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自覚 11

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 あっけにとられた顔でギルを見上げると、やっぱり考えてなかったなと溜息を吐かれた。
 蝶というのは、貴族の隠語だ。……その……主に未婚の女性を指す。

「婚約者がいねぇんだよ、お前には。
 そして名声の急上昇だ。しかも成人前だってのに、役職まで賜るんだろ?
 まあ、その役職に関してはまだ、伏せられてるからな。世間的に見れば、お前は身近で美味しい有望株でしかねぇんだよ。妾でもなんでも、身内を割り込ませようって考える馬鹿が多分、山と出る。
 だから祝賀会の最中は、サヤを、カメリアでお前の横に張り付かせる。
 公にはされてないが、ちゃんと相手がいるんだって見せつけとく方が良い。でないと、下手したら夜這いにだって来やがるぞ」
「はぁ?    そんなわけないだろ。俺は、妾腹の二子だよ⁉︎」
「だからだって言ってんだ。
 曲がりなりにも貴族。しかも家を継がない二子で、へたな上位貴族より甘い汁を吸えそうな相手だって見なされるんだよ。
 実際……俺のところにすでに、いくつか打診が来てる。お前に娘を紹介したいみたいなやつが。根回ししてくる奴はまだ良いよ。こっちで牽制しとくしな。けど、直に絡んでくる奴の方が、断然多いぞ。祝賀会の雰囲気にかこつけてな」

 冗談でも誇張でもねぇぞ。と、ギルは言った。
 凄く、真剣な顔で。

「お前は夜会自体、まだ参加したことがないだろう?だから、想像できないのは仕方がない。
 けどそういう場なんだよ。あれはな。
 まあ、貴族社会に出る前に練習ができるんだと、前向きに捉えるしかないな。
 今回は俺もいるから、助けてやれる。けど半年後は自分で乗り切らなきゃならん。
 街の連中は、異母様のことだって知らない。だから、お前の事情だって、汲み取っちゃくれない。既成事実さえ作っちまえばいいって手段でくる奴だって、いないとは限らない」

 そう言われ、事態の危うさを再確認させられる。
 そう……か、そうだな……。妾腹出の貴族というのは、商人や役人から妻を娶ることだって少なくはない。貴族社会に役職がなければ、そうなるものだ。
 だがそれでも一応貴族。その地位は、一般庶民には、それなりの威力を持つ。
 どんなものでも権力だ。欲するものは、いるだろう。

「まあだから……サヤの説得をルーシーに任せたんだが……。
 お前の為だからな、承知してくれるとは思うが……サヤには少々、荷が重いかもしれない。
 女として見られる場に、女の装いで駆り出されることになるんだからな。
 だから、お前はとにかく、サヤに気をつけてやれ。
 体調悪そうにしたら、即、席を外して構わん。逃げる口実だと思え。
 サヤ以外に、こんな役を頼める相手もいねぇし……こればっかりはルーシーにさせるとややこしいことになるしな……」

 それはそうだ。
 バート商会との関係がとんでもなくややこしいことになる。
 それに、ルーシーにそういった演技をお願いするのも悪い。一度そんなふうなことをチラつかせたら、ルーシーの今後にも影響するし、ずっと引っ張るだろうしな……。だが…………サヤにお願いするのも……正直今この状況でなんでって気持ちでいっぱいだ……。

「……俺一人で切り抜けるってのでは、ダメなのかな」
「駄目だな。それじゃ、相手がいないって宣伝するようなもんだ。
 そうなったら、今後四六時中、お前に面会求めてくる連中が続くぞ」

 う……、それは、嫌だ……。

「サヤととにかく、仲の良いフリをしろ。いっそのことあれだな、学舎時代からの縁だってことにするか。
 王都で恋仲だったとでも言っておいたら良い。
 それだけで、結構ふるいをかけられる。
 うち専属の意匠師ってのも、サヤの情報を隠すのに利用できるしな。よし、それで行こう」

 そんな風に話をしていたら、ハインが応接室に戻ってきた。
 こいつは体格に大きな変動はなかった様子で、さっさと終わったらしい。
 多少疲れた様子を見せたものの、いつもの仏頂面だ。しかし、その仏頂面には理由があった。

「サヤの連れ込まれた部屋、何か凄い騒ぎでしたが、大丈夫なんですか」

 帰って早々そんな風に言われ、え?   と、首を傾げる。

「騒ぎ?」
「女性の奇声が凄かったですよ。ルーシーだけではありませんでした。
 何か女中が、騒いでいる風でした」
「はぁ?   うちの女中はルーシー以外ちゃんと職務に忠実だぞ」
「その忠実な女中が実際騒いでます。嘘だと思うなら、自分の目で確かめれば良いでしょう」

 というか、気になるから確かめさせろ。といった雰囲気だな。
 カメリアに扮するという部分も気になったし、俺もギルを見る。
 するとギルは、少し逡巡してから、壁際のワドを呼んだ。

「俺たちが立ち入っても良いか確認してきてもらえるか?
 あと、騒ぎの理由が分かれば、それも」
「畏まりました」

 ワドが戻るまでに、俺の残りの作業も一気に進める。ちょうど目処がついたといったあたりで、ワドが戻ってきたのだが……。

「準備は整っているので、どうぞとのことです。と、申しますか……眼福でございます。是非一度、見ておかれた方が宜しいかと」

 満面の笑顔のワドに、そう言われた。
 ……ワドが満面の笑顔……。いつもふんわりと微笑みを絶やさない彼が、こんな風に嬉しそうなのも、また珍しい。
 にしてもなんだその、眼福って。

