262 / 1,121
最後の詰め 2
しおりを挟む
そのまま作戦会議となり、近衛のいる借家に使いが走った。
部隊の班長が呼ばれ、応接室でそのまま作戦会議が始まる。
リカルド様の部屋で眠る二人は、武器を回収され、部屋に監禁。近衛の者が見張りに立っている。起きたら驚くことだろう。
姫様の希望で、確実な叛意を確認したいとなった。
彼女なりのけじめであるのだろう。本来なら、そのまま有無を言わさず斬り捨てることも可能であるのだが、そうはしないという。
「有耶無耶のままでは野望を捨てられぬだろう?
だから、はっきりと心を折っておく。それをこの目で確認する。
これは私のけじめだ」
そう言われれば、従うしかない。
けれど、姫様の提案に、ルオード様が猛然と否を示した。
「承知などできるわけがません!
万が一のことがあった場合、どうされるのです⁉︎」
森の部隊を制圧する作戦に、姫様自身が同行すると言ったのだ。
リカルド様もふざけてるのか⁉︎ と、ご立腹だ。
「何を言う、必要であろうが。私が立ち会わずしてどうするという。
私には武の嗜みもある。そこいらの姫と一緒にするな」
「貴女は唯一のお立場でしょう⁉︎」
必死で訴えるルオード様。
姫様本人を前線に出すなど、とんでもないことだ。
二年前であれば、俺が替え玉としてその役を担えたのだけれど、いかんせん、無駄に背が伸び過ぎてもう無理だった。
嫌な予感がする……そう思っていたら。
「あの、私が替え玉をします」
「サヤ……」
その予感は的中した。言い出すと、思ったんだ……。
「武術の心得もございます。背格好だって似ておりますし、雨除け外套で顔も隠れます。この中では私が適任です」
「サヤ、これは、命懸けのことなんだ! 姫様の代わりをするということは、何かあった時、サヤが的になるってことなんだぞ⁉︎」
必死でそう訴えたが、彼女がそれを聞くとは、思っていなかった。
「お役に立ちます。大丈夫、無理はしません」
決意した顔で、凛とそう言う。
駄目だ、サヤ一人をやるだなんて……そんなことはさせられない!
血を流す争いとなるかもしれない。
サヤが傷つくこともだが、サヤが誰かを傷つけることもだが、サヤを、血みどろの争いに巻き込みたくなかった。
彼女は強い。それは確かにそうだけど、それは武術的なことだけだ。心は、違う。
しかも彼女は無手なのだ。二十人近い武人の中に、身一つで立たせるなど、とんでもない!
誰もが武器を所持しない彼女の国で、血を流す争いは滅多に無いだろう。彼女にその覚悟をさせるのか? 今までの比じゃない、殺し合いの場になるかもしれないんだ!
そんなことは、絶対に、させてはいけない!
なのに……、
「私は、自分で決めるんです。
ここに関わることを、私が決めました。
貴方がなんて言おうと、聞きません」
きっぱりとそう言われてしまった。
強い意志のこもった瞳が、俺を真っ直ぐ見据える。
「レイシール様の大切な方は、私にとってもそうです。
他に背格好の似た者はおりませんし、姫様がいらっしゃらないと困るのも事実でしょう?
なら、私は私のやれることをやります」
サヤを姫様に仕立てる為に、姫様の衣装が用意された。
細身の女性に扮するのだから、服が身体に合わないかもしれない。皆はそう心配したのだが……。
「大丈夫です。目算では入ります」
サヤはそう言い、衣装を受け取った。
リーカ様が手伝うと仰られたが、着替えは一人で行うとサヤは言った。
性別を隠さなければならないので、どうしたってそうなる。
不審そうな顔をするリカルド様だったが、ルオード様が事情があるのですと庇って下さった。
「あの……少し、サヤと話をしてきます」
姫様の衣装は背中に釦のあるものであったから、どうしたって手伝いが必要だろう。
しかし、ルーシーも帰してしまったし、手伝える者がいない。
なので仕方なく、そう言って共に、部屋を出た。
サヤの部屋で、サヤの着替えを待つ。
サヤは衣装を持って寝室へ消えた。
俺とハインは、部屋の長椅子で待機だ。
二人して無言で、ただ待った。ハインも、少々眉間にシワがよっており、怖い顔になっている。
サヤのことを心配しているのだろう……そう考えていたら、
「……レイシール様、草を、呼びましょう」
急にそう、声を掛けられてびっくりした。
獣人を嫌悪するハインは、自ら彼らと関わろうとしない。なのに、そう口にしたからだ。
「サヤのことが、心配なのでしょう?
