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自覚 9

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 驚愕に目を見張る俺に、サヤはふっと微笑む。そして、草を踏みしめて、一歩二歩と進み、俺に背中を向ける。

「私、泉に連れていかれた時……ものすごう、ショックやった。
 自分でびっくりするくらい、絶対嫌やって、思うたんやで?
 泣くかと思うた。それはな、レイが……帰れって言うたしや」

 帰らないというサヤの決意に、なんで。どうして⁉︎   と、疑問ばかりが胸の中を渦巻く。
 そんな俺を振り返り、どこか悲しみすら湛えた瞳で、だけど大きな決心を秘めた強い光を滲ませて、サヤは言葉を続けた。

「ここの人間やないって、一番思うてたんは私や。
 レイとは多分、種が違う。同じような形してても、星が……世界が違うとるから……。
 せやから、……色々なことが、きっとできひん……」

 二人の間を隔てる透明な壁が見えた気がした。
 神しか知り得ないようなことすら知っている、特別な知識を持つ異界の少女。
 彼女だからこそ、自分と、俺たちが違うということを、嫌という程理解してしまうのだろう。
 だけどサヤは、それを乗り越えて、こちら側に来る決意を固めたと言う。

「本心やで。レイの恋人になる言うたんは。
 どうあがいたかて結局、私はレイが、好きなんやなって、分かったから。
 私の世界よりも、家族よりも、それが優先されてるって、自覚してしもうた。
 せやから、受け入れなあかんことを、受け入れようて、決めただけや」
「何言ってるんだよ⁉︎
 サヤは、帰らなきゃ、悲しむ人たちが……」
「二ヶ月以上経ったし……世間はもう、私が生きてるとは、思うてへん思う……。
 家族は、違う思うけど……私が自分で決めたんやったら、反対したりはしいひん。
 そういう生き方を、選んだ両親やから。私がそうすることも、分かってくれると、思う」
「だけど!」
「カナくんとはな、もう、あかんかった……ずっとそれは、分かっとった。せやからええの。
 せやから……もう、帰り方は探さへん。レイも、そのつもりでおって」

 言葉に詰まった。
 サヤは自分で決めたら、きっとそれを貫こうとするのだ。
 今までずっと、そうだった……ずっとそれに折れてきた……だけど!

「そんなことを、簡単に、決心できるわけないだろ⁉︎
 可能性すら、捨てるような真似をするな!」

 感情が振り切れて、つい怒鳴ってしまう。
 だけど、我慢が出来なかった!
 そんな簡単に、割り切れるわけない!
 家族や、生きてきた時間、自分の生まれた世界を、切り捨てられる筈がない‼︎
 サヤはちゃんと、愛情深く育てられている。
 彼女を見ればそれは分かる。そしてサヤに、その注がれた愛情が伝わっていないはずがない……分かっていないはずがないんだ!

「サヤの家族は、ちゃんとサヤを愛して、育んでくれた人たちだ。
 俺とは違う……そんな大切な人たちを、もういいだなんて言うな‼︎」

 これだけは引き下がるわけにはいかない。
 ここで俺が引き下がったら、サヤは本気で、そう行動する。
 だけどそれは、サヤにとって身を引き裂くような苦痛であるはずだ。
 そんな思いをさせちゃいけない!

 だけど……怒る俺に、サヤは笑みを浮かべてみせたのだ。
 そっと歩み寄ってきて、俺の両手の指先を、遠慮がちに握る……。
 そして、言い聞かせるみたいな優しい声音で言った。

「あんなレイ、私が帰れる可能性ってな、多分、ゼロに等しい。
 こんなこと、普通は、起こらへんの」

 悲しみと絶望が、瞳を少しだけ、また潤ませた。だけどもう涙を零したりはしないと、決意してしまったのだろう。サヤはまっすぐに俺を見据える。自分の決意に、嘘も偽りもないのだということを、俺に分からせるために。

「泉が異世界と繋がるやなんてことはな、起こらへんの。
 これは、奇跡的な、偶然なんや思う。
 私たちの誰にも、この現象が起こった理由も、条件も、分からへん。あの場所に何一つ、手掛かりも無かった……。
 そんな中で、あの現象をもう一度見つけるやなんて、無理や。
 奇跡いうのんは、そうそう起こらへんもんやて、私が一番よう分かっとる。
 せやから、もうええの。
 こんな、どうしようもないことに、レイが振り回されんでええ」
「サヤ‼︎」
「ええの。私がそう決めたんや」