「良いってんなら……行くか」

 と、いうわけで。サヤが準備を進めているという部屋へと四人で向かうこととなった。
 四人とはつまり、俺たち三人と、ワドだ。
 いくつかある応接室のうちの一つが使われていたようなのだが、近付くにつれ、確かに声が聞こえだす。なんというか……黄色い声?   ものすごく、盛り上がってる様子だ。

「チッ……何やってんだ……」

 ギルが少々ご立腹気味だ。
 そのままの勢いで、ちょっと強めに扉をゴンゴンと叩き「ルーシー!」と、声を掛けると、さして待たず、そのルーシーが顔を出した。

「叔父様……、私、もう、最高傑作に巡り合った心地っ!」

 赤い顔で、瞳を潤ませて、それはもう幸せそうに、満面の笑顔のルーシーが、とっても意味不明なことを言う……。

「見ても良いって、サヤさんはおっしゃいましたけど、叔父様は正直見ない方が良いかもしれないわ。もう、麗しすぎて、女の私でも押し倒しちゃいたいくらいなんだもの!」
「……頭の方は大丈夫か」
「おかしいかもしれないわ!   私、夢を見ているのかも⁉︎」

 だいぶヤバイな……。

「良いからそこ退けろ」

 ラチがあかないと思ったらしいギルが、ルーシーを押し退けて中に入る。
 俺も後に続いたのだが、ルーシーの横を通り過ぎる時、意味ありげな視線を俺に寄越したのが気になった。
 そちらに少々気を取られつつ中に入って、ギルが彫像のように固まっているのにぶつかりそうになる。
 なんで止まってるんだ?   と、横に避けて一歩を踏み出し、やはり俺も固まった。

 そこには、大鏡の前に立つ、一人の貴婦人がいた。

 背中に垂らした紫紺の髪は、部分的に掬い上げられ、後頭部で蝶の連なる髪飾りにより、纏められている。
 纏っている衣装は、冴えた深い群青色。なんの飾り気もない、無地の一色。
 大抵、短衣と袴は別色を選び、配色を楽しむものなのだが、あえてなのか、上下共に同色となっていた。
 しかし、袴のひだの内側には白の刺繍が重ねるように施されており、少しでも動くとそれが見え隠れする。
 腰帯も白。薄い紗の布地に、同じく白で刺繍が施された逸品なのだが、その透ける生地が、背中で花のように、蝶のように、咲いていた。
 更に、新しい装飾品、珊瑚色の帯留めと根付けが、腰帯の上に飾られていて、渋めの配色の中にはっきりした差し色が映え、大人っぽさを格段に引き上げている。
 袖無しの短衣は、腕の刃物傷が目立ってしまう。だから同じく白い、手の甲まで隠れる薄絹の羽織を纏い、隠されていた。
 ただ立っていれば、飾りのほとんどが見えない、地味な装いだ。それが動くと、花開く。まるで花が匂い立つように、彼女の魅力が溢れるようだった……。

「なんだこれ……」

 掠れたギルの呟き。
 鏡越しに視線の合ったサヤは、恥ずかしそうに、小さく笑った。
 その麗しい表情に、心臓が潰れるかと錯覚する。
 今まで、化粧はいつも少しだけといった感じで……あまりしっかりと塗られていなかったのだと、今更知った。
 今のサヤは、全てを完璧に、整えられていた。

「これは……まるでサヤではありませんね」

 横から、ハインのそんな呟きが聞こえるが、同意はできないと思った。
 サヤだ。間違いなく。ただ、数年後のサヤなのだと思う。
 とても艶っぽい、大人の女性……。

「レイ様、如何ですか⁉︎   サヤさん、押し倒したくなっちゃう麗しさだと思いませんか⁉︎」
「っ!   いや、それ駄目だからね⁉︎」

 ルーシーの危険発言に、ふわふわと頼りなかった俺の意識が、一気に覚醒した。
 き、危険すぎる……。このサヤは駄目だ、なんか、色々駄目だ⁉︎

「だっ、駄目だこれは!
 ルーシー、化粧すぐ落とせ、やり過ぎだ⁉︎
 大人っぽくしろとは言ったけどな、ここまですると、別の虫を呼び寄せちまうだろ⁉︎」
「ええぇ⁉︎   最高に、美しいじゃない!」
「分かってる、それは認める。認めるけどな⁉︎」

 俺もそれは認める!   認めるけどこれは……ヤバイなんてもんじゃない‼︎
 張り付いてしまった視線を必死で引き剥がし、その結果横のギルを見たのだが、ギルも上気した顔で、明らかに狼狽していて、サヤの麗しさが、女性慣れしてるはずのギルまで浮つかせるのだと思ったら、恐怖すら感じた。
 だがルーシーは「まだこれからなんだから、ちょっと待って!」と、取り合わない。

「じゃあサヤさん、なんか駄目みたいだからさっさとやってしまいましょう!」

 そのルーシーの言葉に首肯したサヤは、何故か背中で咲く腰帯に手をかけ、それを一気に解いた!

「何やってるんだーーーーーーッッ」

 ギルの絶叫にも静止の威力は無く、サヤの袴がするりと下に落ちた。
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