ならば、彼らに影ながら、補佐してもらえば如何ですか。
不殺の約定がありますから、そう踏み込んだことは、出来ないと思いますが……」
それでも、多少は違うだろうと、言った。
「ああ、そうだな……ありがとう、そうしよう」
露台で笛を吹くと、近くに控えていたのか、サッと現れる。
事情を説明すると、不敵に笑った。
「ああ、やっとそれっぽい仕事だ。良いぜ、守ってやンよ」
「不殺は守るんだぞ。間違っても、先走ったことはしないでくれ」
先程、約定の穴を利用し、長老を弑して来ようとしたことを言うと、バツが悪そうにそっぽを向く。
「分かってらぁな……。で、予定は明日早朝だな?」
「ああ、知らせは……」
「笛を吹いてくれりゃ良い」
そう言ってまた闇に消える。
草のおかげで、少しだけ、塞いでいた気持ちが楽になった。
「あの、レイシール様……手を貸して頂けますか」
室内に戻ると、寝室から顔だけ覗かせたサヤが、申し訳なさそうに言う。
化粧が変わっていた。顔は極力白く見えるよう白粉がはたかれ、逆に唇は、冴えた赤色に。目元も女性らしく整えられていて、とても美しい。
「ルーシーさんに、頂いたものがあって助かりました」
真っ赤な唇を凝視していた俺に、その赤い唇を笑みの形にしたサヤが言う。
「申し訳ありません。やっぱり……どうしても背中の、真ん中あたりの釦に、手が届かなくて……」
「レイシール様、お願いします」
俺が何か言う前に、ハインがサッとそう言い、足早に長椅子まで退避してしまう。
いやまぁ……吝かではないんだが……なんか、意図を感じてしまうな……こいつ、本当は何か、察してるのか?
そう思いつつも、サヤが一番慣れているのは俺であるだろうし……と、寝室に足を向ける。
扉は開けたままにした。
俺と密室にするというのもなんかその……いけない気がしたのだ。
「申し訳ありません……三つくらい、残っているかと」
「ああ、うん。今とめるから」
衣装の間からサヤの素肌がのぞいているものだから、正直目のやり場に困る……。
とはいえ、この美しく着飾った姿で、危険な場に赴くのだと思うと、無性に不安が膨れ上がってくる……。
「……サヤはなんで、こんなことに、首を突っ込むかな……」
つい愚痴りたくなったのは、許してほしい……。
「危険だって言っても、考え直してはくれないの?」
「ええ。決めましたから。それに、危険なのは万が一の場合だけです。近衛の方々だって一緒にいますし、私は姫様として、守られているんですよ?そうそう危険なことなんて、ありませんよ」
サヤの借りた衣装は、灰色の、全身を覆い隠すものだった。
首までかっちりと詰まっていて、全体に刺繍が施された豪奢なものだ。
身体の曲線にぴったりと添い、まるでサヤのためにあつらえた様に美しい。
その身体を見ていて、ふと気付いた。
「……サヤ、痩せた?」
「あ、そうですね。私の世界にいた時より、格段に運動量が多いですから、少し痩せたか……引き締まったのかもしれません」
前、補整着を借りていた時、少し小さかったと言っていた。
その補整着は、多分姫様のもので、サヤは体に合わなかった為、腰の皮がめくれてしまったのだ。
なのに今、姫様の衣装が、問題無く着れている。
酷く、無理をさせてしまっている気がした。
サヤは学舎に通っているくらい、お嬢様なのだと思う。あれだけの知識を身につける、学びの場。
祖母と二人きりで暮らしていると言ったが、ひっくり返せば、祖母と二人で生活しつつでも、学舎に通えるゆとりがあるということだ。
出会った頃から、サヤの手足はしなやかで、指先まで綺麗だった。生活に苦労していない者の手だ。
今は……今はきっと、違う。
この美しい衣装の下に、刃物の傷まである。もし、これ以上の怪我を、彼女に負わせてしまったら……。心を傷つけるような光景を、見せてしまったら……!
