう」

 俺の裁量で与えられる、唯一のもの。それが魂だった。
 だから俺の生涯は、本当は、俺が好きにして良いものじゃない。
 貴族である以上、立場が優先されることもあるだろう。
 だから本当は、こんな約束は、してはいけないんだ……。

「サヤは、この世界にただ一人、異界から来た、唯一の存在だ。
 サヤは孤独だ。きっと、それを重く感じてる時も、あるんだろうね……」

 そう言うと、俺の手に乗せられたサヤの手が、キュッと拳を作った。
 孤独は、重い。それも俺は、よく知ってる……。

「だからね……。
 俺だけは、何があっても、サヤを一番にする。
 何を捨てても、サヤを選ぶ。俺だけは、サヤが失くさないものになる。
 サヤから全てを奪う俺だから……全然、足りないかもしれないけど……俺を全部、サヤに捧げる」

 全てを捨ててでもサヤを選ぶ。
 サヤはそれを選んで、俺の横にいてくれるのだから。同じことを、俺もする。
 たとえそれが、国を敵に回すことでもだ。

「サヤがそれを受け入れてくれるなら、一緒に……幸せにならないか。
 どんな形になるか、分からない……俺みたいなごちゃついた立場の人間じゃ、サヤに苦労させるだけかもしれない。
 だけど……努力、するよ。
 サヤが、つつがなく幸せに、暮らせるよう、幸せだって、思えるよう。
 サヤの人生で、俺の隣が、第二の故郷になるよう、頑張るか……」

 最後まで言い終われなかった。
 なぜかサヤが、急に俺の首に組み付いてきたのだ。
 勢いがありすぎて、後ろに尻餅をついた。なんとか手をついて体を支えたから、後頭部強打は免れたが、ちょっとヒヤッとした。

「サヤ……?」
「……もう、聞いたしな。無かったことには、しいひん」
「うん」
「もう、私はレイの恋人や」
「うん……俺なんかで、ほんと良いのかなって、思うけど……」
「レイが良い」

 心臓を掴んで揺さぶられた心地。
 サヤの言葉で、俺が選ばれた。
 耳元で囁かれたその言葉が、ものすごい攻撃力だ。
 本当に、俺なんだ……。俺で、良いんだ…………。あり得ないと思っていたことが、何故か目の前に……今、俺の首に、両腕を回してる……。

「だけどサヤ、一つだけ約束してくれ。
 お願いだから、いなくならないで……。
 自分を守ることを、最優先にしてほしい。サヤを失ったら、俺は、生きる意味も失くしてしまうんだ」

 この手に掴むと決めた。だけどそれは、俺にとってとんでもなく恐怖を感じる行為だ。
 だって俺は、何かを掴もうとする度に、それを失くしてきた。
 今ここでサヤに手を出して、もしサヤに……なにか、あれば…………俺はもう……。

「大袈裟や……。けど、私かて一緒や。
 レイをうしのうたら、私がここにおる意味も、のうなってしまう。
 せやからレイも、自分を守ること最優先。自分を、大切にしてくれな、あかん」

 耳元で囁かれる言葉が、まるで俺の耳から身体中に染み渡るようで……。
 込み上げてきそうになる涙を誤魔化すために、サヤの背中に腕を回して抱きしめた。
 どうしようもない多幸感とともに、恐怖がせり上がってくる。
 間違ってしまったという気持ちが、胸を圧迫して、叫びそうになる。
 それと同時に、今度こそ……今度こそは失わないと、強く決意した。
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