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人と獣 1

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 さて。そろそろ仕事に戻るか。と、思い始めた頃。
 馬車が到着した。
 小ぶりな幌馬車だ。人数が増えすぎてしまい、一人で運べなくなった食事を、食事処の面々がここに運んでくれる手筈になっていた。
 執務室から音を聞きつけたサヤが、対応しに行き、何故か渋面で戻って来る。

「……どうした?」
「はい、あの……ちょっと、食事処まで行ってきても、良いでしょうか?」

 そう言ったサヤの後ろから、ダニルがひょこりと顔を覗かせ、申し訳なさげに付け足した。

「すんません。ちょっとその……やらかしちゃってまして……」
「やらかした……?   何を?」
「夫婦喧嘩っす」

 夫婦喧嘩……ガウリィとエレノラか?
 首を傾げた俺に、サヤがトコトコと近付いてきて、耳打ちする。

「事情を知ってるのが、私たちだけですから……」

 ああ。本来は夫婦ではないのだよな、あの二人。
 エレノラがヘソを曲げてしまい、どうにもならないから、サヤに話を聞いてやってほしいということだった。
 五人いる兇手の中で、一人きりの女性だ。サヤにしか頼れないのだろう。
 一応、サヤも弟子であるという設定だしな。

「なら、俺も行く。もう片方は俺が対応するよ」

 喧嘩というなら、ガウリィ側の話も聞くべきだろう。そう思ったのだが、

「親父さんは、だんまりだと思うっす」

 と、ダニルが言う。
 どういうことだ?   と聞くと、言いにくそうに口籠る。

「まあ、だんまりであったらなそれはそれで良いよ。一応行こう。
 ここでの生活の、不満とかも積み重なっているかもしれないしな」
「いや、それはねぇすよ⁉︎    凄く、良くしてもらってる……」

 俺の一言に、過剰反応したダニルが、泡を食ってそう言ってきたが、まあ、それは確認してみるよといなしておいた。
 貴族相手に文句を言えるはずがないのだ。問題があろうが、無いと言う。世の中はそのようになっている。

「俺も同行しよう」

 ディート殿が立ち上がる。
 が、彼について来られると、ちょっと厄介だ。

「申し訳ない。料理の秘匿権が絡む場合があります。
 かなり特殊な契約をしてもらっていまして、多分、ルオード様止まりの案件なんですよ」
「む。そうか……。だが護衛だしなぁ……」

 ここで留守番しておくのもちょっとなぁといった感じらしい。仕方がないので、話を聞く間、離れた場所で待っていてもらうということで妥協となった。ハインが、注意しておきますと視線で知らせて来たので、任せることにする。

 食事を運んで来た幌馬車に、そのままお邪魔して、連れて行ってもらうことになった。
 サヤが興味津々、幌に注力しているものだから、

「どうしたの?」
「いえ……どうして水が染み込んでこないのだろうって、思いまして……」

 その返事に、びっくりした。

「どうって……」
「油や護謨ゴム、蝋の場合もあるか。染み込ませてあるからに決まっているだろう?」
「サヤは幌馬車を見たことがないのですか?」

 三人して驚く羽目になる。
 まさか幌馬車を知らないなんて思わない。そこらじゅうで使われているのにだ。

「だって、館では使っていませんでしたし……」

 まぁ、貴族は使わないかな……。
 そういえば、サヤは馬車にも乗ったことがないと言っていたのだったと思い出す。
 しまった……。ディート殿が居るのに、聞くんじゃなかった……。

「サヤの国には、馬車がないのか?どうやって見かけずに生活して来た?」

 不思議そうに問うディート殿に慌ててしまったのだが、サヤも自分の失言に気付いた様子で、ちょっと困った顔をしてから言った。

「いえ……見かけたことはありますよ。乗ったことが、無かったんです」

 いや、それも相当変な話だぞ。それこそ一庶民であるなら尚更だ。

「私の国では……駕籠かごが一般的でしたし」
「…………カゴ?」
「はい。だいたいが一人乗りです。箱や笊を木の棒に吊るして、両端を人が担いで、運ばれます」
「…………人の足で?」
「はい。人の足で」
「…………歩けば良いではないか」
「はい。歩く速度と大差ないので、正直そう思います」