そんな風に考え出してしまった時、くるりとサヤが、振り返った。
「そんな顔してる思うた」
少し怒った顔で、そう言って、俺を睨め上げる。
「私の世界の学校は、座学が多い。
乗り物が沢山あるし、速く移動できるから、それを利用することも多い。せやから、歩くこと自体が、元から少ない。
ただそれだけのことや」
ただそれだけと言う。
だけど違う。それくらい、生活が激変しているということだ。
苦しかったり、辛かったりしないのだろうか。逃げ出してしまいたくなったりしないのだろうか。俺が見ていない場所で、苦しんでいるんじゃないか。そんな不安にかられると、どうしても歯止めがきかない。
無理をさせている。そんなサヤに今度は、酷い戦場を見せることになるかもしれない。長老の出方次第……その可能性は、決して低くないのだ。
「レイ」
そんなどうしようもない俺に、サヤは微笑む。
「レイの大切なもんやろ。それ守ろうて思うんは、当たり前や。
私、レイの罰と戦うて、言うたやろ」
「それはもう、しなくていい!
俺はもう、充分得たから……もう、本当に……」
そう言うと、サヤは俺の両手を握った。
「まだや。レイはまだ何も、言うてへん」
そう言って、瞳を覗き込むようにして、見上げてきた。
「レイの口からまだ何も、欲しいって、聞いてへん。
レイ自身は何も欲しがってへん。
せやからまだ私、納得出来ひん」
これ以上、何を望めって言うんだ……?
俺の欲して良いものは、もう、充分得たと思うのだ。
後は、俺が求めてはいけないものだ。
そう思うのに、サヤは言うのだ。
「全部が全部、手に入らへんのは、仕方がない思う。
けど、望むことだけは、自由やろ?
レイは、それもしいひん。
せやから納得いかへんの」
望んでも得られない。俺にとってそれは、苦痛だ。
俺のそんな考えを読んだかの様に、サヤは言葉を続ける。
「誰にとっても、苦しい。それは、みんな同じや。
せやからいうて、望まへんかったら……何もないんやで?
苦しいても、望むことをやめたらあかん。幸せになることを望まんのは、違う。
レイが、自分の口で欲しいって、言わなあかん。
そうせえへんと、レイは一生、何も手に入らへん」
そう言うサヤの瞳は、まるで星を宿しているかの様だった。
彼女だって、色々辛い経験を重ねているのに、こんな風に前を向くのだ。
ずっと足掻き続けている、強くてしなやかな精神。
今だってそうだ。何故そうも、前を見ていられるのだろう。
だけどそれは……サヤ自身が、必死で磨いて育てた強さだ。
この娘のこの輝きを失わせたくないと、強く想った。
「お願いだ、一番安全な場所にいてくれ……」
「心配せんでも、そないなる。姫様役やで? それに、草さんも居てくれてはるんやし、滅多なことにはならへん」
そう笑って、雨除けの外套を、衣装の上から纏った。
部隊の班長が呼ばれ、応接室でそのまま作戦会議が始まる。
リカルド様の部屋で眠る二人は、武器を回収され、部屋に監禁。近衛の者が見張りに立っている。起きたら驚くことだろう。
姫様の希望で、確実な叛意を確認したいとなった。
彼女なりのけじめであるのだろう。本来なら、そのまま有無を言わさず斬り捨てることも可能であるのだが、そうはしないという。
「有耶無耶のままでは野望を捨てられぬだろう?
