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最後の詰め 3

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 執務室に戻ると、一同から感嘆のどよめきで迎えられた。
 着替えの間に呼ばれたのか、ディート殿まで執務室に居る。
 そして姫様はというと、クリスタ様の男装姿に戻っていた。

「美々しいとは思っていたが……女にしか見えぬな」
「驚いた、見事に化けたものだなぁ」

 目深にかぶった頭巾で目元を隠したまま、サヤはにこりと笑って「光栄です」と、言葉少なに返す。
 サヤからすれば、補正着を外し、女性の装いに戻っただけであるから、似合うのは道理だ。

「これならば問題無いな、姫様だと言い張れる」
「では、姫様は隊の後方に控えておいて下さい、サヤは中心、ディートは後方の姫様を警護、サヤは私とリカルド様で……」

 ルオード様が布陣を説明し、皆は綿密に陣形についてを共有しはじめる。
 それを俺は、ハインと一緒に、少し離れた場所から眺めた。

 ……足手纏いであるから、俺は同行出来ない。
 相手の人数に対し、こちらも同数程度しか戦力が無い状況だからだ。
 剣が握れないことを、これほど不甲斐無く思ったことは、今まで無かった……。
 自分の身すらまともに守れない俺では、サヤを守ることなど、出来はしないのだなと、痛感させられた……。
 そうしている間に、近衛部隊の準備は整った様子だ。
 使いが来て、では出立だと、皆が席を立つ。

 未明の暗がりの中、灰色の衣装に雨除け外套を纏ったサヤは、顔の下半分ばかりが白く浮かび上がっている様で、唇の赤さがとても鮮明だった。
 ルオード様とリカルド様に挟まれていると、本当にどこかの姫君にしか見えない。

「では、行って参ります」

 なんの気負いもないといった様子でそう言って、サヤは近衛部隊とともに出発していった。ディート殿と共に姫様もだ。
 灰髪のかつらで男装をした姫様は、小柄であっても近衛部隊に、見事埋没している。
 流石に男装を繰り返してるだけのことはある。これなら悪目立ちして正体がバレることもないだろうと、俺は進んでいく部隊を見送った。
 部隊が視界から消えたのち、機を見て犬笛を吹いておく。
 それで俺の出来ることは、全て終わってしまった……。

 村には六人の近衛と、女中の方々だけが残っている。
 俺の警護と、土嚢壁の観察。捕らえてある二人を監視しておく役。そして女性であるからだ。
 ハインは仕度があるとか言って、俺を執務室に残して何処かへ行ってしまった。
 なので、護衛の近衛の方と、ただ待つ時間となった。

 苦手だ……この時間が、一番嫌だ。
 今出て行ったばかりだというのに、もう俺は苦しくて、仕方がなかった。
 サヤに何かあったらどうしよう……万が一、長老がヤケを起こし、姫様に剣を抜いたら……?   こちらの動きに気付かれていて、臨戦態勢で待っていたら?   野営地の周りに罠でも仕掛けてあったら?   武人であるという十七人が、とんでもない手練れであったら?
 怖いことしか思い浮かばない。
 じっとしていられなくて、書類仕事をこなしたり、姫様たちがお帰りの際に渡す予定の書類を清書し直したり、必死で時間を使うのだが、それが終わる頃となっても、皆は戻らなかった……。
 はぁ……と、重い息を吐く。

「そんなに心配なさらずとも、あの少年は大丈夫ですよ。
 相当な手練れです。我々の目から見ても、それが明らかなんですよ?
 更に、ルオード様やリカルド様がいらっしゃるのですから」

 俺があまりに落ち着きないからか、近衛の方がそう声を掛けてきた。
 何度か、護衛の任にも就かれている方だ。
 心遣いは有難いが、強さを、疑っているのじゃないんだ……。

「あの子の腕を、疑っているのではないんです……。
 サヤは……本当に、強いですよ。でも、まだ、幼い。人の黒い部分を、あまり知らないと思うのです……。
 あの子は、人一倍優しい……。人を傷つけることになんて慣れてないんです」

 本気の、命のやり取りなんて、きっと目にしたことがない。
 しかも本当は、女の子なんだ。
 あんな場所にやるべき子じゃ、ないんです……。

 口には出せない言葉を、無理やり飲み込む。
 組んだ両手を額に当てて、ひたすら祈った。
 どうか無事で。サヤが傷付くことなんて、起こらないでほしい。
 血なんか流れずに、終わってくれ……、お願いだから!