 ただ、自力で歩かなくても良い分、楽であるらしい。
 しかし、そう語るサヤの目は少し泳いでいて、なにやら白々しいものを感じてしまった。
 それで、ああ、これは過去の話なのだと気付く。
 今のサヤの国では、使われていないのだろう。

「馬はあるのだろう?何故馬車を使わぬ」
「国が禁止しておりました」
「何故⁉︎」
「……高度な政治的判断?理由は分かりません。何故か、禁止でした」
「……サヤの国は、色々訳が分からんな」

 本当だ。訳が分からない。
 何百年前の話を持ち出しているのかは不明であるが、それ自体が嘘ではない様子だ。
 サヤの言葉に澱みは無い。
 ディート殿の様子で、なんとか誤魔化せたと思ったのか、ホッとしている様で、俺も胸を撫で下ろした。

 そうこうしている間に、食事処に到着した。
 玄関前で下ろされ、ダニルは馬車を置きに店の裏側に回っていく。
 しばらく待っていると、内側から扉が開いた。

「あ、レイ様!」
「ユミル、カーリン。久しぶり」

 扉を開いてくれたのは、農家の娘二人だ。
 そのまま中に招き入れられ、一歩踏み込むと、そこは美味そうな良い香りが充満していた。

「腹が減る匂いだな……美味そうだ」

 ディート殿がそう言って腹を手でさする。
 昼食にはまだだいぶん早い時間だというのにだ。この人はほんと、ここの料理好きだよな……。
「あ、昼食作りは終わったので、賄い作りをしてたんです。
 今日の議題は、古くなった麺麭の活用法だったんですよ!」
「結構美味しくできたと思います。もしよかったら、試食なさいますか?」

 朗らかに問う二人に、一も二もなくディート殿が飛びつく。ついでにハイン……。
 新しい料理と聞けば、そうなるよな……と、半眼で見ていたら、裏口からダニルが戻った。

「すんません。親父さんたち……上っす」

 賄いに気を取られた二人を残し、俺たちは二階に移動した。
 生活空間になっているという二階は、それぞれの個室がある様子だ。
 案内されたのはその中の一つ、エレノラの部屋。

「姐さん、サヤさん連れて来た。開けてくれ」

 返事はない……。

「よし、こじ開ける」

 ええっ⁉︎

「聞こえてるんすよ。けどヘソ曲げてっから出てこない。けどこのままじゃどうにもなんねぇんで、こじ開けて結構っす」
「結構じゃないよ⁉︎」

 挑発であったようだ。
 バン!   と扉が開くと、目を赤く腫らしたエレノラがいて、サヤだけでなく、俺までいたことに悲鳴を上げた。泣き腫らした顔を見られたくなかったらしい。

「ダニル、あんだ覚えてな⁉︎」
「知らねぇよ。普通に開けてりゃ良かっただろ?」

 そのままサヤの手を引っ張って中に引き入れたかと思うと、バタン!   と、扉は閉じてしまう。
 ……え?

「ち、ちょっ……サヤ⁉︎」
「別に取って食やしないっすよ。
 じゃあご子息様、もう一人の方行きましょう。多分、だんまりだと思うけど」

 腕を掴まれてずりずり連れていかれた。
 エレノラの部屋から一番遠い、対角線上にある部屋だ。

「親父さん、入りますよ」

 返事は無い。扉も普通に開いていた。
 なのでそのまま押し入ったのだが……。

「来んな」

 殺気まがいの気配をまき散らしたガウリィが、本気でご立腹の様子で、俺たちを一瞥するなり言い捨てる。

「あー……、ご子息様がね、話を聞きたいって仰ってんですけど……」
「ねぇ」
「あ、はい。そうっすね」

 それだけのやりとりで逃げ出さざるを得なかった……。
 うん。まごうことなき喧嘩だ。間違いない。

「……ダニル、こうなったら、君から事情を聞くしかないと思うんだけどね」

 サヤを拉致られてしまったので、俺もこのまま引き下がるわけにはいかないのだ。

「あー……そうなる気がしてました。
 じゃ、俺の部屋行きます。そこで話すんで」
「ああ、宜しく頼む」
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