だから、はっきりと心を折っておく。それをこの目で確認する。
これは私のけじめだ」
そう言われれば、従うしかない。
けれど、姫様の提案に、ルオード様が猛然と否を示した。
「承知などできるわけがません!
万が一のことがあった場合、どうされるのです⁉︎」
森の部隊を制圧する作戦に、姫様自身が同行すると言ったのだ。
リカルド様もふざけてるのか⁉︎ と、ご立腹だ。
「何を言う、必要であろうが。私が立ち会わずしてどうするという。
私には武の嗜みもある。そこいらの姫と一緒にするな」
「貴女は唯一のお立場でしょう⁉︎」
必死で訴えるルオード様。
姫様本人を前線に出すなど、とんでもないことだ。
二年前であれば、俺が替え玉としてその役を担えたのだけれど、いかんせん、無駄に背が伸び過ぎてもう無理だった。
嫌な予感がする……そう思っていたら。
「あの、私が替え玉をします」
「サヤ……」
その予感は的中した。言い出すと、思ったんだ……。
「武術の心得もございます。背格好だって似ておりますし、雨除け外套で顔も隠れます。この中では私が適任です」
「サヤ、これは、命懸けのことなんだ! 姫様の代わりをするということは、何かあった時、サヤが的になるってことなんだぞ⁉︎」
必死でそう訴えたが、彼女がそれを聞くとは、思っていなかった。
「お役に立ちます。大丈夫、無理はしません」
決意した顔で、凛とそう言う。
駄目だ、サヤ一人をやるだなんて……そんなことはさせられない!
血を流す争いとなるかもしれない。
サヤが傷つくこともだが、サヤが誰かを傷つけることもだが、サヤを、血みどろの争いに巻き込みたくなかった。
彼女は強い。それは確かにそうだけど、それは武術的なことだけだ。心は、違う。
しかも彼女は無手なのだ。二十人近い武人の中に、身一つで立たせるなど、とんでもない!
誰もが武器を所持しない彼女の国で、血を流す争いは滅多に無いだろう。彼女にその覚悟をさせるのか? 今までの比じゃない、殺し合いの場になるかもしれないんだ!
そんなことは、絶対に、させてはいけない!
なのに……、
「私は、自分で決めるんです。
ここに関わることを、私が決めました。
貴方がなんて言おうと、聞きません」
きっぱりとそう言われてしまった。
強い意志のこもった瞳が、俺を真っ直ぐ見据える。
「レイシール様の大切な方は、私にとってもそうです。
他に背格好の似た者はおりませんし、姫様がいらっしゃらないと困るのも事実でしょう?
なら、私は私のやれることをやります」
サヤを姫様に仕立てる為に、姫様の衣装が用意された。
細身の女性に扮するのだから、服が身体に合わないかもしれない。皆はそう心配したのだが……。
「大丈夫です。目算では入ります」
サヤはそう言い、衣装を受け取った。
リーカ様が手伝うと仰られたが、着替えは一人で行うとサヤは言った。
性別を隠さなければならないので、どうしたってそうなる。
不審そうな顔をするリカルド様だったが、ルオード様が事情があるのですと庇って下さった。
「あの……少し、サヤと話をしてきます」
姫様の衣装は背中に釦のあるものであったから、どうしたって手伝いが必要だろう。
しかし、ルーシーも帰してしまったし、手伝える者がいない。
なので仕方なく、そう言って共に、部屋を出た。
サヤの部屋で、サヤの着替えを待つ。
サヤは衣装を持って寝室へ消えた。
俺とハインは、部屋の長椅子で待機だ。
二人して無言で、ただ待った。ハインも、少々眉間にシワがよっており、怖い顔になっている。
サヤのことを心配しているのだろう……そう考えていたら、
「……レイシール様、草を、呼びましょう」
急にそう、声を掛けられてびっくりした。
獣人を嫌悪するハインは、自ら彼らと関わろうとしない。なのに、そう口にしたからだ。
「サヤのことが、心配なのでしょう?