 そう言って、笑みを深くした。……どう見たって、無理した笑顔。

「決めたんやけどな……我慢がきかんくなって、帰りたいって我儘、言うかもしれへん。
 けど、本心や思わんといて。
 寂しいなっとるだけやから……そん時は、レイが、慰めてくれると嬉しい……」

 そう言ったサヤが、俺の胸に身を擦り寄せてきた。
 とっさに抱き締める。すると彼女の小さな震えが、腕に伝わった。
 泣かなかった。だけど悲しくないはずがなく、苦しんでいないわけがない。
 それすら我慢しようとする。
 そんなのは、駄目だ。

「……いくらだってこうする。だから、そんな我慢はするな。
 苦しいのも、泣きたくなるのも、寂しくなるのも、会いたくなるのも当たり前なんだから!
 帰り方を探すことだって、諦める必要ないんだ!」
「ええの。それはもう、探さんといて。
 レイには、無駄なことに、使える時間なんかない」
「サヤ!」
「……飛ばされたんがここで良かった。
 レイがそう言うてくらはる人やから、後悔せえへんって、思えるんやで……」

 今まで以上に、サヤを小さく感じていた。
 今だって、帰りたい気持ちを捨て切れているわけがないのに、嘘でもそれを、本気だと言う。
 駄目だ。家族を自分から諦めるなんて、そんな悲しいこと……許していいわけがない!

 だから俺は、決意していた。
 サヤの帰り方は、これからも探す。俺が絶対に、見つけてみせる。
 サヤは頑なだから、自分が決めたことを、曲げようとはしないだろう。
 だけど……どうしても帰りたいと言った時に……ちゃんと、帰してあげられるように、準備をしておこう。
 彼女の人生を、ちゃんと彼女が、選べるように。

 この決意を、俺は口にしなかった。
 サヤも、俺に言わない決意を固めていた。
 それが、俺とサヤの、世界の隔たりそのものだったのだけど、その時それが見え、理解していたのはサヤだけで、俺は、そんな決意を固めるサヤを、知りもしなかったのだ。


 ◆


 帰り道……。

「……お二人とも……最近なんなんですか」

 沈黙する俺と、むくれたサヤ。
 それを見て眉間にしわを刻むハインがいた。

 あの後。サヤと喧嘩になった。
 もう恋人は止めようと言う俺と、絶対に嫌だと言うサヤとで、言い争いになったのだ。
 意味が分からない……。
 なんで止めないのか、意味が分からないからね⁉︎

「サ……」
「止めません」

 もう一度説得を試みようと口を開きかけたら、名前を言う間に突っぱねられた。
 ぐううぅぅ、ハインがいるから思ったままを口にも出来ず、イライラが募って仕方がない。
 もう無理をする必要はないと伝えたはずだ!
 今まで通りで良いことも言ったよな⁉︎
 サヤが何故こうも頑なになるのかが意味不明すぎる!

「はぁ……もういい加減にして下さいませんか。
 何をしたんです、今度は」
「俺は何もしてない!」

 むしろしなくて良いって言ってるのに!

「原因はなんですか」

 ……それは…………。

 言えるわけがない……。
 そんな俺とサヤの態度に、ハインは眉間にシワを最大限寄せて、溜息を吐いた。
 言えないなら態度に出してんじゃねぇよ。と、思っているのが手に取るように分かるから、バツが悪いったらない。
 実際その通りだ。言えないなら、場を乱すべきじゃない。
 そしてサヤに折れる気がないなら、俺が折れるしかないのだ。
 だけどこれは……折れて良いことじゃないだろ、どう考えても……。

「はぁ……分かりました。私に言ったとてどうしょうもない問題なのですね。
 では仕方がありません。明日、家具の配送を終えたら即、向かいましょう」

 匙を投げたハインが、そう言って前を向く。
 今度はどこに行く気だ?
 それが読めなくて、サヤと顔を見合わせ……すぐに逸らした。
 お互いバツが悪かったのだ。

「行くってどこに……」

 仕方なく、俺から確認する。

「決まっているじゃありませんか。メバックですよ」

 さらりと答えが返る。

「私は無理ならギル。いつものことですが、何か問題が?」

 振り返ってギロリと睨まれた。

「あ、はい……ありません」

 そうですね。だいたいいつもそんな感じだ。
 そしてまぁ、ギルには一通り言ってしまってるから……妥当だ。ていうか、実際ギル以外に相談できそうな相手もいないしな……。

「分かった……メバックに行こう」

 きっとまた怒られるんだろうなぁ……。そう思いながら、俺は渋々頷くしかなかった。
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