 空が白み始めた頃になって、ようやっと俺の願いは、聞き届けられた。
 コツンと窓に、小石が当たる音。
 なんだろうかと視線をやると、俺だけに見える角度に立つ、草が居た。
 ニヤリと笑って、指さし、消える。
 慌てて立ち上がった。

「何処へ⁉︎」
「戻った様子です!」

 執務室を出て、玄関扉を押し開ける。
 まだ姿は見えない。少し強くなっている雨に視界が遮られている……っ。
 我慢できなくなった俺は、そのまま足を進めた。
 馬車用の出入り口に向かい走る。
 半ばほどまで進んだ時にようやっと、一人目が視界に入った。
 近衛の方!
 雨除けの外套がある為、安否までは分からない。
 走り寄る俺に気付いたのか、振り返って何かを言うその方の後方から、小柄な影がひょこりと覗いた。

「サヤ!」

 無事だ、ああ良かった。怪我は⁉︎   何一つ、問題は無かったのだろうか⁉︎
 気持ちの急くままに足を進めて、出てきたサヤを、そのまま抱き竦めた。

「レイシール様、汚れます!   それに、雨、濡れてしまってますよ⁉︎」
「今そういうの良いから!」

 声にハリがある。
 動き方にも違和感は無い。
 慌てる様子も、いつも通りだ。
 ああ、良かった。本当に、ちゃんと、無事で帰ってきた!

「……レイシール、そんな風にしておると、恋人との逢瀬を堪能しておる様にしか見えぬぞ」

 慌てるサヤを無視して抱き締め続けていると、横合いからその様な声が掛かり、頭が現実に引き戻された。

「お、ちが、そういうのではっ、俺は純粋に心配で!」
「サヤは女装中だからなぁ。本気でその様にしか見えなかったぞ」

 姫様とディート殿だ。
 いつの間にやら近衛の方々にも囲まれていた。うああぁぁっ、俺の馬鹿⁉︎
 慌てる俺に、後方から雨除けの外套が掛けられる。

「今更ですが、持って来てしまいましたから身につけて下さい」

 冷たい声音のハインだ。
 雨の中何やってんだよみたいな目で見られた。うううぅぅぅ。

「無事のご帰還、何よりです。早く館の中へどうぞ、温かい飲み物を用意致します。
 今、湯屋の方も手配しますので、準備が出来次第ご利用下さい」

 淡々とした口調でハインが言う。
 サヤが、お手伝いします!   と、走り寄ると、まずは着替えて、身仕度を整えなさいと嗜める。
 指示を飛ばすふりをしながら、風呂の準備はしてありますからと言ったのが、小さく聞こえた。
 ただ心配していただけの俺と違い、ハインはちゃんと、やることをやっていた……。

 湯屋の準備が整うまで、近衛の方々は玄関広間と食堂を使い、寛いでもらうこととなった。
 姫様は即刻リーカ様に連れていかれた。
 どうも彼女の反対を押し切っていたらしい……。
 湯屋の準備が済むまで、クッキーと熱いお茶がふるまわれて、数人の近衛が居ないなということに気付くと、一班がアギー領まで、長老一派を護送していったとディート殿に聞かされた。

「まあ、問題なく一件落着だ。
 ここまでは、な」
「……そうですね。ここからがまあ、大変でしょうけど」

 俺が言ったことはまだ何も立証されていない。
 系譜が手に入り、想定と大きく違っていたらと思うと、正直恐ろしい……。
 病の駆逐方法だって、サヤの世界と同じであるとは限らないのだ。
 けれど、もう動いた。あとは進むだけだ。

「……なあ、レイ殿。本気で近衛にはならんのか?」

 今後のことを考えていたら、急にそんな風に言われ、戸惑ってしまう。
 横でディート殿が、何やら思案顔だ。

「え?   そうですね。ここでやることが沢山ありますし、事業だって数年で終わらないかもしれないし、近衛になる余裕はありませんね」
「……そうだよなぁ……だが俺は、出来ればもっと、貴殿との交流が欲しいのだがなぁ」

 凄く残念そうにそんなことを言われた。
 なんだか少し、嬉しくなる。

「俺も、ディート殿とはもっと交流を保ちたいと思ってますよ。
 学舎を辞めてから、同年代の貴族の方と触れ合う機会からも、逃げていて……それをちょっと、改める気持ちになれました」

 人と関わること自体を避けていた。
 得てしまえば、失くすと思っていたから……。
 けれど、この人は……簡単には、そうならないと思えるから……交流を持つ気持ちを、押さえ込まなくて済んだ。
 なによりも、人間性が好ましかった。出来るならば、これからも仲良くしてほしい。

 そんな風に思っていたら、

「レイシール様」

 リーカ様に呼ばれた。姫様が、お呼びだという。
 今後のことかな?   と、思い、伺いますと返事をすると、そのままご案内しますと言われた。

「えっと……」

 サヤはまだ身支度の最中だ。ハインは、皆さんの世話で、忙しいよな……じゃあまあ、良いか。

「分かりました。行きます」

 リーカ様に先導され、姫様の部屋に伺う。すると何故か……ルオード様と姫様が、真剣な表情で、待っていた。
 何やら、嫌な予感がした。

「よく来た。では、単刀直入に聞く。
 レイシール……其方、サヤの正体はなんだ。あれは、女性だな?」

 ……………やばい。
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