ならば、彼らに影ながら、補佐してもらえば如何ですか。
不殺の約定がありますから、そう踏み込んだことは、出来ないと思いますが……」
それでも、多少は違うだろうと、言った。
「ああ、そうだな……ありがとう、そうしよう」
露台で笛を吹くと、近くに控えていたのか、サッと現れる。
事情を説明すると、不敵に笑った。
「ああ、やっとそれっぽい仕事だ。良いぜ、守ってやンよ」
「不殺は守るんだぞ。間違っても、先走ったことはしないでくれ」
先程、約定の穴を利用し、長老を弑して来ようとしたことを言うと、バツが悪そうにそっぽを向く。
「分かってらぁな……。で、予定は明日早朝だな?」
「ああ、知らせは……」
「笛を吹いてくれりゃ良い」
そう言ってまた闇に消える。
草のおかげで、少しだけ、塞いでいた気持ちが楽になった。
「あの、レイシール様……手を貸して頂けますか」
室内に戻ると、寝室から顔だけ覗かせたサヤが、申し訳なさそうに言う。
化粧が変わっていた。顔は極力白く見えるよう白粉がはたかれ、逆に唇は、冴えた赤色に。目元も女性らしく整えられていて、とても美しい。
「ルーシーさんに、頂いたものがあって助かりました」
真っ赤な唇を凝視していた俺に、その赤い唇を笑みの形にしたサヤが言う。
「申し訳ありません。やっぱり……どうしても背中の、真ん中あたりの釦に、手が届かなくて……」
「レイシール様、お願いします」
俺が何か言う前に、ハインがサッとそう言い、足早に長椅子まで退避してしまう。
いやまぁ……吝かではないんだが……なんか、意図を感じてしまうな……こいつ、本当は何か、察してるのか?
そう思いつつも、サヤが一番慣れているのは俺であるだろうし……と、寝室に足を向ける。
扉は開けたままにした。
俺と密室にするというのもなんかその……いけない気がしたのだ。
「申し訳ありません……三つくらい、残っているかと」
「ああ、うん。今とめるから」
衣装の間からサヤの素肌がのぞいているものだから、正直目のやり場に困る……。
とはいえ、この美しく着飾った姿で、危険な場に赴くのだと思うと、無性に不安が膨れ上がってくる……。
「……サヤはなんで、こんなことに、首を突っ込むかな……」
つい愚痴りたくなったのは、許してほしい……。
「危険だって言っても、考え直してはくれないの?」
「ええ。決めましたから。それに、危険なのは万が一の場合だけです。近衛の方々だって一緒にいますし、私は姫様として、守られているんですよ?そうそう危険なことなんて、ありませんよ」
サヤの借りた衣装は、灰色の、全身を覆い隠すものだった。
首までかっちりと詰まっていて、全体に刺繍が施された豪奢なものだ。
身体の曲線にぴったりと添い、まるでサヤのためにあつらえた様に美しい。
その身体を見ていて、ふと気付いた。
「……サヤ、痩せた?」
「あ、そうですね。私の世界にいた時より、格段に運動量が多いですから、少し痩せたか……引き締まったのかもしれません」
前、補整着を借りていた時、少し小さかったと言っていた。
その補整着は、多分姫様のもので、サヤは体に合わなかった為、腰の皮がめくれてしまったのだ。
なのに今、姫様の衣装が、問題無く着れている。
酷く、無理をさせてしまっている気がした。
サヤは学舎に通っているくらい、お嬢様なのだと思う。あれだけの知識を身につける、学びの場。
祖母と二人きりで暮らしていると言ったが、ひっくり返せば、祖母と二人で生活しつつでも、学舎に通えるゆとりがあるということだ。
出会った頃から、サヤの手足はしなやかで、指先まで綺麗だった。生活に苦労していない者の手だ。
今は……今はきっと、違う。
この美しい衣装の下に、刃物の傷まである。もし、これ以上の怪我を、彼女に負わせてしまったら……。心を傷つけるような光景を、見せてしまったら……!
そんな風に考え出してしまった時、くるりとサヤが、振り返った。
「そんな顔してる思うた」
少し怒った顔で、そう言って、俺を睨め上げる。
「私の世界の学校は、座学が多い。
乗り物が沢山あるし、速く移動できるから、それを利用することも多い。せやから、歩くこと自体が、元から少ない。
ただそれだけのことや」
ただそれだけと言う。
だけど違う。それくらい、生活が激変しているということだ。
苦しかったり、辛かったりしないのだろうか。逃げ出してしまいたくなったりしないのだろうか。俺が見ていない場所で、苦しんでいるんじゃないか。そんな不安にかられると、どうしても歯止めがきかない。
無理をさせている。そんなサヤに今度は、酷い戦場を見せることになるかもしれない。長老の出方次第……その可能性は、決して低くないのだ。
「レイ」
そんなどうしようもない俺に、サヤは微笑む。
「レイの大切なもんやろ。それ守ろうて思うんは、当たり前や。
私、レイの罰と戦うて、言うたやろ」
「それはもう、しなくていい!
俺はもう、充分得たから……もう、本当に……」
そう言うと、サヤは俺の両手を握った。
「まだや。レイはまだ何も、言うてへん」
そう言って、瞳を覗き込むようにして、見上げてきた。
「レイの口からまだ何も、欲しいって、聞いてへん。
レイ自身は何も欲しがってへん。
せやからまだ私、納得出来ひん」
これ以上、何を望めって言うんだ……?
俺の欲して良いものは、もう、充分得たと思うのだ。
後は、俺が求めてはいけないものだ。
そう思うのに、サヤは言うのだ。
「全部が全部、手に入らへんのは、仕方がない思う。
けど、望むことだけは、自由やろ?
レイは、それもしいひん。
せやから納得いかへんの」
望んでも得られない。俺にとってそれは、苦痛だ。
俺のそんな考えを読んだかの様に、サヤは言葉を続ける。
「誰にとっても、苦しい。それは、みんな同じや。
せやからいうて、望まへんかったら……何もないんやで?
苦しいても、望むことをやめたらあかん。幸せになることを望まんのは、違う。
レイが、自分の口で欲しいって、言わなあかん。
そうせえへんと、レイは一生、何も手に入らへん」
そう言うサヤの瞳は、まるで星を宿しているかの様だった。
彼女だって、色々辛い経験を重ねているのに、こんな風に前を向くのだ。
ずっと足掻き続けている、強くてしなやかな精神。
今だってそうだ。何故そうも、前を見ていられるのだろう。
だけどそれは……サヤ自身が、必死で磨いて育てた強さだ。
この娘のこの輝きを失わせたくないと、強く想った。
「お願いだ、一番安全な場所にいてくれ……」
「心配せんでも、そないなる。姫様役やで? それに、草さんも居てくれてはるんやし、滅多なことにはならへん」
そう笑って、雨除けの外套を、衣装の上から纏った。
0
お気に入りに追加
837
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。
Hibah
恋愛
私の夫エルキュールは、王位継承権がある王子ではないものの、その勇敢さと知性で知られた高貴な男性でした。貴族社会では珍しいことに、私たちは婚約の段階で互いに恋に落ち、幸せな結婚生活へと進みました。しかし、ある日を境に、夫は私以外の女性を部屋に連れ込むようになります。そして「男なら誰でもやっている」と、浮気を肯定し、開き直ってしまいます。私は夫のその態度に心から苦しみました。夫を愛していないわけではなく、愛し続けているからこそ、辛いのです。しかし、夫は変わってしまいました。もうどうしようもないので、私も変わることにします。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる